乾いた空気にじりつく日差し。まだ朝だというのにすっかり外は夏だった。 たまには自然の空気でも吸うかと洋館から出たところ、珍しい人物の後ろ姿を見かけた。 黒い服に黒い髪、なにやら手に抱えた藤也は丁度あたりをキョロキョロと見渡しているところだった。 普段日が落ちてからでしか外に出ない藤也をこんな明るい内に見かけるなんて。 「藤也」と、思わずその後ろ姿に声をかければ、藤也は鬱陶しそうにこちらを振り返る。 「…………なに?」 「用ってわけじゃないんだけど……珍しいな、こんな明るい時間帯からここで会うなんて」 そうだ、こいつ、あまり世間話とかそういうのを面倒臭がるタイプだった。 「……別に、俺の勝手だし」 「ま、まあ……そうだな、けど、なんか新鮮だな」 「…………」 む、無視ときたか……。 ただでさえ気難しいやつではあるが、今日は一段と機嫌が悪いようだ。というよりも、なんだか俺よりも周りを気にしてるようにも見える。 早く立ち去りたいのだろうか。別に用事があったわけではない、ここかは穏便に済ませよう。 「悪い、引き止めて」なんて言いながら、そのまま通り過ぎようとしたときだ。 「…………」 不意に、そのまま森の奥へと向かおうとしていた藤也の手からなにか落ちる。 ひらりと地面に落ちるそれは紙のようだ。 しかも、藤也本人は気付いてないようだ。 「あ、おい、藤也なにか落とし……」 落としたぞ、と落ちたそれを拾い上げたとき。 紙いっぱいに描かれたカブトムシ……だろうか、最早よくわからないが多分角が生えてるからカブトムシだろう。それが目に入った。 おぉ、と思わず声に出したとき、俺に気付いたらしい。慌てて戻ってきた藤也にその絵を取り上げられる。 そして、まるで親の仇でも見るかのような恐ろしい顔でこちらを振り返るのだ。 「…………見た?」 「わ、悪い……そんなつもりじゃなかったんだけど、目に入ってな……」 怒ってるのか?いや、これは……照れてるのか?どちらにせよ、見るからにプラスの感情ではないのは間違いない。 「味があっていい絵だな」と慌ててフォローするが、藤也の表情に益々影が差す。 「……嘘……」 「え」 「家庭環境になにか問題ありそうな園児の落書き……って思っただろ」 「そ、そんなことは……」 ――少し思った。深夜、たまたま入り込んだ心霊スポットにこの絵が合ったら叫んでただろうなとは確かに思った。 けれどそんな人の神経を逆撫でるような具体的な喩えからして、幸喜に言われたのだろう。……目に浮かぶようだった。 「で、でも色使いとかはすげーいいと……」 「……お世辞とか、いいから、そういうの」 「うっ」 「…………本当最悪」 余程幸喜の言葉を気にしてるらしい。苛ついたように大きな溜息を吐く藤也だったが、不意に何かを思いついたらしい。そのまま、じとりと流し目でこちらを睨むのだ。 「……責任、とってよ」 「え、責任って……」 「人の絵を勝手に見た責任。…………俺に付き合って」 藤也に限って、と思いたいが、なんとなくその言葉にただならぬものを感じた俺は思わず「え」と声が漏れる。 まさか、日頃南波相手にしてるようなストレスの捌け口に俺を使うわけではないだろうかと怯えたとき、藤也はふい、とそっぽ向くのだ。 「……スケッチ……練習したいから」 付き合って、ともう一度口にするのだ。 遠くから聞こえてくる蝉の声がやけに大きく響いた。 ◆ ◆ ◆ 絵の練習をしたい、と藤也は言った。 どうせ俺も暇を持て余してる身だ、藤也の手助けを出来るなら別に構わないが、練習、と言われても俺自身美術は得意ではない。 なので必然的にやることがなくなるわけだ。 洋館から少し離れた木陰の岩に腰を下ろし、離れたところでなにやらせっせと書いてる藤也を眺めるという謎の時間が流れる。 「…………」 「…………」 沈黙の中。時折ちらりとこちらを見ては、目が合うとさっと目を逸らしては鉛筆を走らせる藤也。 というかその鉛筆やら紙やらボードはどこから持ってきたのだろうか。十中八九迷い込んだ人間の私物や洋館のものを勝手に使ってるのだろうが……。それにしても、描いてる姿は様になってるんだよな、姿勢がいいからだろうか。真剣な顔をしてる藤也を見てると超大作でも描いてるように見えるのだ。 じっとしてるのにも飽きてきて、そわそわしながら「何書いてるんだ?」と藤也の傍へと寄ろうとしたとき。 「動かないで」 「っ、え」 「……わかんなくなるから」 そう、ピシャリと言われすごすごと岩に戻る俺。 ……というか、待て、その言い分だともしかして……。 「も、もしかして……俺を書いてくれてるのか?」 恐る恐る聞き返せば、藤也はこくりと頷いた。 それを聞いて、顔にじわじわ熱が集まってくるのがわかった。だから、さっきからチラチラ俺の方を見てたのか。 というか、手伝えってこういうことだったのか。俺さっきから全然意識してなかったから相当間抜けな顔してたと思うんだが……。 あの藤也が、という嬉しい気持ちと無防備なところをしっかり描かれていたと知り恥ずかしい気持ちが入り混じって複雑な感情が芽生える。 でも、やっぱり……あの他人に興味なさそうな藤也が俺を、という気持ちは大きい。 けど、改めて意識すると藤也の視線が恥ずかしくて、俺は紛らすように話題を変えた。 「藤也は、元々……好きなのか?こういう絵とか……デッサン?っていうのか……?」 「別に……暇だったから。花鶏さんも処理に困るから好きにしていいっていったし」 「あ……なるほど」 確かに今まで藤也が絵を好き好んで描いてた姿を見たことない。それで現在に至るというわけか。 「けど、義人は好きだった。……俺や、幸喜よりも……上手いと思う」 ――義人。 藤也と幸喜、二人の人格を産んだ元となる少年だ。 藤也からは義人が手先が器用な人物だと聞いていたが、絵も嗜んでいたとは。だとすると、実質同一人物なのだから上手くてもよさそうなものだが……藤也や幸喜は完全に別個体というわけか。 今はもう再び眠りについた少年のことを思い出し、なんだか寂しい気持ちになったとき、藤也が眉を寄せた。 「ちょっと……変な顔しないで」 「へ、変な顔してたか……?」 「……してる、変な顔」 「……何考えてるのか知らないけど、そのことで準一さんが余計に気負うことないから」俺たちの問題だし、と続ける藤也。本来ならば俺が藤也に声をかけるべきだとわかってるが、やはり俺よりも藤也の方が割り切っているというか……逆に俺が慰められてる始末だ。 そして再び沈黙が流れる。 けれど、先程みたいに気まずい沈黙ではない。穏やかな夏の風が間を抜けていくのだ。 …………それから、どれだけ経っただろうか。 木々の隙間から覗く太陽はすっかり頭の上へと登っていた。 「……できた」 そう、先程まで地蔵のように黙々と描いていた藤也が鉛筆を置いた。その言葉をきっかけに、俺は岩から降りた。 「見ていいか?」 「……ん」 藤也が時間掛けて俺を描いてくれた。それだけでも落ち着かない、なんだか浮ついた気持ちだったのにそれを見れるとなるとやはり、変にそわそわしてしまう。 許可を貰ったので慌てて藤也の元へと向かった俺は、その手元のボードを覗き込んだ。 そして、 「っ、う゛ぉ……」 「……準一さん、アンタって本当嘘吐けないよな」 「ち、違う、これは……ちょっと圧倒されて……」 紙いっぱい使って描かれた俺の顔……顔、なのだろうか、あ、よく見るとこれが目になってるのか……。なるほど……と頷いてると、むっとした藤也に紙ごとボードを引っ手繰られる。 「……いい、もう準一さんには見せない」 「ぁ、待っ……ま、まだよく見れてねえから……!」 「頼む、もう一回見せてくれ」と頭を下げれば冷たい目をした藤也は仕方なしといった様子でボードを俺に向かって放り投げる。 「……勝手にすれば」 「ぉ、な、投げるなって……」 落ちたら汚れるだろう、と慌ててキャッチした俺に藤也は何も言わない。けど、突っ撥ねられると思ってただけに安堵した。 改めて俺の似顔絵に目を向ける。 何度も書き直してくれたんだろう、鉛筆の跡で真っ黒になったその絵はより一層妙な迫力に満ちていた。 ……というか俺、こんなに目つき悪いのか。 「……」 「…………」 「…………」 「……言いたいことあるなら言えば」 気付けば俺は無言で藤也が描いてくれた俺の顔とにらめっこしていた。最初はすげえ迫力あるなと思ったが、よく見ると普段気にしたことのないホクロとかも描いてるし、なにより、藤也がこうして俺を描いてくれたというのが嬉しくて……ちょっぴりジーンときていた。 「いや、その……すげー頑張って書いてくれたんだなって思うと……その……」 「………………なにそれ…………別に、頑張ってなんかないし……」 「でも、やっぱすげえ嬉しい……」 素直な感想だった。技巧抜きにして、藤也が俺のことよく見てくれてるんだなってのがよく分かって嬉しいし、なんか、自分でも変な感じになってしまう。 「……そういうことは聞いてないんだけど」 「あ、そ、そうだよな……悪い……」 「別に。最初から準一さんにそういうの期待してなかったし」 「う……っ」 グサグサと藤也の言葉が刺さる。やっぱりそうだったのか……。けどまあ、モデルとして役に立ったのならそれでも嬉しいというか……こんな気持ちになれるのならば寧ろ役得なのかもしれない。そう思うのは俺が単純だからだろうか。よくわかんねえ。 「なぁ、これ、貰っていいのか?」 「別に捨てるつもりだったしどうでもいいけど……なんで」 「部屋に飾ろうかなって……花鶏さんに余った額縁無いかとか聞いて、ほら、俺の部屋の壁殺風景だし」 「…………は?」 「窓の傍とか日に当たるところの方がいいよな……あ、でもこういうのって痛んだりするのか……?」 せっかく藤也が描いてくれたのだから目に付きやすい場所がいいが……俺はそういう絵画のことについてはからっきしだ。 うーんと考えてると、藤也にボードを掴まれる。 「………………やっぱ返して」 「え、なんで……」 「いいから……っ、て、なんでこんなときだけ力強いの準一さん……!」 「だ、だめだ、藤也さっき好きにしろって言っただろ……!」 「……言ったけど、飾るなら別……」 「な、なんでだよ……!藤也が描いたって言わないから良いだろ……!」 それから、俺と藤也はそんな押し問答を繰り返し……絵ごと燃やされそうになったのをなんとか俺は命からがら逃げ出して藤也の絵を人から見えないようにこっそり机の引き出しの中に仕舞うことにした。 あそこまで嫌がるのだから無理矢理晒すのもよくない、そう考えた上での行動だったのだが……。 翌日。 「藤也藤也〜俺の似顔絵も描いてよ〜なあなあ描いてってば〜!」 「……絶対嫌だ」 「えー!大好きな準一にだけ特別扱いかよ〜!ずるいよなー、大好きな準一にだけは優しくして甘やかすくせにお兄ちゃんに対してはこれだもんなー、ほーんとムッツリ野郎じゃ……きゅふっ」 「……殺す」 …………始まった。 今朝からずっとこんな調子だった。 どうやら昨日藤也が絵を描いていたのを見ていたらしい幸喜はずっと藤也に絡んでいる。 念の為先程引き出しの中の俺の絵を確認したが、それは触られていないようでほっとした。 幸喜の首を締めてボコスカ殴ってる藤也を止めるべきか迷ってると、不意に線香のような匂いが備考を擽る。そして、 「ふふ、しかしまあ……藤也がこのように懐くことなんて早々ありませんからね、幸喜が妬くのも無理はないですよ」 「おわっ!……あ、花鶏さん……!」 「如何ですか準一さん、今度は私のモデルになるのは」 いつの間にいたのか、この男は。 まるで子犬同士がじゃれ合ってるのを眺めるような生暖かい目をした花鶏はこちらに流し目を送る。この男の本性を知らない人間ならばころりと騙されるだろうが、俺にはろくなことにならないのを知っていた。「丁重に遠慮しておきます」と断りを入れれば、「妬けますね」と花鶏は肩を竦めて笑った。 気付けば二人の喧嘩は悪化し、流れ弾を食らった南波が死にかけているではないか。このままでは余計騒ぎが大きくなる。 俺は花鶏から逃げるように二人の仲裁に入ることにした。 おしまい