なんで、なんでこんなことになったのか。 カランカランと客の入店を報せるベルの音に体が震えた。穴があったら入りたいとはこのことだろう。けれど、それは許されない。 「い、いらっしゃいませ」 そう、ボードを手に会釈する。腰を折るだけで膝上丈のエプロンドレスは翻りそうになり、慌てて背筋を伸ばした。そして、精一杯の笑顔を浮かべた。 「……ご注文、お伺いします」 たくさんのフリルで飾り付けられたメイド服を身に着け、接客をするなんて凡そ罰ゲームに等しい真似をしているのには深いわけがあった。なかったらこんなことしない。 ――数時間前。 「ぜ、絶対無理だって……」 「えー?そんなことないって!絶対佑樹似合うだろ、顔整ってるし!」 「そ、それはありがとう……けど、だからってこんな……」 「なー、いいだろ?一日!いや、一晩だけでいいから!」 な、頼むよ!と十勝に手をついて頭を下げられ、俺はどうしたもんかと悩んでいた。 十勝の彼女の親戚の経営する店でスタッフが休むことになって、恐ろしいことにホールで接客する人間がいないというのだ。そして、一日でいいから入れないかと十勝に頼み込まれたのが先程だ。 俺だって困っている人は助けたいとは思うが、問題があった。 その店とは女人禁制の所謂女装喫茶というやつだった。 誰でもかれでもその店で働けるわけでもない、けど十勝は俺がいないところで勝手に人の写真をその店長さんに渡しては連れてきてほしいと懇願されたという。 どこまでが本当かわからないし、正直素直に喜べない。そもそも、普通の接客の経験すらないのに女装しろなんて、しかもそれを俺にやれと言うのか。 「絶対、俺よりも向いてるやついるよね、そこに……」 そう、生徒会室のソファーの上、我が物顔でガッツリ股開いてふんぞり返る櫻田に目を向けた。スカートが捲れようが色気も欠片もないような派手なボクサーが見えようがお構いなし、いや、構ってくれ。というか会長がいるときの落差が酷い。いくら俺と十勝と櫻田だけとはいえ主にそれを見せられる俺達の気になってほしいくらいだが、櫻田がそんな気遣いをするはずがない。それどころか。 「あー?なんで俺がんなオカマバーで働かねえといけねーんだよ!ぜってーお前の方が向いてんだろ、女みてえになよなよしてるしな」 ぐさぐさと突き刺さる。けどまあ俺よりも君の方がよっぽど似合うとは思うが……。 「つかどれだよ制服」 「なんだかんだ興味あるのかよ……って、ほら、これだよこれ。絶対佑樹似合うって」 「……ふーーん?」 そう、十勝に画像を見せられた櫻田は十勝の携帯と俺を交互に見ては、ニヤリと背筋が凍るような嫌な笑みを浮かべるのだ。 「面白そーじゃん、やってみたらどうよ、センパイ」 「や、やだ……絶対俺そんなの……」 「大丈夫大丈夫!お客さんは女の人よりも男の人の方が多いらしいし!」 寧ろ何が大丈夫なんだ。確かに若い女の人よりは、と思いかけたが何一つ大丈夫じゃない気がする……。 というかこの二人、他人事だと思って楽しんでるだろ。 「なー頼むよ、一日だけ!臨時でいいからさ!」 「う、でも」 「社会勉強だと思って!な!後から好きなだけ飯奢るから!あ、佑樹の気になる女の子紹介するし!」 「い、いや、それはいらないんだけど……」 「え?!やってくれんの?!」 「えっ?そ、そういう意味じゃ……」 と言うかどういう解釈したらそんな前向きに受け取れるんだ。ない、と言い終わるよりも先に「違うのか?」と目をうるうるさせた十勝に見つめられる。 ……う、この目。この目だ。恐らくこの目で何人もの女の子に甘えてきたのだろう。悪いことしてないのに俺が悪いことしてるような気持ちになる無垢な目。 「だめなのか……?」 「……い、一日だけなら」 そして、これだ。 そう、全てはここから始まった。十勝の頼みを断れず、結局あれよあれよと櫻田に見送られて俺は十勝に言われた店へと手伝いに入ることになったのだけれど。 最初に言えば、店も思ったよりも普通にクラシカルな雰囲気の喫茶店だし十勝の知り合いだという店長さんもいい人だった。挨拶を済ませ、簡単な書類手続きも済ませて、そして制服を渡されたのだが……。 黒を基調にしたメイド服は男の俺が見ても可愛いと思うくらい可愛い。けれど、それが男用であること以外を除けばだ。最後に手渡されたウィッグを被るが、……キツイ。精神的にも、視覚的にもだ。 これで接客しなければならないと思えば気が気でない。おまけにスカートがすーすーして歩くだけで落ち着かない。 無理だ、こんなの……。層早速心折れかけてたところに店長さんがやってくる。 「いやーやっぱりよく似合うね!それにほんと今日はありがとう、君みたいな子が臨時で入ってくれるだけでもすごい助かるよ!じゃあ早速ホール頼める?」 「あ、はい……でも、俺挨拶とか……」 「あー大丈夫大丈夫!臨時だし、それに君は変に飾らずその気弱そうな感じのままのがウケるだろうしね」 「は、はぁ」 「取り敢えず客の注文聞いてメモしてたらいいから!それじゃ、一人で大変だと思うけど何かあったら呼んでね」 「わ、わかりました」 「お客さんくるまではゆっくりしてていいから」 「は、はい……ありがとうございます」 「それじゃ」とキッチンに戻る店長さん。 というか、本当に俺一人しかいないのか今日。 助かるような心許ないような、というか、本当になにしてるんだ俺……。 とにかくこのまま客が来ないまま勤務時間を終えるのを望むだけだ。 そう念の為借りた接客マニュアルを読んでるとき、カランカラン、と店内に軽快なベルの音が響く。客の来店を報せるためのベルだ。慌ててマニュアルを置いた俺は『お出迎え』をする。 「あ、いらっしゃいま――」 ませ、ともたもた駆け寄ったとき。 「よっ!佑樹!」 そこには私服姿の十勝がそこにいた。 「と、十勝君?」 「やっぱ佑樹が一人に押し付けるのは気掛かりでさ、なんか手伝えることねーかなって思ってデート切り上げてきたんだよ」 「……そうなんだ」 「それにしても……」 そう、十勝の目が俺の爪先から頭のてっぺんまで向けられてることに気づき、顔が熱くなる。慌てて俺は手にしていたメニューでスカートを隠そうとした。 「っう、み、見ないで……お願いだから……」 「いやいや、すげーいいって、全然アリ。寧ろ佑樹このままでもいいんじゃね?」 「十勝君……」 それは、お世辞にしても素直に喜べないのだが。 寧ろいっそのこと笑われた方がまだ開き直れる気もする。 きっと十勝なりに緊張解してくれてるのだろう。それにしても、一人で心細かったところ十勝が来てくれたことによって安堵する。 「じゃあちょっと店長に話してくるわ。頑張ってな」 「うん……」 恥ずかしいところを見られたが、一人でいるのと十勝がいてくれるのとでは全然違う。……というか、十勝も女装するつもりなのか? そんなことを考えていると、カランカランと音を立て再度扉が開いた。今度こそお客さんかもしれない。そう、きゅっと拳を握りしめ、覚悟したときだ。 「いらっしゃいま……」 「何してるの、齋藤。こんなところで」 せ、と言い終わるよりも先に言葉を遮ってきたのは呆れの色が滲んだ冷たい声だった。あろうことかそこには学校からそのままやってきたようだ、制服姿の志摩がいた。 それはもう、焦った。当たり前だ、なんでここに。 「し、志摩……っ!なんで……」 「十勝のやつに齋藤が変な仕事押し付けられたっていう話を聞いたんだよ。だからあいつの後追ってみたら……ねえ、なにこれ?どういうこと?てかなにその格好」 「っ、ちょ、ちょっと……捲らないで……っ」 「なんで俺に何も相談してくれなかったわけ、おかしいよね。俺に隠れて身売りみたいな真似……」 「み、身は売ってないから……!」 「嘘。あれでしょ?客にいろんなサービスしてチップ貰うんでしょ?」 「ち、違うよ、ここはあくまで女装してるスタッフが接客する男版メイド喫茶みたいなもので……」 「本当に?」 「お、オプションはあるけど……」 「オプション?!」 「ひ……っ!」 声がでかい。というかそんなに声を張る志摩初めてな気がするが。志摩の血相に震えてると、今の大声に気付いたようだ。キッチンから十勝が出てきた。 「おい、何やってんだよ」 そう、何事かと現れた十勝は俺と同じメイド服……ではなく、店長さんと同じキッチンの制服を着ていたことに内心羨ましくなりつつも、俺は目の前で憤慨する志摩のことをどう説明すべきか狼狽えていた。けれど、そんな俺達の様子を見て十勝も何かを察したようだ。訝しむ十勝。 「亮太、お前まさかここまで着いてきたのかよ」 「当たり前だろ。……齋藤をこんな、こんな厭らしいメイドにするなんて、女好きにも見境なさすぎない?」 「お前な……つーか、お前には言われたくないんだけど」 「とにかく、齋藤は返してもらうよ。こんな不健全で不潔な店で働かせられない。それに、齋藤の身になにか遭ったらどう責任とってくれるの?」 何か遭う遭わない以前に、現在進行形でトラブルに巻き込まれてるわけだけど。 「悪いがそれは無理だな」と言い切る十勝に「なに?」と志摩が眉を潜めたときだ。 「あ、もしかして君も直秀君のお友達かい?」 騒がしいホールに気づいたらしい。のほほんとした店長さんが顔を出す。お友達と言われ露骨に嫌な顔をする志摩。 「いや俺は……」 「いやー助かったよ、それにしても直秀君のお友達は皆かっこいい子多くていいね。本当いつも助かるよ」 「……へ?」 一人状況が飲み込めてない店長さんはとんでもない勘違いをしているではないか。流石の志摩も不穏なものを感じたらしい。「ちょ、ちょっと……」と見たことないくらいに志摩の腰が引けてる。 「君は齋藤君みたいな可愛いのよりもシックで大人っぽい方が似合うんじゃないかな?」 「い、いや、俺は……」 「何着か余ってるからサイズ試着してみようか」 「ちょ……おい!待っ、おい、十勝笑ってる暇あったら助けろ!」 ……そして、スタッフルームへと半ば強制的に連れて行かれる志摩。笑う十勝の横、「ああ……」と憐れむしかなかった。 数分後。 ドン、という効果音とともにスタッフルームから現れたのは美女メイド、ではなく、レースが少なめのロングスカートが特徴的なメイド服を着せられた志摩だ。 顔がいいのだから似合うのではないかと思っていたが、いかんせん骨格が男だった。俺も大概人のことは言えないが、ああ……という哀れみが先に来てしまう。 そして、この世の終わりみたいな女装志摩を見て一人めちゃくちゃ楽しそうな十勝。 「っ、ぷ、ぐ、……ひひっ、あははははっ!!すげー似合ってんじゃん亮太!」 「…………死ね」 「し、志摩……」 「……齋藤のせいだよ、齋藤がこんな店で働こうとするからだからね」 「ご、ごめん……」 それは、確かに……いや、俺のせいなのか……? 「でも良かったじゃんか。それなら佑樹が危ない目に遭ってもすぐ助けられるだろ?」 確かにって顔してる……。正直な話、俺は道連れ相手――いや、仲間ができたことに心底安堵していた。だってそうだ、この空間で俺だけ女装という状況がひっくり返ったのだ。素直に喜ぶべきだろう。……そんなこと今の志摩に言ったら怒られるだろうが。 「でも……くっ、ふふ、亮太のニーハイ……くくっ、画像平佑に送るか」 「やめろっ、この……」 そう、十勝と志摩が取っ組み合い始めようとしてたときだった。カランカランと店の扉が開く。 今度こそお客さんかもしれないという緊張感が走る。 「い、いらっしゃいませ……っ!」 そう、慌てて頭を下げたときだった。 「おお、噂通り可愛らしいメイドだな」 頭の上、聞こえてきたのは聞き覚えのある声だった。 けれど、なんで、まさか。そう青ざめながら顔をあげたとき、顔色を変える志摩が目に入る。 「な、なんでアンタが……っ」 「なんでって、そりゃ、今日限定で可愛いメイドがいるって聞いたから」 「確かに、こりゃ本物のが何倍もいいな」と、こちらを見てにっと笑う客――もとい志摩裕斗に俺は終わった、と悟る。というか、待て、いくらなんでも情報が早すぎるんじゃないか。 「あ、わり、さっき佑樹の写真生徒会のグループに投稿したんだった」 「と、十勝君っ!!」 こいつはまたちゃっかり。記念に一枚、なんて言うから許可してみれば。というか生徒会のグループってさらってとんでもないこと言ってないかこいつ。 「いやー様子を見に来たついでに飯を食いに来たってわけだが……まさか亮太もいるなんてな」 「言いたいことがあるならハッキリ言えよ、ニヤニヤされると腹立つんだよ」 「やっぱ俺の弟だな、よく似合ってるぞ!」 「ぐ……っ、クソ……」 「し、志摩っ、それお店の備品だから……っ!落ち着いて……!」 今にも裕斗に殴りかかりそうな勢いの志摩から椅子を慌てて取り上げる。元凶でもある十勝はというと完全に楽しんでるし……。 そんな中、カランカランと再びベルの音が響き、今度こそお客さんだ!と慌てて人殺しのような顔の志摩を隠そうとしたときだ。 「裕斗さん、先に行かないでくださいよ。……と、おお、圧巻ですね」 「し、志木村先輩……っ!」 もしかして、と思ったが、やはり志木村も一緒だったらしい。俺を見つけた志木村は「似合ってますね」と微笑んだ。……う、志木村に言われると余計恥ずかしいというか、なんでだ、なんで来たんだこの人たち。 「あ、う」と凡そ人語が発せなくなる俺の横、十勝が志木村と裕斗の前に出る。 「この通り席は好きなところ座っていいっすよ、あ、これメニューっす」 「ああ、これはご丁寧にどうも。それにしても、齋藤君はともかく亮太君にもそんな趣味があったとは……」 「いやないですから」 「まあ、人それぞれといいますし、僕は人の趣味にはなるべく口は出さないようにようにしてますが」 「だからないですしその顔やめてください」 というか、ともかくってなんだ。俺だってそんなものはない。志木村と裕斗はお店の真ん中の席に座る。……本当に食事するつもりなのか。正直帰ってほしいという気持ちが強い。だってそうだろう、こんなの罰ゲームじゃないか。 ……まあ、実の兄弟に見られた志摩に比べたらマシか。 「……本当最悪、俺もキッチンやらせてもらえないか頼み込んでくる」 流石の志摩も耐えられないらしい。その手があったか、と思ったが待ってほしい。志摩が着替えると必然的に俺だけメイドから逃れられないじゃないか。 「おい勿体無いことするなよ」と呆れる裕斗に、志摩は「うるさい、こっち見るな!」とメニューで叩きつけようとしていたので慌てて止める。そして志摩はさっさと着替えに行く。 しまった……完全にこのメイドから逃れるタイミングを失ってしまった。立ち去った実弟に、裕斗はやれやれと肩を竦める 「あいつも我慢できないやつだな。仕方ない、代わりに俺が着てこようか」 「「絶対やめてください」」 「……お前ら、実は仲良しだろ」 ハモる十勝と志木村に呆れつつ、気を取り直した裕斗はメニューを見る。 「あの、ご飯、今の時間ならこのセットがおすすめらしいです」 「ふーん、なになに……『メイドお手製愛情たっぷりらぶりーすぺしゃるご主人様応援ランチ』へえ、齋藤が作ってくれるのか?」 「それは十勝君たちが作ってくれるので……」 俺はなにも、と言いかけたところで「佑樹佑樹!」と十勝にちょいちょいと引っ張られる。そして裕斗たちの席から離れられたところに引っ張られる俺。 「ど、どうしたの……?」 「お客様の前でそんな野暮なこと言っちゃだめだろ!そこは、『はい、俺の愛たっぷり注入します』だろ!」 「え、えっ?」 「こういう店の客はキッチンが作ってるとかそんなことわかってるんだ、だからそこはあくまで夢を壊さないようにするんだよ」 確かに……そういうことなのか……。なんだか納得しそうになるが待ってほしい、俺より十勝がメイドした方が繁盛するんじゃないか?と喉まで出かかったが『頑張れ佑樹』という目で見られると逆らえない。 う……やっぱりやるしかないようだ。俺はこそこそと裕斗たちの元へ戻る。 「そ、その……最後に俺のあ、愛を……いっぱい注ぎます」 何を言わされてるんだ、俺は。言いながら焼けるように顔が熱くなる。顔だけじゃない、耳まで熱い。 暫く俺と裕斗たちの間に沈黙が流れる。頼む、なにか言ってくれ。それか笑ってくれ。 「……これにするか」 ようやく反応してくれたかと思えば頼むのかよ。 「じゃあ僕もそれで」と志木村。あんたもか、となんだか居た堪れない気持ちになりながらも「ありがとうございます」と頭を下げる。対する十勝は「毎度あり!」となんとも楽しそうだ。 「じゃあ、あとは佑樹、一人で大変だと思うが頼んだぞ、また後で様子見に来るから!」 「あ、と、十勝待っ……」 行ってしまった……。風のように立ち去る十勝。裕斗たちの前に一人取り残された俺は伸ばした手を引っ込めるタイミングすらも失ってしまう。 「それにしても、こういった店に来るのは初めてなんですが……なるほど、案外雰囲気は悪くないですね。……メニューはなんというか、なかなかユニークですし」 「確かに。……ん?齋藤、なんだこれ」 「え?あ……」 不意に、どこからか持ち出したのか猫耳カチューシャを手にした裕斗に血の気が引く。 いや、なんだそれは。俺が聞きたい。と、そこで一番最初にかなりざっくりお店の仕組みを聞いたときのことを思い出す。確か、ここでは追加料金で料理以外のオプションをつけれるだとかなんだとか。それに猫耳が入っていたようなないような……。 「……えーと、別途メニューでなんか色々できるらしいんですけど、俺は来たばかりで詳しくは……」 「へえ、あ、これか?オプションメニュー」 そう目敏く見つける裕斗に「ぐ」と思わず変な声が出た。頼む、頼むから妙な興味を抱かないで大人しく料理を待っててくれ。ふーんと言いながらもじっくり目を通す裕斗の向かい側、最後の良心志木村は呆れたような顔をした。 「裕斗さん、変なこと考えないでくださいよ」 「おい、まだなんも言ってないだろ」 「今邪悪な気配感じましたよ」 「気のせいだよ、気のせい。……なあ、齋藤、このニャンニャンってなんだ?」 ギクリとした。いやこっちが聞きたい。ニャンニャンってなんだ。慌ててメニューを覗き込めば『特別ニャンニャンコース(猫耳+しっぽ+猫語)※ご主人様大好き甘えた猫ちゃんとつんつん寂しがり屋猫ちゃん、お好みを選べます♡』と書かれてある。そしてそのコース料金の金額を見てぎょっとした。なんだこれ。聞いてないぞ。 「え?あ、あ、それはその、猫に……なります」 「ふーん。あ、時間制限もあんのか。……因みに別室とかは――あいてっ!」 「齋藤君、この人の戯言は気にしなくていいですよ。僕の目の黒い内は下手な真似はさせませんから」 「し、志木村お前らお前だってニャンニャン佑樹見たいくせに……!」 「見たくないわけではないですが、貴方には先輩としての矜持はないんですか?」 「ぁ、あの……」 喧嘩しないでください、しかもよりによってこんなしょうもないことで……と、おろおろしてると、「じゃあ甘えた猫ちゃんコースで」とちゃっかり注文してくる裕斗に顎が外れそうになる。その裕斗からメニューを取り上げる志木村。 「裕斗さん、聞いてましたか?人の話」 「まったく、お前は細かいな。齋藤だって客の滞在時間増やしてオプションつけてもらった方が給料よくなるんだろ?」 「えと、それは……」 「裕斗さん、そもそも別のお店と間違えてないですか?仮にも相手は齋藤君ですよ、そういうのはそういうところでやってください」 「ったく……またあとで志木村がいないとき来るか」 「……聞こえてますよ」 一先ずニャンニャン甘えた猫ちゃんコースは回避することはできたが……嫌な予感が拭えない。 早くメイドお手製愛情たっぷりらぶりーすぺしゃるご主人様応援ランチ出来てくれ……! そう願うことしかできなかった。 そして数分後。 「お、お待たせしました……!『らぶりーすぺしゃるご主人様応援ランチ』……です!」 十勝に渡されたトレーを二人分テーブルに運べば、裕斗は不思議そうな顔をした。 「ん?なんか名前違わないか?」 ……きた。大体ここまでの流れは先程まで十勝に叩き込まれていた。そして、俺は十勝に教え込まれたセリフと先程厨房でやらされたように両手でハートを作る。 「え、えと……美味しくなーれ、美味しくなーれ……えいっ」 「あ、あの……どうぞ『メイドお手製愛情たっぷりらぶりーすぺしゃるご主人様応援ランチ』……です」いっそのこと殺してくれ、そんな気持ちで二人の反応を見ることもできないまま俺はそのまま慌てて席を離れようとして……捕まった。 「なあ、今ので愛が入ったのか?」 「そ、その設定です……」 「どうだ、志木村。今ので、愛感じたか?」 「いえ?僕にはいまいち」 「え……」 「齋藤、もっかい頼むわ」 ……鬼だ、この人たち鬼だ。 志木村もこういうときは一緒になって裕斗と楽しむなんて卑怯だ、助けてくれるんじゃなかったのか。裏切られたようなショックと恥ずかしさで暫く俺は動けなかった。 逃げ出したいが、掴まれた手首は俺を離すつもりはなくて。……腹を括るしかない。 「ゆ、裕斗先輩、志木村先輩、いつもありがとうございます……えいっ」 「可愛けど、もう一息!」 「う、うぅ……えと……その……」 「うちのメイドを虐めるな!!」 これ以上どうしろというんだ、と泣きそうになっていたとき、キッチンから着替えた志摩が飛び出してこようとして十勝に引き戻されていた。 キッチンから聞こえてくる『おい亮太熱したフライパン投げるな!取り上げろ!』という十勝の声に冷や汗が滲む。 「やべ、忘れてた。あいつもいるのか……じゃあ、冷める前に齋藤の愛情がたっぷり入ったらぶりーすぺしゃるご主人様応援ランチ貰うか」 これ以上は志摩が暴れ出すと思ったのだろう。既に手遅れな気もするが、一先ずは助かったようだ。 ◆ ◆ ◆ 「いやー旨かったわ」 「それは、よかったです……」 ようやく帰ってくれるのか。そうほっとしたのもつかの間。精算を終えた裕斗はレジを挟んで距離を詰めてくる。 「なあ、まじで今日一日だけなのか?……すげー似合ってるんだからこのままバイト続けたらいいんじゃねえの?」 「い、いや、流石にそれは……」 「やっぱり今日だけかー。俺毎日通うのに」 「ゆ、裕斗先輩……」 一瞬でもドキッとしてしまった自分が恥ずかしい。が、キッチンから志摩が包丁を手に飛び出そうとしてしてくるのが見えて慌てて俺は裕斗から離れた。 「あの、今日はありがとうございました。……じゃなくて、ええと……いってらっしゃいませ、ご主人様」 そう、早く帰ってくれの念を込めて手を合わせて頭を下げれば裕斗が停止する。そしてその隣、志木村は「おお」と嬉しそうに笑う。 「今の本物のメイドさんみたいですね。……裕斗さん?」 「……やべ、今のすげーキた」 「…………」 「…………」 「齋藤君、僕がこの人先に連れて行くんで今のうちに逃げてください」 「は、はい……っ」 一組目の客を無事、ではないがなんとかお見送りすることができた俺は二人が出ていったのを見てほっとする。 「……ったく、本当何しに来たんだよあいつ。齋藤にも馴れ馴れしいしそれになにあれ?なんなの?何勘違いしてんの?齋藤のこと自分のものだって勘違いしてない?本当気持ち悪い……」 そしてどうやら解放されたらしい。しかもちゃっかりしっかりメイド服から十勝と同じウェイター服に着替えてるし……。 「志摩……着替えたんだ……」 「当たり前でしょ。なんで俺があんな恥ずかしい格好しなきゃならないわけ?」 「……は、恥ずかしい格好」 「そうだよ、齋藤は似合ってるけど、可愛いとか言われて呑気に喜ぶなんて普通の神経じゃ考えられないからね」 この言われよう……しかも俺喜んだ覚えないんだけど……。何を怒ってるのかいつも以上に刺々しい志摩の嫌味もいつもなら流せたが今は普通に傷つく。 そんな中、またカランカランとベルが鳴り響いた。 やばい、客が来た。 「い、いらっしゃい――」 「おぉ、やってんじゃねえの」 ませ、と言い終わるよりも先に、現れたやつの姿を見て俺は言葉を失う。可愛い内装の喫茶店が死ぬほど似合わない真っ赤な髪、そして可愛いが無縁な顔面ピアスだらけの男がそこにいた。 「ぁ、あ……あ、あがっ、阿賀松……先輩……ッ」 「ユウキ君、来てやったぜ」 「……いや、今はユウキちゃんか?」とニヤニヤだらしなく笑う男――阿賀松伊織に、目の前が真っ暗になる。 「な、なんでアンタが……ッ」 まさか、なんでよりによってこの男が。最も見られたくない姿を最も見られたくない男に見られるという最悪の事態に思考停止しそうになる。 青褪める俺を前に、ニヤニヤと笑う阿賀松は志摩を無視して「おいおい、そうじゃねぇだろうが」とこちらに顔を近付けてくるのだ。「お前はメイドなんだろ?」と、恐ろしいほど楽しげな顔で。この男に散々叩き込まれた上下関係。それを思い出した瞬間、震える唇が勝手に動き出す。 「ぉ、おかえりなさいませ、ご主人様」 「ちょ、齋藤……っ」 「それで?」 「せ、席に……ご案内、します」 拒否権などない。青褪める俺に「あ?」と阿賀松は不満そうな顔をする。眉一つの動きでさえ俺の恐怖心を煽るのだ、その声に思わず息を飲む。やばい、と俯いたとき、伸びてきた手に顎先を掴まれた。そしてぐい、と顔を上げさせられる。 「なんだ、ご奉仕してくれんじゃねえのか」 こちらを見下ろす目に、囁かれる言葉に、全身が凍りついた。すり、と親指で唇を撫でられるだけで体は震え、「あ、あのっ」と咄嗟に逃げようとしたときだ。 カランカラン、と荒々しく鳴るチャイム。そしていきなり開いた扉から現れたのは――……。 「齋藤君無事かッ!」 「か、会長……?!」 芳川会長だ。しかも制服姿のまま、走ってきたのか髪が少し乱れている。そして阿賀松と俺を見つけた瞬間、その顔が余計険しさを増した 次から次へと現れる知人たちに俺も志摩も困惑していた。しかもよりによってこの男がいるタイミングなんて、最悪以外の何者でもない。 しかし阿賀松はというと突然現れた芳川会長に驚くこともなく、寧ろ待ってましたと言わんばかりに楽しげに笑うのだ。 「おーおー、車に追い付くたぁ流石馬車馬」 「貴様……不埒者がッ!齋藤君に近づくな!」 ズカズカと大股歩きでやってきた芳川会長に肩を抱かれ、強制的に阿賀松から引き離される。助かったと安堵する反面、この姿を見られたという恥ずかしさと、思った以上に厄介なこの状況に困惑する。そして、芳川会長の怒声は裏方まで聞こえていたようだ。 「佑樹、どうした……ってゲ!会長に……クソ赤髪!」 一触即発なフロアの様子に十勝も思わず声を上げた。 クソ赤髪こと阿賀松は「あぁ?教育の行き届いてねえやつがいるなぁ?」と青筋を浮かべる。や、やばい。やばい。どうしよう。 「てかなんでアンタらがいるんだよ!」 「なんでってそりゃあ俺のユウキ君の晴れ姿は見ないとなぁ?」 「人に対して所有権を主張するとは呆れるな。俺はこのバイトを辞めさせるために来たのだ。そもそも十勝貴様齋藤君をこのような店で働かせるとはどういうつもりだ?もし彼に何かあればどう責任を取るつもりだ。よりによってこのような風俗店……」 「ふ、風俗……」 会長は何やら店の種類を間違えているような気がしてならないのだが、俺にはもう反論の余裕もない。矛先が自分に向けられていることに気付いた十勝は、慌てて俺の背後にささっと隠れる。そしてニコニコと笑いながら「でもでも!」と顔を出すのだ。 「ま、まーでもほら、佑樹すげー似合ってるでしょ!」 「っ、ぐ……いや、それはだな」 「いやスカートの丈、もっと短えほうが良いだろ」 言葉に詰まる芳川会長の横、ぺろんと人のスカートを突然捲りだす阿賀松に「ひっ」と飛び上がりそうになる俺。瞬間、「貴様ァ!人前でなんて真似を!」「齋藤に触るなっ!」と芳川会長と志摩が即座に反応する。反応早いな、という突っ込みはさておきだ。 「安心しろよ、こんなところでんな色気ねえユウキ君に興奮するかよ」 「色気しかないでしょ、アンタの目は節穴か!子供っぽい大きめのレースが出来上がってる齋藤の体にミスマッチなのが余計『いけない』感出して最高だろうが!!」 「し、志摩……恥ずかしいから……」 というか何だいけない感って……深く追求するのは恐ろしすぎる。あと人のスカートを捲ったまま揉めるのはやめてほしい……。とそんな揉めてると勿論店長さんが心配するわけで、「すごい声が聞こえたけどどうしたのかな?」と顔を出す店長さんに慌ててスカートの裾を下ろした俺は「あ、い、いえ、なんでもないです!」と首を横に振る。 どうやらまた知り合いが来たのだと判断したんだろう、仲良くね、とニコニコ笑いながら店長さんは引っ込んでいく。……よかった、なんとか一命は取り留めたがこのままでは遅かれ早かれ店に迷惑をかけることになるだろう。 「そ、その、取り敢えず……帰るか、席に座ってもらっていいですか。他のお客さんが来たらまずいので……」 というか帰ってくれ。そう念を込めて口にすれば、阿賀松は「そうだな」と笑う。 「確かにこいつはただ嫌がらせをしに来たみてえだしな」 「それはこちらのセリフだ。お前みたいなやつがいるだけで客足が遠退く。さっさと大人しく学園にでも戻ったらどうだ」 「寝言は寝て言えよ。俺は客だぜ?」 「俺だって客だ」 「……」 「……」 殴り合うのではないか、と思ったが無言で睨み合っていた二人はそれぞれ離れた場所、それもソファーがけのボックス席へと腰を下ろす。いや座るのかよ……と思いながらも俺は無言でメニューを開く二人に内心冷や汗を滲ませた。いやまあ、暴れられるよりかはましだろうが……。 「なんだこの最悪な空間……」 「と、十勝君……志摩……」 「取り敢えず迷惑客がいるって警察に通報しとくか」 「え、だ、駄目だって!絶対まずいから……!」 「いや何かが起こってからじゃ遅いでしょ。こういうのは先手打つべきでしょ」 「で、でも……って、ちょっと志摩……!」 さっさと裏へと引っ込む志摩。まさか本当に通報しにいったんじゃないだろうな。やりかねないだけに気が気でない。 「まあでも会長いるんなら下手な真似はしないだろ、あいつも。つーか、会長の目が怖えし、俺も、会長に怒られる前に何かあったらすぐ呼べよ」 「えっ、ちょ、と、十勝君?!」 頑張れ!と手を振ってさっさと退散する十勝。 待てよ俺だけ明らかに貧乏くじではないか。なんだかとても泣きたい気分になったがそんな今はそんな段ではない。 「おいユウキ君、客放ったらかして何してんだ?」 「は、はい……ッ!」 「齋藤君こちらもいいか」 「えっ、あ、……は、はいっ!」 離れた席の二人に同時に呼ばれ、俺は先に呼んだ阿賀松の方へと行こうとしたとき。ガン、と机を蹴る阿賀松に俺は飛び上がりそうになる。 「おいまずはこっちが先だろうが、メイドは一人しかいねえんだからテメェは大人しく一人でシコシコ待ってろ」 「態度も悪けりゃ品性もないやつだな、その面を見てると食欲が失せる。店の品位を陥れるつもりなら早急に退室願おうか」 「……っ、あ、あの……け、喧嘩は……」 「喧嘩じゃねえよ、あの眼鏡野郎がケチつけてきたんだろうが!」 「っ、ひ……ッ!」 まずい、阿賀松の機嫌が悪くなってる。阿賀松の元へ行ったもののどうすればいいのかわからず、咄嗟に身構えたとき、伸びてきた手に腕を引っ張られる。そして、呆気なくバランスを崩した体を阿賀松に抱き留められた。 「せ、せんぱ……」 「ちげぇだろ?今俺はお前のなんだ?」 「ご、しゅじんさま……っ」 「よくできました」 この男、乗り気である。 パーテーションで芳川会長の席からこちらの様子は見えないとはいえ、あまりにも距離感がおかしい阿賀松に心臓が止まりそうになる。というか、この体勢。阿賀松の太腿の座らせられ、股を開くようにスカートの裾の下、ニーハイの隙間に指を入れてくる阿賀松に腰が震える。だめです、と咄嗟に阿賀松の手に手のひらを重ねるが、そのまますす、とその手はスカートの中へと伸びるのだ。 「なあ、ユウキ君、この『特別ニャンニャンコース(猫耳+しっぽ+猫語)※ご主人様大好き甘えた猫ちゃんとつんつん寂しがり屋猫ちゃん、お好みを選べます♡』ってなんだ?」 「ぇ、あ、あの……これはその、ねこになります……」 「ふぅん……じゃあそれで。甘えた猫ちゃんコースな」 さすさすと人の足を撫でながらそんなことを言い出す阿賀松に流石の俺も「え」と声を漏らす。そんな俺の反応が気に入らなかったようだ。阿賀松は眉間に皺を寄せた。 「えじゃねえだろ、ニャンって言え」 「にゃ……にゃん……っ、ぁ、あの、待ってくださ……っ、ひ……っ」 背後、ふりふりのスカートの背中部分をたくし上げられたと思えば下着丸出し状態の尻を阿賀松に叩かれ、堪らず机にしがみつく。逃げるように浮く腰を捕まえた阿賀松は、「なに逃げてんだよ」と俺の上半身に腕を回し、力づくで戻すのだ。 「……猫はしっぽの付け根叩かれんの好きだよなぁ?おい、喜べよ」 「っ、ん、ぁ、待っ……って、くださ……っ!」 「ニャンだって言ってんだろうが、分かんねえのか」 「ぅ、にゃっ、ぁ……ッ!ひ、んんぅ……っ!」 机にしがみつき、腰を突き出す形になれば阿賀松は助けを求めるように伸ばす俺の手を取るのだ。そして、「ああ、それでいい」と耳元で笑う。叩かれ、じんじんと熱く震える臀部。無防備のそこを指でなぞられたときだ。 「貴様阿賀松ッ!!!」 いきなりパーテーションが倒れたかと思えばあまりにも遅い俺を心配してきたらしい。机の上、伸びる俺を見て芳川会長は血相を変えた。 「ああ?なんだ?こちらと愛猫と戯れてんだけど?」 「戯れで従業員を押し倒すやつがいるかッ!」 「なに言ってんだ?俺はただ転んだこいつを支えてやっただけだって……なぁ?」 言いながらも、会長からは見えないことを良いことに下着越し、敏感な部分を撫でられ堪らず息を飲む。そんなわけがあるかと言い返したいが、そんなこと言ってみろ。恐ろしくて考えることもできない。俺は「にゃ、ニャン……」と阿賀松に従うことが精一杯だった。 「っ、な……齋藤君……ッ」 すみません、会長……やっぱりどうしてもこの男には逆らえません。後が怖すぎて……。そう泣きそうになりながら恥ずかしさで震えていたときだ。 「齋藤君、俺もこの……と、特別ニャンニャンコースで頼む」 会長……そうですよね、会長ならきっと……へ?ニャン……ニャン……? 「おい、少しは待てねえのか」 「見てられるかこのセクハラ野郎が、ここが公共の場でなければ貴様など……」 あ……そうかなるほど、びっくりした。まさか会長がニャンニャンコースを頼むなんて気でも違ったのか、もしくは裏切られたのかとびっくりしたがそうか会長は阿賀松から俺を開放するために同じコースをわざと、敢えて頼んだのだな。……そうか、安心した。 「ぁ、あの、甘えた猫ちゃんと、つんつん……猫ちゃんは……っ」 「……あ、甘えん坊猫ちゃんで頼む」 そこは照れるのか、と思いながらもほっと安堵するのも束の間。背後の阿賀松に尻の肉を摘まれ、堪らず息を飲んだ。どうやら会長に笑いかけたのが余程気に入らなかったようだ。あまりの恐ろしい形相に俺は息を止めた。そして、再び阿賀松の膝の上へと座らせられる。 「甘えん坊猫チャンは好きにしろ。けど一時間後だ一時間後、テメェは散々俺がユウキ君と遊んだあとに遊べるんだよ……って、おい!」 言い終わるよりも先に阿賀松の隣に腰を下ろす芳川会長に俺も阿賀松も驚いた。そして、 「貴様はアホか。なんのためにわざわざ同じコースを選んだと思う?お前に好き勝手させないために決まっているだろう」 「っ、か、会長……」 「ハッ!……心の狭ぇやつだな」 ビキビキと阿賀松の額に青筋が浮かぶ。口では笑ってるのが余計恐ろしくて俺は声を発することすらできなかった。 「いいぜ。この際はっきりさせておくか、こいつの飼い主がどちらか」 ……いやいいのか。イイのか、それで。 というか二人が良くても間に挟まれた俺からしてみれば冗談ではないのだけれども。 「え、で、でも……」 「でもじゃねえだろ、にゃんって言え」 「にゃ……っ、ぁ、待……っ」 待ってください、と言う暇もなく、阿賀松と芳川会長の間に座らせられた。阿賀松の硬い膝の上から逃れられほっとするのも束の間。 「チッ、おい、何を勝手に……」 「なんだ?膝の上になにか置かないと不安か?ぬいぐるみでも貸してもらうか」 「テメェ……」 「お、落ち着いてください……というか、その、注文が……俺がしないといけないのでこれは……」 流石にちょっと、と立ち上がろうしたときだ。 「おい亮太!いるんだろ!」 「なに、今警察に……っ、て、何やってんの齋藤っ?!」 阿賀松に名指しで呼ばれた志摩は携帯を片手に飛び出してくるなり、ボックス席、そのソファーに三人並んで座る俺たちを見るなりぎょっとする。わかる。志摩の言いたいことは痛いほどわかる。わかるからその目で見ないでくれ。俺が一番この状況に意義を唱えたいのだから。 「いいからこの店にある一番美味いやつを持ってこい」 「俺はこのら……『らぶりーぷるんぷるんプ・リ・ンアラモード〜ご主人様だいすき盛りっ!〜』で頼む」 普通にプリンアラモードって頼めばいいのに会長……わざわざ商品名を丁寧に読み上げるなんて……。 「そ、そういうことだから……志摩お願い……にゃん」 「いやいやいや何してんの?おかしいでしょ、なにしてんのこの人たち……」 「いいからさっさとしろ。三分以内に用意しなけりゃユウキ君をマタタビ漬けにすんぞ」 「え、ちょっとマタタビって何……」 狼狽える志摩を前に「いーち、にー」とカウントを始める阿賀松。阿賀松の性格を理解してる志摩は青ざめ、「っ、くそ……!」と厨房へと引っ込むのだ。行ってしまった志摩に、残された俺は改めて深い絶望に落ちる。 というかマタタビ漬けってなんだ。 左に阿賀松、右に芳川会長。そしてその二人に挟まれる俺はというとあまりにも場違いなメイド姿。 ……一体俺が何をしたというのか。 「へえ、猫耳もあんのか。そこはちゃんとしてんだな」 「あ、あの……そろそろ……」 料理を用意するなりの言い訳を並べてその場から離れようとするものの、どこから見つけてきたのか阿賀松に猫耳カチューシャを頭に着けさせられる。……恥ずかしい。自分がどのようなことになってるのか考えたただけで舌を噛み切りたくなるが、阿賀松の手前外すことも出来ない。 「っ、先輩……」 「ちげえだろ、ご主人様だ」 「っ、ご、しゅじんさま……やめっ、て、ください……にゃん」 「……段々可愛く見えてくるな」 「今更か貴様、齋藤君はこんな物しなくても……って、おい。どこを触ってる……ッ!」 当たり前のように太腿を撫でてくる阿賀松に気付いたらしい、芳川会長に抱き寄せられ、なんとか助かった。 「どこって……なあ?俺はただ甘えん坊猫チャンを可愛がってるだけだろ」 「お、お触りは、頭以外禁止です……にゃ」 「っ、ぁ……頭はいいのか?」 驚いたような会長に、恐る恐る頷く。いや、そこ食い付くのか……。正直な話、会長に頭を撫でられるのは好きなので俺的には悪い気はしないが……それを言うのは些か勇気がいる。そっと撫でられ、つい身構えてしまう。そのままなでなでなでと優しく撫でられ、心地よさについ目を細めたときだ。 「チッ、ムッツリ野郎がテメェだってムラムラしてるくせに真面目ちゃんぶってんじゃねえよ!」 「――、節操のない貴様と一緒にするな、確かに愛らしいが……お前のように不純な目で見ていない!」 「オラッ!んなに撫でられてぇんなら俺がいくらでも撫でてやるよ」 「ひ……っ、か、会長……ったす、ぅ、あ、ぅう……っ」 阿賀松により会長から無理矢理引き剥がされたかと思えば、乱暴に人の頭を掴んだ阿賀松はそのまま乱暴に俺の頭を撫で回してくる。わしわしというよりもガシガシ。「おい!乱暴にするな!」と芳川会長の声を無視して脳味噌シェイクされてるんじゃないかというレベルで揺さぶられ、目がぐるぐると回り始めた矢先。ようやく阿賀松は俺を解放してくれた。よろけそうになったところを「だ、大丈夫か齋藤君っ!」と芳川会長に抱き留められる。 そしてそのまま、阿賀松から助け出してくれる。……が、いくらなんでも相手が芳川会長だというのに、いや会長だからこそ膝の上に座らせられるのは少し、いやかなり恥ずかしい。あ、あの、と会長の上からずれようとするが、腰に回された腕は思いの外がっちり掴んできて腰を浮かすこともできない。 「あの男の隣は危険だ、君はここにいるといい」 「っ、は、はい……にゃ」 「なーに言ってんだ、自分がユウキ君ベタベタ触りたかっただけだろうが。勃起してんじゃねえよ」 「してない、貴様のような痴れ者と一緒にするな」 「ほぉ?よくそんなことを言えんなぁ?これ見てでも反応しないのかよ」 「へ」と俺が間抜けな声を上げるのと阿賀松の手に胸のエプロンごと首元の襟を大きく開かされたのはほぼ同時だった。無理矢理胸元を開けさせられぎょっとするのも束の間、自分が何をされているのか気づいたときには色々遅かった。 「や、やめ……っ」 やめてください、と言い掛けた矢先。伸びてきた手に徐に胸を隠される。会長だ。 「っ、かいちょ……」 「貴様、やっていいことと駄目なことの区別も付かないのか」 「付くに決まってんだろ、これはいいことだな」 「ぁ、あの、ふ、二人とも……」 「巫山戯るのはその面だけにしたらどうだ、前々から貴様は齋藤君のことをなんだと――」 「お、落ち着いてください……っ!……っ、うわ、わ!」 今にも掴み合いを始めそうな二人を慌てて止めようとしたときだをテーブルの上、用意していたグラスがひっくり返してしまう。中に入っていた水がこぼれ、二人にかからないように咄嗟に受け止めるが……間に合った。どうやら二人にはかからずに済んだようだ。 「だ、大丈夫か齋藤君!」 「なーに一人でガチャガチャやってんだよ。ドジっ子猫ちゃんは呼んでねえぞ」 「す、すみません……にゃ」 うう、恥ずかしい。一人で騒いで馬鹿みたいだ。けど、会長はともかく阿賀松にかからなくてよかった。濡れた服は着替えたいが、それよりもなにかテーブルを拭くものを持ってこなければ……。 そう、立ち上がろうとしたときだ。阿賀松に引き止められる。 「あの……」 「どこに行くんだ、ユウキ君」 「あ、あの、お二人まで汚れてしまうので着替えようかと……」 「そのままでいいだろ」 寧ろ、真っ先に鬱陶しいから着替えてこいと言ってきそうな男がそんなことを言ってくるのだ。どういう風の吹き回しかと思わず背後の阿賀松を見上げたときだ、濡れて肌に張り付く胸元に這わされた手におもむろに揉みしだかれる。 「ぁ、せ……ッ、ご、しゅじん……さま……っ」 「なんなら俺が脱がしてやろうか?」 「き、貴様ッ!」 「おい何を勘違いしてやがるそこのムッツリエロ眼鏡猿。俺は先輩としてこいつがこのままで風邪引かねえか心配してんだよ」 「っ、ぁ、あの……っ」 「いい加減にしろ、お前みたいな性犯罪にムッツリエロ眼鏡呼ばわりされる筋合いはない。……おい!その手をやめろ!ここをなんだと思ってる!」 か、会長ありがとうございます……けど余計恥ずかしいというか、そのなるべくなら見られたくないだけに死にたさしかない。そしてこの男はピンポイントで人の乳首をコリコリするのをやめてくれ。 「っ、い、いい加減に……っ、ん……っ」 「やめてほしいんなら目の前のムッツリ野郎にでも頼んでみるか?可愛く甘えてやれよ、そしたら喜んでくれるかも知んねえぞ」 「ぁ……っ、や」 この男、完全に愉しんでいる。妙な触り方をされ、生理現象とは言えど股間に血液が溜まっていってるのを感じてしまい頭が痛くなってくる。今だけはスカートでよかった。ふわふわの裾を抑え、俺は会長に視線を送る。 「か、会長……っ」 急速に喉が乾く。震えを堪えるように、目の前の会長に縋り付いたときだった。 カランカランと音が鳴り響く。その音に気付いたときにはもう遅かった。客が来た、と青褪めた俺だったが、更にそこにいた人物を見て凍りついた。 「すみません、警察です。この店で迷惑行為を働いてる客がいると聞いたんですが……」 あ、と思ったときにはもう遅い。 『全員逮捕されろ』と中指立てる志摩の幻覚を確かに感じつつ、俺はこの世の終わりを覚悟した。 ◆ ◆ ◆ 「いやー今日一日散々だったね」 「……主に志摩のせいだけど」 「でも俺の通報一歩遅れたら齋藤文字通り猫にされてたんだよ?もっと感謝してほしいんだけど?」 確かに通報のおかげで阿賀松も連れて行かれたけど、巻き込まれて会長まで連行されかけてたんだが後が恐ろしくて堪らない。 無事バイトを終え、給料も頂いた俺達は更衣室で着替えていたのだが……正直俺はそれどころではなかった。絶対阿賀松に殺される。もうだめだ。 「いやーでも佑樹まで警察に連れて行かれたときは流石に焦ったけど、戻ってきた佑樹が頑張ってくれたお陰でなんとか持ち直したしな!」 「うん……それよりも、十勝君似合うね……」 「え?まじ?佑樹に褒められるのは嬉しいな」 嬉しいのか……でも確かに似合っている。志摩よりは。ニッと笑うメイド十勝に、俺はなんだかちょっと直視するのも恥ずかしくて目を逸した。 俺が警察に「あの人たちは僕の知り合いでただの悪ふざけだったんです、ごめんなさい。あの人、いや、せめてメガネの人だけは帰してあげてください」と懇願してる間十勝がメイドをしてくれていたという。なんで最初からしてくれなかったんだという声はもうこの際殺す、考えても虚しくなるだけだ。 おまけにそんな俺の気持ちも知らずに十勝は「給料も払いいいしこっちで稼ぐのもありかな〜。もちろん女の子客限定の店で」なんて言い出す始末だ。不純だ、不純しかない。 「佑樹も一緒にどうだ?」 「あのね。齋藤を変な道に引きずり込むのはやめてくれないかな。そういうのは俺と二人きりのときだけでいいから」 志摩と二人きりのときだって勘弁願いたいのだけれど……。突っ込む気力すらなかった俺の横、「お前はもう少しはオブラートに包めよ」という十勝のツッコミが静かに響いた。 そして翌日阿賀松に呼び出されて一週間阿賀松専属甘えた猫ちゃんメイドを強要される羽目になったのはまた別のお話である。 おしまい