【短編小説】夜明けのラウンジ(前編)
Added 2018-07-25 13:52:50 +0000 UTCLagoon Lounge補完エピソード『夜明けのラウンジ』 時系列:6話終了後 ---------------------------------------------------------------------------------------------- 「豪先輩、お茶入れましょうか? お酒がいいですか?」 悠二郎が店の冷蔵庫を開けながら、俺に問いかける。 「酒はいい。麦茶を頼むわ」 「了解っす!」 悠二郎のごつい腕に提げられた、負けじとごついボトルから、 水出しの麦茶が氷の入ったグラスになみなみ注がれていく。 ぱきぱき、と氷の鳴らす音が清涼感でラウンジを満たす。 俺と悠二郎は開いた窓に向かって椅子を二つ並べ、二人でそこに腰かけた。 「持てます?」 「ああ、大丈夫だ」 俺は悠二郎からグラスを両手受け取る。 両手を火傷してはいるが、冷たいものに触れる分には問題ない。 むしろ気持ちがいいくらいだ。 俺は受け取りざま冷たい麦茶をぐいと飲み干し、空になったグラスをテーブルに置いた。 グラスの周囲に垂れる水滴が、木目のテーブルをじわりと濡らしていく。 「豪先輩、そんなに一気に飲むとお腹壊しちゃいますよ」 「そん時は便所手伝えよな」 「う……そこはお腹壊さないように気を付けてもらえると嬉しいっす……」 悠二郎が不安そうな顔で言う。冗談だっつーのに。 色んな事情があって、2日前、俺は自分の両手を焼いた。 空午のやつがいろいろと処置をしてくれたが、 今でもまだ両手が自由に使えるとは言いがたい。 一連の経緯を聞いた悠二郎はそのことを案じて、 身の回りの世話をしにラウンジに来てくれていた。 我が後輩ながら殊勝なやつだ。 「お前、そろそろ帰っていいぞ」 「なんでですか? まだいますよ」 「もう深夜2時だぞ。いつもはとっくに寝てる時間だろ」 「全然眠くないんで大丈夫っす!」 「…………」 そう言いつつも、眠いのを我慢しているのは目に見えてわかる。 重そうなまぶたをときどき無理に持ち上げているし、 もっと言えば何度か寝落ちしかけているのも見て取れた。 こいつは良くも悪くも、嘘をつくのが異様に下手なやつだ。 そのくせ時折、他人の細かい変化をつぶさに感じ取る鋭敏さを見せたりもする。 今回ここまで遅く残ってくれているのも、俺の寝不足を悠二郎が見抜いたからだった。 両手のやけどがまだ痛くて、ここ数日、寝たくてもほとんど眠れていないのだ。 「こうして話していると、痛くても気が紛れると思いますし」 悠二郎が俺の心を読んでいたかのように言葉を返す。 「お前、それよく言ってるよな。不安が和らぐとか、痛みが和らぐとか」 「自分の身で知ってますから。オレがライナー喰らった時は……」 「ああ、いい。その話はいい」 「えー……」 また出た、悠二郎のいつもの話。 ピッチャーライナーを顔面に喰らって、額から血を大量に流す悠二郎の姿に俺は焦り、 こいつの手を握ってずっと励ましていたという、ずいぶんと昔の話だ。 今思うと恥ずかしいのであまり掘り返してほしくないのだが、 悠二郎はこのことを忘れる気は毛頭ないらしい。 「オレ、豪先輩が困ってる時はいつでも力になりますからね。なんたって女房役ですから」 「女房役は俺だろ……まぁ、頼りにはしてるよ」 火傷した手で悠二郎の背中を軽く叩いてやる。じわりとした汗の湿りを感じる。 春洲村の一帯はラグーンからの風が吹き込むため、夜はそこそこに涼しくなる。 そのため営業終了後のラウンジは空調を止めて自然風から涼を取っているのだが、 それでもにわかに汗をかく程度には、今夜は真夏の様相を呈していた。 「暑そうだな。エアコン付けるか?」 一応、悠二郎を気遣ってやる。 「や、オレは大丈夫っす。風が入ってくるの好きなんで」 「そうか、俺もだ」 二人して笑う。お前ならそう言うと思ってたぜ。 野球をしていた頃は、練習後のクーラーをあんなにも有難がっていたのに。 自然風なんて吹いてほしい時に限って吹いてくれないし、 エラーの原因になるしで俺たちはいつも振り回されてばかりだった。 しかしいざ野球から離れてみると、不思議と自然風が恋しくなったものだ。 きっといつのまにか、風すらも野球の一部だと捉えていて、 懐かしさや愛おしさを感じてしまっているのだろう。 その点については、俺も悠二郎も同じ気持ちを共有していた。 「おまえよ、学校の方はどうなんだ?」 「楽しいっすよ!」 「……そうか」 即答されて少しほっとする。 まあこいつの場合、俺や爽輔と違ってあらゆる年代に好かれるため、元からあまり心配はしていない。 自ら進んで周りと不和を起こすような性格ではない。 道理的に許せないことがある場合以外は、基本的に協調性を重んじる男だ。 俺は悠二郎の持つそういった要素を、素直に尊敬していた。 「ただ、練習がないのは、ちょっと……寂しいっす」 「…………」 そうだ。うちの野球部は、地区予選2回戦で敗退してしまった。 悠二郎たち3年はそこで引退。もう高校野球に関わることは二度とない。 その寂しさはよく分かる。俺も同じことを経験したんだからな。 朝練に合わせて早起きする必要もない。 腹が減って2限目にこっそり早弁しなきゃいけねえこともない。 放課後だってグラウンドに直行しなくてもいい。 おかげで学校生活はずいぶんと楽になったが、それ以上に物足りなく、切なく感じたもんだ。 「でもお前、負けても泣かなかったそうじゃねえか。俺らが引退する時はわんわん泣いてたのによ」 「……そりゃあ、豪先輩と一緒に野球できなくなるのが一番辛かったからっすよ」 「自分が引退する時よりもか?」 「そうっす」 「…………」 こいつは本当に、思ったことをなんでも素直に答えちまうな。 そこがいいところではあるんだが。 悠二郎は自分の利き手をぐっと握って、物思わしげに見つめていた。 (後編につづく)