XaiJu
田原摩耶
田原摩耶

fanbox


【総集編版】瓦解氷消①【職業村人勇者√/18,000文字】

 小さい頃からずっと側にいた。  大きな村でもない、住民もそれほど多くないので村全体が大家族みたいなものだったのだ。  そんな村で同じ年に生まれた俺達は最早兄弟のように育てられた。  周りは大人ばかりで、年の近い子供は俺とあいつしかいないのもあって俺達はずっと一緒に遊んでいた。 「大きくなったら何になりたい?」 「俺は国一番の剣士になりたい!こう……ひと振りで全員倒すんだ!」  身振り大きく剣を振る真似をすれば、あいつは「スレイヴは本当に剣が好きなんだな」と微笑むのだ。 「好き、というか……かっこいいだろ? イロアスは違うのか?」  同意されると思っていただけに、少しだけ不思議なって聞き返せばあいつは「そうだな」と考え込む。そして「俺は、ここで静かに暮らしたいな」なんて言い出すのだ。  ここで、というのは言わずもがなこの村のことだろう。  それよりもまだ幼かった俺はイロアスの言葉の意味がわからなかった。 「静かに?」 「ああ。……動物たちの世話しながらのんびりと暮らすんだ。好きなことして……」 「それじゃ今と変わらないだろ」  子供のままならともかく、大人になればできることなどたくさんあるはずだ。  そう指摘すれば、イロアスは少しだけ寂しそうに目を伏せるのだ。 「……そうだな、俺は今が一番幸せなのかもしれない」 「ふーん、イロアスってやっぱヘタレだな」 「ヘタレってなんだよ。そもそもスレイヴが血の気が多すぎるんだよ」 「男だったら強くなりたいって思うのが普通だろ?……それに、それならなんで俺の剣の特訓に付き合うんだよ」  剣士になりたいわけでもなくのんびりと暮らしたいとイロアスは言う。  イロアスは強い。泣き虫だけど、何度ちゃんばらしても一度だってまともに勝ったことはなかった。だからこそそんな自分の強さを活かそうとしないイロアスになんだか余計やきもきしてはむっとなってしまう。そんな俺にあいつは口籠るのだ。 「そ、れは……お前がしたいって言うから……」 「なんだよそれ、俺が無理矢理付き合わせてるみたいな言い方だな」 「違う、そうじゃなくて……」 「もういい、イロアスとはもう遊ばねえ」 「ス、スレイヴ……ッ!」  ……遠い遠い昔の記憶だ。  毎日のように大人になったら何をするかだとかそんなことばかりを話してはお互い性格が正反対なお陰で相容れず喧嘩になる。  それでも次の日には全部忘れてまたチャンバラごっこをして遊ぶのだ。  まだ村が壊滅するよりも前の思い出だ。  重たい瞼を持ち上げれば生まれ育った家、ではなく、宿屋の天井が視界に入った。  ……なんでこんな夢を今更見たのだろうか。  ◇ ◇ ◇  勇者に初めて抱かれてからどれくらい経っただろうか。  最初こそは毎晩のように付き合わされていたが、ある日を堺にぴたりとあいつは俺を抱かなくなっていた。  きっかけはわかっていた。  俺があいつに体調不良だということを隠していたあの日からあいつは分かりやすいくらいに俺を避けていた。  今更気を遣ってるつもりなのか?あれほど好き勝手人を使っておきながら。  正直避けられたところで何も変わらないし、それで俺が機嫌よくなるとでも思ってるのなら尚更理解できなかった。  人の顔を見る度に避けられる身からしてみれば腹が立ったが、俺はもう知るかという気持ちになっていた。  勇者に抱かれなくなったところでシーフやメイジは変わらない。あの二人に構われる時間が増えてしまっただけでそれならばまだ……いや、どっちもどっちだ。  そんなある日のことだった。  朝から妙な夢を見た。  幼い頃、まだ村が平和だったあの頃の俺と勇者――イロアスの思い出の夢だ。  ここ最近は夢を見ることもなく寝てたが、久しぶりの夢にいつもよりかは幾分寝起きが良かった……気がした。  そんな中顔を洗って食堂へと行こうとしたときだ、丁度部屋から出てきた勇者と鉢合わせになるのだ。  まさかここで会うとは思わなくて思わず身構えれば、あいつも俺がいたことに一瞬驚いたようだ。それでも、流石に目があった今無視するわけには行かないと判断したらしい。 「……おはよう、体調はどうだ?」  なんだ、その他人行儀な言葉は。 「別に、普通だ」とだけ答えれば「そうか」とあいつは少しだけ目を伏せた。  他にもっということがあるのではないか。そう思ったけれど、あいつは何も言わない。それどころか、じゃあなとそのまま俺の横を通り過ぎていこうとするイロアスに咄嗟に「おい」と引き止める。  ……言いたいことは色々ある。無視するなとか、今更負い目でも感じてるのかとか。  けれど、こちらを振り返ったときのあいつの引き攣った顔を見た瞬間全部がどうでもよくなったのだ。 「お前は」と聞き返せばイロアスはすぐにあの嫌な笑い方をするのだ。普通だ、と。突き放すような、諦めたようなあの笑顔だ。  そのまま、今度はイロアスは最後までこちらを振り返らなかった。  なんなんだ、あいつは。  なんなんだ、あの顔は。  ……なんなんだよ、俺も。  せっかく二人きりになれたのにあっさり見逃してしまった自分が理解できなかった。  せっかくの清々しい目覚めだったというのに不完全燃焼になってしまっていたとき。 「まーだ喧嘩してんのかよお前ら」  いつからいたのか、背後からぬっと現れたシーフにぎょっとする。 「別に、喧嘩なんて……っ、おい、乗るな……っ!重いんだよ!」 「……任務中もずーっとあんな調子だしな。逆にヘマしないのが不思議なくらいだ」  背後から抱き竦めるように肩口に顎を乗せてくるシーフに血の気が引いた。離れろ、とその顎を払い除ければ「おっと」とシーフは俺から離れる。 「イライラしてんな、お前も。どいつもこいつも溜まってんのか?」 「……っ、口を慎め、この……っ」 「おいおい何今更照れてんだよ。はは、なんだお前まさかご無沙汰なのか?」  ニヤニヤと笑うシーフの視線がただひたすら不愉快だった。相手にしたところでこいつが面白がるだけだ。 「っ、……バカバカしい。付き合ってられるか」  そう、さっさとシーフの前から立ち去ろうとしたときだ。 「お前ってずっとあいつと一緒にいたわりに全然あいつのこと分かってないんだな」  背中に向かって投げ掛けられるその言葉にぴくりとこめかみが反応する。振り返り睨めば、シーフは腹立つ不快な笑みを浮かべたまま顎を擦った。 「お前が嫌だっていうからあいつ我慢してるんだろ。たまにはお前の方から誘ってみたらどうだ?泣いて喜ぶんじゃないか、イロアスも」 「……っお前には関係ないだろ、余計なお世話だっ」 「おお、こわ。あんまり溜めすぎんなよ。息抜きにはいくらでも付き合ってやるからよ」  返事することすらも馬鹿馬鹿しい。  何が溜まってるだ、何が欲求不満だ。元より俺達はそんな仲ではなかったのだ、異常なのは現状だ。……そうだ、性処理しないことが普通なのだ。  そう自分に言い聞かせながら俺は外の空気を吸うため部屋を出た。  それから街へ繰り出し、散歩がてら足りなくなっていた必需品を買い足しておく。  気付けばぱんぱんになった革袋を抱えて宿へと戻ってきたときだ。  ――宿屋二階、ロビー。  そこには俺以外の四人が揃っていた。 「東の森には獰猛なモンスターが多く生息していて人が暮らせるような場所ではないそうだ。……恐らく今日中には戻ってこられない。暫く野宿になるだろう、スレイヴにも一応頼んでいるが各自必要なものは備えておいてくれ」  どうやら次のクエストの作戦会議をしていたようだ。  イロアスに買い足した備品を渡そうと思ったが邪魔しない方がいいだろう。……それに、また後ででもいいか。そう、一度荷物を置いて出直そうとしたときだった。 「スレイヴ」と呼び止められる。……見つかった。  三人の視線がこちらへと向く。なんとなく居心地の悪さを覚えながらも、俺は諦めてイロアスの元へ向かった。 「これ、一応頼まれてた分だ」 「ああ、……重かっただろう。ありがとう、スレイヴ」 「……別に」  これが俺の仕事だからな、と言い掛けてやめた。自虐っぽくなってしまったからだ。  俺は手にしていた備品をイロアスに渡し、そのまま立ち去った。向かう先は自分の部屋だ。  逃げ帰るように部屋へと戻ってきた俺はそのままベッドへと飛び込んだ。  以前ならば俺もあの場にいたはずだった。けれど、今となってはもう関係ない。逆にあそこに居座り続ける方が耐え難いのだ。  ……東の森か。確か、この村の住民たちも安易には近付けないと言っていたな。  買い出し中、そんな話を聞いた。  ……そうか、あいつらこれからあそこに行くのか。  普段ならば探索の手伝いにと呼び出されることもあったが、今回はなかった。……留守番ということだろう。溜息が漏れる。  そのままごろりと寝返りを打ったときだった。扉の外で物音が聞こえた。誰か来たのか。脳裏にシーフとメイジが過り、咄嗟に飛び起きる。そしてそのまま通路の様子を見ようと扉を開いたときだった。 「……ッ!」  扉の前、そこに立っていたのはシーフでもメイジでもナイトでもなく――イロアスだった。  いきなり開いた扉に驚いたらしい。扉の前に立っていたイロアスはそのまま固まった。  それは、俺も同じだ。 「何か用か?」 「……あ、いや……」  珍しく歯切れが悪いイロアス。  なんなんだ。以前ならば自分の部屋のように人の部屋に入り込んでいたくせに。  明らかに様子がおかしいイロアスを見上げたときだった、視線がぶつかり合う。  そして、イロアスは何かを言いかけ――やめた。 「……悪い、邪魔したな」  そそくさとその場を逃げ出そうとするイロアス。考えるよりも先に俺は「おい」とやつの服の裾を掴んでいた。  ……掴んだはいいが、その先は何も考えていなかった。俺とイロアスの間に沈黙が流れる。こんな風に沈黙に気まずさを感じることなんてなかったはずなのに、何か言わなければと変に意識してしまう。  そしてその末、ようやく絞り出した言葉は。 「……暫く戻らないのか?」  先程、ロビーで聞いた話の内容を思い出す。  尋ねれば、イロアスの目がこちらを向いた。それからすぐにその視線もそらされる。 「……ああ、そうなるだろうな」  ――俺も、行きたい。  なんて、言えなかった。着いて行ったところで戦力差で足手まといになるという自覚もあったからだ。それでも喉先まで出掛けたその言葉を飲み込んだ。その代わり。 「……その間、俺は何したらいい?」  こんなこと聞くつもりじゃなかったのに。  口から出た言葉に自分でも呆れた。 「……好きなことしたらいい。数日開けることになるだろうしな」  数日、と聞いて思わず息を飲む。  一日二日だと思っていたからだ。日付を跨ぐクエストは何度かあったが、それでもそれ以上となるのは初めてだ。  そして、その間一人留守番に残されることになるのも。 「っ、……その間……」 「スレイヴ……?」 「その間、俺がまた出ていくとは思わないのか……?」  そうだ、せめて見張りにと側に誰かを置くこととか、そんなことをする素振りすら見せないイロアスに内心違和感を覚えた。焦り、違う、なんだろうかこれは。いきなり与えられた自由に困惑する俺に、イロアスの視線が細められる。そして。 「――……お前も一緒に来たいのか?」 「……ッ!」  その言葉に思わず顔を上げる。  一緒に行きたい。というよりも、もっというならば今の俺はここにいる必要がまるでないのだ。イロアスの性処理をすることもなくなり、ただの雑用としての業務を終え、指を咥えて四人が繰り出すのを見送るだけの現状に俺は恐れていた、このままこいつに置いていかれるのではないかと。心の奥底で。それでも気付かないふりをしていたが、イロアスに言い当てられ、思わず「違う」と声を上げる。すると、イロアスは苦笑するのだ。 「……そう、だよな。お前が暇にならないようにしておこう」  それだけを言えばそのままイロアスは自分の部屋へと戻っていったのだ。  自室前通路、ぽつんと残されていたときだ。 「……可哀想なスレイヴちゃん、お前はもう用済みだとよ」  聞こえてきた嫌味な声に振り返れば、どうやら盗み聞きしていたらしいメイジが立っていた。 「……っ、メイジ」 「その面。まさか、お前も次の討伐に行くつもりだったのか?その弱さで?」 「……盗み聞きなんていい趣味だな」 「聞かれたくない話ならベッドの中ですればいい、こんなところで話す方が悪い」 「……っ、……」  そうだ、こういう男だった。言い返すのも馬鹿馬鹿しくてそのまま無視して部屋に戻ろうとすれば伸びてきた手に扉を開かれるのだ。  そしてそのまま首根っこを掴まれ部屋から引きずり出される。 「っおい、触るな……!」 「どうせ暇なんだろ。お前も来い」 「は?来いって……」 「お前は俺達の雑用なんだよな?……なら、拒否権はないはずだ。黙って犬のように舌出して喜んでればいいんだよ」 「誰が……って、おい、メイジ……ッ!」  勝手なことばかりを言い出す男に腹が立ったが、その腕を振り解くこともできずとうとう小脇に抱えられたまま宿屋の一階まで連れて行かれる。  そしてようやく開放されたと思えば、そこは宿屋の前だった。 「っ、うおっ」 「あとは自分で歩けよ、スレイヴちゃん」 「このやろ……っ」 「ほら、行くぞ」 「だから、どこに……場所と目的くらい言ったらどうだっ!」  この男は人をなんだと思ってるのだ。それでいて俺が従うと思ってるのか手綱もなしに歩き出すのだ。  それが余計腹立って無視して宿屋に戻ってやろうかとしたとき。  宿屋の扉が開き、見知った大柄な男が現れる。――ナイトだ。  まさかナイトが出てくるとは思わず、むぎゅ、とその胸にぶつかってしまう。 「っと、……スレイヴ殿っ?どうしてここに……」 「ど、うしてって……」  大丈夫か、と慌てて顔を擦ってくるナイトに「大丈夫だ」と顔を逸したときだった。 「おい、何してる?」  メイジが戻ってきたようだ。  自分が勝手に連れてきて勝手に歩き出したくせに、まるで人をのろまかなにかと言いたげな顔をするメイジに噛み付こうとしたときだ。 「メイジ殿、スレイヴ殿も連れて行くつもりか?」  そんなことを言い出すナイトに「ああ」とメイジはごく当たり前のように答えるのだ。 「たまには息抜きさせないとな。……ずっとこんなオンボロ宿屋に閉じ込めさせておくのも可哀想だろ」 「確かにそうだが……」  なんだ、どういうことだ。狼狽えているとまた扉が開いた。そしてそこから現れたのは……。 「お、なんだ勢揃いだな。……って、荷物持ちまで用意してくれたのか」 「っ、シーフ……!」  勇者以外の三人が揃うのは珍しい。……どういうつもりだ、と狼狽えていると俺の困惑に気付いたらしい。メイジは薄ら笑い浮かべたまま続ける。 「さっきの話、聞いてただろ?長期クエストの話だよ。……どうせ準備すんなら一緒に行くかって話ててな」 「……なら、俺よりもあいつを誘ったらいいだろ」 「誘ったけど、ほらご覧の通り俺達の勇者サマはあの調子だからな」 「……断られたのか?」 「そういうことだな」  あの勇者が、と思ったが確かにあいつ、部屋に帰ってたな。……じゃあ今も一人で部屋にいるのか。 「……やっぱり俺は行かない、」 「あーあー、んなこと言ったって今更遅いんだよ。ほら、行くぞ」 「っ、お、おい……!」  いきなりシーフに肩を抱かれ、ぎょっとした。慌てて振り払うよりも先に、間に入ってきたナイトはシーフの腕を掴み、引き剥がしてくれたのだ。 「……シーフ殿、スレイヴ殿が嫌がっているだろう」 「ったく、ナイトは優等生だよなぁ?」 「そういう問題ではなくてだなでは……って、貴殿、まさか朝から飲酒したのか?」 「飲酒じゃねーって、あんなの舐めたくらいだろ」 「それに、シラフでも酔ってても変らないからな。こいつの場合は」  人を挟んでぎゃいぎゃいと盛り上がる三人を他所に俺は宿屋の二階を見上げた。確か、イロアスの部屋はあそこか。そう視線を向けたときだった、角部屋、そのイロアスの部屋の窓のカーテンが揺れた気がした。  メイジに付き合えと言われたときはどうなるかと思ったが、本当に三人はただの旅支度で集まったらしい。  人通りの多い路地は活気溢れている。並ぶ露店や屋台の前で呼び込みする店主たちを避けながら、俺は好き好き興味のある店を見て回る三人をやや離れたところから眺めていた。  本来ならばここにいるのは俺ではなくイロアスだった。そうわかっていたからこそ余計居心地の悪さを感じるのかもしれない。  どうせ荷物持ちをやらされるのだ、あいつらが戻ってくるまで俺も好きにさせてもらうか。  そう、近くを散策しようとしたとき。 「お……」  その店はフルーツや果実などを売ってるようだ。  この辺りでは取れないような珍しいフルーツなども取り揃えられている。人混みをかき分け、その店に近付く。  バスケットに乗せられもりもりと並ぶ果実たちの中、懐かしいものを見つけた。拳程の大きさの色鮮やかな真っ赤な実。そのまま食べると硬くて酸っぱいが、火を通すと柔らかくなり甘みが増す。まだ村も平和だった頃の記憶が蘇る。 『スレイヴ……何でもかんでもすぐに口に入れるのは良くない。それに、こいつは火を通さなきゃ食えたものじゃないぞ』 『……っ、そういうことは先に言えよ、くそ、口の中がまだ変な感じがする……』 『俺は待てと言っただろ。……それに、毒はないから大丈夫だ。……ほら、これで食べられるはずだ』 『……ん』  まだあいつが――イロアスが勇者様と崇められるようになるよりも前のことだ。そのとき、まだ幼かった俺は山菜や果実の知識がなんの役に立つのかまるで理解できなかった。それでも博識なイロアスが眩しく見えたのだ。  それからだ、村にもいられなくなり、飢えを凌ぐため、生きていくのに必要な術は身に着けようと思ったのは。  ――確か、イロアスはこの赤い果実のことを好きだと言っていた。  食べるのに一々ひと手間掛けなければならないのが面倒だろうと言ったら、あいつは『それでも、この味が好きなんだ』とかなんだと言っていたのも思い出す。  気付けば俺は沢山あるフルーツの中からその実に手を伸ばしていた。こんなもの買ってどうするんだ。……妙な夢を見たせいだ、昔のことばかり思い出してしまうのは。感傷に浸る思考を振り払い、咄嗟に実を戻そうとしたときだ。 「貴殿はそれが食べたいのか?」  背後から聞こえてきた声に思わず実を落としそうになり、受け止める。そこにはいつの間にかに戻ってきたらしいナイトがいた。 「ナイト……っ、いや、これは……あいつが……」 「あいつ?」 「……っ、……なんでもない」  言い掛けて、やめた。ナイトにはあいつのことを気にしてると思われたくなかった。  けれど、ナイトはそんな俺が戻した実ともういくつかの実を手に、近くにいた店主に声をかける。 「店主、これを頂こう。いくらだ?」 「……っ、おい」 「勇者殿の手土産に持って帰ろう。……ここ最近、食事も儘ならぬようだからな」  食事もか?と、思わず固まったとき。金貨を店主に渡したナイトは代わりに紙袋に雑に入れられた赤い実を受け取る。そして、それを俺に手渡してくるのだ。見た目よりもずしりとした重みに思わず顔を上げる。 「これは貴殿から勇者殿に渡しておいてくれないか。……いくら勇者殿の腕前でも栄養が足りなくなっては敵わないだろう」 「アンタは……やっぱりお人好しだ」 「む、そうだろうか」 「そうだよ」  あんたがお人好しじゃなかったらなんなんだ。紙袋を受け取れば、袋の中から懐かしい匂いがした。……甘酸っぱい実の匂いだ。 「……悪いな、変な気を遣わせて」 「自分が好きでしたことだ、気にするな」 「ナイト……」 「仲直り、できるといいな」  ただの喧嘩のがまだマシだ。なんて、ナイトに言えるはずもなかった。ああ、とだけ頷き返し、俺は落とさないようナイトからもらった実を革袋に詰め込んだ。  それからメイジやシーフたちとも再び合流することになる。相変わらず好き勝手買い物をする二人の量は尋常ではない、このまま夜の街へ繰り出すという二人に荷物を押し付けられた俺は仕方なく一度宿に戻ることになった。 『一人でこの量は無茶だろう』とナイトも荷物を持つのを手伝ってくれたお陰でそれほど苦ではなかった。  そして、雑用としての役目を終えた俺はようやく自室へと帰ってきた。  机の上には赤い実がごろりと転がっている。そっとそれを手に取れば、つやつやとした表面に情けない自分の顔が映った。 「……」  ――今更、どんな面して会えっていうのだ。  俺を避けてるのはあいつだと言うのに。無意識に溜息が漏れる。  けれど、ナイトの気持ちを無碍にするわけには行かない。くよくよ悩んでたって仕方ない。  ……渡すだけだ。別に、やましいことはない。  それに、とナイトの言葉が過ぎった。……まともに食事もできていないというイロアスのことが気にならないといえば嘘だ。  明日、長期クエストに出掛ける前に顔だけでも見てやるか。  そう実を袋に詰め直し、それを抱えたまま俺は部屋を出た。  日はすっかり落ち、夜も耽けてきた時間帯。  メイジとシーフたちも明日に備えて早めに戻ってきたらしい。流石にあいつも部屋にいるだろう。そう踏んでいたが……。  あいつの部屋の前。  静まり返った通路の中、扉を叩くが一項に開く気配はない。ドアノブを捻り、扉を開けばそこには薄暗い室内が広がっていた。……どこにもイロアスの人影はない。  ――まさか、あいつ出掛けてるのか?  こんな時間だ、開いてる店も限られている。それに明日は朝早いはずだ。変なところで真面目なあいつを知ってるからこそ違和感を覚えた。  そして、踵を返し俺はそのまま宿の中を探す。  ……結論から言えば、あいつは宿の中にもいなかった。  宿屋の受付の女に聞けば、どうやらあいつは夕方頃に一人で出かけて行ったらしい。流石に行き先はわからないと言っていたが、装備はしてなかったと聞いて俺はすぐに宿屋を出た。  勇者である証の剣も持たずに出掛けるなんて不用心にも程がある。それに、他の仲間も連れてないなんて。  夜の街は暗い。少しでも大通りから外れれば真っ暗闇だ。酒気を帯びた人混みを掻き分け、俺はあいつの影を探した。  あいつを勇者様と崇めたてるやつがいるのと同じように、勇者という存在をよく思っていない連中も少なくない。魔物や賊、かつてあいつに倒されたやつが逆恨みしてくることも日常茶飯事だった。  あいつは強い。一人でも十分強い。俺が何人かかっても倒せないとわかっていた。それでも、ここ最近のあいつを見てきたからだろうか。胸の奥で嫌な予感がするのだ。 「いってぇな!危ねえだろガキ!」 「っ悪い!」  ぶつかりそうになる酔っ払いを押し退け、飲み屋街を探す。……そして、見つけた。  不意に「勇者様っ」と女の悲鳴が聞こえ、立ち止まる。喧騒、怒号、女の悲鳴。それまでの楽しげな空気とは一変して凍り付くような不穏な空気が流れるその中央、女を庇うあいつを見付けた。 「勇者様だぁ?嘘吐くなよ、こんなひょろひょろのガキが勇者なわけねーだろ」 「お前が勇者様だってんなら証拠出せよ、証拠。伝説の剣でも見せてみろよ!」 「……」  恐らく山賊だろう、酒で赤らんだ顔に下卑た笑みを浮かべ挑発する複数の輩を前に、あいつはただ立っていた。どういう状況なのかすぐに分かった。だから俺は再び駆け出し、そしてあいつの胸倉を掴もうとしていた山賊の横っ面に思いっきり飛び蹴りをかましたのだ。 「っ、ぐぁ!!」 「っ、な、……!!」  ――その瞬間、連中の視線が俺に向けられる。  そして、あいつも――イロアスも俺が現れるとは思ってなかったのだろう。俺はそれを無視して近くにいた男の顔を殴った。 「イロアス……ッ!!」 「うるせえ、お前はさっさとその女連れて逃げろ!」  幸い、俺の腕力はナイトの程のパワーも無い。つまり、殺すまでもないゴロツキとの喧嘩には丁度よかった。  イロアスも状況が読めたのだろう。女を逃がす。それから始まる周りを巻き込んだ大乱闘騒ぎはその街の自警団が到着することによって収束を迎える。 「……っ、いてて……」 「当たり前だろ。……丸腰で殴り掛かるやつがいるか」 「お前だって、手ぶらだったくせに……」 「それは……ッ」  もし、剣を持っていたとしてもあいつは賊を殴れなかったはずだ。  ギルド協会の制約で、クエスト以外の一般人との戦闘は罰せられる。相手が賊だとわかっていても、恐らくあの時点ではまだただの厄介な酔っ払いだったのだ。  従業員の女があの酔っ払いたちに絡まれていたところ、通り掛かったイロアスが止めたらしい。それで、あの有様だ。  騒ぎが収まったあと、従業員を助け、厄介な客を追い払ってくれた礼ということで飲み屋の店主は「怪我が癒えるまで休むがいい」と一部屋を明け渡してくれた。  そこで、イロアスからの治癒を受けていたのだが……。 「俺がいなかったらどうするつもりだったんだよ」 「別の方法を考えていた」 「好き勝手ボコられるつもりだったのか?」 「……お前には関係ないだろ」  あんまりな物言いに思わずカチンとくる。怒ってるのか。今はもうパーティーから外れてる俺だからこそ制約無視して殴れたっていうのに。褒めてほしいわけではないが、ここまで露骨に目を逸らされると頭にくるのだ。……なにが、なんて。 「っ、関係なく、ないだろ……」  こいつがどうなろうが自業自得だ。頭で分かっていた。けど、あのときたしかに俺は考えるよりも先に身体が動いていた。 「っ、スレイヴ……?」 「っ、…………」  込み上げてくるのは怒りなのか、自分でもよく分からないがこのままだといても立ってもいられなかった。治癒も終え、さっさとこの部屋から出ていこうと立ち上がったとき、腰に下げていた袋から赤い実が溢れる。先程の乱闘で潰れてしまったようだ。落ちるそれを見て、イロアスの動きが止まる。 「これ……、っ!」 「っ、……ナイトからだよ。酒飲める元気あるならいらねえだろうけど、好きにしろ」  紙袋ごとイロアスに押し付け、そのまま俺は店を出ていった。  最後まで、イロアスの顔をろくに見ることはできなかった。  夜の街を抜け、宿屋へと戻ってくればラウンジで酒盛りをしているメイジとシーフの姿を見付けた。  あいつら、明日に備えて早めに休むとか言っていたくせに。  思ったが、いちいち口を挟む気にもなれなかった。ラウンジ横を通り抜け、さっさと自室に帰って休もうとしたとき――二人に見つかった。 「なんだ、一人か?てっきり勇者サマを迎えに行ったものかと思ったんだがな」  いい具合に酒でも回ってるのだろう、そう絡んでくるメイジの声はいつもよりも粘っこい。腹が立つが、ここで無視して余計こいつらを喜ばせるのも癪だった俺は「別に」とだけ返した。  そんな俺になにか気付いたのか、シーフは緩んだ口元に笑みを浮かべた。下卑た笑みだ。 「その様子……まさか喧嘩でもしたのか?」 「お前らには関係ないだろ」 「おーおー、相変わらず素っ気ねえな」  これ以上ここに留まって絡まれるのも面倒だった俺はやつらの視線から逃れるように足早にその場を後にした。  ――宿屋、自室前通路。  部屋の前まで帰ってきたときだ、通路の奥から足音が響いてくる。 「スレイヴ殿、出掛けていたのか」  聞こえてきた声に俺は内心ほっとした。そこにいたのはナイトだ。……どうやらあの酒盛りには参加しなかったらしい、風呂上がりなのか湯気立ったナイトはもう寝る準備もしているようだ。  本来ならばこれが正解なのだろう、それなのにあいつらといいイロアスといい……。 「……ナイト、もう寝るのか?」 「ああ、そうだが……何かあったのか?」  そんなに自分の態度は露骨なのだろうか。ナイトにまで心配されてしまうのは失態だ。俺はなるべく顔に出さないように口元を引き締めた。 「……いや、大したことはない」 「だが……」 「それよりも、あんたも早く休んだ方がいい。……こんなところにいるとあいつらに付き合わされるぞ」 「あいつら?……ああ、シーフ殿とメイジ殿か」  ラウンジの二人のことは知ってるらしい。そうだな、とナイトは笑う。 「スレイヴ殿も暖かくして眠るといい、……今夜は冷え込むそうだ」 「……あんたは……」  親か、と言い掛けてやめた。代わりに「そうだな」とだけ頷き返す。  イロアスもあの調子だ、こういうやつがいるだけでも安心できるというのが本音だった。 「明日からあいつのこと――イロアスのこと、頼んだぞ」  少しだけ驚いたような顔をしたナイトだったがすぐに「ああ」と頷いた。  そして俺はナイトと別れ、事実へと戻った。  風呂に入って着替えたあと、俺はそのままベッドへと入った。そのまま横になれば余程疲れていたのかすぐに眠りにつくことはできた。  ……結局、朝まで俺は寝ていた。  翌朝、いつの間にかにイロアスも帰ってきていたようだ。部屋の窓から四人が宿屋を後にするのを眺めていた。  ――見送りに降りるのも変な気がして結局あのあと一言もイロアスとは話していない。  ナイトがいるから大丈夫だろう。それに、見た感じイロアスもいつも通りだ。やることはやったのだから文句は言われないだろう、それに好きにしろといったのはあいつだ。そんなことを思いならイロアスの後頭部を睨んでいたとき、不意にイロアスがこちらを振り返った。  ここまで見えてるはずがないのに確かに目があったような気がして、咄嗟に俺は窓から離れた。そのままベッドへと戻る。  なんで俺がコソコソしなきゃならないのか癪だったが、気まずさがあるのも事実だ。  ……これからどうするか。いつもなら嫌がらせでシーフやメイジがくだらない雑用まで押し付けてくるお陰で退屈になる暇もなかったが、暫くはそれもない。  そんなことを考えていると、きゅるる、と腹から腹の虫の声が聞こえてきた。……取り敢えず、朝飯だな。俺は一階の食堂へと降りた。    イロアスたちがクエスト中、俺は自由だった。  監視もなければ、いつものような雑用もない。理由もなく呼び出されて性処理を強要されることもない、本当に平穏な時間だった。  その間、俺は宿屋の女将の手伝いや他の住人たちの手伝いを買って出た。勇者であるイロアスと一緒にいた俺を一味だと思ってるのだろう、『元』だといちいち訂正するのもアホらしかったしそれに頼られるのは嫌いではない。  力仕事ならば訓練代わりにもなるだろう。とにかく余計なことを考える暇があれば身体を動かしていたかった。  手伝ったお礼にタダ飯食わせてもらったり、色々使えそうなものを貰うこともあった。  ――意外と、俺だけでもなんとかなるもんなんだな。  いつもだったら隣にイロアスがいて、住人たちとの交渉もイロアスがしてくれた。俺はイロアスに従うだけだった。 『お前なら一人でもやっていける』なんて、いつの日かイロアスに言われた言葉が蘇る。  ……戦地に出ず、平穏に暮らすだけなら俺だけではなくとも誰だってやっていけるだろう。けど、剣を振るうこともなく肌がヒリつくほどの刺激もない、いざこうして平坦とした生活の中に身を投じて分かるものがある。  ――俺はこの生活を求めていない。 「おや、遅かったね。晩飯の用意が出来てるよ、食べていくかい?」  ひと仕事を終え、帰って風呂に入って汗でも流そうかと思ったが宿屋の女将に声を掛けられ足を止めた。 「ああ、貰う」と行き先を食堂へと変更させ、俺は食堂スペースへと向かった。  普段ならばイロアスたちがいるせいで狭く感じていた食堂内も利用する客は俺しかいない。寂しい、などとは思わない。むしろうるさい奴らもいなくなって清々する。 「それにしても、勇者様たちも大分遠いところまで行ったんだね。こんなに長い間部屋を空けてるなんて寂しくなるよ」  女将が用意した夜飯をかっ食らっていると、ふと女将はそんなことを言い出した。確かにこの街に来てからはこんなに長期的に部屋を空けることはなかった。 「確かに、ただでさえこの宿は閑古鳥が鳴いてるからな」 「まーたこの子はそんなことばかり言って……!明日の朝飯は肉抜きだよ!」 「げ……」  藪蛇だ。これ以上は突かないように飯を食って誤魔化そうとする。 「早く戻ってくるといいけどねえ。……今日もまた勇者様を訪ねてきた子たちがいたし」 「訪ねてきた子?依頼か?」 「さあね、詳しくは聞かなかったけど『ここに勇者はいないか』って……あの身なりからして冒険者のようだったけどなんだったんだろうね」 「……」  ――冒険者が?  なんとなく引っかかった。ギルドで他の冒険者たちと出くわすことはあるが、それでも基本一期一会みたいなものだ。わざわざ滞在してる宿まで探し当てて訪ねるなんてなんなんだ。  ――正直、いい予感はしない。 「そいつら、名乗ってはいなかったのか?」 「名前は聞いてないねえ……あんたのとこの……あの男前な兄ちゃんくらいの子だったよ」 「ナイトか?」 「違う違う、あの口が上手で笑顔が素敵な……」 「………………まさか、シーフのこと言ってんのか?」 「そうそう!あんたや勇者様より少し上くらいの」  ……おばさん、男見る目ないんじゃないか。  そう、喉元まで出かかったが肉以外のものまで抜きにされたら笑い事ではない。敢えてぐっと堪えた。 「連中が次にきたとき名前と所属聞いといてくれよ」 「ああ、わかったよ。……って、もう食べたのかい?」 「……ごちそさん。美味かった」  それだけを伝え、席を立つ。そのまま階段を登って自室へと戻った。  名前と所属が分かればギルドに行って素性も調べられるだろう。  勇者という立場上、民衆から頼られ崇め奉られる一方で勇者の存在を恨み妬む輩もいる。  それは勇者が成敗した連中だったり、その結果職を失った奴らだったり、元はといえば悪事に手を染めるようなどうしようもない連中だ。今までしたことや自分を鑑みるやつらもいれば、その逆で一方的に逆恨みする輩も少なくはない。  ……それは同業者にもいる。誰しもが勇者を頼るせいでクエストが少なくなり、職を失うやつもいるというのをここ数日聞いたことがある。  そうならないように基本はあまり長期滞在はしないようにイロアスも気を付けてるが、今回ばかりは事情が事情だ。  ……俺には俺のやれることをするだけだ。本当に困っててイロアスを頼りに来てるやつだけならまだいい。それならば俺が引き受けてイロアスに渡す。  けど、そうでなければ……――。 「面倒なことにならなきゃいいけどな……」  ◆ ◆ ◆  別に用もないのに日の出とともに目を覚ましてしまう。この早起きという習慣も体に染み付いていた。  顔を洗い、空腹を満たすために一階の食堂へと降り、そのまま朝飯を食った。  イロアスたちはまだ戻ってきていないようだ。  それからまた俺の自由な一日は始まるのだ。  昼過ぎ頃だった、街全体が騒々しい空気に包まれたのは。  女将に頼まれた買い出しを済ませ、袋いっぱいに詰まった果物や野菜を抱えて宿屋へと帰ろうとしていたとき。  街の人々がなにやらどこかへと向かっていた。子供も、大人も、老人も。 「勇者様が帰ってきた」そう、口々に聞く言葉につられ、俺は袋を抱えたまま人々が向かう先へと行き先を変更する。女将には怒られるが、まあいい。どうせあの飯を食うのは俺か、あいつらだけだ。早足は次第に速さを増し、食材を落とさないように気をつけながら俺は駆け出した。  人混みを掻き分けたその先はギルド協会だ。街の中でも一際大きい石造りの協会の前、そこには見覚えのある姿があった。 「……っ、イロア……」  イロアス、とその名前を呼ぼうとしたときだった。背後から伸びてきた手に目を塞がれる。  一瞬何が起きたのか理解できなかった。  周りの野次馬たちはイロアスに手を振り、黄色い歓声を挙げていた。俺は、声を上げるどころか舌を動かすこともできなかった。  魔術を掛けられたのだと体が理解した。次の瞬間、全身の筋肉から力が抜け落ちる。どちらが天でどちらが地かもわからなくなり、とうとう地面に倒れ込んだ。数人の野次が倒れた俺に気付いていたが、それもつかの間。すぐに人は人混みへと呑まれ、そのまま俺は伸びてきた腕に体を抱えられるのだ。腕から零れ落ちた袋は地面にどさりと落ち、中から溢れる食材たちを拾い上げることもできなかった。  ほんの一瞬、イロアスがこちらを見た気がした。けれど、遅かった。目の前に浮かぶのは黒い魔法陣、それがワープ魔法のものだと分かったのはワープした後でだった。  見知らぬ部屋の中、周りに立つ男たちに見下される。どいつもこいつも見慣れない顔だと思ったが、その部屋の奥、「ああ、こいつだ」という声が聞こえてきた。眼球すら動かすこともできないまま、とうとう意識は途切れてしまう。  ◇ ◇ ◇ 「イロアス。おい、どうしたんだ?」  シーフに肩を叩かれ、顔を上げる。  クエスト完了をギルド協会に申請し終え、協会を出た矢先のことだった。  さっき、確かにスレイヴの声が聞こえた気がする。けれど、辺りを見渡してもスレイヴらしき人間はいない。いるのはこの村の人間だけだ。 「勇者様」と手を振ってくる子供に手を振り返す。 「なあ、今スレイヴの声しなかったか?」 「お前ここ数日それずっと言ってるぞ。会いに行きたいなら先に宿帰ってもいいんだからな」 「ち……違う、そうじゃなくてだな……」 「こんだけ人もいりゃもしかしたら紛れ込んでるかもな、探してみるか?」  遠征中も人の言葉を幻聴だとか空耳だとか好き勝手言ってくるシーフに今更何も感じないが、それとは別に胸の奥に芽生えた妙な取っ掛かりは取れることはなかった。 「勇者サマも疲れてるんだ、ゆっくり休むといい」 「……メイジ、お前まで」 「人聞きが悪いな、俺は純粋にお前のことを心配してるだけだ。……いくら頑丈だとは言えど、長旅は身に堪える。無理は禁物だぞ、また倒れられたら困るしな」  いつの日か、メイジが加入したての頃だ。まだいけるだろう、と自分を過信した結果過労で倒れてメイジの世話になったことがある。  メイジ曰く、どんな怪我でも治すことは出来るが、内面的なものは治癒魔法でもどうにもならないとのことだ。 「……ありがとう、メイジ。済まないな、心配を掛けて。もう大丈夫だ」 「お前に倒れられたらこちらも食い扶持に困るからな、頼んだぞ。勇者サマ」  そう微かに笑うメイジ。いつもと変わらない笑顔のはずなのに、なんとなく胸の奥がざわついた。 「イロアス殿、宿屋へ戻られるのならお供しよう。荷物なら俺が持つ」 「いや荷物は自分で持つ。そこまでお前の世話になるのは申し訳ない」 「イロアス殿……」 「戻るのも、俺一人だけで大丈夫だ」 『お前も好きに行動すればいい』という意で口にした言葉だったのだが、喉元から飛び出した言葉は予想よりも冷たくなってしまったことに自分で戸惑った。  イロアス殿、とナイトが何かを言いかけたがそれを聞くよりも先に俺はその場を後にした。  なんだか胸が息苦しくなったのだ。  ……ナイトはいいやつだ。  真面目で思いやりがあり、信頼の置ける仲間だ。  ……だから、あいつの代わりにパーティーへと入れるのならこいつしかいないと思っていた。  シーフもメイジも仲間ではあるし、戦闘時も安心して背中を預けられる相手だ。けれど、スレイヴはあいつらを嫌っていた。加入したときからだ。 「俺達二人だけでも十分だろ」「仲間なんて必要ない」そんな風にキャンプ地で二人きりのとき、零したスレイヴの言葉は未だに耳にこびりついていた。  二人も俺に対しては対等な立場で接してくれるが、スレイヴに対しては違う。揶揄し、見下げ、茶化すような物言いは彼らとスレイヴの戦力差が増すほど目に見えて露骨になってくるのだ。  スレイヴはいてくれるだけで良かった。俺と一緒に来てくれるだけで。でも、二人と天秤を掛けた時に勇者である立場の俺はあいつらと、そしてスレイヴの平穏を選んだ。  ……選んだはずだったのに。  ギルド協会にあいつらを残したまま宿屋へと戻ることにした。途中でスレイヴがいないか辺りを確認していたが、それらしき姿はない。その代わりに、地面へ落ちてひしゃげた果実を手に取った。 「……酷いな」  せっかく実ったというのに、人間に踏まれてその実を食べてもらえることもない。赤い身が嫌なものを連想させるせいだろうか、なんだか余計気が滅入った。  宿屋へと戻れば、女将が「ああ、おかえり勇者様」と出迎えてくれた。 「ご無沙汰してます、女将さん。……ただいま戻りました」 「あらあらここ数日でまた男ぶりが上がって……あ、そうだ。ごめんねえ、本当はあんたたちが帰ってくるまでに豪勢な料理を用意する予定だったんだけど、まだあの子が買い出しから帰ってこないのよ」 「……スレイヴが?」 「そうなのよ、昼前には出ていったのだけど……どこで道草食ってるのかしらねえ?」  昼前。  時計を確認すれば、もう二時間近く経っている。  全身の毛穴が開くような感覚に、緊張で皮膚がひりついた。 「……スレイヴは、どこまで?」 「そこの八百屋と果物屋よ」 「わかった。探しに行ってくる」 「あら、せっかく帰ったばかりなんだから待ってても……って、あら?」  女将の言葉を最後まで聞く時間も惜しかった。  脳裏には先程道端に転がっていた果物や果実が浮かんでいた。  スレイヴがなにかに巻き込まれた可能性がある。それも俺が戻ってくるまでの間にだ。  それにあの場所、やはり俺の見間違いではなかったのだ。群れてくる人混みを掻き分け、協会の前まで戻ってくる。  潰れた果実たちの前、そこには唯一形の残っていた果物を手にしたメイジが立っていた。 「……っ、メイジ……」 「どうやら転移魔法の形跡がある」  戻ってきた俺に何を言うわけでもなく、指先と手のひらでその果実を玩びながらメイジはぽつりと口にした。 「……転移先は、スラム街の方だな。後処理もままならない素人の仕業だ」 「……っ、お前、気付いて……」 「なに、たまたま通りかかっただけだ。そしたらあいつの匂いがしてな。……スラム街は身売りで金を稼いでるやつらがいる、五臓六腑取り戻したいのなら急いだ方がいいぞ。勇者サマ」  そううっすらと笑いかけてくるメイジに返す答えなど最初から決まっていた。

【総集編版】瓦解氷消①【職業村人勇者√/18,000文字】

Comments

最高です。ありがとうございます。

パイ生地製作委員会


More Creators