長い、長い夢を見ていた気がする。 「随分と眠っていたね、齋藤君」 どこからが夢で、どこまでが現実なのか。 その境界線すらもあやふやで、未だ夢心地の頭だった俺は頭上から降ってきたその声に脊髄反射で目を開いた。 「おお、危ないよ。急に起きたら。……まだ頭の傷治ってないんだからゆっくり動かないと」 「……っ、縁……先輩……」 「ああ、まだ先輩って呼んでくれるんだ。嬉しいよ」 明るい部屋の中。照明に照らされたやつの濃紺の髪は青く反射する。 端正な顔を緩め、人良さそうな笑みを浮かべた縁方人はベッドに腰を掛けたまま俺に手を伸ばした。 逃れようと体を攀じるが、手足が痛み、ビクとも動かない。縛られてるのかすらわからない。 感覚がないのでまさか繋がってないんじゃないかと青褪めたが、眼球だけ動かして自分の右手に視線を投げかければちゃんと指先までつながっている。 「体、まだ自由効かないだろ。暴れそうだったから麻酔打ったせてもらったよ。だから逃げようだなんて思っても無駄ってわけ」 全部、悪い夢じゃないかと思ってた。心の底でそう思っていたかった。 けれど現実はどうだ、まだ悪い夢は続いているではないか。 「……酷い顔だね。まあ、三日も眠りっぱなしだったし仕方ないか。取り敢えず、麻酔が切れるまではもう少し我慢してね」 「っ、志摩は……どこですか」 「第一声が他の男のことって……大分傷ついちゃうなぁ、俺」 「ふざけ……」 巫山戯るな、と言いかけたとき、縁の手が頬を撫でる。 逃れようとすれば、首はまだ動くらしい。顔を逸らせば、無理矢理顎を掴まれる。 強引に正面を向かされれば、すぐそばには縁の顔があり、ぶつかりそうたほどの至近距離に思わず息を飲んだ。 「君から質問責めされるのは面倒だから先に教えてあげるよ。ここは俺の別荘の地下で、俺の君の二人きり。そして君の大好きな亮太ならここにはいないよ」 「……っ!な……」 「約束、忘れてないよね」 俺が勝てば開放してくれる。そして俺が縁に負ければ俺は縁の玩具同然、そして志摩は――。 そこまで記憶が蘇り、全身から血の気が引いた。 志摩が、ここにいないということは。 「……っ、まさか……」 殴りかかりたい、掴みかかって問い詰めたいのに、体どころか指先にすら力が入らない。青褪める俺の視線を真っ直ぐ受け止めた縁はただ穏やかに笑った。 「可愛い齋藤君の望みと言えどルールはルールだからね。……ちゃんと守ってもらうよ。君はここで俺と暮らしていくんだ。ずっと、そうだね、俺か君、どちらかが死ぬまでずっとだ」 静まり返った部屋の中に縁の声が響く。重苦しい空気に響くのは場違いなほどの明るく、優しい声。 けれど俺は知っている。この男は、人畜無害そうな顔をしてどんなことでもできる男だと。身を持って知ってるからこそ縁のその荒唐無稽な言葉を笑うことすらできなかった。 現に、俺はやつのテリトリーである見知らぬ部屋に連れてこられてる。その事実を前にして、今更何を疑うことができるのか。 「まだ疲れてるんだろう?ゆっくり休むといいよ。時間はたくさんある。また後で会いに来るよ、齋藤君」 まるで恋人にするかのような触れるだけのキスをして、縁は俺から手を離した。そして、愕然とする俺を残して縁は部屋から出ていくのだ。 あの男の優しさなど不気味でしかなかった。それ以上に、志摩のことについて何も言わなかったことが余計恐ろしくて、無事でいてくれと思いたい反面既に諦めかけている俺自身がいるのも事実だった。 親のこと、学園のこと、全てどうなってるのかもわからない現状、あの男の手のひらの上。先の見えない未来にただ視界が真っ暗になっていくのを感じた。 【アポリア】 縁と過ごす日々は地獄のようなものだった。 優しかったのは、否、人権があったのは目を覚ましたあのときだけだ。 それから部屋にやってきた縁は俺の麻酔が切れたのを確認してから【遊び】を始めた。あの学園でしていたときとは違う、寧ろそれ以上に悪趣味極まりないものだ。 「約束、覚えてるよね。君は今日から俺のお嫁さんになったんだよ。旦那様の言うことは絶対。少しでも逆らったり嫌がったりした素振りを見せたら――そうだね、罰でも受けてもらおうか」 「な……っ」 「あ、今嫌そうな顔したね。……ま、君ならそんな反応すると思ったけど駄目だよ。まずは1……君が俺を拒否する態度見せる度にカウントしてその日の最後その数の罰を受けてもらうよ。今日はせっかくの初夜なんだし平和に行こうよ。そうだね、まずは嫌がった数だけ君の体に痣を作ろうか」 「あはは、2回目。君は本当にすぐ顔に出るよね」穏やかな口調とは裏腹にゾッとするようなことを言う縁に俺は何も言えなくなった。 その目が笑っていなかったからだ。その目に見詰められ、言葉もでなかった。 「俺のことは方人って呼んでよ。先輩呼びも駄目だよ。ここはもう学園じゃないんだからね。……まあ別に君がどんなことでも耐えられるって言うなら好きにすればいいよ。少なくとも助けとかそういうのは無駄だから諦めなよ」 「どういう……ことですか……」 「そのままの意味だよ。それ以上は君にはもう関係ないことだから気にしないで」 気にするなと言われてはいそうですかと納得できるような話ではない。 沸々と怒りが沸いてくる。一発殴ってやりたい気持ちが込み上げるが、この状況で手を挙げてみろ。どんな目に遭わされるかもわからない。 とにかく、もっと状況を把握しなければ。なんとしてでもこの男の好きになりたくない。ここで死ぬなんてもっての外だ。その一心で自分を押さえつけていた。 けれど、それも呆気なく壊される。この男自身の手によってだ。 「自分の立場は理解できたみたいだね。……君の順応性の高さは俺も買ってるんだよ。流石、伊織に飼い慣らされてただけあるね」 そう、肩を抱き寄せられられる。ぎょっと目を見開いたとき、縁は「三回目」とカウントを口にし、それから当たり前のように俺に口づけた。 「っ!……っ、ふぅ……ッ!」 突き飛ばしたかったが、先程の縁の言葉を思い出し、寸でのところで拳を握りしめて耐えた。キスくらいなんだ、とと思うが、当たり前のように入ってくる舌に無反応で居続けるほど図太くはない。 自然と眉間が寄る。 必死に平静を装うが、侵入してくる肉厚な舌に咥内の粘膜を舐め回されればそれだけで嫌な汗が滲む。じっとこちらの反応を見つめる目だけがやけに冷静で、それを意識したくなくて俺は目を瞑った。 この男の意図はすぐにわかった。俺が抵抗するのを楽しんでいるのだ。だからこそ無理難題を押し付け、その上で絶対俺が嫌がる真似をするのだ。 悪趣味極まりない縁が思いつきそうなままごとだと思った。 罰を受け入れるつもりで嫌がっても、俺が嫌がるのを我慢して受け入れても、この男は悦ぶのだ。 数分のキスの末、人の口の中を散々舐ったこの男は濡れた舌を引き抜いた。唾液が糸を引くのが見えて、俺は咄嗟に視線を反らす。 「本当に君が俺のものになったなんて、まだ夢見てるみたいだ。……齋藤君、俺の名前を呼んでよ」 「……っ」 「名前、呼んで?それとも聞こえなかった?」 ぎり、と耳朶を掴まれ、直接耳元で囁いてくる縁にゾッとした。なんで俺が、と思ったが、食い込む爪に耳を引きちぎられそうな恐怖を覚え、俺は重い口を開く。 「……っ、方人……さん」 「うん、よくできました」 いい子だね、とそのまま耳朶を噛まれ、舐められる。先程まで咥内を散々舐め回していた舌は唾液で濡れ、少しでも動くたびに濡れた粘着質な音が耳元で響き、腹の奥がぞわぞわとした。 「これから毎日齋藤君は俺とセックスするんだよ。俺達の間に赤ちゃんができるまでずっと毎日ね。君が体調悪かろうが、泣いて嫌だって喚こうがこれはルールだ」 「……っ、……」 どの口で物を言ってるのだろうか。男同士で妊娠するはずがないとわかってて言ってるのだから余計質が悪い。嫌悪感で顔が歪む。六、と唇を動かして縁は笑った。 「君は本当に口よりも顔に出るね。けどそれくらい表情は豊かな方が魅力的だからね」 「……ぅ……」 「ああ、言っておくけど俺の問いかけに対して無視するのもカウントさせてもらうよ」 「……っわかり……ました」 「そうそう。いい子だね、齋藤君は」 そう言って縁は俺の服の裾を掴み、大きく捲し上げる。いきなり腹を出させられぎょっとする。 「えーと……六、だったかな。服の裾、しっかり持っててね」 剥き出しになった腹部を撫でられる。その優しく滑る肌の感触に腹の奥が、心臓が、ざわつく。喉が乾く。自分の唇を舐める縁に、先程までとは違う冷たい笑顔が浮かぶ。 ……嫌な予感に全身が強張った。 「舌、噛まないように引っ込めてなよ」 そう縁が言い終わるよりも先に、胴体に衝撃が走る。臓物が押し潰されるような重い一発に、目の前が白ばんだ。 乾いた口の中から一気に唾液が溢れ、潰れたカエルのようなうめき声が洩れた。 苦しい、痛い、そんなものを感じる暇もなく二発目を殴られる。先程と同じ箇所を殴られ、上半身が強張った。今度は声が出なかった。 魚のように跳ね上がる上半身をベッドに押し付けられ、馬乗りになった縁は熱が籠もった目でこちらを見下ろし……そして三発目。 「っう゛おぼッ」 抑えきれずにビチャビチャと口から溢れる酸っぱいそれに形はなかった。痙攣する胃からこみ上げてきた胃酸の苦味は喉だけではなく鼻に広がり、俺は腹を抑え蹲った。 腹に穴が空いたんじゃないかってほどの痛みに涙が滲む。噎せ返る俺の腕を掴んでくる縁に、咄嗟に体が震える。 「三発も殴れば痣になるよね。……それじゃ、次はこっちかな」 体を強引に裏返させられるようにうつ伏せにベッドに押し付けられる。シーツがゲロで汚れるのなんて構わず、縁は乱暴に服を脱がせ、そして俺の肩口に口を寄せた。 「……っ、ん……ふ……」 「痛ッ、ぅ……ッ!!」 キスをするように唇を押し付けられたかと思った瞬間、食い込む歯に血の気が引いた。皮膚を突き破る勢いで突き立てられる痛みに過敏になっていた上半身が打ち震える。 焼きごてを押し当てられるような激痛に耐えられず、シーツにしがみつく。ガリッと嫌な感触がした次の瞬間、激痛を与えられていたそこにじわりと熱が広がるのを感じた。続いて、それを舐め取るように皮膚を強く吸われる。傷口ごと引っ張られ、肌が裂けるような痛みに、脂汗が滲んだ。ボロボロと涙が溢れ、声を堪えようとするがくぐもった悲鳴まで殺すことはできなかった。 「二個目はまあ、痣ってことで」 「……ッ、ふ……ぅぐ……」 「次はそうだな……やっぱりここかな」 そっと背筋を伝っていたそのしなやかな指先が肩甲骨の辺りを示す。擽るように皮膚を撫でられ、想像した痛みに目の前が眩む。 「ガチガチだね。そんなに痛いのは怖い?」 行為とは裏腹に、どこまでも甘く優しい声が今はただ不気味で仕方なかった。息をすることも忘れてしまいそうなほどの痛みの中、俺は頷いた。媚を売ることで少しでも痛みを軽減させてくれれば、と思ったが俺は忘れていた。 この男に媚などは関係ないと。 「そう、可哀想に。でも悪いのは君だからね。可哀想だけど、俺と一緒に慣れていこうね」 次の瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。骨が軋むような痛みに、シーツにしがみつくしかできなかった。 金槌かなにかで殴られたような痛みに脳味噌の奥が焼けるように熱くなる。いっそのこと意識が吹き飛んだ方がましだった。 「っぁ……ぐ……ひ……ッ」 「やっぱ背中は痕残りにくいなぁ……やっぱり前にしよっか」 ひりつく背中を無理矢理動かされ、再度体を仰向けにされたとき、こちらを見下ろす縁と目があって息を飲む。 なんだ、まさか今の殴られ損ってことか。絶望する俺を見て、縁は楽しそうに目を細める。 「あーあ、可哀想に泣いちゃって。あと三も残ってるのに」 「っ、も、や……」 「あーあ、言っちゃった」 「じゃあ一発追加で」と悪魔のようなことをいう縁に俺は言葉を失った。 「ああ、良かった。ちゃんとここ鬱血してるね。それじゃあ被らないように少し上に痣を作ろっか」 「っ、は、ぁ゛……ッ、う゛……っ」 「駄目だよ、隠したら」 「……ッ」 カウントされる、と血の気が引いた。咄嗟に腹部を覆い隠そうとした手を離してシーツを掴めば、縁は満足げに微笑む。 「よく見えないと痣が入れれないだろ」 そう、縁は俺の履いていたスラックスを脱がす。下着も引っ張られ、当たり前のように裸にされても抵抗する気にならなかった。萎えきった性器が露出し、それを軽く指で弾かれれば腰が震える。 「っ、ぅ……」 「……はぁ、ヤバイな……ここでするつもりはなかったんだけど」 そう言いながら覆いかぶさってくる縁に、息を飲む。この男、人を殴って勃起している。 下着の中のものに押し上げられテント張ったそこを腰に押し付けられ、恐怖すら覚えた。 「まあ、君は俺のお嫁さんだからいいよね」 悪びれもせず、縁はガチャガチャとベルトを引き抜き笑った。 この男に負けるということはこういうことなのだ。まだ悪夢を見てる感覚だったが、下腹部の熱を理解した途端深く後悔した。したところで何もかも遅い。 「っ、お゛ぁ゛!ぁ゛ッ、おッ、ぅぐ、ァ……ッ!」 股が裂けるような痛み、散々殴られた内臓を内側から熱したパイプでグッチャグチャに掻き混ぜられるような苦痛にわけもわからずのたうち回る。 みっともなく足を開かされた状態で腰を掴まれ根本まで挿入されれば逃れることもできない。 「はぁ……ッ、可愛い、可愛い、齋藤君君は本当にいい声で鳴くなぁ……っ!ねえっ、もっと聞かせてよ、可愛い声……ッ!」 頬を紅潮させ、人の腰を掴んだ縁はそう言って拳を固く握り締め、そして次の瞬間思いっきり腹をぶん殴られる。 「ぁ゛が……ッ!」 痛みなんてものではない。中パンパンに詰まったそこを殴られた瞬間、その痛みを庇おうと全身の筋肉が強張った。それでも痛みからは逃れられない。腹の中モツごと吹っ飛ぶような衝撃に頭が真っ白になり、世界が反転する。筋肉の収縮の締め付けに縁のが反応する、苦しいのは俺だけではないはずだろうにやつは、やつは気持ち良さそうに顔を歪め、笑うのだ。 「っ、はぁッ、やばいね……これ、最高に締まるじゃん……っ、齋藤君苦しいっ?」 「ぅ゛っ、ひ……ぐ……っ」 「っあぁ……可愛いね、こんなに縮こまっちゃって……大丈夫だよ、俺は最っ高に気持ちいいから」 人の話なんか聞いちゃいない。 興奮してるのは声から分かった。どんどん大きくなっていくものを挿入したまま、二発目を殴られ、今度は声すら出なかった。 涙腺が壊れたみたいに涙が溢れ、瞼裏は白黒チカチカ染まったまま。今にも爆発しそうなくらいの血液が心臓へ流れていくのがわかる。俺の体も命の危険を覚えてるのだろう。 少し拳がずれれば急所に当たりかねない。それがわかってる状況で興奮する気にもなれなかったし、少しでも縁の手が動いただけで全身がびくりと痙攣し、来たるべき痛みをこらえようとするのだ。その度に縁は笑った。笑いながら、「かわいいね」とキスをするのだ。 そして三発目。四発目。五発目。それ以上は数えられなかった。 殴られる。何発も殴られたら痛みは薄らぐだろうと思いきやそんなことはなかった。殴られれば殴られるほど腹部は腫れ上がり熱くなる。そこを更に殴られ、全身の血流が腹部に集中するのがわかった。 これでは本当に玩具だと思った。 縁の勃起を収めるためだけの肉オナホ。締め付けだけを求められ、大きく開かされたそこを何回も出し入れされ、快感なんて感じる暇もない。痛みに喘ぎ、死の予感に震える。いっそのこと殺された方がまだましだと思えるほどの責め苦に胴と下半身がくっついてるのかどうかもわからなくなった。 最早何発殴られたのかも覚えてない。多分、脳が考えることを拒否したのだろう。縁は腹ばかりを集中的に殴った。何も入ってない腹を殴られ吐き出すものも空気くらいしかなくなっても尚体は何かを吐き出そうと跳ねるのだからおかしなものだ。 どこを殴られてるのかわからないくらい腹部全体が殴打の痛みに麻痺し始めていた。それでも殴られたときの衝撃も内側を摩擦する熱もその膨張したものの感覚も増すばかりで。 どれが痣なのかもわからないくらい真っ赤になった自分の腹部を見たとき、気が遠くなった。抵抗する気などとうに失せていた。 とっくに痣なんか七つ以上できているのに、縁は結局自分が射精するまで俺を殴るのをやめなかった。 「はは、これじゃあどれが一個の痣かわかんないね」 そう性器を引き抜く際縁が言い放った言葉は既に俺の耳に届いていなかった。 縁が死ぬか俺が死ぬか。本当にそのとおりだと思った。 宣言通り縁は俺を毎晩抱いた。毎晩どころではない。暇さえあれば体に触れてくる。 眠ってるところを体を弄られるときもあれば、叩き起こされるときもあった。それでも一つ覚えたのは、当初設けられたあの横暴なルールさえ破かなければあの地獄のような責め苦を受けることは本当にないということだ。 最初は勿論、初日の殴られた痛みが残ってるだけに縁の一挙一動に全神経を擦り減らしていた。 気をつけていたところで本能的な部分までもどうすることはできなくて、あれ以降も何度か罰を受けた。 粗相の数だけ肛門に異物を捩じ込まれたこともあれば、粗相の数だけリストカットのように手首を切り刻まれたこともある。わけのわからない薬を同時に飲まされたときは意識混濁して死を覚悟した。 人は学習する生き物らしい。このベッドとシャワーとトイレしかついていない四角い部屋の中、何度も痛い目を見て俺は縁に逆らうことをやめた。 キスをされれば舌を絡める、名前を呼ばれれば応える。抱きしめられれば力を抜く。そうすれば一先ず命を守ることができた。 今更プライドなど残っていない。ここで死ぬわけにはいかない。絶対にこの男を殺してでも帰るのだ。その意思だけで生きてきた。 そのタイミングを掴むその時までは五臓六腑失うわけにはいかない。 「齋藤君、ただいま。俺に会えなかった間大人しくしてた?」 「……はい」 「そっか、それはごめんね。……それにしても随分と大人しくなったね。最初はあんなに暴れていたのに」 人の足の腱を切っておいてよく言える。 この男のせいで今は自力で立つことはできなくなった。腕を使って床で這いずって移動することが辛うじてできることで、地下にあるというこの部屋を出たとしても階段を上がり切る自信はない。 切られた当初に比べて痛みは大分引いたが、それでも包帯で固定されたそこを使う事ができるようになるのはまだ先だろう。縁がいない間なんとか歩行の練習しようと思ったが、そこに至るまでにまずは傷の完治を優先させることにしていた。 それを知っててここ最近の縁はわざと足に負担がかかるような抱き方ばかりをしてくるのだ。だから、こうして縁が部屋に来る度に全身が緊張した。 「それで?齋藤君、お帰りのちゅーは?」 俺が寝てたベッドまでやってきた縁はそのまま座り、俺の顔を覗き込む。言いながら自分の頬を指す男に怒りすら湧き上がらなかった。ただ無感動のまま、俺はその頬に唇を寄せるだけだ。 「……おかえりなさい」 「うん、ただいま」 これだけを見てれば本当に新婚のようなやり取りだと思う。 勿論形式だけだ。この男がすべて強要させてるのだから根本からしてまずずれている。 満足げに微笑み、縁は俺の頬に唇を寄せる。そのまま髪を掻き上げられ、頬や額、こめかみと至るところに唇を落とされた。 「っ、ま、さとさん……っ」 縁と過ごしてから変わったことはもう一つある。 毎晩抱かれてる内に、縁に触れられるだけで射精の感覚が呼び起こされるようになった。パブロフの犬、と言われれば何も言い返せない。 縁との行為は嫌悪感が強いが、それでも気持ちよくないわけではなかった。痛いときもあるが、強制的に痛みに慣らされ、次第に痛みや苦痛すらも興奮剤へと変化するようになったのだ。不名誉なことだとわかってても、生きていくための変化だと思いたかった。 「……いけないな、齋藤君に名前を呼ばれるとすぐ勃起しそうになっちゃうんだよね。……今日はこんなことしてる場合じゃないんだけど」 ぺろ、と唇を舐め、縁は俺から顔を離した。 ここで縁が引き下がるのは珍しい。やらないのか、と内心出鼻挫かれる俺に気づいたのか縁は笑う。 「今日はここから出してあげるよ。……ずっと同じ景色も飽きただろう」 ここに来てどれくらい経ったかもわからない頃だった。縁の言葉に俺は、今まで探していた待ち望んだタイミングがやっと訪れた……それほど希望を覚えたのだった。