何もかもが煩わしかった。 学校上げての行事も、交友関係も、全部全部煩わしかった。人と関わるのも嫌だった。しょうもないやつらにする愛想笑いなんて以ての外だ。 いつからだろうか、こんなふうに思うようになったのは。 ベッドの上、目を瞑る。早朝四時、眠れない夜は毎回あの箱庭での出来事が蘇る。 並榎田第一中学校。 島に建つその全寮制の男子校は俺の母校でもある。そこで卒業までの中学三年間過ごしたが、俺にとってあの場所での記憶は思い出したくもないものばかりだった。そのくせ、こういうときには昨日のことのように鮮明に蘇るのだ。 布団を抱き枕の代わりにし、背中を丸めて目を瞑る。そしてそのまま俺は意識を手放した。 ◇ ◇ ◇ 見慣れない制服に袖を通す。春先だと言えど、海のど真ん中の島に建つ学園だ。寒くなるだろうからと卸たての上着を両親から着せてもらい、俺と陽太は船に乗り込んだ。 「宰様、船っ、船ですよ……!すごいですね……!」 「……」 「宰様、もしかして……船酔いですか……?!」 「……お前、声でけーから」 「あっ、ご、ごめんなさい宰様……っ!」 バカみたいに大きな声で謝罪したあと、自分の声量に気付いた陽太は気まずそうに項垂れる。それもすぐ、動き出す船に舞い上がってるようだ。声を出さないようにしながらも、そわそわちらちらとこちらと離れる港を交互に見てくる陽太に今更何も思わなかった。 自家用クルーザーには俺と陽太と両親が用意した船長がいるくらいだ。重たい荷物は室内に置いてきた。俺と陽太は二人で海を眺めていた。 なんだか島流しにあってるようだ。けど実際間違いではないのだろう。これから三年間、島の学園の中で過ごすことになる。娯楽施設もあるらしいが、そんなものたかが知れてる。 「あ、宰様、カニですよっ」 「海に戻してこい」 「え、ええ……可哀想では……俺、責任とって部屋まで連れて帰ります……っ」 「勝手にしろ」 カニに名前を付けてる陽太を横目に、この先のことを考えるとただ鬱屈とした気分に襲われた。 対する陽太は旅行にでも行くつもりなのだろう、楽しそうだ。 「……随分と嬉しそうだな」 「ええ、俺嬉しいんです。全寮制なら宰様とずっと一緒に居られますし、それに、相部屋なんですよね。俺、宰様と同じ部屋がいいです」 「そう都合よくなるわけないだろ、そもそも同じクラスになれるかどうかわからない」 「でも、俺ちゃんと調べたんです。一年生は2クラスしかないから俺達二分の一の確率で同じクラスになれますよ!」 「そりゃ良かったな」 「はいっ!宰様の『右代』と、俺の『旭』で出席番号も近いでしょうし……俺、楽しみです。これから三年間宰様と一緒に居られることが」 「それさっきも聞きたぞ」 「あ……っ!ご、ごめんなさい……」 どれだけ浮かれてるのか。恥ずかしくなったのか陽太は俯いた。また身長が伸びたのだろう、前々から姿勢はよくなかったがでかくなった分猫背がよく目立つようになっていた。 俺とは対象的にこいつは実家から離れることができて嬉しいのだろう。本当、脳天気なやつだ。 「楽しみだなぁ……」 譫言のように一人ぶつぶつ呟いてる(いや、カニに話しかけてるのか?)陽太を遠目に、俺は潮風を浴びていた。確かに、日差しは温かいが風は冷たかった。 結論から言えば陽太とは同室になった。 本当は別のルームメイトだったが、陽太が騒いでごねにごねたお陰で陽太の相部屋になる相手の方から交代してもらえないかと言われたのだ。……賢明な判断だ。 面倒だったが、陽太と同じ部屋だとなにかと都合がいいこともある。俺はその申し出を受け入れたのだ。 散々問題起こすわ、同級生を様付けで呼ぶだとか、入学式早々周りからは痛いやつだという認定を食らっていた陽太だったがそんなのお構いなしに陽太は俺の後ろを付いて回るのだ。 最初から分かっていたことだ、こいつと全寮制に通うということになるのは。 結果的に俺まで仲間と思われることも分かっていたが、人の目などどうだってよかった。 ◇ ◇ ◇ 「なあなあ、右代ってなんで旭にあんなに懐かれてんだ?」 隣の席のクラスメイトの一人が話しかけてきた。日に焼けたいかにも運動好きそうな男子生徒だ。 名前は確か進藤。他の奴らがそう呼んでるのを聞いた。 「……別に、幼馴染ってだけだ」 「へえ、二人揃ってこんなところに入学するって相当仲良しじゃん」 「別に……あいつが勝手に着いてきただけだ」 「ふーん。あ、俺進藤。名前言ったっけ」 「知ってる。他の奴らが呼んでるのを聞いたから」 「ああ、なんだお前結構周りとか見てんのな」 一瞬嫌味かと思って顔を上げたとき、隣から目の前の席に腰を下ろす進藤はそのまま俺の手を取るのだ。 「よろしくな、右代」 進藤は変なやつだった。陽太も変なやつだが、進藤はまた別のべクルトの変なやつだ。 入学して早々の騒動や日頃の陽太の言動のお陰で周りから浮いてることはいやでも知ってた。好奇の目を向けられることもだ。それでも進藤は特に気にせず、自分が話したいとき、そのタイミングで絡んできてはそのまま別の友達のところへと流れていくのだ。 八方美人ってほど気遣うような男でもない、それでも気さくで裏表のない性格だからだろう、嫌な気はしなかった。 けれど。 「あの進藤ってやつ、慣れ慣れしすぎますよ、宰様に対して敬意もないし、それに今日なんか軽々しく宰様にか……ッ!肩を組むなんて……ッ!恐れ多い……っ!!」 部屋に帰ってくるなり早々、手を洗うよりも先に虫籠の中のカニに向かってぶつくさ文句言ってる陽太に今更突っ込む気にもなれなかった。陽太を無視して制服を着替える。それにしてもあのカニ、まだ生きてたのか。 俺が着替えようとしてることに気づいたのか、はっとした陽太は虫籠を抱えて背中を向ける。 同性なのだから気にするなと毎回言ってるのだがこいつは昔からこうだ。こういうところがまた余計周りからごちゃごちゃ言われる要因になるのだろうが、かといって俺としてもじろじろ見られるのは不愉快だ。空気に徹する陽太は嫌いではない。かといって好きでもないが。 「進藤は……お前と気が合いそうだな」 「ほ、本気で仰るんですか……?俺なんかしました?もしかして、その、俺が邪魔だとか……」 「その被害妄想癖もどうにかしろ。どうしてそうなんだよ」 「だっ、だって……俺は宰様以外と慣れ合うつもりはありません、宰様と一緒にいる時間が減るのは……」 「……はあ」 「あっ、あぁ、溜息……ごめんなさい……っ、その、俺は……」 吃る陽太を他所に、制服から部屋着へと着替える。最後まで言い切ることなく語尾を濁す陽太には今更呆れもしない。こいつはこういうやつなのだ。俺以外の人間が全員敵か悪魔に見えるのだろう。 別にこいつが周りから嫌われようが、友達を作ろうが俺にとってはどうでもいい。鬱陶しいことの方が多いやつだが、それでも今となってはこの鬱陶しさにも慣れていた。 「……ごめんなさい……俺……」 「おい、ぐちぐちうるせえな……。人の話を聞け」 「ご、ごめんひゃ……」 「……ここには俺らのこと知らねえやつらばっかなんだから、別に今まで通りでいる必要もねえって言ってんだよ」 靴下を脱ぎ、ベッドへと腰を掛ける。 捨てるわけでもない、けども別に俺に拘る必要はここではないはずだ。陽太を虐めていた連中もここにはいない。もう人の後ろに隠れる必要もないのだ。 そう、あくまでも助言してやったつもりだつた。 けれど、あいつは。 ガシャンと、何かが落ちるような音がする。フローリングの床の上に虫籠を落としたらしい。中から飛び出してくるカニなんて眼中にないように、陽太の目はこちらだけを真っ直ぐに見ていた。 「そんなこと、関係ありません……っ」 怒りを抑え込むような声にぎょっとする。何故こいつがキレるのか分からなかったからだ。理解できないのはいつものことだが、今回は特に。 「そんなことありません、俺は、あいつらから……っあのクソ野郎たちから逃げるために貴方を使ってたわけじゃないです、俺は本当にただ宰様が……ッ」 「おい、カニ……」 「こんなものどうだっていいんですよッ!!」 逃げてるぞ、と言い掛けた矢先だった。陽太は落ちた虫籠を床のカニ目掛けて叩きつけるように投げ飛ばす。プラスチック製の容器は呆気なく砕け、直撃したカニは跡形もなく虫籠とともにひしゃげていた。 カニの死が悲しいわけではない。ただ、肩を上下させ浅く呼吸を繰り返す陽太から目をそらせなかった。 「こんなもの……っ、俺は……」 「……陽太」 いい加減にしろ、とか、これ以上汚すな。とか、言いたいことは色々あった。歩み寄り、その肩を掴んだときだった。振り向き様、やつに手を握られる。……否、手を握るというよりも腕を掴まれるといった方が適正なのかもしれない。震える指先、そのくせしっかりと掴まれた指は離そうともしない。 視線を合わせるのが怖いのか、向かい合った体制にも関わらずあいつは俯いたまま俺の顔を見ようとはしなかった。 「っ、俺のこと、邪魔なら無視してもらっても構いません、なので、お願いなので……っ、そんなこと言わないでください……」 本当に、鬱陶しいやつだ。キレたと思いきや今度は落ち込み始める。コロコロ変わる表情。……昔からだ、気性が荒く、情緒が安定することはない。そのくせ、一人でいることを恐れるのだ。そして、他の誰でもいいわけでもない。謙るくせに、こいつ程自己中心的で傲慢なやつを俺は知らない。 「……おい、鼻水」 「……っ、ご、めんなひゃ……」 「お前のこと邪魔ならとっくに我慢できなくなってるに決まってんだろ」 「……っ、宰様……」 「おい、だから顔さっさと拭け。汚えんだよ!」 「う゛ッ、ずび!ご、ごべんばざい……」 ティッシュ箱を放り投げれば、それを顔で受け止めた陽太はそのまますんすんと涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔を拭う。 ……本当、昔から変わらない。手のかかる子供のまま、図体だけは俺よりもでかくなった陽太を見てるとおかしな気になってくる。 こんなやつに庇護欲なんて湧くはずはない。けれど、まだそのときの俺は他人から必要とされることに一種の気持ちよさを覚えていた。 慣れというものは恐ろしいもので、他人に指摘されても何も感じることもない。気付いたときには既になにもかも手遅れだった、なんてことはざらにあった。 「よお、右代。相変わらずでけー犬連れてんな」 「誰が犬だ!誰が!口を慎め!」 「ははっ、旭も元気そうだな」 「……進藤、お前わざとやってるだろ」 教室に入るなり、俺たちの顔を見て笑う進藤。 他の連中のような見下すものではなく、やつは「だって旭反応面白いよな」なんて悪びれもせずカラッとした笑顔を浮かべてみせるのだ。 ぎゃんぎゃんと陽太は相変わらずだが、進藤のこういう性格は嫌いではなかった。 「お前らって目立つし、つうか面白いよな。なんか。見てて飽きねーわ」 「俺はまだいいが、宰様の侮辱は許さないからなテメェ進藤……ッ!!宰様は見世物じゃないぞ!!」 「分かった分かった、お前が宰様のこと大好きだってことはな」 「お前が宰様を宰様って呼ぶんじゃねえ!!」 「……進藤、やめろ、俺が一番被害被るんだよそれやられると」 自室で鉢に植えたカニの簡易墓に向かってぶつぶつ恨み辛み吐かれてみろ、溜まったものではない。視線で咎めれば、わりーわりーと進藤は全く悪びれた様子もなくあっけらかんと笑った。 「俺もお前らみたいな友達ほしかったわ」 お前がどっちをやるのかとか引っかかることはあったが、それ以上にやつの口から出てきた友達という単語に強い違和感を覚える。それは陽太も同じだった。 さっきまで吠えていた陽太だったが、進藤の言葉に思うところがあったらしい。んぐ、と言葉に詰まったあと「口を慎め!」と捨て台詞を吐いていた。 友達。……友達?俺とこいつが? ……冗談はやめてくれ。 「お前、趣味悪いな」 「お前にそれ言われんのキツイな」 「……うるせえよ、馬鹿」 あの頃、あの学園での俺達の理解者は今思えば進藤だけだった。娯楽などないに等しいこの閉鎖的な学園では人をいたぶることを娯楽代わりにする連中が大多数だった。 上学年になるまでの間、周りから浮く陽太などは恰好の餌食になるのだ。 それから一ヶ月も経たずして、案の定嫌がらせは始まった。それとも俺が知らないところで行われていたのか、どちらか今となっては分からないがそれでも俺がそれを目の当たりにしたのは入学して一ヶ月頃だった。 放課後になり、さっさと帰ろうかとしたとき陽太の姿が見えないことに気付く。ホームルームにも出ていなかったようだ、通りで静かだったわけだ。俺は渋々陽太を探した。 あいつはあっさりと見つかった。通路を歩いていると何やら楽しげな笑い声が聞こえてきた。 空き教室の扉を開けば、そこには数人の生徒に囲まれて暴行受けていた陽太がいて。あいつは俺の顔を見て、喜び、それ以上に怯えの色を滲ませ「宰様」と呟いた。 「出たよ、宰様」 「おいお前の彼氏のご登場じゃねえか。良かったなあ?ホモ野郎」 上級生だろう、見ない顔だ。相当殴られたのか、ただでさえ青褪めた顔が余計辛気臭く見えた。 「それとも、お前が彼女か?」 そう、連中の一人が俺に近付いてくる。安物の香水の匂いに堪らず顔をしかめたときだ。 「宰様に汚え手で触んじゃねえ!!」 先程まで無抵抗だった陽太がいきなり立ち上がり、俺に近付いてきた男の横っ面をぶん殴るのだ。 ……ああ、と思った。吹っ飛ぶ男と、今までさも抵抗らしい抵抗すらしてなかったやつが仲間を殴りだしたことに動揺したのだろう。連中が慌てて陽太を羽交い締めにしようとするが、あまりにも遅い。そもそもこいつの手足を拘束すらしてないことが間違いなのだ。 周りが止めるのを無視して、一人に馬乗りになって一方的に暴行加える陽太。昔から何一つ変わらない。喧嘩慣れしていない陽太は手加減をしらない。だからこそ、一度キレると手を付けられず、周りからも煙たがられていた。 こうなったやつは俺の手にも負えない、止めようとした奴らから巻き込まれて殴られるのを眺めていた。 最初からこうしていたらいいものを。 どれだけ自分が罵倒されても殴り返さないくせに、こうだ。けど、こいつはこういうやつなのだ。今更驚きもしないし引きもしない。 気付けば立っているのは俺と陽太だけだった。 力加減もわからないのだ、自分の拳が傷付こうが殴ることをやめなかったのだろう。相手の歯や骨で傷つき血で汚れた拳をぎゅっと握りしめ、陽太は呼吸を繰り返す。――あのときと同じだ。 「陽太」 名前を呼べば、その背中はびくりと震えた。強張った肩。宰様、と答えるその声はまるで叱られた子供のように弱々しく、消え入りそうだった。 「……さっさと帰るぞ、腹減った」 余計なところで神経使ったお陰だろう、空腹を訴えかけて来る腹部を手で押さえれば、陽太の目がみるみるうちに見開かれていく。 そして。 「……っはい!お供します……!」 やつの頭と背中にあるはずのない耳としっぽが生え、ぶんぶんと勢いよく振られてるように見えてしまうのは何故なのか。 ……こいつならば、首輪すら喜んで付けそうだがな。思いながら俺達は食堂へと向かう。 昨日のことのように思い出す記憶。 あいつだけは、変わらない。あの中学を卒業しても、何年経ってもあいつは幼い頃ままごとしたときのままだ。 ……それとも、変わったのは俺だけか。 それでもまだ、あの頃と変わらないあいつが俺の側にいてくれるという事実だけで俺にとって十分だった。 もし、あいつが側にいなくなったとき。 考えられないからこそ、考えてしまう。俺が俺たらしめるものがなんなのか、そして、あいつは何を見て俺だと思ってるのか。眠れない夜のたらればの空想ほどくだらないものはない。 俺は陽太の顔を振り払い、更に布団をかぶった。 ……今夜は眠れなさそうだ。そんなことを考えながら。 おしまい