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田原摩耶
田原摩耶

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天国地獄人狼『豪華客船七日間の旅』第六話

 フカフカのベッドに一人部屋。  優雅な船旅三日目、最初はちゃんと寝れるか心配していたがやはり上等のベッドを前には愚問だったようだ。  昨夜の夜会の緊張などよそに爆睡して目を覚ました俺は、不意に手に何か当たることに気付いた。 「……ん……?」  ……なにかある?  そう思い、手探りに違和感の正体を探ろうとしたとき、腕をがしっと掴まれぎょっとする。  え、と目を開けば、そこには。 「……おはよう、ユウキ君。朝っぱらから大胆じゃねえか」  目が覚めるほどの真っ赤な赤。  するりと指を絡め取るその男に、俺はそのまま飛び起きた。  当たり前のように人の部屋のベッドで上半身裸で寝ている赤髪の男――阿賀松伊織は俺の手を握ったまま、そして俺をベッドに引き戻そうとした。 「なんだぁ?もう起きんのか?」 「っ、ちょ、あ、あの……なんでここに……っ!」 「恋人のベッドにいてなにか問題でもあんのか?」  大アリだ。主にセキュリティ面でだ。 「おいおい、せっかくお前のために色々用意してやったのにそんな反応はねえだろ」 「……用意?」 「約束してただろ。必要なもんは揃えてやるって」  そう相変わらずの調子で続ける阿賀松。  一瞬言葉の意味がわからず、何気なく部屋を見渡せばすぐにその意味を理解する。  テーブルの上にどっさりと置かれてるのは衣服に日用品、大抵必要そうなものが取り揃えられていた。 「そろそろ部屋の備品だけじゃ不足しそうだと思ってな」 「……あ……ありがとう、ございます」 「あ?」  お礼を言ったつもりだが、何故だが阿賀松の表情が消える。  冷える空気に、「え」と思わず俺も凍りつく。なんで怒るのだ、今俺お礼言っただけなのに。 「アリガトウゴザイマスって、それだけかよ。随分と簡単じゃねえか」 「あ、え……えと……」  まさかこれは俺のお礼の言い方が軽すぎて気に入らないということか。謎すぎる阿賀松の地雷に今更驚きはしないが、このままではまずい。 「あ、あの……今度、改めてお礼を……」 「そうじゃねえだろ」 「……え?」  どうしろというのだ、この我儘な男は。  流石に意図が分からず困惑していると、伸びてきた腕に抱き竦められる。阿賀松の匂いが強くなり、ぎょっとした。  そして、同時にやつの意図に気づき、血の気が引く。  下腹部、お腹の辺りに当たるその異物感。  朝っぱらから冗談だろ、この男。 「ぁ、あの……先輩……っ」 「ベッドでお礼なんてやること一つしかねえだろ、普通に考えてなぁ?」 「……っ、な……」  最低だ。爽やかなバカンスで爽やかじゃない男がここにいる。 「っ、ま、待ってください……」 「あぁ?寝癖気にしてんのか?今更だろ、つかこっちはお前のクソほど間抜けな寝顔見てんだから今更恥ずかしがってんじゃねえよ」  寝癖まであるのか。  恥ずかしくなって咄嗟にシーツを被って隠れようとするが、すぐに引き剥がされる。  まずい、と思ったときには遅かった。覆い被さる阿賀松に手首を掴まれ、ベッドに押し付けるように唇を重ねられる。 「っ、ん……っぅ……」  目が覚めて間もなく、そんな気分になれるはずがないと思っていたのに、阿賀松に唇を舐められ、舌を絡み取られれば頭の中が熱くなって、何も考えられなくなる。  シーツが擦れる音が響く。  長い、というか、やばい、本気かこの人。  股の間、膝を差し込まれ、萎え切ったそこを膝で押し上げられれば体が震えた。 「……っ、は……お前、すぐ大人しくなるな。……ここに来て誰ともしてねえのか?」 「そ、んなこと」 「……まあいいや、直接確かめればわかるか」 「っ、へ」  と、下腹部に触れる阿賀松の大きな手のひら。  するりと腿から下腹部までを撫でられ、思わずベッドの上身じろいだ。やめてください、と言ってもこの男はやめないだろう。なら、怒られないように大人しく従ってた方がまだいい。  そう思っていたが、まさかそこまでされるとは思わなくて。 「ぁ、や……待っ……んん……っ」  股の間、差し込まれる指に股の奥をぐり、と強く刺激され、思わず仰け反る。頭がまだ覚醒しきってないのもあるだろう、ふわふわとした気分の中、ただ阿賀松の手の感触だけがやけにリアルだった。 「っ、せん、ぱ……んん……っ!」  当たり前のように唇を塞がれ、脳味噌が蕩けるように熱くなる。駄目だ。こんなことでは最後までされてしまう。  なけなしの抵抗で阿賀松の腕を引き離そうと掴むが、指で前を揉まれればぶるりと体が震えた。 「っ、ん、ん……ぅ……」  阿賀松が見てる。そう思うだけで頭が、顔が、全身が熱くなる。  当たり前のようにするりと滑り込んでくる阿賀松の手に尻を揉まれ、腰が震えた。指が食い込む。円を描くように揉まれ、逃れたくても逃れられないその手に、次第に息が浅くなる。  長いキスの末、離れる唇にほっとするのも束の間、ぺろんと着ていた寝巻きの裾を大きく捲りあげられ、ぎょっとした。 「っ、や、め」 「……痕はついてねえみてーだな」 「ぁ、アトって」 「キスマーク。……これじゃ寂しいだろ?俺がつけてやるよ」 「……っ、な」  余計なお世話だ。そう慌ててスウェットの裾を戻そうとするが、それよりも先に剥き出しになった胸に噛み付く阿賀松に全身が凍りつく。  食い込む歯の感触に、痺れるような痛みに堪らずベッドの上で喘ぐ。跳ねる上半身を押さえ込み、阿賀松は躊躇なく胸の突起ごと噛み付くのだ。 「ッひ、ぅ……っ!」  噛みつかれたままそこを吸われ、舌で嬲られる。肉ごと持ってかれたと錯覚するほどの強烈な刺激に体が大きく仰け反る。気持ちいいと思いたくもない、それなのに、逃げる体ごと捕まえられ執拗に胸を重点的に吸われ、噛みつかれるとそれだけで心臓が反応する。  痛みと快楽、同時にやってくるそれに翻弄されるがまま、ベッドの上で悶え堪えてると、ようやく阿賀松は満足したらしい。 「おお……やっぱ白いと映えんなぁ。……ほら見ろよ」  伸びた手は胸元を撫でる。散々口で愛撫され過敏になったそこは触れられただけでも酷く疼く。  恐る恐る自分の体に目を向け、凍り付いた。到底人に見せられないようなおぞましいほどの鬱血痕に、噛み痕がびっしりと残ったそこを見て意識が遠くなる。 「これじゃあ泳げねえな、可哀想に。お前はずっと日陰に籠もってればいいんだよ」  それが狙いか。  元々泳ぐことが得意ではないにしろ、あまりにも嫌がらせじみたこの男の行動に慄いた。  ――本気だ、この男。 「っ、別に、俺は……泳ぎません……っ」 「本当か?でも、亮太が楽しみにしてたじゃねえか」 「……っ!」 「ククッ……またあいつの独りよがりか、可哀想になぁ?」  なんでそのことを知ってるんだ。まさか、聞いてたのか。どこで。  なんて、そんな疑問もすぐに阿賀松の手によって乱される。 「まあいいや、上半身だけじゃ気持ち悪ィから下半身にもつけてやるよ。脱いで足開けよ」  そんな無茶苦茶なことをことを言い出す阿賀松。  この男は有言実行する男だと知ってる俺はその言葉に恐怖しかなかった。  かくして俺は最高のロケーションの中、最悪のコンデションで朝を迎えることになった。  ◆ ◆ ◆  朝シャワーを浴びるハメになり、服を着替えた俺は部屋を出た。  阿賀松はどうやら徹夜だったらしい。元々あの男が夜型なのは知っていたが、人を好きなだけ抱くなり阿賀松は人のベッドで眠り始めたのだ。  やつが目を覚まさない内に俺はベッドを抜け出し、そして部屋を出ることにした。  俺が部屋を出たのは既に昼に近い時間だった。  とにかく疲労と空腹で弱っていた俺はコンデションを回復するためにレストランに寄った。  そして、そこにいた江古田と十勝と一緒にテーブルを囲むことになったのだが……。 「櫻田が死んだってまじで?!」  注文したプレートを食べていた俺は、十勝の声のデカさに驚いて食べかけのホットケーキが喉に突っかかりそうになる。  慌てて一緒に頼んでた水で押し流していると、隣の席、ちまちまとアイスを食べていた江古田はその手を止める。 「……実際に 死んではないですけど……朝櫻田君の部屋に行ったらもぬけの殻になってて……その代わりにこんなものが……」  そう、江古田は肩にかけていたショルダーバッグの中から見覚えのあるタブレットを取り出した。ゲーム用のタブレットだ。  十勝は椅子から乗り上げるようにタブレットを覗き込んでくる。 「櫻田洋介……狼による襲撃のため死亡……って、うわまじか……つか、死んだらマジで部屋から連れ出されんのかよ」  そう、呆れたような十勝。  櫻田が死んだことは俺も十勝も予め知っていた。そして襲われた人間がどうなるかもだ。  それを知ってるだけに、十勝のリアクションの上手さに舌を巻く。俺なんて何も言葉が出ないのに。  ……それにしても、本当に連れ出されるのか。  というか、もしかして櫻田を連れ出したあと人の部屋に入ってきたのか、阿賀松は。 「……まあ、僕としては少しは静かになっていいですけど……」  そう、言いながらも江古田はまたちまちまとアイスをスプーンで掬い始める。  皮肉混じりだが、なんだか元気ない江古田に俺ははっとする。  ああ、そうだ、江古田はなんだかんだいつも櫻田と一緒だから……。  これから数日間、一人で過ごすことになってしまう江古田のことを考えると少し胸が痛んだ。 「江古田、櫻田と仲いいもんなぁ。そりゃこれから退屈だよな」 「……別に仲良くなんてないですし……僕は一人でいる方が好きなので……」 「そんなつれないこと言うなよ〜!ほら、今日は俺が遊んでやるよ!何やる?図書室の本でドミノ倒しでもするか?」 「……十勝先輩って本当罰当たりですよね……」 「と、十勝君……」  江古田を元気づけてるつもりなのだろうが逆効果な気がしてならない……。  十勝らしいといえば十勝らしいが。  江古田の冷めた視線を受け、「良い案だと思ったのにな〜」と拗ねたように背もたれにもたれ掛かる十勝に江古田は小さく溜息をつく。そして。 「……それにしても、どうして櫻田君が襲撃先に選ばれたんでしょうか……」  そんなことを言い出す江古田に、内心俺はぎくりとする。  いや確かにゲームの話をするなというルールもないが、それを俺たちに聞くかという緊張に思わず口を噤んだ。  けれど、そんな俺の心情には気づいていないようだ。 「……確かに煩いですけど、明らかに怪しい役職持ちの二人よりもグレーを潰していくつもりなんですかね……」 「そ、そうだね……なんでだろう……不思議だよね……」  黙ってばかりも怪しまれるかと思い、慌ててそんな相槌を打てば向かい側の十勝がタピオカジュース片手に笑ってる。……うう、恥ずかしい。やっぱり俺はこういうのが向いていないらしい。  すると江古田の大きな目がじとりとこちらを向いた。見上げられるような形になり、思わずどきりとする。 「……それに、あの青い人……縁先輩が齋藤先輩のことを人狼だって言ってましたけど……」 「ち、違うよ!」  この話題になったら絶対に掘り返される。そう思って予め用意していた否定のリアクションを実行してみるも、思いの外馬鹿デカイ声が出てしまい江古田も十勝も驚いた顔をする。  そしてなにより俺自身が一番びっくりした。  慌てて俺は口を塞いだ。 「あ、ご、ごめん……大きい声出しちゃって……その、俺は確かに縁先輩に投票したけど、それは、あの人の方が怪しかったからだよ……」  恥ずかしくなって、顔が熱くなる。  こんなんじゃ過剰反応すぎて逆に人狼ですって言ってるようなものではないか。慌てて声を落とせば、江古田は小さく頷いた。 「……まあ、わかります……。……阿佐美先輩か縁先輩なら……僕も縁先輩に入れてるでしょうし……だってあの人性格悪そうだし……」  言いながらテディベアの腕をぐにぐにと撚る江古田。完全に私怨である。 「……でも、だったらやっぱり縁先輩の撹乱だったんですね……」 「そ、そうだよ……」  私怨だとしてもだ、一先ず疑いを晴らすことができてほっとする。  が、やはり騙すというのは心臓に悪い。  ゲームの性質上とはいえ、嘘を重ねれば重ねるほど罪悪感を覚えずにはいられなかった。  そんな中、相変わらず十勝だけはいつも通りだった。 「おいおい、せっかくの海なのにそんな腹の探り合いは夜だけにしよーぜ?」 「……十勝先輩は相変わらずですね……十勝先輩だって風紀の人と揉めたのに……」 「そりゃゲームの話だろ?確かにおもしれーけどさあ、それはどうせ今夜またやるんだからいいじゃん」 「……その能天気さ羨ましい限りです……」 「お、俺を見習ってくれたっていいんだぜ?!」 「……皮肉ですよ……」 「は、はは……」  ある意味この二人も仲がいいのかもしれない。というか、十勝の持ち前のフレンドリーさはあの江古田すら打ち負かすということか。  確かに羨ましい性格だ……。  なんて思ったとき。隣のテーブルにトレーが置かれる。  顔をあげればそこには。 「おや、珍しい組み合わせですねー」 「あらあら、あなた達も糖分摂取?」 「志木村先輩……貴音先輩……!」  珍しい組み合わせだ。そこにいたのは寮長である志木村と親衛隊総隊長の連理だ。校内で一緒にいるのを見かけるのはなかったが……仲がいいのだろうか。二人共甘いデザートばかりを頼んでるようだ。 「お隣、失礼しちゃっていいかしら?」と尋ねてくる連理に俺は慌てて立ち上がり、「どうぞ」と椅子を引いた。 「あら、佑ちゃんたら紳士ね〜食事中にそんなことしなくてもいいのに。でもお言葉に甘えて失礼しちゃおうかしら」 「寮長もここ空いてるんでどうぞー?つか、まじ珍しい組み合わせっすね。何繋がりですか?」 「繋がりも何も……朝起きて暇なのでブラブラしたら甲板に一人で黄昏れてるレディがいたので僕が食事に誘ったんですよ。ま、僕も退屈してましたしね」 「あらやだ、ンも〜シキ君ったら本当に口が上手なんだからっ!」 「あはは、なかなか力強いですね……」  照れる連理にバシバシと肩を叩かれ笑顔でダメージを受ける志木村。  流石だ、女性の扱いというか連理の扱いに長けてるようだ。日頃裕斗を世話してるだけある。  そんな他愛ない会話も程々に、連理は辺りに人気がないのを確認すると声を顔を近づけ、声を潜めた。 「それより三人とも。聞いたわよ、洋介ちゃんのこと。殺られちゃったんですって」  やはり、話題は櫻田への襲撃のことのようだ。 「貴音さん、言い方言い方」 「……や、やっぱりもう大分広まってるんですね……」 「あら、タブレット見てないのぉ?あそこからも襲撃で死んだ人間が通知されるようになってるの。アタシ朝起きてびっくりしちゃって『アラッ!』って叫んじゃったわよ」 「そうですよ、隣の部屋から野太い声が聞こえてきたんですからもうびっくりしてびっくりして。狼の襲撃かと」 「誰が野太いですって?!」 「ジョークですよ、ジョーク。可愛らしいあなたの声を聞き間違えるはずないではありませんか」 「あら、もうシキ君たら……っ!」 「……なんか楽しそうですね……」  シキ君もとい志木村の口車に乗せられはしゃぐ連理に冷めた視線を送る江古田。  志木村がまたバシバシ叩かれて笑顔でダメージ受けてたので俺は慌てて話題を変えることにした。 「で、でも、志木村先輩が裕斗先輩と一緒にいないのって珍しいですね。いつも一緒にいるイメージが強かったから……」 「でしょうね。僕が手綱掴んでおかないとあの人何するかわかんないですからねえ?……僕もそのつもりではあったんですが、実は朝から裕斗さんの姿が見えないんですよ」 「え?」 「どうせジムかコートに行ってるんでしょうけど、僕は朝は苦手なので目が覚めるまでこうしてゆっくり朝食でも取ろうかと思いまして。そんなところに現れたのがこの麗しき貴音さんですね」 「駄目よシキ君、アタシには武蔵ちゃんっていう心に決めた人が……!」 「まあそういうことらしいので貴音さんにお話の相手をお願いしていた感じです」 「そうだったんですね……」  志木村と連理のコントはともかくだ、裕斗が見かけないというのは少し気になった。  襲撃したのは櫻田だけだから何もないと思うが、まあ深く気にしなくてもいいだろうが……。 「……この二人、ある意味お花畑同士で気が合うのかもしれねーな」 「直君?聞こえてるわよ?」 「聞き捨てならないですねえ十勝君。連理さんはさておき僕のことまでお花畑と呼ぶとは」 「シキ君?!」 「ジョークですよ、ジョーク」  時たま笑顔でドライなことを言い出す志木村を知ってるだけにジョークには聞こえない。  が、まあ、仲良さそうで何よりだ。  そんなこんなで志木村と連理を加えて賑やかな遅い朝食を取ることになった。  やはり、大人数での食事は楽しいものだ。  そんなことをしみじみと考えながら。  ◆ ◆ ◆  昼過ぎ。  十勝や志木村たちとも別れた俺は、やることもなくかと言って部屋に戻る気分にもなれなくて図書室へと向かうことにした。  そろそろ阿賀松は起きて部屋から移動してくれてるだろうか。そうでなくては困る。  下腹部がとにかく怠いためあまり動き回ることもしたくないが、部屋に戻るのも怖い。時間を潰すために選んだのは図書室だ。  静かに出来る場所でゆっくりと休みたかったのだが……どうやらそこには俺と同じことを考えてる先客が居た。 「あ、ゆうき君」 「詩織も来てたんだね」 「う……うん、暇だったから……」  ぎっしりと本が詰め込まれた図書室内休憩エリア、そこのソファーに腰を下ろして本を読んでいたらしい阿佐美は恥ずかしそうに笑い、そして本に栞を挟んで閉じる。 「俺も、同じ感じかな……」 「そっか、一緒だね」  う……阿佐美の笑顔にほっとする。  朝から阿賀松とひと悶着あっただけに余計悪意のないふにゃりとした笑顔が眩しかった。 「ここ、すごいよ、貯蔵冊数もだけど……なかなかお目にかからない本までほぼ新品の状態で保管されてる。ゆうき君は本、読むんだっけ?」 「あ、そ……そんなに詳しくないけど……少しだけ……」 「そっか、ならきっと楽しめると思うよ」  そう頬を綻ばせる阿佐美。ちらりと阿佐美の持ってる本に目を向ければ何語だ……?英語ではない文字が書かれてるのは俺の見間違いか? 「し、詩織は本好きなんだ……」 「まあ……嫌いじゃないかな。けど、昔ほど手に取って読むことはなくなったから……こうして本に囲まれるのは久し振りかも」 「そうなんだ……」  自分から聞いててあれだが、目の前にいる男が学年主席の特待生だと言うことを思い出し自分がちっぽけな存在のように思えてしまう。  俺が読む本といえば図鑑と花の育て方の本くらいだ。小説も読むが、日本語で書かれてないと無理だ。 「それにしても、すごい広さだね……天井も高いし……あれ?カフェもあるの?」 「……ああ、そうだね。一応ここで飲めるらしいよ」 「そうなんだ……詩織は飲まないの?」 「……頼もうかと思ったんだけど、俺、ながらでやるの苦手で……部屋でも何度もキーボード駄目にしちゃったから自制したんだ」 「そ、そうなんだ……」  言われてみればたまに阿佐美の机からコーヒーの匂いがするときがあったがそういうことだったのか。  確かにそれは怖いな。俺もうっかり零しそうだったのでやめることにした。  取り敢えず、何か本でも借りるか。自室に持っていってもいいらしいし、数冊借りれば数日は潰せるだろう。  せっかくの船旅だというのにこんな場所にまで来てインドアな性格が出てしまうのは悲しいがこれが性だ、どうしようもない。  生物ジャンルの本棚の前。  俺の本探しについてきた阿佐美とともに、なにか良さげな本がないかを探していた。 「ゆうき君、これとかどうかな」 「え?どれ?」 「これ」とわきわきしながら一冊の本を持ってくる阿佐美。古びた表紙のそれはどう見ても古文書である。申し訳ないが俺には解読不能なので流石にお断りした。  阿佐美はしょんぼりしながら本を戻しに行く。  それからまた暫く本棚の背表紙とにらめっこする時間が続いたのだが……。ふいに隣の本棚に移ったときだ。  そこに見覚えのある人物がいた。 「仁科先輩……?」 「ぉわ!……び、びっくりした……なんだ、齋藤か……」  医学書コーナー。  どうやら仁科も本を借りに来ていたらしい。  大量の本を抱えた仁科は誰と間違えたのか、青褪めていたが俺だとわかるとほっと胸を撫で下ろした。 「仁科先輩も本を探しに来てたんですね」 「ああ……暇潰しになるかと思ってな。齋藤は?一人か?」 「あ……えと、向こうに詩織がいます」 「え、阿佐美が……阿佐美か……まあ、阿佐美ならいいか……?」  どうやら阿賀松から逃げてるのだろう。一人でブツブツ何やら考えていた仁科だったが、阿佐美はよしとしたようだ。 「それにしても……すごい量ですね」 「……探せば探すほど気になる本があってな、気づいたらこうなってた」 「ああ……なるほど」  仁科の気持ちはわかる気がする。俺の場合はこれという一冊が決まるまで見送るのだが、仁科は全部手に取る人なのだろう。……それにしても重そうだが。  治療薬マニュアルに診断学、リハビリマニュアルに……なんか小難しいカタカナと漢字が入り混じった本多数。どれも医学書関連なことは間違いないだろう。  ここに来ても勉強してるなんて、本当真面目熱心というか……余程好きなのだろう。 「難しそうな本ですね」 「そんなことはないぞ。数ページ確認したけどどれも分かりやすく書かれてる……そうだ、齋藤、お前向けの本があったんだ……ほらこれ、『もしものときの応急処置マニュアル初心者向け』!」 「これいいんじゃないか?」とか言いながら目を僅かにキラキラさせる仁科。それを受け取り中をパラパラと読んでみるが……外傷を受けた際の手当が分かりやすく図解付きで解説されていた。すごい俺向けだが、自分でそれを認めてしまうのも悲しい……しかしこれは助かる。悲しいが。 「あ、ありがとうございます……」  一先ず、読む本一冊見つかったのは大きい。しかも厚さがかなりあるし、この旅の間に読みきれるかどうかも怪しい。 「ああ、それはいいぞ。……それと、これ『究極のリラックス法』に『他人に利用されないための心理学』、それから『ストレスと向き合う方法』、『短時間睡眠で健康を取り戻す熟睡術』も読みやすそうでオススメだ」  どさどさどさと次々に乗せられていく本に徐々に腕が引き攣っていく。そして俺が本に埋もれかけているのに気付いた仁科は慌てて自分の分の本をテーブルに置き、俺の分の本を持ち上げてくれる。 「わ、悪い……また俺……後先考えずに……」 「いえ、どれも面白そうだったので借りて読んでみますね」 「齋藤……俺も運ぶの手伝うからな」 「流石にそこまでは……」 「ゆうき君?いい本見つかった?」  と、そんなやり取りをしてるとぬっと阿佐美が顔を出す。長身の影に驚いた仁科だったが、阿佐美だとわかるとほっとしたようだ。 「なんだ……阿佐美か」 「……大丈夫だよ、仁科さん。あっちゃんは図書室に来るような人じゃないから」 「そ、そうだよな……けど、お前伊織さんと同じぐらいでかいからビビるんだよ毎回……」 「それは……ごめんなさい」  しょんぼりする阿佐美に、仁科は「悪い、お前は悪くないよな」と慌ててフォローする。 「……それにしても、どこにいても落ち着かないな。皆そわそわしてるっていうか……なんか……」 「人狼ゲームのこと?」 「……ああ、それのせいだろうな。……方人さんもどこ見ても見当たらないし……やっぱどっかに連れてかれたのかな」 「……そう、ですね」  確かに縁も櫻田も見当たらない。  二人とも肉体的にもメンタル的にも図太い部類だろうし、逃げようと思えば逃げ出してきそうなものなのに……。 「もしかしてまた別の船に船移されてるのかと思ったんだけど、櫻田に関しては朝の七時に伊織さん連れて行くみたいなこと言ってたから念の為船の外確認してたけどそれらしき船影もなかったしな、謎だ」 「もしかしたら地下やコンテナにいるんじゃないかな」 「……やっぱりそういうことだよな。大丈夫かな、二人とも……」 「大丈夫だと思うよ、あの二人なら……死んでも死ななそうだし」 「「確かに……」」  仁科とハモってしまった。  けれど、確かに死んだあとどうなるかは気になるところだ。なるべく生き残りたいとは思うが、昨夜のことを思い出すと最終日までとは贅沢は言わないからせめて5日目6日目まで残りたいという気持ちになっていた。 「人権剥奪……ご飯抜きとかですかね……」 「ええっ、そ、それはやだな……」 「せめて後遺症にならない程度なら……」 「仁科さんのその自尊心の低さ、たまに心配になるよ……」  それから暫く仁科と阿佐美と話していたが、二人がなにやら最新医学について盛り上がり始めたところで俺は先に抜けて本を借りて部屋に戻ることにした。  二人は本を運ぼうかと言ってきたが、俺も男だ。筋肉とは無縁だとしてもそこまでひ弱ではない……はずだ。気持ちだけもらって、俺はよろよろと本を抱えて自室のあるエリアへと戻った。  そして、カードキーを使って解錠すれば阿賀松の姿はなくなっていた。借りてきた本をテーブルの上に置き、窓のソトから見える海を眺める。  既に空はオレンジ色に染まっている。  18時前。もうすぐあの地獄のような心臓に悪い。時間がやってくる。  俺は携帯でアラームをかけ、遅刻しないギリギリの時間に設定して仁科から勧められた本を読み耽ることにした。  集中できないかと思ったが、本を読んでると時間がすぎるのはあっという間だった。  19時前、設定していたアラームを止め、部屋を出ることにした。どうやら既にみんな部屋を出てるらしい。客室エリアには人影はなかった。  遅刻はしないだろうが、少し急いだほうがいいのかな。  なんて思いながら足早に進んでいくと。 「遅かったね、もう皆レストランに行ってるよ」  いきなり声をかけられぎょっとする。通路の真ん中、佇む志摩は俺の姿を見るなり微笑んだ。  なんだか……久しぶりに会った気がする。昨日も会って吐いたが、あまり話せなかったから余計そう感じるのかもしれない。 「……志摩も今から?」 「そうだよ、齋藤のこと待ってたんだけどなかなか出てこないから」 「そんなの……」  呼び鈴鳴らしてくれたらいいのに、と思ったが敢えて言わなかった。なんだか志摩が怒ってるような気配を感じたからだ。  笑みを浮かべてるものの、その目は笑っていない。  ツカツカと歩み寄ってくる志摩に思わず後ずさりそうになって、我慢した。これで避けたら余計火に油を注ぐことになりそうだからだ。 「し、志摩……?」 「齋藤、携帯持ってる?」 「え?」  と、咄嗟にポケットを探る。端末を取り出せば、しまった、電源が切れていた。 「なんとなくそんな気はしたけど……やっぱり電源切れてたんだ。それともわざと切ってたの?俺、何度も連絡したのに」 「あ、ご……ごめん……充電するの忘れてて……」 「毎晩寝る前に充電しててよ。……せっかく今日こそは泳ごうかと思ったのに部屋に行っても反応ないし」 「ご、ごめんね……?」  なるほど、それで怒ってたのか。  確かに今日は志摩が大人しいなと思っていたが擦れ違ってたようだ。そのせいで一日を無為にしてしまったというのなら悪いことをした。 「……許さないよ。明日はちゃんと携帯見てよね」 「わかった、わかったよ」 「本当に?ちゃんとモーニングコールするからね?また切れてたら部屋に起こしに行くから」 「う……それは……」 「なに?なにか都合悪いの?」  今朝のことを思い出し、なんだかギクリとした。連日で来ないとは思うが、もしまた阿賀松が来てたらと思うと生きた心地がしないがここで正直に話すわけにも行かない。 「ううん、わかった」なんて曖昧に頷き返せば、一先ず志摩も落ち着いたらしい。 「それじゃ、俺たちもそろそろ行こうか。阿賀松のことだから遅刻したら失格とか無茶苦茶言いそうだし」 「そうだね……」  というわけで、志摩と合流した俺はカジノエリアのレストランまで一緒に向かうことにした。  一人よりかは心強いが、やはりまたこれから昨日と同じようなやり取りが行われるとなると気が重い。  それに、今日は絶対に昨日縁が最後に放り投げた爆弾……俺が人狼だということが話題に上がるはずだ。  とにかく、今は落ち着こう。  下手に緊張した方が余計に墓穴を掘りかねない。  そう深呼吸を繰り返し、俺は足を進めた。 【三日目 日常パート終了】


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