急にこたつから立ち上がり声をあげたのは燈也だった。
「いいねー、腹へった!」と樹生は続けてから、一瞬間をおいて「大丈夫そ?」とあなたに振り返る。そういえばもうお昼だ、あなたは首を縦に振った。
ある休日、兄弟が揃うからと家に招かれたあなたは、ちょうど陸郎に借りていた本を返したり、一緒に遊びたいとねだられたゲームに興じたり、飼い猫のネロとグリと戯れたりして穏やかな時間を過ごしていた。
「海人兄も行くよね?」
燈也が尋ねると、ソファに腰掛け本に目線を落としていた海人はやおら顔をあげて「いいよ」と短く答える。
「陸兄は――?」
燈也がきょろきょろと部屋を見渡したので、あなたは隣へ目線を移してうながした。
「わっ、寝てたんだ! 死角でぜんっぜん気づかなかった!」
こたつに潜りまるで子供のように無垢な寝顔で穏やかな寝息をたてている陸郎は、大きい体に反して妙に空間になじむというか、今もなんだかクッションそのもののようで、見失ってしまうのもわかるような気がした。
「空兄はあと5分くらいで帰ってくるって~」
スマートフォンの画面を軽快にスワイプしながら、燈也はあなたの横に腰をおろした。
「とんかつ屋はあの駅近くの――そうそう、そこ! 空兄の車でいくから」
ニッと満面の笑みをあなたに向けたあと、燈也は陸郎の体を揺する。
「おーい陸兄、お昼ごはん外に食べにいくよ~」
「……ん……あ、ごめん、寝てた」
なにかしら口の中でむにゃむにゃと言いながら陸郎が身体を起こした。柔らかい毛はクセがつき、光に透けてふわふわと漂うなんともおかしな髪型になっている。
あなたが思わず顔をほころばせると、陸郎は少し照れたような顔をして「すぐ準備してきます」と洗面所へと歩いていった。
各々が準備をはじめたのを見てあなたもそうしようと立ち上がると、玄関からガチャガチャと音が聞こえたので、あなたはその足で向かうことにした。
「おう、今帰った。遅くなって悪いな。」
わざわざ迎えにあがったあなたの姿を見て、空彦の精悍な顔立ちが緩む。
「すぐ出かけるんだろう? 燈也から聞いている」
靴を脱いだ空彦はなにやら重そうな荷物を抱えて自室に消える。
自分も早く準備しなければ、あなたは足早に部屋に戻った。
***
「いや~、タイミング良く入れてよかったなー!」
樹生が満席のとんかつ屋を見渡して満足気におしぼりで手を拭いている。
標準的な6人席に案内されたが、神崎家の五兄弟が揃うとまるで満員電車のように密度が高く狭く感じるのだからおもしろい。
あなたがおしぼりで手を拭き終わる絶妙なタイミングで、海人がメニューを差し出してきた。こういうときの彼の行動は実に嫌味がなくてスマートだ。樹生が「あっ」という顔をしている。
店員が先にお茶や漬物といったものを運んできたのを見て、先程の「あっ」を取り返すべく樹生は妙に張り切ってそれを配りはじめたので、あなたはそっとサポートに努めた。
「どーしよっかなー! とんかつも食べたいけど、見てよこれ、エビフライものってる!」
「俺はこういうときはロースって決めて…いや、この季節限定のもうまそう」
下2人が顔を寄せてメニューを覗き込んだり、壁に貼られた「ごはん・キャベツ・お味噌汁おかわり自由」の文字を確認しては盛り上がっているのを微笑ましく思いながら、あなたはメニューに目を走らせた。
とんかつ屋の看板を掲げてはいるが、予想以上にバラエティ豊かなメニューだ。
久しぶりだからどうせならがっつり。でも色んな味を楽しむのも捨てがたい……
「どれもおいしそうですね」
悩んでいると陸郎が優しく語りかけてきた。
メニューのこれとこれのどちらにしようかと…説明すると彼は顔を僅かに輝かせた。
「実は自分も同じので迷っていました。どちらも捨てがたいですよね」
あなたが力強く同意すると、彼は「いいことを考えつきました」と軽く拳を握り意を決したように「自分とあなたでこの2つを頼んで、一つずつ交換しませんか?」と言った。
真剣な顔つきだったので何を言われるかと構えていたあなたは、思わず頬をゆるませてその提案を受け入れることにした。
「決まった?」
海人が低いゆったりとした声であなたに尋ねた。
彼の声はまるで上質なチェロの音色のようで、一瞬ここがとんかつ屋であることを忘れそうになる。あなたが応えると海人は席の端に目線を送り、それをキャッチした燈也が勢いよく呼び出しボタンを押した。
はきはきとした声の定員がお決まりでしょうかと、注文をとりにくる。
「ロースカツ定食、ご飯大盛りで」
空彦の声を皮切りに「俺も!」「オレはこのバラエティかつ定食で! ごはんは大盛り!」と注文が続き、あなたも無事陸郎と示し合わせた通りの注文をすませた。
「あー、最近調子はどうなんだ?」
唐突に空彦が質問をなげかけてくる。
最近…?と一瞬考えると、海人が「アバウトだね」と微笑した。
空彦は眉根にしわを寄せわざとらしく咳をし
「ほら、言っていただろう。この前のアレだ」とごまかすように続けた。
あなたは空彦に伝えていた近況のことを思い出し、その後のことを話し始めた。
気づけば騒いでいた樹生と燈也に、陸郎も耳を傾けている。
真剣に聞いてくれるのは嬉しいが、この5人から目線を向けられるのは何かと圧を感じる。あなたは照れを隠そうと、咄嗟に定食を運んできた店員に注意をそらした。
***
「ふ~食った食った」「あ~ウマかった」
満足そうにお腹をさする樹生と燈也。
兄弟たちの食べっぷりは見ていて実に清々しかった。
まず一口が大きい、そして早い。みるみるうちにごはんのカサは減り、気がつけばまた大盛りにもられている。キャベツを食べる様などはまるでコンバインの稼働を見ているような気持ちよさだった。仕草が丁寧な陸郎や、常にスマートな雰囲気の海人ですら、驚く量を平らげている。
おいしそうに食べる人を見るのは気分が良いものだ。
温かい気持ちで会計に向かおうとすると空彦がそっと手で制した。
「今日は俺のおごりだ」
あなたが驚いて首を振ると、「いいから」と海人が背中に手を添えて店外に誘導した。
あなたが忍びなく思っているとそれを察した樹生が
「こうやってみんなで集まれるときは、その時々で誰かが出してるんだ。だから気にしないで」と笑った。
「素直に喜ぶのが一番だよ」と燈也が言い、陸郎がうなずく。
「ごちそうさま」「空兄ありがとー!」「ごちそうさまです」「ごちです、次は俺だから!」店から出てきた空彦に次々と兄弟が礼をいい、あなたもそれに続く。
12月の空気は冷たくて吐く息も白い。
しかし、彼らに贈るあなたらしいお返しの形を考えると不思議と心は温かく、あなたを呼ぶ声に小走りで駆け寄って帰路につくのだった。