元シリーズ一覧【齋藤先生の受難の日々】 https://t589423.fanbox.cc/tags/%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%83%91%E3%83%AD 夢の教師になって一ヶ月も経っていないというのに、何故こんなことになっているのか。 「ユウキ君さぁ、力入れすぎ」 せっかく仕立てたスーツも中途半端に脱がされて膝の辺りでぐしゃぐしゃになってる、これはシワになるな、とかそんなことを考える余裕もない。下着の中に入ってくる男の手は躊躇なく排泄器官に侵入してきて、まるでそこを性器かなにかのように執拗に内部から摩擦されるのだ。唾液で濡らされた指とはいえ、異物には変わりない。太く骨っぽい無骨な指が体内で動く度に得体の知れないむず痒さにも似たもどかしい熱に打ち震える。 苦しい、怖い、なんでそんなところを触られなきゃいけないのか。必死にバタついたところで阿賀松に掴まれた腿はびくともしない。それどころか、思いっきり臀部を叩かれ焼けるような痛みに堪らず声が洩れた。 「暴れんなよ、お前もケツに手形つけられたくねえだろ?」 その言葉に震える。ただでさえ皮膚に残った阿賀松の手の感触がじんじんと痺れているというのに、本気で叩かれたらそれこそ手形どころではない。そう今の一発で感じたからこそ言葉を呑む。 「大人しくしてたら悪いようにはしねえよ」 この男は悪魔だ。いやそんな可愛らしいものではない、言うなれば魔王か。 だとすれば、この男に逆らえない俺はなんなのか。……考えたくもない。 「ぅ゛、ッひ、ぐ……ぅッ…………!」 執拗に中を解される。粘着質な音が響き、痛みと異物感に混ざって奇妙な感覚が増していくのだ。腹の底から込み上げてくる熱に全身が汗ばむ。声を堪えるので精一杯で、ただ現実逃避しようと阿賀松の姿を見ないようにぎゅっと目を閉じたとき、思いっきり指が曲がる。浅い位置、そのシコリにやつの指が触れた瞬間、ぞわりと全身の毛がよだつのを感じた。 「――ッ、ひ、ィ!」 「おぉ、いい顔」 「ぅ、ひッ、く……んんぅ……!」 怖い、なんだこれ、なんだこれ。シーツに指を立て、必死に堪えようとするが逃げられない。剥き出しになった性器を内側から舐られるような強い快感に汗がぶわりと吹き出し、声が洩れた。 呼吸が犬みたいに浅くなって、嫌だと思うのに阿賀松の太い指は逃すまいと執拗にそこを責め立てる。血管を通ってマグマが全身へとぐるぐる回るような強烈な快感だった。 反応したくないのに阿賀松の指に合わせて腰が揺れ、ベッドの上のたうち回る俺の身体を抑え込んだやつは更に指を増やすのだ。ぐっと押し広げられるような圧迫感に目を見開くのも束の間、目の前の阿賀松の笑みが凶悪なものになる。 「っ、う……ぐ、ぅ……ッ!!」 「よしよし、泣いて喜ぶほど気持ちいいか?」 「抜ッ、ひ、ぎ……ッ」 「……聞こえねえなぁ、そんなんじゃ授業になんねえぞ?」 執拗な愛撫に首を横に振る。これ以上はまずい。身体がどうにかなってしまいそうだ。ジタバタして堪えようとするが、あっという間に熱を集めた下腹部は俺の意思とは反して射精しようとしていて。恥ずかしさと未知の感覚の恐怖に震える。 「あ゛、ッ、ぅ、あ……ぁあ……ッ!」 痙攣する腰を抑え込まれ、本数増えた指にぐちゃぐちゃに撫でくり回されればそれだけでアホみたいな量の汗が溢れ出して、熱が回る。仰け反る身体。張り詰めた性器。早鐘打つ鼓動。 イキそう、という言葉が脳に浮かんでは弾けた。ほんの一瞬、気を抜いた瞬間だった。 「――ッぅ、あ……ッ!!」 限界まで膨らんだ風船が弾けたような、そんな呆気なさだった。阿賀松のスーツ汚す精液を見た瞬間、血の気が引いた。しまった、と思ったところでもう遅い。自分の服を汚す白濁液を一瞥した阿賀松は唇に歪な笑みを浮かべた。 「……あーあ、何してくれてんだよ」 「っ、ご、めんなひゃ……」 舌が麻痺し、呂律が回らない口で謝ろうとして顎を掴まれる。汗なのか涙なのかよくわからないもので濡れた顔を覗き込まれたとき。 「許さねえ」 世界が暗転する。 「ぁ゛、が……ッ!!」 「……ッ流石、処女のケツ……締りがいいってレベルじゃねえなぁ、食い千切られそうだ」 「っ、ぎ、ひ……ッ!ぐ、ぅあ!」 「おい、息吐け。……動くぞ」 「っ、ぉ゛、ぐ……ッ!」 ケツが割れる、というのは語弊があるだろうが本当にそんな感じだった。焼けるほどの熱に内臓ごと犯される。油断したら飛びそうな意識の中、揺さぶられる下半身、貫かれた下腹部は感覚すらないほど熱く、脳髄が痺れるほどの痛みに何も考えられない。 阿賀松が腰を動かすだけで性器を挿入された股は裂けるような痛みに襲われ、生理的な涙が溢れる。 「抜ッ、ィ、抜い、て……ッ」 叫びすぎた喉は枯れ、掠れた声しか出なかった。 淫行教師の上に犯されるなんて、本当に、笑えない。 「いや、だ、ァ……ッりじちょ……っ」 「……っ、うるせぇ口だな」 「ふ、っ、ぅ、ふ……ッ!」 唇を塞がれ、ピアスがついた舌で唇の薄皮ごと舐られる。痛いのに、腹の中がパンパンになって苦しいのに、流れ込んでくる熱に充てられると意識すら飲まれそうになる。 「ん、っ、ぅ、ふ……」 「は……っ、ユウキ君、そうやってっと……なかなか悪くねえな」 阿賀松の声が、体の中へ直接流れ込んでくる。熱い。指先、つま先に掛けて身体が震えて、視界が霞む。阿賀松が動く度に中が摩擦され、本来ならば触れられないようなそこを勃起したそれで突かれる度に出したくもない声が溢れた。 わけかわからない。なんで。俺が。こんな目に。 「はッ、ぁ、ぁ゛ッも、……おれ……おれ……ッ!」 瞼裏が弾ける。息が止まる。激しいピストンに耐えようとした結果、迫り上がってきた熱に耐えられずに俺はめの前の阿賀松にしがみついた。スーツ越しの体温。腰に回された太い腕にがっしりと腰を抱き締められた瞬間、呆気なく俺は二度目の射精をした。 ◆ ◆ ◆ どうやらいつの間にかに眠っていたようだ。 ひどい悪夢を見たような気がする。 思いながら汗でビショビショの体を起こそうとしたときだった。 「よお、随分といい夢見てたみてぇだな」 聞こえてきた声に全身が凍りつく。恐る恐る顔を上げれば、そこには上着を抜いだ阿賀松が足を組んで椅子に座っていた。 「っ、な、んで」 「……おいおい、そんな反応はないだろ。つーか、覚えてんのか」 覚えてる、と言われ、悪夢と思っていた記憶が一気に溢れ出す。瞬間、収まりかけていた熱が一気に上昇するのがわかった。 立ち上がる阿賀松に、血の気が引いた。びくりとベッドから逃げようとするが、下腹部は麻痺したように動かない。伸びてきた手にあっさり捕まったとき、指先でそっと頬を撫でられた。 そして、 「お前が他のやつに手垢付けられんのが嫌だから」 「俺が一番最初に見つけたんだしな」そう、囁くように口にする阿賀松に心臓が爆発するみたいに熱くなる。 どういう意味だ、と聞き返す頭もなかった。息が詰まりそうなくらい緊張し、動けなくなったときだ。 保健室の扉が開くのが聞こえてきた。触れていた阿賀松の指が離れたのと、カーテンが静かに開いたのはほぼ同時だった。 「齋藤、大丈夫か……って、理事長?!」 そして、現れたのは仁科先生だった。 阿賀松がいるとは思わなかったらしい、思わず後退る仁科先生に阿賀松は舌打ちをした。 「……おい、声でけえよ」 「す、すみません……っていうか、なんでここに……」 「ユウキ君が具合悪いって聞いたから顔見に来たんだよ」 悪化するような真似しておいてよく言える。 腹立たしいが、「なあ」と肩を掴まれれば先刻の恐怖が蘇り、頷く他なかった。 阿賀松はそんな俺を鼻で笑い、そして立ち上がる。 「んじゃ仁科、後はよろしく頼んだぞ」 「は、はい……」 スーツの上着を拾い、そのまま出ていく阿賀松をすごすごと見送っていた仁科は阿賀松が完全に出ていったのを確認し、そしてようやくほっとしたように息を吐いた。 「だ、大丈夫だったか……?」 仁科先生は阿賀松を恐れているらしい。 心配そうに声をかけてくれるが、ここで何があったのか素直に言えるわけがない。それどころか仁科先生のテリトリーを汚してしまう真似をしてしまったことに対する罪悪感で顔を見ることができなかった。ただ、「はい」とガラガラ声で帰すのが精一杯で、俺の顔色からなにか察したのかもしれない。そうか、と口にする仁科の声には同情が含まれている気がした。 「あの人本当神出鬼没だからな……悪かったな、ちゃんと施錠しとけばよかった」 「いえ、そこまでは……」 大丈夫です、という言葉は声にならなかった。 仁科先生はただ申し訳なさそうな顔をして、溶けてぬるくなった氷枕を手にした。 「……枕を替えるから少し待ってろ」 「す、すみません……」 この年になって甲斐甲斐しく世話を焼かれると申し訳なくなってくる。 それだけが原因ではないがいたたまれない。 本当はすぐにでも帰りたかったが、体温を測ったら案の定熱が悪化してたので結局今日の授業は他の先生に代わってもらって休むことにした。 ◆ ◆ ◆ 熱は薬飲んで一晩ゆっくり休んだら翌日には下がっていたが、掘られたケツの痛みはより鋭利になってる気がしてならない。 「あら、佑ちゃん先生もう具合は大丈夫なのぉ?」 翌朝。ふらつく足腰になんとか力を入れて寮の食堂へと向かうと意外な人物と出会った。 艷やかな黒髪に艶やかな唇、黒スーツが似合う美丈夫は俺の姿を見るなり駆け寄ってくる。 事務員の連理さんだ。 「連理さん、すみません、ご心配かけて……もう大丈夫です」 「ならいいけど……無理しないでね?アタシにできることならなんでも相談に乗るわ」 「ありがとうございます……」 未だこのオネエ言葉には慣れないが、誰よりも優しく情に厚い人だと知ってる。この学園に来たばかりで右も左もわからない俺に色々教えてくれたのもこの人だ。 と、そんなやり取りをしてると一人の影が近づいてきた。 「連理、ここに居たのか……って、齋藤君、もう大丈夫なのか?」 芳川先生だ。 芳川先生は連理さんと同じように驚いた顔をし、それから心配そうに眉根を寄せる。 慌てて背筋を伸ばし、頭を下げた。 「はい、もう大丈夫です。……その、ご迷惑お掛けしました」 「そんなわけ無いだろう。身体が資本だ。体調管理は勿論大切だが、休むことも必要なことだ。……無理はするなよ」 「……はい」 結局、芳川先生の言うとおりになってしまった。 体調のことも、志摩とのことだって、芳川先生は最初から忠告していた。 それを聞いていた上でこんなことになってしまった自分の不甲斐なさに凹みそうになるが、今はそのことを二人に悟られまいとすることで精一杯だった。 「ちょっとトモ君、病み上がりの子に説教しないでちょうだい」 「説教だと?俺はただ彼の心配をしてるだけだ。お前の方こそあまりでかい声を出すな、キンキン響くだろう」 異変に気づかれないかとヒヤヒヤしていたが、相変わらず仲がいいのか悪いのかわからない二人のやり取りを見てほっとする。 この二人と五味先生仁科先生は同世代ということでよく親しげにしてるのを見たことがある、いつもと変わらないやり取りに俺は人知れず安堵した。 ……このまま知られないようにしよう、そして墓まで持っていこう。阿賀松や志摩がいる限り無理だとはわかっえても、そう願わずにはいられない。 それから二人と一緒に朝食を取る。 目覚めは最悪だったが、いつもと変わらない二人といると全部夢だったのではないかとすら思えた。 勿論、それはすぐに現実であると嫌でも思い出されることになるのだが。 寮を出て、芳川先生たちと別れたときだ。 「おはよう、先生」 まるで一人になるのを見計らったかのようなタイミングだった。 いきなり背後から声を掛けられ、冷水を浴びされたように全身が凍り付いた。 「し……っ志摩……!」 「酷いなぁ、挨拶しただけなのに。そんな反応はないんじゃない?」 いつもと変わらないのは、こいつもだった。 言葉とは裏腹に全く傷ついていない顔して近付いてくる志摩に咄嗟に身構えるがそれを無視して志摩は距離を詰めてくるのだ。 「昨日体調崩したって聞いて心配してたんだよ、俺。だから言ったじゃん、無理しすぎなんだって」 何もなかったかのように話しかけてくる志摩の神経がわからなかった。 何を返せばいいのかわからなかった、何を考えてるかわからないのが余計気味悪くて、言葉に詰まる。 無言で顔を反らす俺にも気にせず、耳元に唇を寄せてくる志摩に慌てて逃げようとすれば腕を掴まれた。細く、長い指。昨日俺に触れた指だ。 「……でも今日は復帰してくれてよかったよ。もしかして俺に会いたくないから休んだのかと思ってたから」 息が詰まりそうになる。舐めるような視線が、細められた目が、昨日のワンシーンと重なった。 俺はすぐに目を反らした。これ以上見ていたら本当に吸い込まれそうになる気がして、怖くて、今すぐにでも逃げ出したかった。 この空気をどうにかしなければ、そう、咄嗟に口を開く。「志摩」と咄嗟に絞り出した声は裏返ってしまった。 「っ……志摩、早く……早く、教室に行かないと……遅れるから……」 声が、喉が、震えた。自分の生徒の顔を見ることもできない。震えを誤魔化すように腕を掴み、指先に力を込めた。志摩はそれに難色示すわけでもなく、ただ変わらずにっこりと笑っていた。 「うん、そうだね。待ってるよ、先生」 そう、一言。去り際に腰を撫でられ、慌てて離れようとすればすぐに志摩は通り過ぎていく。 あっさりと引き下がる志摩が不気味で仕方なかったが、きっと志摩は今にこだわらなくても俺が逃げられないという自信があるから引き下がったのだろう。 実際、弱みを握られてるも同然な状況だ。ひたすら不快だったし、情けなかった。 せっかく紛らせていた憂鬱な気分が戻ってくる。 簡単にバラすつもりはないのだろうが、誰に見られるかわからない現状、ただ心臓が痛かった。 志摩に会わないように時間をずらし、迂回しよう。 どうせ嫌でも教室で顔を合わせることになるのだ、無駄な抵抗だとわかってても今は逃げたかった。 ……こんなんだから駄目なのだろうか。 志摩はもういないはずなのに志摩に見られてるような気分のまま重い足を進める。 裏口から校舎へ入ろうとしたときだった。校舎の角を曲がろうとした瞬間向こう側から現れてきたのは俺よりも大きな影。 「わ……っ」 慌てて立ち止まろうとするが間に合わなかった。前のめりになり、目の前の人物にぶつかりそうになった直前、伸びてきた手に身体を抱き止められた。 その代わり、ガラガラとなにかが落ちる音がする。転倒しなかったことにほっとするのも束の間。 「あ、す、すみません……!」 見慣れない作業着がまず目についた。用務員の人だろうか、咄嗟に顔をあげれば、顔の半分以上前髪で隠された長身の男がそこにいた。 「…………いや、大丈夫」 そう、俺から手を離した用務員は足元に目を向けた。どうやら俺を抱きとめた拍子に持っていた掃除用具を落としたらしい。屈んでそれを拾おうとする用務員の代わりに慌ててそれを手にした。そして、「あの、これ」と手渡せば、男は少しだけ緊張して、そして「ありがとう」と小さな声で答えた。 周りを見てみればどうやら周りを掃いて掃除をしてたらしい。今のでせっかく集めてた落ち葉を踏んで散らかしてしまったことに気付き、青褪めた。 「あ……ごめんなさい、散らかして……あの、俺、掃きます」 しどろもどろと口にすれば、用務員はこちらを見ているようだった。 「別に、大丈夫だから……そんなことしてたら遅れるよ」 表情はわからないが、そう諭す声は優しい。 ぱっと見感情の読みにくいぶっきらぼうな人だと思っていただけに少し驚いたけど、それよりもその言葉にハッとした。 時計を確認すれば男の言うとおりだ。ここから教室に向かうとしてもぎりぎり予鈴に間に合うか難しいところだ。 「別にこっちは仕事だから大丈夫」 「……ごめんなさい、あの、ありがとうございます」 「…………」 用務員は何も言わなかった。俺は最後にもう一度頭を下げて、慌てて教室へと向かった。 怖そうな人だと思ったが、思ったよりも優しい人なのかもしれない。 それにしても、この学園って用務員がいるのか。 そんな話聞いたことなかったので驚いたが、確かにこんな広い学園だ。整備する人がいないと不便なのかもしれない。 それにしても、大きな人だったな。 理事長と同じくらいあるんじゃないか、と思ったところで余計なことまで思い出してしまい慌てて思考を振り払う。 今は授業のことだけを考えよう……そう、自分に言い聞かせながら。 ◆ ◆ ◆ 悲鳴を上げる体を酷使して教室へとバタバタ向かえばなんとか予鈴には間に合った。 理事長である阿賀松はあまり学校にいることは少ないと聞いていたのでばったり遭遇なんてことなければ無問題なんだが、だとしたら今避けないといけない問題は……。 「先生、お疲れ様」 志摩亮太。この生徒ただ一人だろう。 ホームルームが終わり、放課後の始まりを告げるチャイムが響く中。 教室を出て職員室へと向かおうとしていた俺の元にカバンを手にやってきた志摩に頭と胃が同時に痛みだした。 「いまから帰りでしょ?よかったら晩御飯一緒にどう?」 「……悪いけど、生徒と食べるのは駄目だって言われてるんだ」 「そんなのバレなきゃ怒られないよ」 他の生徒もいる中、ケロッとした顔でそんなことを言い出す志摩の神経が恐ろしかった。 「それとも、この前のこと……皆にバラしてもいいの?」 言葉を失う俺に追い打ちをかけてくる志摩に背筋が薄ら寒くなる。思わず志摩を見たとき、おもむろに視線がぶつかった。 「……っ、志摩」 こいつ、本気か。 耳を疑った、聞き間違いならそれでよかったが一ミリも外れずじっとこっちを見下ろす視線に嘘はない。じり、と嫌な汗が滲んだとき。 「齋藤先生、お取り込み中のところ失礼します」 いきなり名前を呼ばれ、飛び上がりそうになる。 聞き覚えのある、鷹揚のない声。 振り返ればそこには大人しそうな男子生徒が立っていた。 「な、だ君……!」 灘和真。 能面のような無表情を貼り付けたその生徒は俺が教科を担任してる他クラスの生徒だ。 まさかこのタイミングで声をかけられるとは思ってなくて、ホッとすると同時に今の会話聞かれてたのではないかという緊張を覚える。 そして案の定、見計らったかのような邪魔に志摩は笑みを消した。 「先程の授業のことで質問があるんですが、今お時間よろしいでしょうか」 「見てわからない?先生は今俺と話してるんだよ」 明らかに不機嫌になる志摩だが、これ以上のチャンスはない。 咄嗟に俺は、「大丈夫だよ、灘君」と声をあげる。 「ちょ……先生」 「……悪いけど、志摩、そういうことだから」 志摩と離れられるなら利用する他ない。そう告げれば、志摩は見たことのないような顔でこちらを睨む。 その冷たい目に背筋が震えそうになった。 「ああそう、そういうこと」 勝手にしなよ、と言うかのように志摩はそれだけを吐き捨てればその場から立ち去った。 ……よかった、と安堵するよりも見たことのない怒った志摩に心臓の奥がまだざわついていた。 「随分と好かれてますね」 「そう、かな。それより、質問って……」 「あれは方便です」 「……え?」 「困っているようでしたので」 「それとも、迷惑でしたか」と、灘は相変わらずの淡々とした口調で続ける。何考えてるかわからない子だが、助けてくれたのだとわかった途端恥ずかしくなった。……それ以上に、ありがたい。本当は助けなきゃいけない立場なのだろうが、それでも今はその優しさが身に沁みた。 「あ……いや、その……ありがとう、灘君」 誰にでも敬語で接し、距離を取る変わった子だと思っていたがそれ以上に真面目なのだろう。 感情が乏しく表情もないカレを気味が悪いと言う教師も中にはいたが、俺はそんな灘だからこそ余計その気遣いがありがたく思えた。 しかし、灘にまで心配されるとは……やはり悪目立ちしてるのだろうか。そんな不安を懐き始めていたときだった。 「おい灘、ここにいたのか」 「五味先生」 「おう、齋藤先生も一緒か。珍しい組み合わせだな」 五味先生は俺と灘を見比べ、愉快そうに笑う。 五味先生は灘のクラスの担任教師だ。灘は会釈する。五味先生はそれにおう、と軽く手を上げて答えた。そしてすぐに困ったような顔をした。 「ちょうど良かった、二人とも十勝と栫井に会ってないか?これから補習ってんのにあいつら逃げやがってな」 十勝と栫井、彼らも五味先生のクラスの生徒だ。 比較的おとなしい生徒が多いこの学園だが、この二人は完全に問題児と呼べる生徒だろう。 性格は明るいが女遊びが派手で、しょっちゅう他校の女子と揉めてる十勝直秀。 そして、あの手この手で授業をサボる素行不良のサボり魔栫井平佑。 十勝はまだ明るくて人懐っこい生徒だった記憶があるが、俺はこの栫井という生徒が苦手だった。そして五味先生もこの二人に手を焼いてるらしい。 「……に、逃げ……」 「自分は見てないです」 「そうか、見つけたら今すぐ教室に来いって言っといてくれ。じゃなきゃ課題十倍にすんぞって」 「了解です」 「わ、わかりました……」 ……五味先生のクラスも大変そうだな。 うちのクラスはまだ大人しいというか、十勝たちのように目立った問題を起こすような子はいないだけましなのかもしれない。 疲れ切った顔の五味と最後までクールな灘と別れ、俺も職員室へ戻ろうかとしたときだ。 奥の通路でもぞもぞと動く人影を見つけた。 「なぁ……行った?行ったか?」 「おいバカ、声でけーよ」 「だってよく見えね……」 「十勝君?……栫井?」 「うおわっ!!」 聞き覚えのある声が聞こえてきたと思えば、やはりというべきか物陰に隠れていたのは十勝と栫井だった。 「な、ゆ、佑樹!!……先生!」 「二人とも、ここにいたんだね……五味先生探してたよ……?」 しかもよりによって隠れてるのか隠れてないのかわからないようなガバガバな隠れ方をして……。 バレないと思ってたらしい、俺に真っ青になる十勝になんだか居たたまれなさを覚えた。 「頼む!佑樹先生!このことは五味先生には黙っててくれ!」 「……ええ、そ、それは……だめだよ、二人ともこのままだともっとたくさんの課題用意するって言ってたよ」 「……全部踏み倒せばゼロになる」 「たしかに!栫井天才か?!」 「か、栫井もそんなこと言って……」 ……この二人、普段は喧嘩ばっかしてるのにこういうときだけは妙にウマが合うのはなんなのか。 「な、佑樹頼むよー今日はまじ大切な用事あるから無理なんだって!な!この通り……!今度何かうまい飯奢るからさー!」 「う……と、十勝君はもう……」 「ねっ、ね?他校のかわいい先生の連絡先教えてやるからさー!」 「ど、どうして知ってるのかな……!」 「それは俺の極秘ルートで……いたっ!おい!栫井人の頭叩くんじゃねえよ!」 「……お前が喋るとと余計ややこしくなるんだよ」 俺にしがみついて懇願してた十勝を引き剥がした栫井。 助けてくれたのだろうか。 ……一瞬でもそう思ってしまった自分を悔いることになる。 十勝が離れてほっとしたところ、伸びてきた手に思いっきりネクタイを掴まれる。 ぐっと顔を引っ張られたと思えば、すぐ鼻先にある栫井の顔にぎょっとした。 「……な、なに……し……」 「要するに、口止めしときゃいいんだろ。……俺たちに会ったって言えねえように」 「……っ、へ……」 普段気怠気な栫井が見せる笑顔は冷たい。 吐息がかかるほどの至近距離に先日のあらゆるものがフラッシュバックし、動けなくなる。 やばい、と俺が栫井を引き剥がすよりも先に、十勝が「待ったーー!!!」と栫井を羽交い締めにする方が早かった。 「おい栫井!それはゲスすぎだからやめろ!」 「チッ……おい!何日和ってんだよ……!」 「俺はそういうの嫌いだって言ってんだろ、そもそもお前は毎回毎回なぁ……」 な、仲間割れか……? とにかく助かった、十勝に助けられた。今のうちに逃げよう、そうネクタイを直し、そっと離れようとした矢先だった。 「おい、廊下で何を騒いでる」 絶対零度の声があたりに響いた。 掴み合いになってた十勝と栫井はその声にぴたりと動きを止め、そして凍り付いた。 声の主はすぐにわかった。 芳川先生だ。芳川先生は冷めた目で二人を見下ろしていた。 「貴様ら……五味先生が探していたぞ。何をこんなところで油売ってるんだ」 「こ、これはその……」 「そのもクソもないだろうが、いいからさっさと戻れ。……どれ、行かないのなら俺が連れて行ってやろう」 流石生徒指導。問題児の扱い方も手慣れているというか、まるで荷物かなにかのように二人の首根っこを掴んで引きずっていく芳川先生の荒業には毎度感心しかしない。 「っ、せ、先生タンマ、行く!行くんで!自分で歩くんでー!!」 悲痛な十勝の悲鳴が通路に響き渡った。 一件落着、なのだろうか。 そんなことを思いながら俺は三人を見送った。 昨夜は眠れなかった。 眠れないのはここ最近ずっとなのだけれど、それでも昨夜はひどい。次に志摩に会ったときのことを考えると怖くて、緊張してしまうのだ。 こんなんじゃいけない、毅然と振る舞わなければ、そう思えば思うほど心が追い詰められていくのだ。 そんなこんなでいつもよりも早めに朝支度し、他の生徒たちに会うよりも先に職員室へと向かうことにする。 校舎、その入り口付近のプランターに見覚えのある長身の陰を見つけた。 「……あ、おはようございます」 大きめの作業着を着崩したその人は間違いない、この前会った用務員さんだ。 大きな背中を丸めてプランターの草抜きをしてたらしい。少しだけびくりと背中を震わせ、そしてゆっくりとした動作で立上って振り返る。 「…………おはようございます」 下手したら聞き逃してしまいそうなほど、細い声はどこか眠たそうだ。 ……思わず挨拶してしまったけど困らせてないかな。 仕事の邪魔したら悪い。 そう思い、会釈だけして立ち去ろうとしたとき、不意にプランターに目がいった。 プランターいっぱいに広がる赤にピンク、オレンジの極彩色の絨毯。 ここに来てからずっと朝はバタバタしてたせいで気にすることはなかったが、手入れの行き届いた綺麗な花絨毯に思わず近づく。 「わぁ……すごい綺麗なポーチュラカですね。……プランターもお世話もされてるんですね」 「これは……違くて……」 「え?」 「放ったらかしにされてたから……その、暇なときに様子見に来てるだけ……です」 モゴモゴと気まずそうに口にする用務員さん。その横顔がわずかに赤くなっており、照れているのだとわかった瞬間心がじんわりと熱くなる。 ……薄々気づいていたがこの人、やはりいい人だ。 「あ、あの……」 なんだろう、自分でもよくわからないが、この人のことを知りたい。そんな気持ちを強く感じた。 友達になりたい、そう言ってしまえば幼く聞こえてしまうだろうが、なんというか……また会いたい。もっと話したい。そんな風に思えてしまうのだ。 よかったら、名前を聞いてもいいですか。そう、思い切って聞こうとしたときだった。 「おーい、齋藤くーん」 どこからともなく聞こえてきた明るい声。その声のする方へと振り返ればそこには。 「っ、縁先生?」 「おはよ、朝早いんだね君」 ニコニコと笑いながらやってくるのは音楽教師の縁先生だ。そういう縁先生も朝に強いらしい。いつもと変わらない完璧な笑顔に圧倒されつつも「おはようございます」と慌てて腰を折る。 「何してるの?そんなところで一人で」 「……一人?」 不思議そうにする縁先生の言葉につられ、慌てて用務員さんの方を見るがそこには誰もいない。 それどころか、辺りにも人の気配すらなくただしんと静まり返っているではないか。 「あ、あれ?さっきまで用務員さんがいたんですけど……」 「用務員?あの爺さん今ぎっくり腰で休養中なんじゃなかったっけ?もう復帰したの?」 「じ、爺さん?いえ、俺が見かけたのは背が大きくて前髪が長い……」 身振り手振りで用務員さんの特徴を説明するが、縁先生は不思議そうに首を撚る。 「んー?そんな代理雇ったなんて聞いてないなぁ。本当に見たの?」 「は、はい……」 「なら齋藤君にだけ見える妖精さんか……もしかしたら不法侵入だったりしてね」 想像してゾッとする。 あのいい人そうな用務員さんが、と思う半面縁先生の話が本当だとしたらあの男が何者なのかという疑問が残るのだ。 「なーんてね。でも、確かに気になるなあ。名前とかは聞いてないの?」 「あ……す、すみません……聞けてないです」 「今度あった時聞いてみるといいよ。もしものときが面倒だし、俺も他の先生に確認して見るし」 「は、はい……すみません……」 結局わからないまま会話はそこで終わった。 音楽室に用があるという縁先生と途中で別れ、俺はそのまま職員室へと向かうことにする。 ◆ ◆ ◆ ――不審者か、妖精さんか。 現実味を帯びているのは前者だが、でも確かに言われてみたらいつもあの人を見かけるときは周りに誰もいなかった。 ここ最近俺が疲れているあまりに幻覚を産み出している可能性もなくはない。そう考えると背筋が凍りつくようだった。 とにかく、今は縁先生に任せて今日の授業に集中しよう。 そう考えながら教材を手に教室へと向かおうとしてたときだ。いきなり背後から肩を掴まれる。 「先生」 すぐ耳元で聞こえてきたその声に俺は「ヒィッ!!」と情けない声を上げながら飛び退いた。 振り返ったそこには逆に驚いたような顔をした志摩がいた。 そしてすぐ、志摩の表情は不愉快そうなものへと変わる。 「……なに、そのリアクション。結構そういうの傷つくんだけどな」 「し、志摩……」 「そんなに俺に会いたくなかった?」 よほど今の俺の反応が癪に障ったらしい。怒ったように眉根を寄せる志摩の目は冷たい。 「そっか、そうだよね。……だって昨日俺よりも他の生徒を優先したもんね」 やはり、昨日の灘とのことを根に持ってるらしい。 含みのある言葉に俺は咄嗟に志摩を見た。 「それは、当たり前だろ……。志摩のは、授業と関係ないじゃないか……」 「ふーん、じゃあ関係あったらいいんだ?」 「志摩……」 「先生がそのつもりならいいよ。俺にも考えがあるから」 どういう意味だ、と聞き返すよりも先に志摩は「それじゃあね」とだけ言い残し俺の横をすり抜けていく。 一先ず何もされなくて済んだが、すれ違いざまのあの目、いい予感がまるでしない。 何を考えてるんだ、志摩は……。 けれど後を追いかける気にもなれなくて、俺は志摩から離れるように教室へと向かった。 そしてすぐ、志摩が何を企んでるのか知る羽目になる。 朝のホームルームが始まっても志摩の席には誰もいなかった。 ◆ ◆ ◆ 無断欠勤、遅刻なしの志摩が授業をサボる。 そして原因は間違いなく朝のあれだろう。 『先生がそのつもりならいいよ、俺にも考えがあるからが』 あのときの志摩の目を思い出し、思わず子供かと言い返したくなったが正直、それだけで済ませれる問題ではない。 俺のせいだ、これではボイコットに等しい。 志摩はわかってるのだろう、こうすることで俺が大打撃を食らうということを。……だから余計憎たらしく思えた。 こうなると避けようにも避けれなくなる。 とにかく志摩を探すため、授業を終えた俺は保健室へと向かった。 もしかしたらただ本当に体調不良で休んでる可能性もある。その可能性をまだ捨てられなかったのだ。 「仁科先生、志摩亮太……来てませんか?」 そっと保健室の扉を叩き、覗き込めば仁科がいた。 「あ?志摩は……来てないな。まさか、サボりか?」 俺の顔から何かを察したらしい。 まさかいきなり図星を刺され、思わず「すみません」と項垂れる。そんな俺を前に、「まあ座れよ」と仁科は目の前の椅子を引いてくれた。お言葉に甘えることにする こうして白衣の仁科と向き合ってるとまるで学生の頃に戻ったような気分になる。それか、診察に来た患者。 「けど……ようやく治ったと思ったんだけどな」 「……え?」 「元々志摩は真面目に授業受けるタイプじゃなかったんだよ。……それでもなんとか二年に進級して、まともに授業受けるようになったと思ったんだけどな」 「そ、そうだったんですか?」 「知らなかったのか?……齋藤、随分とあいつと仲良かったからてっきり知ってると思ってたんだけど……」 「…………いえ」 そう答える声は思ったよりも細いものになってしまった。 一番理解できてるつもりだった生徒のことを、本当は何一つ知らないという事実を突き付けられたようなそんなショックがで大きかった。 俺の中での志摩はいつもニコニコしてて、俺によく話しかけてくれて、それから授業もしっかり聞いてくれる生徒だ。 けれど少なくとも仁科の中での志摩は俺の知ってる志摩とまるで違う。 「詳しいことなら縁さん……縁先生に聞いてみたらいい。一年のときの担任は一応あの人だしな。あの人もだいぶ志摩に手を焼いてたからもしかしたらサボり場所とかも知ってるんじゃないか?」 縁先生か……。 あまり得意な相手ではないけれど、元担任の先生に効くのが一番早いのは確かだ。 「仁科先生……ありがとうございます」 「まあ……程々に頑張れよ」 仁科先生はそう少しだけ同情するような目を向け、大変だな、と笑った。 そして今日の授業も全て終わり、最後のホームルームも終わったとき。相変わらず志摩の席だけがぽつんと空いていた。 結局一度も教室に顔を出すことはなかった。他の先生たちにも志摩のことを聞かれたが、「何も聞いてないです」と応える都度自分の駄目が露呈してるような気分になった。 ……事実には変わりないのだけれど。 放課後。 縁先生に相談するため、俺は音楽室へと向かった。 縁先生は管弦楽部の顧問をしている。この時間帯は部活動に参加してると聞いていたのだけれど……。 音楽室前の廊下に響く管弦楽器の音色を利きながら、俺はそっと音楽室の扉を開く。 丁度音楽室の壁際、生徒たちの様子を見ていたのか縁先生は来訪者である気づいたらしい。すぐに笑顔でやってきた。 「やあ齋藤君、俺に会いに来てくれたんだ?」 「あ、すみません……部活中……」 「大丈夫だよ。うちは基本自習だし呼ばれたときしかやることないしね」 「それで?俺に用って……もしかしてこの前の続き?」そう、いたずらっ子のような笑顔で耳元に顔を寄せてくる縁先生に思わず「え」と凍りつく。そして慌てて離れた。 「ち、違います……っ!そんなわけ……!」 「あー。違うんだ?なーんだ、気にしないで近付いてくるからオーケーなのかと思っちゃった。残念」 「ざ、残念って……」 クスクスと笑う縁先生に俺は何も返す気力もなかった。寧ろ動揺で何を言おうとしてたのかすら飛んでしまう。 押し黙る俺に「それじゃあれだ」と縁先生は思いついたように手を叩いた。 「もしかして例の用務員のこと?」 「それもなんですけど……今回はその、相談というか……」 「……相談?俺に?」 予想してなかったらしい。そう縁先生は驚いたように目を丸くした。 そしてすぐ、少し困ったように笑ってみせるのだ。 「悪いこと言わないからさ、そういうのはもっと他の真面目な……そうだね、芳川君とかその辺の方が適任だと思うんだけどなぁ……」 「え、縁先生じゃないと駄目なんです……!」 「俺じゃないと……ね。うーん、俺そういうのは苦手なんだけど……随分と困ってるようだしね。まあ、ここで立ち話もなんだし、こっちにおいでよ」 そして、俺は縁先生に免れるがまま音楽室横の付属倉庫へと通される。綺麗に整頓されたそこは換気されており、倉庫特有のホコリ臭さもない。こまめに清掃されているようだ。 中央には数脚の椅子と簡易テーブルが置かれている。 そこに、俺と縁先生は向かい合うように座った。 「なるほど、亮太がねえ」 一通り志摩のことを話し終えれば、縁先生は少しだけ懐かしそうにその名前を口にした。 「それで……仁科先生から志摩のことなら縁先生に聞いた方がいいと……」 「はは、奎吾のやつ……。ま、確かに亮太には散々手を焼かされたよ。思春期と反抗期を同時に拗らせたようなやつだしね。……この春になってあいつが齋藤君に懐いてるのみて、正直目を疑ったけどね」 「そ、そんなに……変わったんですか?」 「変わったというか……ねえ?」 含みのある笑い。なんとなくいつもの縁先生らしくない笑い方だと思った。背筋がむず痒くなるような、いても立ってもいられなくなるような、笑顔。 「齋藤君はあいつに何か言われなかった?」 「……え?」 縁先生の指摘に、思わず背筋に冷たいものが走る。 縁先生には、志摩に脅されてることなどは勿論言ってはいない。言ってはいないはずなのに。 「……あいつが懐くときって結構特殊でね、あいつは基本自分のことを受け入れてくれる人間にしか懐かないんだよ。どんなワガママも、何なら嫌なところも全部受け入れるような人間にしか好きにならない。それはあいつの周りの環境とかに関係あるんだろうけど、少し拒絶されると一転するんだ」 遠くから聞こえてくる弦楽器の音色がより一層遠くなった気がする。そして、自分の心臓の音がうるさくなる。 言われて、今までの志摩とのことを思い出す。 志摩は最初から優しくて、俺のほうが志摩に甘えてるところがあったかもしれない。けれど、志摩はそんな俺に嫌な顔一つせず「仕方ないな」と嬉しそうに笑って応えてくれた。そこまで考えたら縁先生の言葉は納得できなかっただろうが、次第にエスカレートしていった志摩のことを考えると何も言えなくなる。そして、俺はそんな志摩についていけなくなったのだ。 「俺はなんとかしてあいつのワガママもぜーんぶ聞き流してきたけどな、齋藤君の場合は最初からそれが出来てたんだろうな。だけど、最近何かあいつを拒絶することしたんじゃないか?」 図星だった。ここまで来て隠すのもおかしい、俺は素直に頷いた。 「縁先生の言うとおりです……俺、志摩を……否定しました……」 「やっぱりそうだったんだね。でも、意外だな。……こう言っちゃなんだけど、君が生徒相手に強く出るところってあんまイメージできないんだけど」 「そ、れは……」 「あ、もしかしてあいつに好きとか言われた?」 「……っ!」 直球で突っ込まれ、全身の熱がカッと上がる。 何か言い返さなければ、誤解される。誤解ではないのだけど、でも、いくら縁先生が生徒に手を出すような教師だとしてもこれを知られるわけにはいかない。そう思って、逃げ道を必死に探そうとするが、見つからない。 それどころか、固まる俺に縁は目を益々丸くさせる。 「え、うそ、今俺適当に言ったんだけど」 「あ、えと、その……これは……っ」 「亮太のやつ、あいつ生意気にも俺の齋藤君に手を出したってこと?」 「っ、手は出されてないです、っていうか俺のって……?!」 「『手は』……ってことはチューはした?ベロ入れられたの?エッチなキスをされちゃったの?」 「え、縁先生やめてくださいっ、本当、そんなんじゃ……っ」 怒られる、というよりも縁先生の反応は面白がるものだった。まるで他人事のようにからかってくる縁先生を怒ろうとするにも実際にそうなのだから何も言えなくて。 そのまま押し黙る俺に縁先生は「はあ」と大袈裟なため息をついた。 「なんかショック。いお……理事長にまでいいところ横取りされちゃうし元教え子にまで手を着けられるなんてね。……俺が相手のときはあーんなに嫌がってたのに?」 「せ、先生……っ、ですから……俺は……」 「亮太のことだっけ?試しに最後までやらせてあげたらいいんじゃない?案外満足しちゃうかもよ」 「ちょっ……いきなり適当になるのやめてくださいよ……!」 「だってなぁ、なんで俺があいつの恋路を応援してやんなきゃなんないかなって思ったらなんかムカついてきちゃってさ。……あ、齋藤君が可愛くおねだりしてくれたらもっと真剣に考えようかな」 完全にやる気を失せてる。投げ槍にも程があるアドバイスに段々俺もバカバカしくなってきた。 「……失礼します」 「あ、怒った?」 「お、怒ってません……でも、志摩のこといろいろ教えてくださったのは感謝します。……ありがとうございました」 「本当に君はそこでお礼言っちゃうんだもんね、俺結構酷いこと言ったのに。そういう律儀なところ好きだよ」 「……」 「今度は俺の部屋においでね」 俺は最後の縁先生の一言は聞こえなかったフリをして、話を終わらせるように「失礼します」と倉庫を後にした。 縁先生にバレてしまったのはでかいが、それでも呆れたり責められたりされなかった分誰かに相談できたという事実は思いの外俺の負担を軽減してくれた。 ……本当は怒られるべきだとわかってても、お前のせいじゃないと許されたかったのかもしれない。 「……はぁ」 不甲斐ないが、これが俺だ。認めざるを得ない。 三話→https://t589423.fanbox.cc/posts/261663 最終話→https://t589423.fanbox.cc/posts/270530