天国地獄人狼『豪華客船七日間の旅』第二話
Added 2019-03-22 10:42:59 +0000 UTC海だ!船だ!バカンスだ! そう、柄にもなくはしゃぎたくなるほどの船内の設備の豪華さには俺もテンションが上がりっぱなしだった。 すれ違うクルーたちも愛想がよく、対応も丁寧だし、優しいし、これが阿賀松とは関係ない船だったらもっと羽を伸ばすこともできたのかもしれない。 まあ、そもそも阿賀松無関係だったら尚更乗る機会もないのかもしれないが。 目の前に広がるガラス張りの壁の向こう、温室プールで寛ぐ乗客たちの姿が見えた。 プールサイドにはビーチチェア、プールには大きな滑り台のような遊具もついている。奥には子供用らしいプールもある。 本来ならば老若男女、家族連れや恋人で賑わってるのかもしれないが残念ながらこの貸し切りのプールには男しかいない。それを抜きにしてもだ、このプールが貸し切りというのはあまりにも贅沢すぎる。 「へえ、本当に船の中にプールあるんだ」 「外は海なのに……なんかすごいね」 水の上にまた水があるような、改めて考えると不思議な感覚になる。 ガラスの向こうのプールを呆然と眺めてると、隣に立っていた志摩は「泳ぐ?」なんて聞いてくる。 「え、今から?」 「だって齋藤泳ぎたそうだったし」 「い、いや……確かにすごいとは思うけど俺、水着の準備できてないし……その、明日とか……気持ちの準備ができてからでもいいかな……」 「気持ちの準備って。新婚夫婦の初夜じゃあるまいし」 「っ、な、何言ってるんだよ……っ!」 「まあ別に俺はいいけどね。齋藤のペースで付き合うよ。時間はたっぷりあるんだし」 「ぷ、プールの話だよね……?」 「勿論」 相変わらず志摩に誂われて遊ばれてる気がしてならない。 志摩は言いながらラウンジの壁に掲げられているボードに近づく。どうやらそこにはプールの利用する際の注意事項欄や書かれてるようだ。 「齋藤、ここ夜も結構遅くまで開いてるんだって」 「へえ……」 「早く水着用意しないとね」 そんなに泳ぎたいのか。 というか、泳ぎたいのは俺よりも志摩の方なんじゃないのか。 しかしまあ、正直楽しそうではある。……水着、早めに用意しとこうかな。そんなことを考えていたときのことだ。 「あれ?齋藤君たちも泳ぎに来たの?」 プール前ラウンジ、聞き覚えのある声がしたと思えばそこには早速ラフな格好に着替えた縁がいた。 「げ」と露骨に嫌そうな顔をする志摩はおいておいてだ。 「え、縁先輩……?」 「そうだよ、俺だよ齋藤君。ずっと君のことを探してたのにどこにもいないんだもん、一人寂しく遊ぶハメになるところだったよ」 「一人寂しくって……まさか一人で泳ぐつもりですか?」 「まさか。プールで暇そうな子を探して声を掛けるつもりだったけどね」 ……縁も縁で相変わらずのようだ。 相変わらずの軽口にこの男が冗談なのか本気なのか余計わからなくなる。しかし縁なら本当にやりかねない。 流石の志摩もここに来てまで男漁りしようとする縁に呆れたらしい。 「もう少しまともな遊びしたらどうですか」 「齋藤君が付き合ってくれるなら俺も楽しいんだけどなぁ〜」 「……方人さん」 「冗談だよ、半分ね。もう半分は本気だけど」 「方人さん」 「いいだろ?たまには齋藤君を俺に貸してくれても。いつもお前は一緒にいれるんだからさ」 「……」 ああ、とうとう不機嫌になった志摩が返事すらしなくなった! 不機嫌さを隠そうともしない志摩に、縁の方がやれやれと折れてしまう。 「亮太のガード堅いからなぁ、亮太がいないとき泳ごうね」 ぽん、と肩を抱かれそうになったとき。「方人さん」と睨む志摩にその手を離してもらえる。 先程までよりも低くなるその声に縁は肩を竦めて笑った。そして、志摩の手を振り払う。 「わかったわかった。ったく、男の嫉妬は醜いな」 むっとする志摩を笑いながら、縁は俺の方へと目を向ける。 「それより、伊織とはもう会った?」 「……船に乗る前に嫌味言われたぐらいですかね」 俺の代わりに答える志摩。 同じく、と頷き返せば、縁は顎に手を当て、うーんと何やら考えてるようだ。 「んー、じゃあ亮太たちも伊織見かけてないんだ」 「あの男がまたどうかしたんですか?」 「どうってわけじゃないんだけどな、この船に乗ってから姿が見えないんだよ。用件はないんだけど、ちょっと気になってな」 阿賀松の姿を見ていない。 周りに比べれば阿賀松から近い位置にいるであろう縁も知らないのに俺が知ってるわけがない。けれど、確かに気になるな。 確かに神出鬼没な男だが、この船は密室同然だ。 いくら広い船内とはいえど、この船の中にはいればいずれ出会うことはできるだろう。 「ま、いいや。じゃあ亮太に噛まれる前に俺はそろそろ退散するかな」 「遊び相手見つかるといいですね」 「亮太のくせにうるせーよ」 「齋藤君、またね」と、さり気なく頭を撫でられる。そのまま手を振り、そのままプールへと向かう縁。 志摩は縁に触れられたあとを払うように叩いてくる。 「いたた、痛いよ志摩……」 「厄除けだよ、厄除け」 「ちょっと……」 「さっさとここから離れるよ。あの人のことだからすぐ飽きて出てくるだろうし」 行くよ、と志摩に背中を押されるような形で俺たちは強引にその場を離れた。 ◆ ◆ ◆ 場所は代わってデッキ5、ショッピングエリア。 エレベーターから適当な階へと移動したのだが、そこにはたくさんの商業施設が並んでる。 すでに多くの生徒がショッピングを楽しんでるようだ。楽しそうに笑い合いながら各々買い物を楽しんでる姿が見えた。 そんな中、楽しげな雰囲気にはそぐわない不機嫌顔の男が俺の隣にいる。 「本当……なんなんだよ、毎回毎回」 「志摩のことからかってるんだよ、きっと」 「齋藤はもう少しあいつのことを疑って掛かってよ、本当。大体齋藤は毎回毎回危機感がなさすぎるんだよ、なんで俺の方が齋藤のこと心配してんの?おかしくない?」 「ご、ごめんなさい……」 縁と会ってからというもののすっかり機嫌が悪くなった志摩はずっとこの調子だ。 なんとかして機嫌を直さなければ、この調子で一週間は流石にきついぞ。 「し、志摩……服屋さんとかあるんだね、ここ」 「……ねえ、なに話を逸らそうとしてるの?」 「そ、逸してないよ……?ほ、ほら……あの洋服志摩に似合いそうだなーって……」 「どれ?……ええ?あれ俺の趣味じゃないんだけど」 「齋藤のセンスってどうなの」なんて言ってくる志摩は縁からショーウィンドウに飾られたメンズ服へと意識が逸れる。 俺のセンスは疑われたが、何事にも犠牲はつきものだ。致し方ない。 「けど、本当になんでもあるんだここ。うちの学園よりもすごいんじゃない?」 「そりゃ豪華客船と比べちゃだめだよ……」 そもそも俺からしてみれば学園にショッピング施設があること自体がおかしいのだけれど。 「齋藤もせっかくのバカンスなんだからそれっぽい格好したらいいのに。いつもと変わらないじゃん」 「そ、そんなこと言われても……」 「ほら、アロハシャツとかいいんじゃない?これなんてどう?バカでかい花柄のやつ」 言いながら服屋へと近づく志摩は適当なアロハシャツが掛かったハンガーを手に、俺の方へと向ける。遠近法で俺に着せてるのだろうが、その動作を取るなり志摩は笑いだした。 「っ、ふ……くく……っ」 「……志摩、俺で遊んでるよね……?」 「そんなことないよ……けどここまでアロハシャツ似合わない人いるんだと思って」 言いながらヒイヒイと笑う志摩になんだか怒る気にもなれなかった。志摩が楽しそうなら良いけど、そんなに似合わないのか……?と思いながら俺は同じところにかかってたオレンジ色のアロハシャツを手にとって全身鏡に写してみれば……これは志摩も抱腹絶倒するわけだ。 服に着せられてるとはまさにこのことだろう。俺はそっとハンガーラックにシャツを戻した。 それから志摩と服屋を見て回る。 ショッピングというよりも、バカンスらしいファッショングッズを見つけると俺のところへ持ってくる志摩に遊ばれるという感じだが、縁のことはもうすっかり忘れてるようだ。人の顔にデカイサングラスを掛けさせて笑ってる志摩に俺はもう生暖かい気持ちでいるしかなかった。 「……はー、やばいなぁ。齋藤って本当派手なもの似合わないよね。というかバカンス顔じゃないっていうか」 「バカンス顔ってなんだよ……」 「あ、見て齋藤。あそこの店、水着もあるじゃん」 そう、志摩は向かい側の水着ショップを指差す。 やはり俺みたいな客のために専用ショップもあるらしい、ふらふらと水着ショップへと向かう志摩に、俺はそのあとを追いかけた。 「へえ、ここ釣具とかダイビング用品もあるんだ。……あ、浮き輪もあるよ」 「本当だね。この浮き輪大きいな……」 「ねえ、これカップル用だってよ。二人で一つの穴に入るやつ。買っとく?」 「えっ?!い、いらないって……」 というかカップルって。 当たり前のように言う志摩に聞き流しそうになるが、志摩と一つの浮き輪の穴に嵌ってる図をうっかり想像してしまい顔が赤くなる。 志摩も本気ではなかったらしい、「残念」とか言いながらも浮き輪から手を離す志摩は意地の悪い顔をしていた。 そんなこんなでショップエリアをぶらぶらしていたときのことだ。 店と店の間にある休憩エリアを通りかかった矢先。 「おい、これはどういうことだ!」 聞き覚えのある怒声が辺りに響く。 この迫力のあるドスの聞いた声は、間違いない。顔見知りの鬼の風紀委員、八木その人だ。 何事だと俺たちは壁際に隠れ、そっと休憩エリアを覗いた。そこには八木の背中と、その奥に私服の風紀委員たちがいるではないか。 「な、なんか風紀委員が揉めてるみたいだけど……」 「ここにまで来て揉めるなんて難儀な連中だよね」 「ちょ、志摩……聴こえちゃうって……!」 関係ないよ、と言う志摩だが関係ないことはないはずだ。 盗み聞きするのもあれだ、何もなかったかのように通り過ぎようかとも思ったが、なにやら気になる会話が飛び込んでくる。 「で、ですが委員長……学園が絡んでる以上このまま見過ごすわけには……」 「阿賀松さんはなんと言ってるんだ?」 「それが、阿賀松先輩は姿が見当たらずまだこの件については伝えてなくて……連絡も付かない状態なんです」 「……各デッキは確認してるのか」 「はい、あの、一応乗務員の方々にも見かけたら連絡してもらうように伝えるようにしてるんですが……」 八木の威圧感に押し負け、どんどん縮み込む風紀委員。 なんだか可哀想だが、会話の内容からして不穏なものを感じた俺たちは目を合わせる。 「阿賀松がいないって、方人さんも言ってたしなんか変なことが起きてるみたいだね」 「そうだね、どうしたんだろう……」 「話の内容も肝心なところがわからないし、もう少し手掛かりみたいなこと言わないかな」 言いながら聞き耳を立てようとする志摩。 そのとき、気配を感じたのだろう。今まで背を向けていた八木が急にこちらを振り返る。 そして。 「っ、誰だ!」 「うわ、やば……逃げるよ、齋藤」 「えっ、ちょ……待って!志摩……!」 見つかったや否や俺の手を取った志摩はそのまま俺を引き摺ってその場を離れる。その判断のおかげで八木には見つからなかったが、念の為端まで逃げることにした。 ◆ ◆ ◆ 「っ、はぁ……ぜえ……」 まさか海の上まできて逃げ隠れする羽目になるなんて 八木たちは追ってこなかったのが幸いだ。 あの場から一番離れた休憩エリア、そのベンチに俺たちは腰を落ち着かせる。 「ここまできたら流石に追ってこないでしょ」 「……そ、そうだね……」 毎回思うが志摩はなんでケロッとしてるのだろうか。 それとも俺の体力がなさすぎるのか?思いながら、俺は肩で呼吸を整える。 見兼ねた志摩はそこに設置されたドリンクバーから水を持ってきてくれた。 それをありがたく受け取ることにする。 自分の分のジュースも注いできたらしい、グラス片手に志摩は俺の隣に腰を下ろした。 「それにしても……どうしたんだろうね、八木先輩……」 「もしかして何かエンジントラブルでも起きたんじゃないの?それか船に穴が空いて水が入ってきたとか。映画ではありがちだよね」 グラスに口をつけながらそんなことをさらっと言い出す志摩にぎょっとする。 「え、縁起でもないよそんなの……!」 「でもあの慌てようといいどうせろくでもないことでしょ。……それなのに阿賀松がいないっていうの、ちょっと気になるし」 確かに考えないわけではないが、よくも自分だって乗客の立場でそんな恐ろしいことを口にできたものだ。 怖くないのだろうか。 「だ、大丈夫かな……これから……」 「齋藤が気にする必要ないでしょ。あとは八木先輩たち風紀委員が張り切ってやってくれるって。俺たちは安心して泥舟に乗った気分でバカンスしようよ」 こういうときの志摩の後ろ向きに前向きな性格は羨ましい。 全然フォローになってないのになんで安心するんだろうか、志摩のすごいところでもある。 「それじゃ、気を取り直して店見て回ろうか」 「え、だ、大丈夫かな……」 「まさか戻ってくるなんて連中も考えないでしょ。齋藤がよほどわかりやすい態度出さなきゃ問題ないって」 「う、うん……」 一瞬、犯人は犯行現場に必ず戻る、なんて頭を過ったが忘れよう。 というわけで、俺たちは再びショッピングエリアをブラブラすることになった。 そんな中、周囲の人間よりもより頭一個分高い影を見つけた。丸くなった背中に、だらしないスウェット姿。 こそこそと人目を避けるように動いていたその目立つ長身の男に、俺はすぐに気付いた。 「……詩織?」 モバイルアクセサリーショップ前。腕に袋をひっ下げたその背中に声をかければ、猫背の男もとい阿佐美はぴゃっと飛び上がる。 「っ!ゆ、ゆうき君……!」 「……と、志摩」と、僅かに声のトーンを落とす阿佐美に志摩は浮かべていた笑みを引き攣らせる。 や、やばい……せっかく戻りかけていた機嫌がまた悪くなりそうだ。 「なに?俺がいたら何か不満なわけ?」 「……二人とも何してるの?こんなところで……」 「お、お、俺たちは船内見回ろうかって話をしてたんだけど……詩織は?買い物?」 阿佐美も阿佐美で志摩の言葉無視するものだから火に油だ。慌てて話を逸らそうとすれば、阿佐美は「まあ、ちょっとね」と言葉を濁す。 そういって、阿佐美がさり気なく持っていた袋を隠すのを俺は見逃さなかった。 「そういえば、ゆうき君は図書室に行った?」 何を隠そうとしてるのだろうか。一転二転する阿佐美の話題にこちらまで狼狽えそうになりながらも、その質問に首を横に振る。 「えと、図書室はまだ……行ってきたの?」 「……うん、あそこ結構本が合っていい暇潰しになると思うよ。それに、電波も安定してるから携帯の電波繋がらなくなったら図書室横のラウンジに行くと良いよ」 「教えてくれてありがとう。わかった……覚えておくね」 阿佐美が隠してることも気になったが、そういった情報を教えてくれるのは素直に嬉しい。 そうお礼を口にすれば、阿佐美は少しだけ嬉しそうに頬を緩めた。 のも束の間。 「ここに来てまでネットのことばっか言うなんて本当オタクだよね、少しはバカンスらしいことでもしたら?」 苛ついたような志摩の嫌味に、せっかく緩んでいた阿佐美の表情が再度強張る。 きっと前髪の下では起こってるのかもしれない。志摩の方を向いた阿佐美に、俺までぎくりとした。 「……志摩に言われなくてもこっちはこっちで楽しませてもらうから」 「何それ、なんか癪に障るな」 「ちょ、ちょっと志摩……やめようよ……」 「やめるも何も少なくとも俺は普通に会話してるつもりなんだけど?」 そんな喧嘩腰で普通もクソもあるか。 喉元まで出かけたがぐっと堪える。 阿佐美はというと相手にするのも面倒になったのか、「それじゃあ俺はこれで」とだけ言い残しその場を立ち去る。 「あ……し、詩織……っ」 行ってしまった。 絶対に怒ってる……もしかしたら志摩と一緒にいる俺のことも怒ってるかもしれない。そう悪い方へ悪い方へと考えると非常に落ち着かない気分になる。 「詩織……」 「そんなに気にしなくても阿佐美はそのくらいでへこたれないよ、あいつ空気読まないからそういうの全然気にしないからね」 「志摩、そういう問題じゃ……」 「はいはい、他の男の話は白けるからやめようか」 「それより、見なよあれ」そう、俺の肩を軽く叩いた志摩 前を見る。 囁かれるその言葉に、「え?」と志摩の視線へと目を向けたときだった。 ドラッグストア、そこに見覚えのある姿を見つけた。 「あれ?……っ、え、あれって……」 ゆるいパーマがかかった黒髪に、ひょろりとした細長いシルエット。見間違えようがない。 そこには俺のよく知る人物がいた。 「か……栫井?!」 生徒会副会長、栫井平佑。 阿賀松とは交流があるとはいえ、なぜ生徒会メンバーでもあるあの男が堂々とこの船の中を彷徨いているのかが甚だ疑問だった。 「やっぱり俺の見間違えじゃなかったみたいだね。あいつも阿賀松に呼ばれたってこと?」 「で、でも……港にはいなかったよね」 「そうだね。それに、ここは阿賀松の連ればっかだよ。生徒会のやつがいたらすぐに広まるだろうし」 「じゃあ、今までどこかに隠れてたってこと?」 聞き返せば、志摩は「多分ね」と答えた。 それにしてもだ、どういうことなんだ。 この船に乗るとなると阿賀松の許可は必要になるはずだ。 ――阿賀松が許可をした? だとしても、阿賀松がいないというこの現状では確認しようがない。 ますます混乱するが、嫌な予感がすることだけは確かで。 「そうじゃないとしたら、さっきの八木先輩が揉めていたのと関係してるのかもね。学園がどうとか言ってたしね」 「……そういうことなのかな、すごい慌ててたみたいだしね」 「なんかきな面倒なことになってきたね」 「ど、どうしよう……誰かに知らせた方がいいのかな」 「やめときなよ。面倒ないざこざに巻き込まれたくないでしょ」 「確かに……けど……」 「とにかく、見なかったフリにしとこ。あとは風紀連中に任せとけばいいんだよ」 確かに、今ここに俺がいるのはあくまでバカンスのためだ。 わざわざ学園と同じようないざこざに首を突っ込むべきではないだろう。最悪、知りませんでしたとシラを切ればお咎めなしのはずだ。 俺は志摩に同調する。 「わかってくれてよかったよ。それじゃ、見つかる前に移動しようか」 「え?見つかるって……」 「だってあいつがここにいるってことは最悪……いるってことでしょ、あいつらが」 そう言って、志摩は両手で輪っかを作り眼鏡のジェスチャーをする。 なるほど、生徒会役員たちか。 考えてなかった。けど、もし栫井が副会長としての立場でここにいるとなれば不自然な話ではない。 その場合は、明らかに問題が起きてることになるだろうが。 「ほら行くよ」 「わ、わかった……わかったから……引っ張らないで……っ」 会長たちに出会いたくないらしい。 そう言って、俺の手を取った志摩は歩き出す。 バタバタになってしまい、結局ちゃんとショッピングエリアを見ることは叶わなかったがまだ残り一週間近くある。 今度ゆっくり見に来よう。 ◆ ◆ ◆ デッキ3、三等客室――志摩の部屋。 あの山のような手荷物も全て片付け終えたらしい。俺の部屋よりも片付けられたその部屋の中、俺は取り付けられた窓の外を眺める。 さっきまであんなに晴れていた空は今では灰色の分厚い雲に覆われ、大量の雨が降っているではないか。 幸い屋内の施設が揃ってるのでそう困らないが、この天気は当分続きそうだな。 ゴロゴロと遠くで地響きのような雷鳴が響く。 「止みそうにないね」 「ま、でも暇はしないでしょ。こんだけ遊べる場所あれば」 「……そうだね」 「それに、齋藤には俺がいるんだから」 どういう意味だろう。 自分と遊べ……ということなのだろうか。 気になったが深く突っ込まないことにする。曖昧に笑う志摩は、隣のベッドに腰を掛ける。なんとなく一気に近くなる距離にぎくりとして、俺は志摩にバレないように少しだけ離れた。 「……なんか、今日は走ってばっかりな気がする」 「疲れた?」 「……ちょっとね」 いくらバカンスとはいえ用意したのは阿賀松だ。やはりただでは休ませてくれないということなのだろう。 いくら涼しい顔をしているとはいえ、志摩自身はそれを感じていたらしい。少しだけ目を細め、「そうだね」と溜息混じり微笑んだ。 「せっかくの旅行なんだし齋藤と遊び倒したいって思ったけど……甘く見てたよ。どこいっても邪魔なやつらばかりで全然ゆっくりできやしないね」 「それは……」 志摩が過剰に反応してるだけのような気もするが。 言い掛けて、怒られそうなので口にするのはやめたが、志摩は聞き逃さなかった。 「それは?」と笑顔のままジリっと近付いてくる志摩に、俺は慌てて笑って誤魔化そうとする。が、顔が引き攣ってしまった。 「……俺のせい?」 そう、志摩を怒らせずに済むような穏便な返答を探した結果、どうやら俺は正しい返答ができたらしい。 「正解」と志摩はにっこり微笑む。 、他の連中のせいでもあるんだけど。……でもここはいいね、邪魔が入らない」 お陰で志摩の機嫌が害するものがいないのでさっきから志摩は上機嫌だ。……もちろん、俺自身が気分を損ねさせる可能性も大いにあるので気は抜けないが。 こうして志摩の部屋までやってくることになったのは、ゆっくり休みたいというのもあったが実際は志摩が俺用の荷物を貸してくれるということになったのだ。 そしてそれを受け取るために志摩の部屋に訪れたのだが、まあそんなにバタバタせずともゆっくりしようよという志摩の意向によりこうしてのんべんだらりと過ごしていた。 機嫌がいい時の志摩と過ごすのは嫌いではないので、ずっとこのまま志摩が機嫌損ねなければいいのになと願わずにはいられない。 「最初からこうすればよかったのかな」 「でもそれじゃせっかくの船旅なのに勿体無いよ……」 「ふふ、そうだね。よかった、齋藤にも勿体無いっていう頭はあったんだ。……そうだよ、せっかくの船旅だもんね。齋藤とやりたいことたくさんあるんだもん。……でもまあ、こうして齋藤と一緒に部屋ですごすのも嫌いじゃないけどさ」 「……志摩」 「あーあ。雨、止まないね」 「……そうだね」 沈黙。けれど、いつものような気まずさはない。 それよりも、照れ臭いような、どんな顔をしたらいいのかわからないような、でも悪くない緊張感になんとなく背筋が伸びてしまう。 いつも饒舌な志摩に相槌を打つ形で会話をしてるからだろう、志摩が喋らなくなると俺まで必然的に口数が少なくなってしまう。 ……なんか、話さないと。 そう、俺は部屋の中に目を向けた。 そうだ、荷物。 「志摩、そういえば荷物って……」 あんなにたくさんあったのを全部片付けたの? そう、志摩の方を振り返ろうとしたときだった。膝の上に置いていた手に、志摩の手が重ねられる。 ぎゅっと手を握りしめられた俺は突然の志摩の行動に驚いて、言いかけていた言葉がから全て頭から飛んでしまう。 「し、志摩……?」 「……ようやく二人きりになれたね、齋藤」 そのまますり、と指同士を絡められれば、心臓がどきりと跳ね上がった。顔を上げればすぐそばに志摩の顔があって、そんなことを言いながらこちらを見詰めてくる志摩に、俺は言葉に詰まった。 さっきまでいい感じだったのに、部屋の中の穏やかな空気が一瞬にしてあやしいものになるのを感じた。 「ま、待って……あの……」 「もしかして、齋藤……緊張してる?俺と二人きりになるのは嫌だった?」 「そ、そうじゃなくて……し、志摩……っ」 咄嗟に手を退けようとするが、藻掻けば藻掻こうとする都度志摩の握り締める強さが増す。 それもスキンシップの範疇を超えた、なにか別のものを含んだような触れ方に心臓の音がトクトクとうるさい。雨の音がなければ志摩にまでこの心音が伝わってしまっていたかもしれない。それほどの煩さだった。 「ねえどうして俺を避けるの、齋藤。まだ何もしてないのにおかしいよね?」 「ち、近い……から……手も……っ」 「だってこうしないと齋藤逃げるでしょ」 「……に、逃げないよ……」 そう、声が震えるのを必死に堪えながら答える。 寧ろこんな触れ方をされた方が逃げ出したくなるのが普通だと思うのだが、志摩はそう思わないらしい。「本当?」なんて確認するように尋ねてくる志摩に、うん、と頷き返そうとしたときだ。 「っ、ん、ぅ……っ」 ちゅ、と当たり前のように唇を重ねられる。触れ合うようなキスにびっくりして目を見開けば、志摩は再度唇を重ねてきた。 いつもよりも優しいキスだ。そう、思ったのも束の間、回数を重ねる度にどんどん深くなる口付に、身体が震える。 「っ、待っ、し……ん、ンぅ」 熱いのは、志摩の唇なのか、俺の方なのか。 雨の音が遠くなり、静まり返った室内に濡れた音と鼓動だけがやけに大きく響いた。 しつこいし、長い。そろそろ止めてくれ、とやんわりその胸を片手で押し返そうとしても腕を引っ張られ、更に深く唇を重ねられる。 「ふ、……ん、んん……っ」 慣れない部屋の中、それも海の上。 開放的なバカンスとはいえ、これは開放しすぎなのではないだろうか。ふやけそうな唇を舌で割り開かされ、舌を絡め取られる。けれど、確かに、俺自身それほど嫌な気分にならなかったのには驚いた。 まあ、キスくらいなら……。そんな風に思えてしまうのは志摩に毒されてきたからだろうか。 恐る恐る口を開き、志摩の舌を受け入れれば、後頭部を掴まれ、一気に深く唇を重ねられる。熱い舌同士が触れ合い、ぬるぬるとした粘膜が触れ合う度に胸の奥を掻き回されるような熱に浮かされる。 「っ、し、ま……っ」 「……夜まで我慢しようと思ったけど……やっぱ無理、齋藤無防備すぎるんだよ」 お、俺のせいなのか、それは……。 唇を舐められ、再度口付けてくる志摩に俺は何も言えなくなって無言でそれに応えようとしたときだった。 手を握り締めていた志摩の手が、太腿に伸びるのを感じ、全身が硬直する。 するりと太腿の付け根、その足と足の間の隙間に這わされる指に、咄嗟に俺は唇を離した。 「ぁ、し、志摩……っ、待って、これ、以上は……っ」 「……だめ?」 「だ、だめ……っ」 「少しだけだよ」 絶対に少しだけじゃないやつじゃないか。 反論したかったが、股の奥、膨らみかけていたそこを指でつうっとなぞられれば声が漏れそうになる。咄嗟に唇を噛みしめるが、そのまま衣類の上から撫でられ、柔らかく揉まれれば背筋がまるくなった。 「志摩……っ」 やめて、とその腕にしがみついたときだった。 ドンドンドン!といきなり部屋の扉が激しくノックされる。その音に驚いて飛び上がりそうになる俺と裏腹に、露骨に不愉快そうなする志摩。 それも一瞬、ノックを無視して志摩は俺のベルトに手を掛けようとする。 「し、志摩……っ」 「無視だよ無視、こんなもの」 「で、でも……」 「そのうち諦めるって」 そんなこといいながら再びベルトを外そうとしてくる志摩。 「志摩」と咎めようとしたとき、ドンドンドンドンドンドン!!と更にさっきよりも激しさを増すノックの音に志摩は苛ついたように舌打ちをする。 「煩いな……なんなのもう……しつこすぎでしょ……っ!」 「し、志摩、何かあったのかもしれないよ……」 「…………はぁ、本当邪魔しかいないなここ」 けれど、ようやく諦めてくれたらしい。俺から手を離した志摩は苛ついたように髪を掻き毟り、それから玄関ドアへと向かう。 「ちょっと!さっきからなに……」 そして、初っ端キレながら扉を開いたときだった。 「なんだ亮太いたのか!いたんなら早く開けろよ!腕が痛くなるだろ!」 聞こえてきた快活なその男の声には覚えがある。まさかと玄関ドアへと目を向ければ、扉の向こう、水浸しの男……もとい志摩のお兄さん、志摩裕斗がそこにいるではないか。 瞬間、志摩は扉を閉めた。 「っておいおい、いきなり閉めることはないだろ弟よ!」 それもすぐにバーン!と開き、裕斗は大袈裟に傷付いたジェスチャーをしてみせた。 間違いない、裕斗だ。 何故裕斗が、というかなんでびしょ濡れなんだ。 「ゆ、裕斗先輩……?!」 「よう、齋藤君!元気そうだな!」 咄嗟にシーツで下半身を隠せば、幸い裕斗は先程まで俺達がなにしようとしていたかも気付いていないようだ。それどころか場違いなまでに朗らかに笑う裕斗にこちらが毒気抜かされそうになる。 ……って、そんなこと言ってる場合ではない。 「いや、いやいやいや……なんでお前がここにいるんだよ……!」 「なんだなんだ?お兄ちゃんがいたら嫌なのか〜?亮太。お兄ちゃんは悲しいぞ、そんな弟に育てた覚えはないぞ!」 「自分のこと自分でお兄ちゃんっていうの本当気持ち悪いからやめて、それにあんたに育てられた覚えもないから!」 「まあ冗談はさておき伊織に乗せてもらったんだよ、空き部屋ならいっぱいあるって言ってさ」 「伊織……って、阿賀松に?会ったの?」 「ああ、いやーでも偶然だな。伊織こんな面白そうなことするなら俺に教えてくれてもいいのにな、そういうところ憎いよな〜」 ……ということはなんだ?裕斗は正式に阿賀松に招待されていたわけではないということか? 何やら訳有のようだ。 それにしても、どうしてここに。と思考した矢先、裕斗は志摩の横をするりと通り抜け「お邪魔しまーす」と当たり前のように入ってくる。びしょ濡れのまま。 「ちょっ、そのまま入ってこないでよ!てかなんでびしょ濡れなわけ?!……潮臭いし……!」 「齋藤君、今日も弟と仲良くしてくれてるみたいでお兄ちゃん嬉しいぞ。こいつ面倒なところあるだろうけど何かあったらすぐにお兄ちゃんに言ってくれていいんだからな」 「あ、は、はい……」 「お前は齋藤のお兄ちゃんでもなんでもないだろ!!」 「でも次期兄になるかもしれないんだろ?」 「……………………」 なんでそこで『まあ確かに』みたいな顔をして納得してるんだ、志摩。 「ゆ、裕斗先輩……あの、よかったら俺のハンカチ使ってください……」 「あ、悪いなー。流石齋藤君は気が利くなぁ、いいお嫁さんになれるぞ」 「齋藤にセクハラするのやめてよ本当」 「セクハラじゃないだろ!ただの可愛い後輩への挨拶だって、なあ齋藤君?」 「え、ええと……はい……」 裕斗は悪い人ではないのだろうが、いかんせん志摩とはタイプ違えどその距離の詰め方は志摩と同じだ。グイグイくる上声が大きいのでつい身体が竦んでしまう。 俺のハンカチで一先ずびしょ濡れからやや浸し状態になった裕斗は、今度は着ていたびしょ濡れTシャツを脱ぎ出した。 「ちょっと、ここで脱ぐなよ。暑苦しいんだって!齋藤の目に毒だから!」 「あれも駄目これも駄目なんて言ってたらこの先生きていけないぞ亮太〜。あ、このシャツ借りていいか」 「ちょ、やめてよ、何勝手に人の服漁ってるんだよ!」 クローゼット開けて志摩の服を着だす裕斗とブチ切れ志摩。すごい、あの志摩が完全に裕斗にペースを崩されてる。というか裕斗先輩がすごいのか。 バシバシと背中を叩かれてもワハハとか言いながらその場で着替える裕斗に志摩の怒りも最高潮だ。俺は目の前で起きる兄弟喧嘩(というよりも裕斗先輩の志摩いじめ)にオロオロすることしかできなかった。 それから暫く。 裕斗に押し負けた志摩が裕斗に部屋を荒らされる前にタオルと適当な服を投げつけ、それに着替えた裕斗は今度はベッドにどかりと腰を降ろし志摩の冷蔵庫に入ってた水を飲み始める。 志摩はというと、不機嫌レベルがあれば上限突破してるのではないかというくらいの不機嫌で、無表情のままむすっと黙ってる。けれどそんな弟の様子なんて裕斗は気にも留めていないらしい。 「いやー本当災難だったよ。本当は今日は普通に遊びに来る予定だったんだけど乗り遅れてなーそんで志木村に頼んでクルーザーで飛ばしてもらったんだが、急にこの天気だからもう海も大荒れだろ?なんとか伊織んところの船見つけたから良かったけど今度こそ死ぬかと思ったよな!」 そうガハハと笑いながらそんなことを言う裕斗。こちらからしてみれば下手したら遭難案件だ、志木村のことを考えたら胃が痛くなる。きっと志木村も大変だったに違いない。 「し、志木村先輩も大丈夫なんですか……?」 「ああ、あいつなら大丈夫だよ、ああ見えて俺よりタフだからな!」 「……こいつのわがままに付き合わされてる志木村先輩には同情するよ」 「し、志摩……」 それには同意せざる得ない。 「そんで今伊織に部屋の手配してもらってるからその間亮太の部屋に荷物取りに行こうと思って」 「えと、阿賀松先輩にここであったんですか?」 「ああ、そうだぞ。なんたって俺を海から引き上げてくれたんだからな」 「…………」 つくづくこの人と阿賀松が友人同士なのが不思議でならない。逆にここまで図太いからこそ阿賀松のような男とつるむことができるのかもしれない。なんて妙に納得してしまう。 「ちょっと待って……なに?荷物?」 「いやー俺の荷物浸水して今駄目になったからさ、服何着か借りようと思って。なんか二人分用意してきてんだろ?乾かすまで貸してくれよ」 「は、何言ってんの?!これは齋藤のために用意したんだよ、それ貸してやったんだからあとは自分で用意しろよ!ショッピングエリアあるだろ!」 「へーそんな洒落たもんもあるのか。でもわざわざ用意する必要ないだろ、お前持ってんなら」 「だから貸さないってば!」 「齋藤君、駄目?」 「え、ええと……」 「齋藤に色目使うなこの……っ!」 ……ある種、仲がいいのかもしれない。この兄弟は。 完全に裕斗が志摩を弄んでる感があるのでなんだか可哀想だったが、障らぬ神に祟りなし。俺は殴り合いになる前にそっと部屋の隅へと逃げた。 ◆ ◆ ◆ 結局、話し合いの結果志摩が勝ったらしい。 裕斗はというと別にこだわりがあったわけではなく、「まあ買い物も楽しそうだしな、齋藤君も一緒にあとで見て回るか!」と相変わらずニコニコ笑っていた。その横で志摩が『最初からそうしろ』と無言でブチ切れてたのは俺ですらわかった。 それから暫くして。 「それで齋藤君はもう船内は見回ったのか?」 「ええと、まだ……です。志摩と見回ってたんですけど……」 「ああそうだよ、お前みたいな邪魔が入るから二人でゆっくりできる場所に来たんだ」 「せっかくここまできてまで二人だけで過ごすってのもも味気ないだろ。そうだ、ここは盛大にここでパーティーでも……」 「絶対にやめてよ!」 「なんだなんだ、ちょっとしたジョークだろ。そう嫌がるなって」 「嘘付け、俺が少しでも否定しなきゃ本気ではやるつもりだっただろ!」 「おお……よくわかったな、流石我が弟!」 「本当もうこいつ嫌だ齋藤……!!」 「ま、まあまあ……」 あの志摩が勝てないなんて流石だ……。 さり気なく抱き着いてくる志摩をそっと剥がしたときだった。鍵を閉め忘れていた扉が開かれる。そして。 「あぁ裕斗さん、やっぱりここにいたんですか」 肩からタオルを掛けたその人は、裕斗同様しっとりと濡れたまま顔を出す。 「志木村先輩」 そう名前を呼べば、志木村は柔らかく微笑んだ。 志摩の笑顔とはまた違う、人良さそうな笑顔。けれど俺は知ってる、案外この人は穏やかなのは笑顔だけだと。 「齋藤君に亮太君も、どーもこんにちは。相変わらず仲睦まじいようでなによりですね」 「ちょっと志木村先輩、ちゃんとこいつの面倒見といて下さいよ」 「ああ、すみません。僕がシャワー浴びてるときに勝手にいなくなりましてね。これは監督不届きでした」 「志木村お前俺の監督だったのか?」 「そうですね。ほら、裕斗さん。阿賀松さんもご心配されてましたよ。ちゃんと一言残していかないといけないじゃないですか」 小さい子を叱る先生のような優しい口調だが、裕斗の首根っこ掴む志木村の手に小さい子に対するような優しさはない。 「すみませんね、二人共。あとは僕が片付けておきますんで」 「片付けってなんだ?!なにかの暗喩か?!」 「阿賀松さんも、わざわざここまで案内して下さりありがとうございました」 そう、裕斗を無視して志木村は玄関ドアの向こう側、通路の奥へと声をかける。 え、と凍りついたのも束の間。 その背後からぬっと黒い影が現れた。そして、そこに現れた男の姿を見て俺も志摩も口を開ける。 凍りつく俺達の横、裕斗は嬉しそうに笑った。 「よお伊織」 「本当……目を離したらすぐチョロチョロしてんじゃねえよ。お前の場合行き場が分かりやすすぎて助かるけどよ」 名前を呼ばれた阿賀松は、呆れたような、それでも怒ってる様子はなく仕方ないなというかのように笑った。 「阿賀松先輩……っ!」 「ユウキ君、せっかくの船なのにこいつの部屋で遊んでんのか?シケてんな。つまんねーだろ、後で俺が遊んでやるよ」 「余計なお世話だっての」 「そういう根暗みてーな真似は一人シコシコしてろ亮太、ユウキ君の体にまでカビが生えるだろ」 「この……」 流石にサングラスは外したらしいバカンスモード阿賀松の品の欠片もない言葉は志摩に油を注ぐ。 「志摩」とその手を掴めば、なんとか堪えてくれたようだ。その代わり背中の後ろで手をそのまま握り締められる。他の人たちに見つかったらどうするつもりなんだという俺の心配もお構いなしだ。 「伊織、そういやもう話し合いは終わったのか?」 「話し合いなんて大袈裟なもんじゃねえだろ。ただ荷物が増えただけだ。この船の容量じゃなんてことねえよ」 「荷物って……」 「ユウキ君、お前にとっちゃ嬉しいお荷物かも知んねえな」 「暇なら一等客室行ってこいよ。今なら運び込んでる途中らしいから会えるかも知んねーぞ」なんて、新しい玩具でも見つけた子供のような無邪気な目で笑う阿賀松に背筋が凍りつく。 阿賀松がこんな回りくどい言い方を擦るときは大抵ろくでもないことと相場決まっている。 「しかし驚いたよな、伊織なら絶対拒否すると思ったのに」 「おいおい、俺を誰だと思ってんだ?どっかの眼鏡野郎と違って俺は心が広いからな」 「……確かに俺の予定は狂ったが、手間が省けたってもんだ」そう、阿賀松は笑う。 見てるだけで背筋が凍るようなその悪い顔に俺は栫井のことを思い出していた。 まさか、……まさかな。 この男が何を企んでるのかわからないが、ただ、ろくでもないことが起きようとしてる。 それだけはわかった。 そしてそんな俺の心情を汲み取るかのごとく、遠くでは雷が落ちる音がした。 【next to continue...】