天国地獄人狼『豪華客船七日間の旅』第一話
Added 2019-03-14 17:18:06 +0000 UTCカンカン照りの太陽、果てしなく続く海平線、真っ青な海。 甲板の上、ビーチチェアに腰を降ろした俺はぼんやりと頭の上を飛んでいくカモメたちを眺めていた。 ――どうして俺はこんなところにいるのだろうか。 目を瞑り、日の光を浴びながら俺はつい今朝方の出来事を思い返した。 始まりは、例の如く阿賀松の一言だった。 「ユウキ君、船は平気か?」 ベッドの上、寝惚け眼の俺を見下ろす不法侵入者兼自称恋人の男・阿賀松伊織の問い掛けに、まだ覚醒しきっていない脳味噌のまま俺は「あ、はい」と馬鹿素直に答えてしまった。 今思えばその時点で俺の運命が決まったのだろう。 呂律も回っていない俺の返答に阿賀松は満足そうにその口元に笑みを浮かべる。 「ならいいな。じゃあすぐに準備しろ」 「……え?」 「ほらさっさとしろ、ああ、着替えは持ってかなくていいからな。向こうで俺が用意してやる」 「え、あの……準備って……」 というか、向こうってなんだ。 そもそもなんでこの男は当たり前のように俺の部屋にいるんだ、阿佐美はどこだ。とか、次第に眠気が醒めて色んな疑問が次々に沸いてくるが、そんな俺の疑問を全部ひっくるめて阿賀松伊織は答えてくれた。 「そりゃ決まってんだろうが、バカンスだよ。バカンスに行く準備をしろって言ってんだよ」 ……バカンス? その言葉の意味を知るよりも先に「さっさとその寝癖をどうにかしろ」と阿賀松にベッドから引きずり出される。 それからはもう考える暇もなかった。 阿賀松に命じられるがままバタバタと着替え、そして、阿賀松が用意した車に載せられ、単身で運ばされる。 阿賀松本人はいないし、急に降ろされたと思えばそこは近隣の港だった。 そこには既に数台のバスや車が並んでいた。 そこでようやく俺は事態を飲み込むことになる。 阿賀松系列グループの所持してる豪華客船を貸し切り、七泊八日の船旅と言う名のバカンス、それに阿賀松は俺を連れて行くと。 とはいえ、何も聞かされてない俺は勿論日帰りクルージング程度かと思ってたので旅行の準備なんてしていない。 埠頭ではキャリーバッグ持った人が多い、財布と携帯だけをバッグに突っ込んだだけの俺だけが異様に浮いていた。 そんな中、遠目に見ても目立つ派手な集団を見つけた。 青に金に、ピンク。 わかりやすくて助かるが、彼らがここにいるということはやはり、目的は同じなのだろう。 話しかけようか迷っていると、その内の一人、青髪の男が俺に気づいた。 キャリーバッグを椅子代わりにしていた縁は俺を見つけると立ち上がり、そしてキャリーバッグを片手に近付いてくる。 「あ、やっぱり齋藤君だ。よかった、齋藤君も来たんだね」 縁方人は春の陽気に負けない爽やかな笑顔を浮かべ、俺の肩を抱こうとしてくる。それをさり気なく避けながら、俺は三人に目を向けた。 「縁先輩……仁科先輩、安久も……」 「気安く呼び捨てにするな!……まったく、来なくて良かったのに」 「安久こそ海駄目なのに無理して来なくてよかったんじゃないのか?」 「うっさい変態!話しかけるな!せっかくの船旅気分が下がるだろ!」 噛み付く勢いで縁に食って掛かる安久は相変わらずのようだ。 「おーおー、そりゃ悪かったな」と肩を竦める縁、言葉とは裏腹に全く悪びれた様子はない。 ……というか、安久は海が駄目なのか。 だからさっきから海を視界に入れようとしてないのか。と納得するが、大丈夫なのだろうか。 心配になってくる。 「齋藤、お前も誘われたのか」 「ええ……でもまさかこんな大事なんて知らなくて……」 「俺もだ。……阿賀松さんの思いつきは唐突だからな。それにしても客船を貸し切るなんて……相変わらずあの人が考えることは無茶苦茶だな」 安久には聞こえないように、声を潜める仁科に俺は苦笑する。やはり仁科も振り回されてる口らしい。 「でも、少し楽しみです……何もないといいですけど」 そう、自分で口にして少し悲しくなる。 本来ならばタダで旅行に行けるのだ、やったー!と喜ぶべきなのだろうがどうしても悪い予感が拭えない。 それは仁科も同じらしい、「そうだな」と笑うその横顔にただならぬ悲壮感が漂っている。 と、そんな他愛もない会話をしていると。 遠くによく見知った猫背を見つけた。春だというのに季節感を無視した長袖に、顔半分を多くほど伸び放題の邪魔そうな長い黒髪。 「詩織っ!」とその人物の名前を口にしたとき、リュックを手にした阿佐美はこちらを振り返る。 そして、俺を見つけると僅かに背筋を伸ばした。 「あ……ゆ、ゆうき君……!」 「詩織っ、……詩織も誘われたんだ……!」 「うん、本当は留守番予定だったんだけど……ゆうき君が行くって聞いたから……」 誰から聞いたのか、というのは聞かずともわかった。 阿佐美と親しい赤い髪の男の顔が浮かぶ。 理由はともあれ、普段ならば絶対こういった場にでなさそうな阿佐美が俺のために出てきてくれてるという事実が素直に嬉しくて、ジーンとしてしまう。 「はぁ……でも、よかった……詩織がいるなら安心だね」 よく知る相手がいるというだけでも旅は大きく変わるものだ。 「ゆうき君」と、恥ずかしそうに阿佐美が俯いたとしだった。 「それは言い過ぎなんじゃないの?」 背後から聞こえてきた、嫌というほど聞き覚えのあるその柔らかい声にギクリと全身が強張った。 耳障りのいい甘い声とは裏腹に、皮肉をたっぷり含んだその声の持ち主は、間違いない。 「っ、し、志摩……?」 振り返れば、そこにはキャリーバッグ二台にリュックパック、おまけに両腕にでかいバッグを引っ提げた志摩がそこにいた。 その顔に浮かぶ笑顔はいつも以上に引き攣っている。 「本当……こんな大事なこと、どうして俺に先に教えてくれないのかな。……海の上にあの変態連中と一緒なんて危険極まりないでしょ、よくノコノコついていく気になったよね」 ああ、怒ってる。 肌でわかるくらい怒ってる。 相当慌てて準備したのだろうか、それにしても荷物が多すぎるような気がするが……普通一週間の旅となるとここまでなるものなのだろうか? 「ど、どうしてここに……」 「風の噂で阿賀松伊織がなにやら企んでるって聞いてね。いても立ってもいられなくて」 「よく言うよ、俺にあっちゃんへ口利きしとけとか頼み込んできたくせに」 「え、そうなの……?」 「そんなことはどうでもいいんだよ」 俺としてはもう少し詳しく聞きたい話だが……そうか、志摩、阿賀松のこと嫌いなくせにわざわざそれも仲の悪い阿佐美に頼み込むまでするなんて考えられないな。 そこまでしてくれるというのは素直にありがたいが……志摩がここにいること自体この先が不安になるのも事実である。 だって、周りは志摩の嫌いな人ばかりじゃないか?……今更な心配だろうか。 そんな俺の心配なんて他所に、志摩は俺の顔からつま先を一通りじっくり眺める。そして、怪訝そうに目を細めた。 「……それで、齋藤はそんな軽装で大丈夫なの?近所のコンビニに行くんじゃないんだよ」 「え、あ……でも、阿賀松先輩に着替えとかはいらないって言われて……その、これってどういうことなの……?俺、なにがなんだかわからなくて……一週間の船旅ってことしか……」 「……やっぱり何も聞かされてなかったんだね」 憐れむような阿佐美の視線が刺さる。 そうだ、俺は何も知らずにわけもわからないままノコノコここまでやってきたのだ。用意してる皆からすれば手ぶらも同然の俺はさぞ滑稽に写ってるかもしれない。そう思うとなんだか居た堪れなくなる。 「まあ早い話あっちゃんの気まぐれだよ。花粉が嫌いだからこの時期になるとあっちゃんは毎年どこかしらに長期で旅行行ったりしてたんだけど、今年はうちの……いや、あっちゃんちが保有してる客船が貸し切りで使えるらしくてそれを使って盛大に遊ぼうって考えだと思うよ」 「え、阿賀松先輩の……?!」 「客船を保有って……流石、金持ちが考えることって理解出来ないね」 「まあ、難しく考えなくていいと思うよ。気楽に……ってのは難しいと思うけど……せっかくの一週間の旅なんだから」 「……一週間……俺、なんの準備もしてないや……」 「ほ、本当に何も聞かされてないんだね……」 「よくそれで着いてこようと思ったね。齋藤のその度胸尊敬するよ」 「う……」 志摩の皮肉が今は身に染みる……。全くもってその通りだ、危機感の欠片もなさすぎてぐうの音も出ない。 「ど、どうしよう……パスポートとかいるのかな……」 「ああ、その辺は大丈夫だと思うよ。……必需品も大抵部屋に揃ってるだろうし、船の中に買い物できる場所もあるから最悪そっちで調達もできるし」 「本当?それならよかった……」 「何か欲しいものあれば俺にいいなよ。念の為齋藤の分のお泊りセットも持ってきてるから」 いやそれもなんでだ……。 だから志摩だけそんな荷物多いのか?とは恐ろしくて聞けなかった。 「それにしても、見た感じ結構色んな人がいるみたいだね……」 「まあ、流石にあいつらはいないかな」 「あいつら?」 聞き返して、気付く。 埠頭にいる大半が学園関係者だろうが、その中には芳川会長筆頭にした生徒会や生徒会派閥の人間は見当たらない。 「確かに……でも、まあ、仲悪いしね……」 逆にいたらいたらで大変なことになりそうだ。 ……それでも、せっかくの船旅だ。会長たちがいないのは少し寂しくも感じたり。 「でも確か彼らも今週どこか出かけるみたいなこと言ってたんじゃなかったっけ?」 そうしんみりした矢先だ。いきなり背後から聞き覚えのある声がしたかと思った途端項にふっと息を吹きかけられる。その生暖かい息に全身が泡立ち、「ひぃっ」と飛び上がる俺。 俺の背後に目を向けた志摩と阿佐美は「縁さん」「方人さん」と声を重ねた。 そして。 「おお、怖いな。まだ何もしてないって、ねえ齋藤君」 仁科たちを置いてやってきたらしい、肩に顎を乗せてくる縁にぎょっとし、慌てて俺はその人から離れた。 「な、何するんですか……っ!」 「ちょっとした挨拶だよ、挨拶。大切だろ?挨拶は」 悪びれた様子もなく、縁はニコニコ笑いながらも話を戻す。 「彼らはどこにいくんだっけな。詳しくは忘れちゃったけど……齋藤君、君は誘われなかったんだ?」 そうだ、生徒会の話をしていたのだ。縁の登場のせいで一気に思考が飛んでしまっていた。 確かに春休みにどこかへ行こうという話をしていたのはふわりと聞いていたのだが、俺はその詳細を知らない。 「あ、えと……ふわっとは聞いていたんですけど……」 「君が誘われてなかったってことはなしになったのかな?まあ、齋藤君みたいな華があるならまだしもあのむさ苦しいメンツで旅行なんて勘弁だよね」 「向こうも方人さんには言われたくないと思いますけどね」 「あははっ、俺はどちらかというと華でしょ」 「……」 「……」 「……」 「なんで全員目を逸した?」 ……ノーコメント。 「……それにしても亮太、お前荷物多すぎだろ。女子じゃあるまいし、俺なんてキャリーバッグ一個で事足りるよ。あ、詩織仲間だね」 流れが良くないと判断したのか強引に会話を変えてくる縁に、話を振られた阿佐美は俺の方に目を向けた(ような気がした)。 「……まあ、でもゆうき君には敵わないけどね」 「それね。でも齋藤君は伊織っていう財布がいるんだから安心だな」 「えっ、な、何言ってるんですか……!そんなんじゃ……」 「……方人さん、あっちゃんに怒られる前にさっさと帰りなよ」 「やだなぁ、冗談だよ。あ、伊織には内緒にしておいてね」 なんて言い残して、縁は「それじゃあまたあとで」と手を振りそのまま立ち去る。 ……なんというか、まさに嵐のような人というか……。 「本当に懲りないなあの人も……よく無事でいられるな、あんな失礼なのに」 「そうだね……誰かさんに似てね」 阿佐美の言葉に、志摩は「ふーん、誰だろ」と他人事のように軽薄な笑みを浮かべる。 なんだかんだ縁が許されてるのは阿賀松と仲いいからと思っていたが、ここまでくると阿賀松も慣れてるということなのだろうか……? 親しいからここまで言えるのか、どちらにせよ俺は阿賀松を財布扱いすることができる日は一生こないだろう。 そんなことした日には船旅どころか海の藻屑になり兼ねない。 ◆ ◆ ◆ どれくらいの時間が経ったのだろうか。 埠頭に一台の真っ赤な外車が停まる。新品同様の輝く車、その後部座席から降りてきたのはそのボディに負けずに真っ赤な髪の男だ。 いつもの制服から柄シャツに着替え、まだ海でもないのにサングラスを掛け完全にバカンスモードに入ってる阿賀松の姿を見た瞬間胃がキリキリと痛みだした。ただでさえ人相が悪いのに格好のせいで余計柄が悪すぎる。 「……うわ、ようやく主役のお出ましじゃん」 ざわつく埠頭、数人の生徒が駆け寄るのを軽くあしらい、阿賀松は俺を見つけるとそのまま大股歩きで寄ってきた。 そして。 「よぉ、ちゃんと逃げずに来てたみてぇだな、ユウキ君。……と、犬二匹」 「せ、先輩……」 「犬って……」 「キャンキャンうるせえのがいるじゃねえか、ここに二匹。クク……ご苦労だったな、俺のユウキ君の番犬」 よかった、機嫌はまだいいらしい。喉を鳴らして笑う阿賀松に、犬扱いされた志摩は今にも噛みつきそうな勢いで食って掛かる。それを咄嗟に俺は志摩の口を塞いで黙らせた。 「誰が……もがっ……もががっ!」 「あの、阿賀松先輩……これって……なんか、一週間の船旅って聞いたんですけど……」 「ああ、お前にはなんも言ってなかったな」 言うどころか、「船は好きか?」みたいなすごいざっくりとしたことしか聞かれてない。 そんな中、周囲がまたどよめき始めた。 また誰か来たのだろうかと思ったが、違う。たくさんの船がついたその船着き場、そこに巨大な影がゆっくりと近付いてくる。 「おっ、いいタイミングじゃねえか。……ほら、来たぞ」 外の船と比べ物にならないほどの巨大なその客船を見上げ、その場にいた連中は皆呆れたようにただ呆然とその船を見上げていた。 俺も、その内の一人だ。 「あ、あれが……?!」 予想していたよりも何倍も大きいその船に、俺は今まで抱えていた不安すらも全部吹き飛ぶくらい興奮していた……かもしれない。 そんな巨大な船を背に、阿賀松はそんな俺を見て笑うのだ。満足そうに、仕方ないやつだなというかのように愛おしそうに目を細めて。 「ああ、そうだ。……今日から一週間俺達の城になる場所だ」 当たり前のように、自分の玩具を見せびらかす子供のような無邪気な目で宣言する。 ここが、俺達が宿泊する船……。 最後に船に乗ったのはもう小さな頃だ。そのときも大きな船に興奮したが、あれから大きくなった自分でも大きいと感じるほどのその船を前にし失いかけていた童心が蘇るようだった。 「これを貸し切りなんて……頭湧いてるんじゃないの?」 「おお、おお。尻尾振って喜んでんじゃねえよ」 「誰が尻尾なんか……っ」 「まあ確かにこいつはつい昨日まで一流のお客様をご丁寧に運んできた船だ。躾のされた乗務員もいる。そいつのお客様が今日から俺になるってだけの話だ」 「……お客様って……」 「細けえことはいいんだよ。乗るのか?乗らねえなら帰れ。今ならまだ学園行きのバスが残ってるだろうからな」 「あ、ユウキ君以外な」と、阿賀松は唇の端を釣り上げて笑う。機嫌が良いとはいえど意地の悪いところは変わらないらしい。 煽られた志摩もこの男には何を言っても仕方ないと判断したようだ。 「本当無茶苦茶……」 「お前も黙って喜んでりゃいいんだよ、可愛げがねえな」 ……一先ずは喧嘩せずにいてくれたようだが、気は抜けない。 よく考えれば一週間嫌でも阿賀松たちと顔を合わせることになるのだ。……とはいえ、学園内でもそうだった。 海の上になれば少しは皆心安らいで仲良くできたりするのだろうか……? なんて話していると、 「伊織さん!準備できてます!」 遠くから八木が手を振ってくる。 どうやら風紀委員も来てるらしい、様子からしてこのツアーの主催側のようだが…… 「おお、任せっぱなしで悪ィな」と、八木に手を振り返した阿賀松はこちらに目を向ける。そして。 「じゃ、また後でな」 当たり前のように俺の頭を撫でるように前髪を掻き上げた阿賀松は、顕になったデコに唇を落とした。 それは自然で、流れるような動作に俺も、志摩も、阿佐美も全員が予測することができず、停止する。 固まる俺に満足そうに笑った阿賀松は、そのまま八木の元へと歩いていく。 残された俺はというと、阿賀松に口づけされた額の熱にじわじわと全身までも蝕まれていく、そんな錯覚に陥っていた。 「な……なんなんだ……」 「齋藤ハンカチあげるからすぐに拭きな」 「……相変わらず一方的だね、あっちゃんは」 ゴシゴシと志摩にハンカチで顔を拭かれながら、俺は阿賀松の去ったあとを眺めていた。 ――そして現在。 船に乗り込み、用意された部屋に荷物を置いてきた俺はビーチチェアに座ってカモメの行く末を眺めていた。 正直に言おう、船の見た目もだが中身も想像以上だった。 豪華客船というだけある、部屋は一人部屋だがその部屋の中に大抵のものは揃っていたしおまけにマッサージチェアにテレビまでご丁寧に設置してある。 荷物という荷物もない俺は取り敢えず大切そうなものだけ部屋の金庫に入れて、そしてやることもないので探検がてら外の空気を吸いに来たのだが……これから好きなことしていいと放り出されてしまうと何をしたらいいのかわからなくなってしまう。 途方に暮れた俺は取り敢えず海が見たくなり、甲板に出てきたわけだ。 「齋藤、部屋にいないと思ったらこんなところにいたの?」 そんな中、聞き慣れた声がした。 起き上がれば、そこにはラフな服装に着替えた志摩がいた。 「志摩……うん、ちょっとバタバタしてたから……改めて外の空気吸おうと思って」 「まあ気持ちはわからなくもないけど、そういうときこそ俺を呼んでよ」 「ごめん、志摩もなんか荷物多くて忙しそうだったから……」 「部屋、どうだった?」そう、怒られる流れを避けようとこちらから話を振ってみれば、志摩は隣のビーチチェアに座りながら深く溜息を吐いた。 「どうもこうも……おかしいでしょ、しかも一人部屋であれって……寮の部屋でもやりすぎだと思ったのに、それと同じレベルでしょ?」 「……やっぱり志摩のところもそうなんだ」 「逆にあんな上等な部屋を俺達に割り付けて何考えてるんだって思うよ、本当」 志摩の言い分もわかる。 いくら阿賀松の思いつきとはいえ、ここまで待遇がいいと逆にどういう風の吹き回しかと勘繰ってしまうのだ。悲しいが、性だ。 「それに……パンフレットあったから色々見てたんだけど、やっぱり客船の中でもなかなかレベル高いみたいだよ、ここ」 「ほら、これ」と志摩は手にしていたパンフレットを俺に手渡してくる。冊子タイプのそれを受け取り、中を開いてみればそこにはこの船の船内マップや各施設の詳細についてが事細かに書かれているようだ。 デッキは1から12に分かれているらしい。 デッキ1、即ち一番頭の部分には屋外プールやコート、操舵室、そして一等客室があり、デッキ2は二等客室、デッキ3は三等客室になってるようだ。因みに俺達の部屋は三等客室だ。 そしてデッキ4はこの甲板と、その付近にレストランがあり、天気がいいときは甲板でも食事できるようになってる。そしてエントランスがあり、メインフロントもここになるようだ。 デッキ5は主にショッピングアーケードになってるようだ。 デッキ6には大人用のレストラン&バー、そしてカジノ。 デッキ7には従業員専用のエリアとなり、デッキ8は屋内フィットネスジム、デッキ9は屋内プール、デッキ10は図書館やラウンジ、デッキ11〜12は貨物室やエンジンルームになってるらしい。 客が使えるエリアは全てエレベーターで行き来することができるようになってるらしいが……改めて図解として見ても圧巻だ。 というか。 「カジノって……」 映画の中での世界だと思っていたが本当に存在するのか。 勿論年齢制限は存在するのだろうが、それでも別世界のような響きに胸の奥がざわつき始める。 カジノに反応する俺に、志摩は興味深そうにカジノについてのページを見始めた。 「へえ、賭けるのは現金じゃなくてこの船で使えるコインだって。そのコインを使えばサービス受けることも商品と交換することもできるって書いてあるよ」 「……すごいね、なんか」 「齋藤は絶対にカジノ行っちゃ駄目だよ」 「な……なんだよいきなり……」 「なんかすごい行きたそうな顔してたから。……絶対齋藤カモられるでしょ、こういうの」 「う……」 前例はないが、心当たりがありすぎて否定ができない。 けれど、気にならないといえば嘘になる。 「しかし、カジノだけでも相当なのにプールに劇場、ジムに……お、コートも借りれるんだ。落ち着いたらこういうところも全制覇していきたいね」 「そうだね」 「食事は……レストランがあるみたいだね。夜はバーも開いてるようだけど……」 「結構色んなメニューもあるみたいだね……」 朝からバタバタしてまともに食事すら取れていないことを思い出す。そのことに気付いてしまえばあとはもう空腹から逃れられない。 ……お腹、減ったな。美味しそうだな。なんて思いながらパンフレットを眺めてると、志摩と目があった。 「行ってみる?レストラン」 「……え、いいの?」 「いいよ。そんなに物欲しそうな顔して料理の写真食い入るように見るんだもん、駄目とは言わないよ」 笑う志摩に、そこまで顔に出てしまっていたのかと恥ずかしくなる。 「……それに、俺も喉乾いてきたんだよね。船内探索兼ねて少し中見て回ろうか」 「う、うん……!」 というわけで、俺達はここから一番近いレストランへと向かう。 レストランは24時間開いていていつでも食事が取ることができ、おまけにその料理も和食洋食中華イタリアンと幅広い。 頼めばルームサービスも受けてくれるとパンフレットには書かれていた。……このサービスが一週間も受けれるというだけでかなりのものじゃないだろうか、俺は大食漢かつ引きこもりがちな阿佐美のことを思い出していた。阿佐美……喜びそうだな。なんて考えながらやってきたレストラン。 かなりの席数があるが、結構埋まっている。 席に付けば担当のウエイターが席にやってきて注文を聞いてくれるらしいが、どこか静かな場所はないだろうかと探していたときだ。 レストラン入り口傍。 見覚えのあるピンク色の猫っ毛が視界に入った。 「……く、くそ……なんで僕が……ブツブツ」 そいつ……もとい御手洗安久はベンチに座り、頭を抱えてはなにやら険しい顔して呟いているではないか。 「……安久?」 「無視しよう、齋藤」 そう耳打ちをしてきた志摩だったが、瞬間、がばりと安久は顔をあげる。そして。 「ちょっと!人が困ってるのに無視しようとするなよ!」 ……どうやら困ってたらしい。 食って掛かってくる安久に、志摩は大きな舌打ちをする。嫌悪感を隠す気もないらしい。……相変わらずだな、この二人も……というか志摩。 「困ってるのはお前の勝手だろ、俺たちは食事しに来ただけだよ。巻き込まないでもらえるかな」 「冷血漢が……お前に慈悲ってものはないのか、志摩亮太!」 「齋藤、ドリンクだけも頼めるみたいだね。あ、あそこの席空いてるじゃん」 「お゛い゛っ!!」 必死に引き留めようとしてくる安久に構わずスタスタ行こうとする志摩に、流石に安久が可哀想になってくる。 「し、志摩……可哀想だから聞いてやろうよ……」 そう、そって耳打ちをすれば志摩は呆れたようにこちらを見下ろす。 「齋藤……お人好しというか、助ける相手は選ばないと。こいつ助けたところでなんの役にも立たないよ」 「役に立たないかもしれないけど、困ってるかもしれないよ……?ほら、なんかいつもより罵倒に元気がないし……」 「そう?耳障りには違いないでしょ。一緒だよ一緒」 「聞こえてるんだけどわざとかお前ら……!!」 ……やっぱり元気なさそうだ。 船着き場にいたときはまだ元気だったのに……やはり、海が苦手ということが関係してるのだろうか。 心なしかその顔色も悪く見えてきた。 「それで、どうかしたの……?なんか具合悪そうだけど……」 「お前の目は節穴かよ……って言いたいところだけど、そうだよ。今僕は最高に最低な気分なんだ」 「というか海苦手なくせによくこの船に乗ろうと思ったね」 どうやら志摩も安久の海嫌いを知ってるようだ。 有名な話なのだろうか、志摩の指摘に安久はうぐっと口をへの字に曲げる。 「……だ、だって……伊織さんが主催のクルーズの旅なんて早々ないし……これも最後になるかもしれないと思ったら乗らないわけには行かないだろ……!」 「安久……」 安久の阿賀松に対する信仰心は痛いほどわかったが、流石に一週間は無謀な気がするぞ……。 「先に言っておくけど船酔い止めは持ってないからね」 「志摩亮太お前、いつもならいらんところまで用意周到なくせに……!」 「素直に医務室に行ってきたらいいじゃん。マップなら貸してやらないこともないよ」 「そ、それは駄目だ!……伊織さんにまた船酔いしてるって思われたらもう誘われなくなるかもしれないし……」 「絶対に気付かれてると思うけどね」 それに関しては志摩に同意せざる得ない。 というか安久がわかりやすいのもあるだろうが、阿賀松も馬鹿ではないし寧ろそういうことについては目敏い方だろう。 「それで、なに?どうしてほしいって?エチケット袋でも貰ってきたらいいわけ?自分でそれくらいしてきなよ」 そう、安久を見る志摩の目は冷たい。というか、いつもと変わらないのかもしれないが安久が弱ってるからだろうか、おいおい……とヒヤヒヤしながら見守ってると、とうとう安久の我慢が限界に達したらしい。 ぷるぷると震えていた安久はぐっと拳を握りしめ、立ち上がった! 殴るか?まさか殴りあいか?と慌てて止めようと身構えたが、立ち上がったまま安久は固まった。 ……そして。 「う、う……そんな、そんな言い方しなくてもいいだろ……俺は、仁科のやつがどこかにチョロチョロしてるから一人わけもわからず海の見えない場所を探してるっていうのに……」 「あ、あぁ……そうなんだ……」 ……寂しかったのか、一人取り残されて。 しおしおと萎んでいく安久が見てられなくなってきた。 一人取り残されて不安な気持ちはよくわかる。 だから俺は、恐る恐る安久に提案した。 「あ、安久も一緒にご飯……食べる?」 そう、問いかければ安久は怒った顔のまま、しかし素直にこくりと頷いた。 普段からこうして素直でいてくれればいいものの、不謹慎だろうがいつもよりも大人しい安久は少しだけ、少しだけ仲良くなれそう……な気がした。 けれど、問題がまだあった。というか存在していることを忘れていた。 「俺が嫌だよ」 取り付く島もないとはまさにこのことだ。 弱ってる相手にも容赦しない志摩に冷や汗が吹き出す。 「ちょ、し、志摩……っ」 「普段の偉そうな態度といい齋藤の優しさにつけ込んで甘えてるあたり気に入らないんだよねえ。『いつも偉そうな態度取ってごめんなさい、一人は寂しいので一緒に食事させてください』くらいは言わなきゃ俺は納得できないな」 「誰が言うかこの……っ!」 「じゃあさよなら。齋藤時間無駄にしちゃったね、それじゃ行こっか」 「う、ぐっ……」 当たり前のように俺の背中に手を回した志摩はさっさと歩き出す。あの精神状態の安久を残していくなんて、流石の俺も躊躇った。 「志摩」と、俺は歩き出す志摩の手を掴み、引き止める。 怒られるだろうな、なんて思いながら俺は「あの」と切り出した。 「その……志摩、今のは言い過ぎだよ……せっかくの船旅なんだし……」 なんだし、なんだ?仲良くしよう、なんて言ったら志摩に刺されかねない。上手い言葉が見つからず、迷った末、俺は「お互い気持ちよく一週間過ごそうよ」と続けた。 俺の言葉は安久にも届いていたようだ。 「齋藤佑樹……」 「本当、齋藤って俺の気持ちなんて全然理解しないんだね。……まあわかってたことだけど」 「し、志摩……あの……」 「安久さぁ……言っとくけど齋藤が優しいからって勘違いしないでよ。齋藤は皆にこれなんだからね」 「誰が勘違いするかっ!!」 相変わらずこの二人は二人だが、まあいきなり手のひら返したように仲良く肩組み始められるよりかはましだ。 ある意味仲がいい……のかもしれないと思ったが気のせいだ、絶対そんなはずない、今にも殴り合い始めそうな二人の仲裁に入りながら俺は一人納得した。 というわけで船旅初日、初めてのクルーズ料理を三人で食卓囲んで食べることになったのだが……変な感じだ。 取り敢えず軽めのものが食べたくてあっさりした和食定食を選んだ俺と、果物と野菜のスムージーを頼んだ志摩、そして本格インドカレーを頼んだ安久はそれぞれ黙々と食事をしていた。 盛り上がらない……。和気藹々とした雰囲気になることはまずないだろうと覚悟していたが、まさかここまでとは。 レストラン内に流れる陽気なボサノバが逆に物悲しくなる。 ここは安久に話題を振ってみるか。陸地では話にならない安久だが、弱ってる今ならいろんな話ができるかもしれない。 「そ、そういえば海が苦手なら暫く外に出られないんじゃないの……?」 そう、こわごわと話しかけてみれば自分に話しかけられたのだと気付いた安久は目を細め、カレーをぱくりと食す。 「……そうだな。船の乗り降りでも大分無理したんだけど、波を見るとどうも駄目なんだ」 「逆に海に落とした方がいい荒治療になるんじゃない?」 「おまっ、ひ、人でなしかお前っ!鬼!悪魔か?!」 キレる安久にもツーンとそっぽ向く志摩。 どうやら普通に仲良くするつもりは志摩にはないらしい。本当に志摩は……。 「そ、それにしても美味しいね、この料理……」 「料理も多国籍だし、シェフは一流。こんなクソガキばっかしか乗ってないのにそれでも仕事しなきゃいけないなんて本当大変だよね、俺なら無理だよ」 なんとかして無理矢理話題を変えようとしてみれば、今度は志摩が食い付いてきた。……食いつき方はともかく、受け答えしてくれるということはまだ完全に臍曲げてるわけではなさそうだ。ホッとする。 「確かにすごいよね……俺も荷物持たれそうになったときは流石に恐縮しちゃったけど……」 「アンタたちって、旅行とか行かないわけ?」 「小さい頃家族旅行で行ったきりかな」 「俺もだよ、一緒だね齋藤」 「どうりで田舎者みたいな会話ばっかしてるんだ」 「い、いなか……」 「……齋藤、やっぱこいつ海に捨てていいかな」 「こ、この短気野郎っ、図星指されたらすぐキレるのなんとかしろ!」 それはお互い様ではないだろうか。 なんて喉まで出かけたところでぐっと飲み込んだ。 いつもなら既に殴り合いになってるだろうが、やはり安久はその元気がないらしい。何事だとこちらを見てくる周囲に気付いた安久は、慌ててコホンと咳払いをした。 「と……ともかく、阿賀松グループの船はカジュアルでも質の高いサービスが受けられるって有名なのも知らないの?それほどすごい船に僕たちは載せてもらえるんだよ?それに、普通なら常に予約待ちで半年は待たされるっていうのに贅沢ばかり言って……」 「そ、そんなにすごいんだ……」 「そうだよ!それを伊織さんが用意してくれるんだからちゃんと心から感謝して伊織さんを崇め奉るんだぞ!」 「なんでこいつが偉そうなのかな」 でも確かにそう考えたら俺なんてほぼ手ぶらなわけだし……。 強引とは言え、こんな立派な船に載せてくれたお礼、ちゃんと言わないといけないな……。 というのは建前で、阿賀松に借りを作りたくないという本音もある。……あの男に優しくされると不安になるのは最早癖みたいなものだ。 「そういえば、阿賀松先輩は……?」 最後にあったのは埠頭で、それ以降船に乗ってからというもののあの赤い髪のバカンスヤクザみたいな阿賀松を見かけていない。 尋ねれば、志摩が少しムッとしたが、安久の方はちゃんと答えてくれる。 「……それが、僕も探してはいるんだけど見かけてないんだよ。もしかしたら甲板の方かなとは思ったんだけど」 「海が怖いから見にいけてません、と」 「そうだよ、そうですよ、悪かったなポンコツで!」 「へえ自覚あるんだ」 「う、うぅ……」 安久が何も言い返せないなんて……。 「志摩」と宥めれば、また志摩はツーンとそっぽ向いてスムージーのストローを咥える。子供か。 それにしても甲板か……俺が見た範囲ではその姿はなかったが外の甲板にいるのかもしれない、あまり会いたくなかったが……探してみるかな。 なんて、ある種テーブルが賑やかになり始めたときだった。 テーブルに一つの影近付いてきた。 「安久……と、齋藤たちもここにいたのか。……珍しい組み合わせだな」 俺よりも先に、安久が「あ!!」と声をあげて反応した。 俺も続いて振り返れば、そこには仁科がいた。 「仁科!僕を、この僕を一人残してどこに行ってたんだよ!」 「おわっ、いきなり立つなって、また具合悪くなるぞ。……これだ、これを医務室でもらってきた。酔い止めの薬だ」 「これ……」 「お前が医務室には行きたくないって言うから無理言って貰ってきたんだ。ちゃんと飲んだ方がいいぞ」 そう、紙袋に入ったそれを安久に渡す仁科。 ……どうやら仁科がいなかった理由は安久に内緒で医務室に行ってたからか、安久も予想してなかったらしい。その目はきょとんと丸くなる。 「仁科先輩も大変ですね、こんな子守しなきゃならないんだから」 「はは……まあほっとけないからな」 「って否定しろよ!馬鹿仁科!」 相変わらず口の減らない志摩にも朗らかに接する仁科に、この人は本当にいい人だな……と辟易する。 いつも安久にこき使われてるイメージがあったが、仁科も仁科なりに後輩として可愛がってるのだろう。 つくづく苦労性だな、と思う半面少し安久が羨ましく思える。 安久も安久で、どこをほっつき歩いていたのだと怒るつもりだったのを出鼻挫かれてしまったらしい。 「で……でも、まあ、感謝してやらないことはないぞ………………ありがと」 後半、今にも消え入りそうな小さな声でお礼を言う安久だが、その声は俺にも仁科にもしっかり届いていた。 あまりにも予想してなかったその安久の反応に、俺は思わず椅子から転げ落ちそうになる。 「え、今、なんて……幻聴……?」 「……っ安久、お前がお礼を言うなんて……今夜は台風が来るのか……?!」 「ちょっと、不吉なことするのやめなよ」 「っ、こ、こいつら……っぶっ殺す!」 ともあれ、安久は元気が出たらしい。 しおしお安久からいつものヒステリック安久に元通りになり、俺達は仁科も合流して食事を続けることになった。 【next to continue...】