晴れて憧れの担当クラス持ちの教師になった春。 おまけに勤務先は金持ちばかりが集まると有名なマンモス全寮制男子校。 苦手な若い女の子もいないし、朝昼晩三ツ星シェフのご飯が食べれる……と当初俺は浮かれていたが、甘かった。 「あ……お、おはよう……」 教室に向かう道中、担当する生徒に挨拶を試みてみるがちらりと見られるだけで無視される。 難しい年頃だとわかってても、悲しい。多分根暗という俺の性格のせいもあるだろうが、こう……どうやったら生徒に心を開いてもらえるのか……その辺の接し方がとにかく難しくて仕方ない。 それに、想像していた男子校とは違いこの学園はおとなしい。騒いで馬鹿する子よりも優等生のような子が多いのもあるせいか、教師のことを勉強を教える人だとしか思ってない節がある。 間違ってはいないのだろうが、俺の理想像である教師とはかけ離れている。 ……早い話馴染めなていないのだ。 職員室へ寄ってプリントの用意するつもりだったが、朝から無視されたショックは大きい。 足取りも自然に重くなっていたときだ。 「おはよう、先生」 学園、昇降口前。 靴を履き替え、職員室へと向かおうとしていたところに背後から声を掛けられる。 明るく、柔らかい声。振り返ればそこには見慣れた笑顔。 「し、ま」 志摩亮太。俺の受け持つ二年B組の生徒だ。 他の大人しい生徒に比べて明るいというか、教師の俺にも気さくに接してくれる生徒だ。 志摩の顔を見るとほっとする。志摩は赴任してきたばかりの俺をいろいろ気遣ってくれるのだ。 「朝から元気ないね。どうしたの?寝不足?」 「ち、違うよ。……ちょっと朝は弱くてね」 「ふーん。ならいいんだけど。先生って結構一人で溜め込みそうだから心配なんだよね、俺」 ……教師として尊敬されてるわけではない距離感とかわかってるが、こうやって年下の子に気遣われると自分の不甲斐なさが浮き彫りになってるようで複雑になってしまう。 笑って誤魔化せば、志摩は「まあいいけど」と静かに笑う。 「そうだ、そろそろうちの学園には慣れた?」 「……そうだね、って言いたいところだけど……未だに迷うよ」 「それくらいなら俺に言ってくれれば案内するのに。せっかく来た《まとも》な先生なんだしね、俺も先生には長く続けてほしいと思ってるんだよ」 「し、志摩……」 そう、そうなのだ。この学園の特殊な部分である。 この学園の教師は待遇のわりに辞める人やいつの間にかに飛ばされる人が多いと新任教師たちの間で噂になっていた。最初はやっぱり生徒がいいところのご子息ばかりだから神経すり減らして参ってしまうパターンが多いのかなと思っていたが、どうやらそれだけではないとわかったのは赴任してからだ。 神経すり減らすどころか、生徒に逆らえば親が出てきてすぐに圧を掛けられる。怒ることもできなければ下僕のように従うことしかできなち。 ……もちろん全員が全員そういうタイプでないとわかっているが、それでも扱いには厳重注意しろと副理事長に赴任早々釘を刺されたのを覚えてる。 そしてその意味はすぐに痛感した。 一度舐められると一生奴隷だぞ、と先輩教師にも言われた。 その言葉とおりだ、実際その先輩教師は例外だった。 「でも本当、先生って先生って感じしないね」 「……そりゃ、芳川先生や理事長たちに比べたら威厳がないかもしれないけど……」 「威厳とかじゃなくてさ、話しやすいって意味ね。あいつらは偉そうなだけで威厳とかじゃないから」 思い当たる教師たちの名前を出してみれば、志摩は涼しい顔をして毒を吐く。 こういうことをサラッと言ってのけるから若い子は恐ろしい。 「あ……あんまりそういうこと他の子の前で言うなよ、怒られるよ」 「どうして?本当のことなのに」 「そ、それは……」 先輩教師……芳川先生は生徒に対して厳しい。誰がどこのご子息だろうが親が何者なのかも気にせず誰でも平等に接するため、逆に保護者たちから支持されてるというこの学園では珍しいタイプの教師だった。 ……その分、まあ、言ってしまえば鬼教師というやつだ。 『生徒と仲良くなりすぎるな』と毎日のように俺に口酸っぱくして教えてくれる芳川先生のことを思い出していたときだ。 いきなり背後から肩を叩かれ、飛び上がりそうになる。 そして咄嗟に振り返った俺は、そこにいた人物を見て更に震え上がった。 「……齋藤先生、こんなところにいたのか」 噂をすればなんとやら。 艷やかな黒髪にフレームの銀縁眼鏡。そのレンズの下、鋭い目が俺と志摩をゆっくりと捉える。そして、僅かにその眉間にシワが寄せられたのを見てしまった。 「あ、せ、先生……おはようございます……!」 数学教師でもあり生徒指導を受け持つ芳川先生は、俺の先輩でもあった。 緊張のあまり慌てて背筋を伸ばす俺の横、「うわ出たよ」と吐き捨てる志摩にヒヤッとする。 けれど、 「出たとはなんだ。まるで俺がいたら都合悪いみたいな言い方だな。……もうすぐホームルームが始まるぞ、こんなところで駄弁っていないでさっさと自分の教室へいけ」 「はいはい。それじゃ先生、またあとでね」 志摩の扱い方に慣れてるらしい。芳川先生の言葉似面倒臭そうな顔をしながらも従う志摩はそのまま階段を上がっていく。 芳川先生の言葉通り、大分時間が経っていたようだ。すでにほとんどの生徒は教室へと移動してるところだった。 静まり返った昇降口前、志摩の姿が見えなくなったのを確認して、芳川先生はため息をついた。 「全く……年上に向かってタメ口とはな、齋藤先生も少しは強く言った方がいい。あの手の生徒は一度甘えさせたら付け上がるぞ」 「す、すみません……」 「すぐそうやって謝る癖も直したほうがいい。俺ならともかく、生徒にそんな弱気な姿を見られたら志摩のような生徒に付け込まれるぞ」 芳川先生なりに俺のことを心配してくれてるのだろう。 どうやら芳川先生の志摩に対する評価はあまり芳しくないらしい。……確かに飄々としてる……というか、フランクな志摩だが芳川先生が思ってるよりも志摩は他の生徒よりも優しい。 「……っ、で、でも志摩も……その、ああだけど優しいところはあるというか……」 「優しい、か。あの手の生徒は教師という立場を利用しようとしてあの手この手で近付いてくることが多い。……特に君のような新任の教師となると格好の餌だろう」 やはり、芳川先生は冷めているというかどこか他人を信用していない節がある。だからどの生徒に肩入れすることもせず、平等に接することができるのかもしれないが、それはなんだか可哀想だと思ってしまうのは変なのだろうか。 もの寂しい気持ちになり、何も言えなくなる俺に芳川先生はふ、と表情を和らげた。 そして、頭を撫でられる。 優しく後頭部を撫で下ろす手に少しだけびっくりして顔を上げれば、そこにはバツの悪そうに目を伏せた芳川先生の顔があった。 「君を大変な目に合わせたくないんだ。……わかってくれ」 芳川先生は、優しい。 優しいけど、たまにこうして急に優しくされると嬉しい気持ちよりも戸惑いのが大きかった。 ……本当は優しい人なのだろう。そう思うが、こういう風に生徒にも優しくすればもっと好かれるのではないだろうか、なんて余計なことを思わずにはいられなかった。 「………………」 ◆ ◆ ◆ 「はぁ……」 今日の全ての授業が終わると同時に自然と溜息が漏れた。 また、やらかしてしまった。 担当分野である現国の授業で生徒からの質問に答えられなかったのだ。あれほどちゃんと予習してたはずなのに、教師らしく振る舞おうとすればするほど頭が真っ白になって結局慌てて調べることになってしまった。 これでは芳川先生のいう生徒の威厳どころではない。 あのときの凍りついた空気を思い出すだけで穴に入りたい気持ちになる。 放課後。 「先生」 職員室へと戻る途中の通路、不意に呼び止められる。 振り返ればそこには志摩がいた。 「志摩」と名前を呼び返そうとして、先程の授業での醜態を思い出して死にそうになる。おまけに、自分の担当するクラスでのミスだ。 「……どうかした?」 「ホームルームからずっと落ち込んでたから気になってね。もしかしてさっきの授業のやつ引きずってるの?」 「……っう……」 志摩が鋭いのか、それとも俺がわかりやすすぎるのか。 どちらにせよ、自分の生徒に察せられる時点で教師失格である。 「そ、そんなこと……ないよ」 「嘘でしょ。だって声も覇気ないし、さっきからずっと俺の方見ようとしないし」 「……それは……」 と言い掛けて、腕を掴まれる。 「え」と俺が反応するよりも先に、人気のない通路へと引っ張り込まれ、ぎょっとした。志摩、と慌てて名前を呼んだとき、ようやく手は離れる。 「し、志摩……どうしたの?いきなり」 「……俺のこと、そんなに頼りない?」 「え」 いきなり何を言い出すのかと顔を上げれば、すぐ鼻先にある志摩の顔にぎょっとする。慌てて離れようとするも、気付けば壁際に追い込まれてて。 普段話してるときは気にしなかったが、こうして目の前に立たれると俺よりも高い身長に圧倒されそうになる。 というか、近い、なんだ、なんだこれ。 「し、志摩……あの、取り敢えずちょっと離れ……」 「あの眼鏡にはあんなに近くまで寄らせるのに俺は駄目なんだ?」 「あの眼鏡って……」 まさか、芳川先生のことを言ってるのか? 確かによく頭撫でられることはあるが、それでもこんな風に近付かれたことはない……ないはずだ。 というか、もしかして今朝のを見られたのだろうか。 そう思うと、冷や汗が滲む。今朝方芳川先生には志摩について注意されたばかりだったから、余計。 「志摩、それは……駄目とかじゃなくて……ちゃんと話は聞くから、取り敢えず落ち着いて……ね?」 「何を言ってるの?先生。俺は落ち着いてるよ。先生が俺のことを信用してくれないのがショックなだけだよ」 「信用、してるよ……」 「じゃあなんで俺には弱音吐いてくれないの?」 至近距離で目を覗き込まれ、息が詰まりそうになる。 真剣な目、怒ってるというよりも失望混じりのその視線に囚われると呼吸が浅くなっていく。 「ねえ、先生」と耳に横髪を掛けられ、身体が震えた。 そんな意図ないはずだろうに、まるで別の意味を孕んで触れてくる指が怖くて、緊張する。 「志摩、離れて……っ。こんなところ、もし、誰かに見られたら志摩も……」 怒られるだろ、と懇願するようにその胸を押し返そうとしたとき、伸ばしかけた手首を掴まれる。 普段は意識しなかったが、大きな手と長い指は力強い。あっさりと捕まえられ、ぎょっとした矢先。腕ごと壁に身体を押し付けられたと思ったと同時に視界が陰る。唇に何かが触れた。 「っ、……ん、ぅ……っ?!」 初めてここまで近くで他人の熱を感じたかもしれない。驚くほど熱い唇に、目を見開く。 キス、されてる。そう理解した瞬間、余計頭は真っ白になった。なんで、とかどうして、とか聞きたいことは色々あったが、一番に頭に来たのは『誰かに見られたらまずい』ということだった。 「っ、ふ、ぅ……!」 必死に振り払おうとするが、掴まれた腕はびくともしない。それどころか、唇を開かされ、舌を咥えさせられればその熱に頭の奥が熱くなる。顔が熱い。志摩の熱のせいかもしれない。やめさせないと、そう思うのに、ジタバタする身体、その下腹部をスラックスの上から撫でられた瞬間背筋がぶるりと震えてしまう。 「っ、先生……俺はいいんだよ?誰に見られても……寧ろ、見られなきゃ先生はわかんないでしょ」 濡れた舌が頬を舐める。意味がわからなかったが、ただひたすらいい子だと思ってた志摩が得体の知れない化物のように思えて余計思考がこんがらがる。 志摩の細い指に他人に触れられたことのないそこを遠慮なく撫でてくるものだから余計恐怖を覚えた。 「し、志摩……これ以上は、本当に……俺でも怒るから……っ」 「これ以上?……じゃあキスはまだ許してくれるんだ」 「っ、ちが……ッ」 否定の言葉は志摩に唇ごと塞がれる。 先程よりも優しくキスをされ、上顎をなぞられ、唾液ごと啜られれば恥ずかしさと恐怖で頭がどうにかなりそうだった。男子校という特殊な環境下だ、少なからず恋愛対象が同性という生徒も存在するのは認知してたが、まさか自分がその対象として見られるとは思ってもよらなかった。 異性の子から迫られてもどう接していいかわからなくて誤魔化し続けて来た俺が、こうして同性、それも自分の生徒から迫られ、意思ごと捻じ伏せられる。これは俺が今まで向けられた好意空逃げてきた罰なのだろうか。 「……っ、し、ま……も、やめ……」 「先生、俺はね、先生のこと好きだよ」 「……っ、それは……」 「教師のくせに教師らしくなくて、いつも自分に自信なさそうで、年下相手に気を遣い過ぎてビクビクしてるところ……見ててヒヤヒヤするよ。生徒たちからどんな風に見られてるか自分でわかってないんでしょ」 「え……?」 「可愛くて虐めたくなる、だってさ。……モノ好きな連中から大人気だよ、先生。毎晩スーツの先生をオカズにしてる奴らばっかだよ、うちのクラス。……俺がいなかったらどうなってたんだろうね」 「……っ、な、え……」 声が出なかった。ただでさえ混乱してた脳味噌に叩きつけられる志摩の言葉に、心拍数が加速する。 無視されていた。話しかけられてもこちらを向くばかりで、授業中も無関心だったはずだ。 それなのに、そんなわけない。志摩のデタラメだ。そう思うのに、向けられた生徒たちの視線を思い出して、呼吸が浅くなる。 焼けるほど全身がカッと熱くなって、志摩が笑った。 「先生、ちゃんとこっち向いて」 「……っ」 「それとも、こういうことする俺に失望した?気持ち悪い?」 矢継ぎ早に問い詰められ、俺は、何も考えられなくなる。呆然と志摩を見上げれば、志摩は目を細めて唇を歪めて笑うのだ。 「嫌いになった?」 試すような口ぶりから志摩の意地の悪さは伺えた。 嫌いになれたらどれだけいいのだろうと思う。けれど、現実はどうだ。志摩の言葉が本当だとしたら、周りを牽制してくれていたのは志摩だということになって、そんな志摩を突き放すのは……。 そこまで考えて、自分の思考が教師という立場から掛け離れていることに気付いた。自分の保身ばかり考えている自分にぞっとする。 「っ、ぁ、お……れ……」 「先生が嫌だって言うなら……もうしないよ。もう金輪際先生に関わらない。先生が誰となにしようが、なにされようが俺は口出し手出ししない」 「授業は出るから安心してね」と、志摩は笑う。 いつもと変わらない軽薄な笑み、それなのに今はひどく冷たく思えるのだ。 志摩亮太のような生徒に付け込まれるな、利用される。 わかってたはずだ、芳川先生にあれほど忠告されていたのに、今はどうだ。 「……それか、俺を受け入れてくれるんだったら先生から俺にキスしてよ」 「そうすれば、今日のところは勘弁してあげるよ」試されている。誂われている。玩具にされている。 頭の中の天秤が揺らぐ。志摩を取って一先ずの安寧を選ぶか、数少ない俺の味方でいてくれていた志摩を切り捨てるのか。 志摩のためを思うなら、後者……だろう。それなのに迷ってる自分に嫌悪を覚えた。 「っ、……俺は……選べない……」 自分の手で捨てられないし、自分の口で選ぶこともできない。 それを口にした瞬間、志摩は冷笑した。 「本当、教師失格だよね。拒むしかないところで悩んでる時点で答えなんてわかりきってるくせに、自分の体裁保つために俺に奪わせようとしてるんでしょ?」 志摩の言葉が刃となって心臓に突き刺さる。全て、見抜かれてる。丸裸にされたようで恥ずかしくて、自分の矮小さに目も当てられなくて。 「…………本当、仕方がない人だね。いいよ、悪いのは俺だよ。先生を脅して、誑かした俺。先生はただ問題児に無理矢理陥れられた可哀想な被害者。それなら、先生も俺を受け入れられるでしょ」 「……っ、それは……」 「口を開けて舌を出して」 「っ、え……」 「じゃなきゃ、ここで犯すよ」 背筋に冷たい汗が滲む。目が笑っていない。駄目だとわかってても、従ってはならないとわかってても、相手が本気だとわかると恐怖で足が竦むようだった。 逆に考えると、これだけで許してもらえるのなら安いものだ。……そう思うことしかできない。俺は、志摩の言う通り教師失格なのだ。 おずおずと口を開き、そっと舌を付き出す。慣れない体制に顎が攣りそうだったが、すぐに舌ごと絡み取られ、身体を抱き締められる。 「ん、ぅ……っ、んん……ッ!」 「はぁ……っ、ん、せんせ……」 「っ、ぁ、ふ……ッぅ……ッ!」 「生徒にキスされて、そんな顔するなんてさぁ……本当、教師向いてないよ」 「……っ、言わ……ないで……」 泣きたい気持ちでいっぱいになる。 つなぎ留めていた唯一の綱が音を立てて断ち切られるようなショックに耐えられず顔を手で隠そうとしたら、片方の手すらも掴まれて唇を啄むようにキスされた。 そして、志摩は笑う。 「本当、駄目教師だね」 嬉しそうに、愛しそうに俺の頬、額に唇を落とし、抱き締めるのだ。毒を孕んだ言葉とは裏腹に熱い体温に包まれどうにかなりそうだった。 志摩は約束を守ってくれた。 散々キスされたおかげでしまいには唇は腫れて熱を持っていたが、志摩は「口紅つけてるみたいでかわいいね」なんて言い出すのだ。 こんな顔を誰かに見られて悟られたらと思うと血の気が引いたが、一線を超えてしまった今俺はもうそれどころではなかった。 「ねえ、先生、今夜先生の部屋に遊びに行っていい?」 「だ、めに決まってるだろ……」 「そうだよね。じゃ、また明日か。……先生一人で帰れる?送ろうか?」 「……いい」 「先生なんか俺のこと避けてない?もしかして、後ろめたさとか感じてる?」 当たり前だ、と答える気力もなかった。 ずい、と詰め寄られるとさっきまでの行為を思い出して自然と全身が力んでしまう。 そんな俺を見て、志摩はにっと笑うのだ。 「……良いんだよ、そんなもの感じなくても。誰かになにか言われたら俺が全部悪いって言っときゃいいんだから」 「キスして勃起しかけたのも、全部俺のせいってさ」耳元で囁かれ、その言葉にびくりと腰が動く。 バレてた、のか。 熱烈なキスに充てられ、熱を持ち始めていた股間を隠していたつもりだったのにズバリと指摘され何も言えなくなった。 固まる俺に志摩は「それじゃ、また明日」とだけ言ってその場から立ち去った。 志摩がいなくなって、俺は脱力したようにその場に座り込んだ。じんじんと痺れる唇。 ……生徒とキスしてしまった。おまけにあの様子だと一度でやめるつもりはないらしい。 目の前が真っ暗になる。明日からどんな顔をして過ごせばいいのだ。 ◆ ◆ ◆ 翌朝。結局一睡もできなかった俺は職員会議のために早めに準備して部屋を出ることにした。 気分は勿論最悪だ。 昨日のことをもし誰かに見られていて、それを槍玉に上げられたらとか、なんてそんな悪いことばかりを考えてしまう。 「はぁ……」 「どうした?……随分とデケー溜息だな」 教師寮の食堂で朝食を取っていたときだ。 背後から聞き覚えのある声が聞こえてきて、俺は慌てて席から立ち上がる。 「ご、五味先生……と、仁科先生……!おはようございます……!」 「おう、おはよう……ってか、立たなくていいって。飯食ってんだろ、ほら座れよ」 「……おはよう、齋藤。ここ、いいか?」 「あ、はい、大丈夫です……!」 体育教師の五味先生に、養護教諭の仁科先生は近くの椅子に腰をかける。 教師寮なのだから遭遇しておかしなことはないのだが、いざ先輩教師と一緒になるとやはり緊張してしまう。 「それにしても随分と早起きなんだな。……会議があるって言ってももう少しゆっくりしてても良かったんじゃないか?」 「い、いえ……やることもなかったんで……」 「齋藤、お前もしかして寝てないのか?」 「え、あ……すみません……なんだか寝れなくて……」 仁科先生に指摘され、思わず俯いた。 相手は養護教諭だ、自分の不摂生を見抜かれ、恥ずかしくなってしまう。 「顔色もあまり良くないな。……今日は会議休んで部屋で寝てた方が良いんじゃないか」 「だ、大丈夫です、赴任して早々そこまで迷惑おかけするのは流石に……」 「仁科の言う通りだぞ、今日の授業はいつからだ?」 「一応……今日は午後からです」 「じゃあ取り敢えずそれまで寝とけって。会議だって大した内容があるわけじゃない、定期報告ばっかだしな。一人休んだって文句言われねえよ」 焼肉定食をつつきながら五味はそう話を進める。 仁科は「それがいい」と横からウンウン頷いていて。 「で、でも……」 「でもでもって、んな顔して生徒のぶっ倒れたら世話ねえぞ」 「う……」 そのことを言われれば俺はもう何も言い返せない。 ……正直、休みたかった気持ちもあった。志摩に昨日のことを気にして休んでると思われるのが嫌だったから意地でも出てやろうと思ったのも本当だ。 けれど、そんな俺よりも強引な2人に安心すらしてしまうのだから変な話だ。俺の意思で休んだわけではない、という免罪符が欲しかったのかもしれない。つくづく教師に向いていないと自分でも思ってしまう。 「……それじゃあ、お言葉に甘えて……」 結局朝食を取ったあと、仁科先生たちと一緒に保健室に向かうことにした。午前中ベッド借りて、大丈夫そうだったら午後の授業に向かうという理由だ。自室で一人でいると昨日のことばかりを考えて寝れないので、逆に仁科が側にいてくれると考えると安心できた。 「それじゃあ、会議が終わるまで俺は席を開けるけど何かあったらすぐ電話で呼べよ。……あと、この時間は来ないと思うが他の生徒が来たときも悪いが呼んでくれ」 「……はい」 「おい、病人にあれこれ押し付けんなよ。扉に先生不在のやつ掛けておくから安心しろ」 「……ありがとうございます」 体温計を図った結果、微熱もあるということで仁科先生からもらった氷枕を下にベッドに横になっていた俺は名残惜しそうにする仁科先生とそれを連れて行く五味先生を見送り、目を瞑った。 まだ一般生徒が登校するには早い時間帯だ。通路の外から聞こえてくる声や足音は会議へと向かう教師たちのものだろう。 すぐ辞める教師が多い中残ってる教師たちだ、やはり癖の強い生徒に劣らず曲者揃いだが、それでもやはり二人や芳川先生のように優しい教師も多い。 せっかく会議を休んでまで手にした休みだ、少し眠ろう。 遠くから聞こえてくる喧騒をBGMにしながら、俺はそのまま意識を手放した。 ……。 …………。 ………………。 浅い眠りの中、どこからか物音が聞こえてくる。 何時なのかもわからない中、俺はゆっくりと寝返りを打ち、腕時計を確認する。 まだ会議の最中である時間帯だ。 『ぁ……っ!』 今度は聞き間違えようがない、人の声だ。 か細い声が聞こえてきて、俺は身体を起こした。 もしかしたら生徒が勝手に入ってきてるのだろうか。何かが軋むような音がして、ベッドから降りた俺は髪を直しながら音のする方へと向かう。 もし誰か苦しんでる生徒がいたら早く仁科先生に伝えないと。思いながら、音源であるベッドがあるらしきカーテンを開こうとした俺は、『あぁっ』と今度こそ聞こえてきた大きめの声に思わず手を止めた。 『……先生……っ、キス、もっと……』 そして、凍り付く。 具合が悪そうな生徒云々の次元ではない。男の、それも甲高い甘い声に思わず俺は飛び退きそうになった。 待て、待て待て。……今先生って言ったか? まさか仁科先生が、と思ったがそんなはずがない。先生がそんなことをするような人ではないということを俺は知ってる。ならば一体……と思ったが、すぐにその相手はわかった。 『……いいよ、けど、キスだけだからね?すぐに他の先生たちが戻ってきちゃうからそれ以上は夜まで我慢だよ』 耳障りのいい優しい声に混ざって響くリップ音。その声の主に覚えがあった。 音楽教師の縁先生だ。 前々から生徒と関係を持ってるだとか噂されるくらいそういう意味で人気のある先生だとは知っていたが、まさか本当にこんなことをしてるとは思いもしなかった。 『……っ、ん、ふ……ぅ……』 衣擦れ音が大きくなる。湿った音も聞こえてきて耳を塞ぎたくなったが、動揺のあまり身体が動かなくなる。 噂も何も、本当に淫行教師じゃないか。信じられない、と思ったが俺も昨日同じことをしてしまった身だ。文句言える立場ではない。 ……最低ではあるが、聞かなかったことにして寝たふりをしよう。そう、踵を返そうとした矢先だ。 近くの棚に足が引っかかり、躓いてしまう。 「う、わ……わ……!」 咄嗟に手を伸ばした先にあったカーテンを掴んだ瞬間、血の気が引いた。 転ぶのは免れたが、カーテンのその向こう側。ベッドに腰を掛け、膝の上に生徒を乗せていた縁先生と目があった。勿論、膝の上の生徒もこちらを見ては凍りついてる。 「……お、お邪魔します……」 厄日とはまさにこのことだろう。 次の瞬間、生徒の悲鳴と同時に縁先生は生徒に引っ叩かれた。 ◆ ◆ ◆ 「いたたたた……」 「あの、本当に仁科先生呼ばなくてよかったんですか?」 「そんなことしたらまた奎吾に会議サボったこと怒られるもん。……それにこれくらいの怪我なら冷やしとけばなんとかなるしね」 縁先生はモミジをつくった頬を氷嚢で冷やしながら笑う。 見た目は細身のスーツの似合うどこか中性的な好青年なのだが、先程の光景を思い出すと余計なまなましく感じてしまってなんだか目を見て話すことができなかった。 「それよりも、困ったなぁ。まさか、齋藤君もサボってたなんてね」 「さ、サボりじゃありません……ちゃんと仁科先生たちに休むと伝えていたので」 「あ、そうなんだ?残念、じゃあ怒られるのは俺だけか」 あんな場面を俺に見られたというのに縁先生は全く気にしてる様子もない。それどころかむしろ楽しそうな縁先生にこちらの方が罪悪感を感じる始末た。 「どうして、あんなこと……」 「あんなこと?ああ、さっきの子のこと?」 「生徒との恋愛はご法度じゃありませんか。……クビになったらどうするんですか?」 「もしかしてそれ、俺のこと脅してるの?」 「そ、そうじゃないです……けど……」 「じゃあ心配してくれてるんだ?優しいね、齋藤君は。俺なら大丈夫だよ。寧ろこんなことで辞めさせるんなら学園も最初から俺を雇ってないだろうし」 そうヒラヒラと手を振る縁先生。 今の理事長と旧知の仲だとか、家族が有名な音楽家っていうのは聞いたことあったがやはりそれが関係してるのだろうか。 だからといってこういう行為が罷り通ってるのはおかしい……と俺が言える立場ではないのだけれど、そう思わずにはいられない。 「……あの子と付き合ってるですか?」 「いや?別に?てか、クラスも知らないしね」 「えっ?」 「朝待ち伏せしてしつこかったからここ使ったんだよ。俺の部屋に入れたくないしね」 「…………」 やっぱりこの人はろくでもない人だ。 相手にするのも嫌になって、俺は「それじゃあ、俺はこれで」とその場を後にしてベッドに戻ろうとした。 ……いくら顔がよくて授業がわかりやすくて優しいって言ったって、生徒とその、セッ……セフレみたいな関係になるのは良くないと思う。 ……寧ろ、縁先生のように割り切れればそれが楽なのだろうか。変な場面を見てしまったせいか、余計志摩のことを思い出してモヤモヤする。カーテンを閉めてベッドに横になろうとしたときだ、閉めたばかりのカーテンが開かれた。 「っ、え、あの……」 「ちょっと齋藤君、だめでしょ。まだ話は終わってないんだから」 「な、なに……言って」 「お邪魔しまーす」 なんて言いながら入ってきてはカーテンを閉め直す縁先生にぎょっとする。咄嗟に近くの枕を手に取り盾にすれば、縁先生にそれすらも取り上げられた。 「……邪魔したんだし、続き、君がしてくれるんでしょ?」 「つ、続きって……」 「わかってるくせにとぼけてんの?……いいよ、俺そういうのすげー好きだから」 伸びてきた手に肩を掴まれ、ベッドに押し倒される。大きく軋むスプリング。上から覆いかぶさってくる縁先生にデジャブを覚えた。 そして、血の気が引く。 「っ、ふざけ、ないで下さい……っ!」 「ふざけてないよ。俺はいつだって真面目だよ。……前々から思ってたけど齋藤君って可愛いよね、伊織のお気に入りだって聞いてたけど……そりゃあいつも気にいるわ」 「っ、ぁ……ッ?!」 スーツの中に入ってくる手にシャツ越しに身体を撫で回され、堪らず身悶える。思い出したくもないあの男の名前を出され、思わず震えた。 「や、やめ……縁先生……っ」 「その嫌がり方……最高にゾクゾクする。齋藤先生は脇腹が弱いんだ?」 「さ、わらないで……っ」 「へえ、耳も弱いんだね。……感じ方も可愛いし、益々好みだよ」 ベッドから這いずりでようとするが、スーツを掴まれてすぐに縁先生の下に戻される。近付けば近付くほど縁先生の甘い匂いが濃くなってどうにかなりそうだった。 耳の裏側から項まで舌で舐められ、言い表しようのない感覚が這い上がってくる。全身が硬直したとき、シャツ越しに張っていた指に胸を弄られた。 「っ、や、め……っ……っ」 「……やばいな、ちょっとからかうだけだったのにこんなに可愛いんだもん。……少しくらい入れてもいいよね」 「な、ッ」 恐ろしいことを恐ろしい顔で口走るこの男に流石に貞操の危険を感じた。俺は慌ててベッドから転がり落ちようとするが、腰を捉えられた身体は自由に身動き取れない。それどころか、ケツに押し付けられるやつの下腹部、その嫌な膨らみに青褪めた。 「っ入れていいでしょ、ねえ、先生?……大丈夫だよ、悪いようにはしないから」 吐息混じり、ゴリゴリと擦り付けられる異物感に打ち震える。 布越しでもそれがなんなのかわかってしまう、そしてそんな自分が嫌だった。 「や……」 やめてください、と、懇願しようとした矢先だった。 ガラリと保健室の扉が開いた。 『ユウキくーん、どこにいんのー?』 そして、聞こえてきたのは聞きたくなかった男の声。 縁先生もすぐにその声の主に気付いたらしい、珍しく顔を引きつらせ「ついてねー」と舌打ちをした。 縁先生が俺から手を離したのと、カーテンが開かれるのはほぼ同時だった。 血を連想させる真っ赤な髪に仕立てのいいブランドもののスーツ。 「……みーつけた……って、何やってんだお前ら」 嘘だろ、当分は学園に戻ってこないと言ってたはずなのに。 学園理事長、阿賀松伊織。 できることなら会いたくなかった男がそこにいた。 ◆ ◆ ◆ この男との出会いは数カ月前に遡る。 晴れてこの学園の教師になることが決まった日、書類手続きのために学園に来ていた俺は理事長室まで呼びつけられていた。 「今日から赴任してきた齋藤佑樹……だっけか?」 理事長室。 一面ガラス張りの壁からは街が一望できるほどで、春の木漏れ日をバックに椅子に深く腰下ろした男は手にしていた書類を机の上に放る。 春の陽気が死ぬほど似合わない鋭い目に、血を連想させる真っ赤な髪。そして長い髪の下から覗くピアスと、仕立てのいい派手なスーツはどう見ても気質には見えない。 そう。何度でも言おう、ここは理事長室であり、主の席に座るこの赤髪の男はこの部屋の、否、学園の主であった。 「ユウキ君、若えのに可哀想になぁ。うちみたいな面倒なところに追いやられるなんて」 「い、いえ、憧れていた学園で務めさせていただけるなんて夢のようで……」 「ふーん、あ、そう。でもま、そういう上っ面だけの堅苦しいのは良いんだよ」 「へ……」 「自己紹介、まだだったよな。この学園の理事長任されてる阿賀松伊織だ。……つっても、本物が復帰するまでの代理みてーなもんだからんなに固くなんなよ」 そう、理事長である阿賀松はニヒルな笑みを浮かべる。 ……この男の噂は常々聞いていた。前理事長の孫であり、理事長が急病で倒れた今この学園の理事長であると。 代理とは言ってるものの、前理事長復帰の目処が立っていない今この男が王と言っても過言ではない。 「……よろしくお願いします」 「おう、よろしく」 初めてこの人を見たときはあまりの派手さに度肝抜かれたが、思ったよりもただの暴君ではなさそうな阿賀松にほっとする。同期たちはこの男が君臨するこの学園に務めるのは絶対に嫌だといっていた。 ……確かに少し馴れ馴れしいけど、そこまでか?なんて思っていた矢先。 「話変わるけど、ユウキ君は男ってイケる口か?」 「……え?」 「だーかーらー、男に掘られたことあんのかよって聞いてんだよ」 …………前言撤回。少しでもましだと思っていた俺が間違いでした。 「あ、あの、そ……ッ、何を……」 「はいかいいえで答えれる質問だろうが。何恥ずかしがってんだよ」 聞き間違いかと思いたかったが、どうやら聞き間違いではなかったらしい。涼しい顔してとんでもないこと聞いてくるこの男に固まっていると、阿賀松は「あぁ」となにか納得したように口元をだらしなく緩めて笑う。 「その反応、処女か」 「……ッ、り、理事長……ッ!!」 「あーあー、そんなに可愛い反応しなくていいって。……ただの確認だから」 確認って……というか処女とかそうじゃないとか、なんなんだ、初対面相手に聞くことなのか?非常識ってレベルではない。 「お前にその気がねえなら安心したわ」 「ど、どういう……ことですか?」 「ウチって男子校だろ。……たまにいるんだよ、モノ好きが生徒に手を出したりそういうの。こっちも揉み消すのダリーからやめろよって話な」 「……なっ、……だ、出しません……!」 というか、生徒に手を出すなんて信じられない。 注意とは言え、阿賀松に当たり前のことを確認されて言い様のない怒りが込み上げてくる。 阿賀松はこちらを一笑し、そして鋭い目を更に細めた。 「そうだよなぁ、ユウキ君そういうタイプに見えねえもん。お前の場合は……生徒に舐められて犬にでもされねえか心配だしな」 「げ、下僕……」 「ウチの生徒は曲者揃いだからなぁ、扱い面倒だろうが仕下手に出過ぎても相手を付け上がらせるだけだ。そうなったら……ま、そのときはその時だな」 「くれぐれも舐められねえようにしろよ、ユウキ君」そう阿賀松は笑う。 そんなことはあるはずない、と言いたいところだが……正直、阿賀松の話を聞いて否定できない自分もいた。 この学園の生徒は金持ちばかりで、逆に言えば金を積めばどんな問題児でも入ることができるという悪名高い学園だった。 とはいえ、実際内部を見た感じどこの設備も整っているし、漫画のような不良がいるわけでもなく、穏やかで静かな授業風景を見て安堵していたのもつかの間。 寧ろ問題児は教師側ではないのかとも思い始めていた。 「精進します」と口にすれば、阿賀松は満足そうにただ喉を鳴らして笑う。 「精進なぁ、涙ぐましいことだな」 なんだろうか、やはり、この男のことは好きになれそうにない含みのある笑みになんとなく嫌な気分になる。 一刻も早くこの場から立ち去りたくなって、「あの」と口を開いたときだ。立ち上がる阿賀松に思わずドキリと緊張した。 俺も身長はある方だと思ったが、阿賀松はそんな俺よりも更に高いのだ。 ズカズカと詰め寄ってくる阿賀松に慄き、咄嗟に後ずされば腰を掴まれた。 「っ、あの……」 「誰かに奪われる前に俺が貰っておこうか」 ぐに、とスラックスの上から思いっきり臀部を鷲掴まれ、停止する。一瞬なんのことかわからなかったが、会話の流れを思い出し、顔が熱くなった。 「け、結構です……ッ!」 貞操の危機を覚え、咄嗟に厚い胸板を押し返せば、やつは怒るどころか楽しげに笑うばかりで。 「そんだけ言えりゃ大丈夫そうだな」 そう言って、「それじゃ、ユウキ君またな」なんて俺の肩を叩いてそのまま理事長室から出ていった。 笑っていたが、冗談には聞こえなかった。体に残る阿賀松の指の感触を必死に拭い去りながら俺は時間を置いて理事長室をあとにした。 その時はなんにもなく済んだが、それからというものの阿賀松は校内で俺を見かける度に馴れ馴れしく接してくるのだ。いくら代理とはいえ、理事長は理事長だ。 そう思ってセクハラ紛いの発言も流してはいたが、まさか、こんな形で再会するなんて。 「何やってんだ、お前ら」 冷めた目の阿賀松に血の気が引いた。そしてその視線は主にベッドの上、縁先生に乗られてる俺に注がれてるわけで。 「いやー……齋藤君が元気ないって言うから励まそうかと思ってさ」 普段飄々としてる縁先生がこうして慌てるのも珍しいが、そんなこと言ってる場合ではない。 「あ、あの……これは……」 この人に体弄られましたといえばいいと思ったけど、阿賀松に睨まれると言葉すらも出てこない。全身が恐怖に支配される。なんで俺が焦ってるんだ、悪くないだろ俺。 「……方人、お前会議は?」 「あー、そうだ今日会議だったんだ。……じゃ、急いで行ってきまーす」 阿賀松に振られたことをいいことに、縁は会議を言い訳に颯爽とその場から逃げ出した。早い、逃げ足の速さだけは恐ろしく早い。 しかし、ここは流れに乗じるしかない。 「あ、じゃあ……俺も失礼しま……」 「待てよ」 します、と逃げようとしたところを阿賀松に速攻止められ、ベッドへと押し戻される。 嫌な予感的中。筋肉質な腕に掴まれば逃げれるわけがなかった。 「お前、方人になにされた?」 なんでこの男が怒ってるのかわからなかった。縁先生は俺のことを阿賀松のお気に入りだとか言っていたが、少なくとも俺はこの男に優しくされた覚えはない。 「……別に、何も……」 「嘘つくなよ」 「……ッ」 スーツの前を思いっきり開かれ、ぎょっとする。理事長、と慌てて阿賀松の腕にしがみついてやめさせようとするが、逆効果だった。 「……俺にはあんなに嫌がったくせに、簡単に他の野郎に手を出されてんじゃねえよ」 「そんな、こと……っ」 「やっぱりあのときあの場で抱いときゃよかったな」 耳元で恐ろしいことを囁かれ、血の気が引いた。 やばい、まずい、これは、まずい。慌てて阿賀松の身体を押し退けようとするが、筋肉質な身体は俺の力ではちょっとやそっとでは動かない。 「や、めてください……っ!」 「弱えな。……もっと抵抗しねーと意味ねえだろ」 香水の匂い。司会いっぱいに広がる赤。細められた両目が俺を捉えて離さない。 顎を掴まれ、正面を向かされる。顔を逸らそうとするよりも先に、当たり前のように重ねられる唇に全身が強張った。 「ん゛っ、ぅ、ふ……ッ!」 キスというよりも、それは獣に噛み付かれるような乱暴なものだった。唇を噛まれ、舌ごと引きずり出される。粘膜同士が擦れ合わせるような愛撫に近い舌の生々しい動きに意識ごともってかれそうになった。 なんで俺、この男にキスされてるんだ。暴れるたびにベッドが軋み、股の間に潜り込んでくるやつの膝に無理矢理足を開かされる。 「っ、ぅ゛ふ、ぐッ」 縁先生とはまた違う濃厚な香水の匂いに頭がクラクラする。熱を帯び始めていた身体に、震えた。 阿賀松の熱い舌先に口の中を舐め回され、唾液ごと飲まされる。無理矢理喉を開かされ、俺の喉が鳴ったのを確認して阿賀松は俺から舌を引き抜いた。 口の中の異物がなくなりほっとするのも束の間、じんじんと痺れる頭は何も考えられなくて、アホみたいな顔で呆然としていた。 「な、んれ……こん……な……」 連日男相手にキスをされるなんて厄日どころではない。ぼんやりとした頭でもその異常さだけは理解していた。 そして、異常そのものを体現したかのような目の前の男はただ冷たく笑うのだ。 「言ったろ、誰かに奪われる前に俺のものにするって」 教育者失格だ、この男。そう思ったが、ああそうだった、こいつはただの代理人だ。教育者でもなんでもない。そのことを思い出したが最後、同時にこの男が最も敵に回してはいけない相手だということを再認識し、ただ絶望した。 二話→https://t589423.fanbox.cc/posts/254242 三話→https://t589423.fanbox.cc/posts/261663 最終話→https://t589423.fanbox.cc/posts/270530