わたしには死というものはわからない。
だって、関係なかったもの。
どれだけ血を流しても、どれだけ痛い思いをしても、気づけば何事もなかったかのように元に戻っているの。
兄さんは、私たちを不死身と言っていたわ。
死なない体…これで私たちは恐怖をひとつ失っていたの。死に対する恐怖。
わたしは嬉しかったの。兄さんと、永遠に過ごせることが!
兄さんはわたしのことをとても愛してくれる。
いつも隣にいてくれて…毛繕いもしてくれる。わたしが水辺で遊んでいる時も、兄さんは優しく見守ってくれていたわ。
子供の頃は覚えていないけど…お母さんがいなくなっても、兄さんはわたしを大切にしてくれた…そうよね?
わたしは兄さんと一緒なら、どの世界でもよかったの。
兄さんがいる世界がとても素敵な世界で、兄さんがいない世界はとても悪い世界。
わたしはこの死なない身体をもっていてよかった。
だから…
だからずっと幸せだと思っていたの。
いつも幸せを壊すのは、知らない誰かだった。
わたしは人間の言葉なんて喋れない。でも、人間の言葉は理解できた。
「死ね」と。
どうして?
わたしたちは幸せになってはいけないの?
痛くて、怖くて、何もわからなかった。
でも兄さんがいたから、全部我慢した。
痛くて痛くて痛くて痛くて堪らなくて、怖くて、怖い怖い怖い。
寒い。
杭を打ち込まれたから、痛くて泣いた。
口にナイフを入れられたから、痛くて泣いた。
爪を剥がされたから、痛くて叫んだ。
尾を切断されたから、痛くて叫んだ。
何かを刺されて、気持ち悪くなって、血を吐き出した。
歯を抜かれて、怖くて体の震えが止まらなかった。
それで…………。
わたしの体は怪我と、治すを繰り返して、ぐちゃぐちゃになった。
長い時間痛い思いをした。
繰り返されるの。わたしがこの生活に慣れたときは、わたしはわたしの感情を理解できなくなっていた。
わたしの体に起きていることなんて、わかるわけなかった。
知らないわ、この感情なんて。これはなに?
あの人間たちを殺したくて堪らないの。
わたしの痛みは、人間たちは知っているの?
わたしの苦しみは、人間たちに与えられるの?
何もわからない。楽しいと思っていたあの頃に戻りたくて、わたしは泣き続けた。
…これはわたしの感情なの?わたしは何もしなくても、涙が溢れるの。
怖くて、でも兄さんはわたしに寄り添っていた。いつまでも、兄さんはわたしの前では辛い顔をしなかった。
その傷ついた体で、どうしてわたしを守ろうとするの?
血だらけの体が、いたそうで、どうして兄さんにこんなことをするのかわからなくて、また泣いた。
兄さんは優しすぎるの。わたしは…わたしが1番怖いのは、兄さんの死で……。
兄さんの体はわたしより大きいから、兄さんが丸くなれば、わたしはその間に収まるの。
兄さんの白い毛が、頬を撫でる。
ここが、わたしたちの白い花畑だったらなんていいことだったのか…。
兄さんは大丈夫だ、と言っていた。
つらいから、兄さんのことを考え続けた。
でも、兄さんの死が頭をよぎってしまって、怖くて涙が止まらなかった。
オレは不死身だろ?
兄さんは優しく笑った。
そうね…。
わたしはそう答えた。
だから怖くなってしまったの。兄さんが死んでしまったら?死って何?
白い花が言っていた。黒い花は、竜の灰で染まっていると…。
わたしたちは、魂が抜けると体は燃えるらしい。
燃えて灰になって、灰は白い花に降りかかって、そして…。
黒い花として生まれ変わる。
これが死だというの?
わたしは…花になんてなりたくないの!
生きて、生き続けて、この姿のまま兄さんとずっと過ごして…わたしは…これを望んでいただけなのに。
気づいたら、わたしの体は…人間だった。
もうどうでもよくなっていた。
魂があるなら、それでいいの、って。
疲れちゃった…。
自分の本当の姿が、わからなくなっちゃった。
これは悪い夢なの?
花が、わたしたちに罰を与えたの?
お腹すいた…。それにとても…眠い。
いったいどのくらい太陽が沈んで、月が登ったの?
わたしはどのくらいここにいるの?
とてつもなく長く感じた。
わたしの白い体はどこにもなくなった。
わたしに残ったのは、長い長い白い毛と、人間の体。
脚も腕も長い。人間の体ってこんなものなの?
自分の変わり果てた腕を見つめて、生きたいという思いはどこか消えてしまった。
幸せを望んでいただけで…。わたし何かしたのかな。
兄さん、ごめんね、わたし…。
わたしのせいなのかな。
わたしのせいなんだ。
兄さんはわたしを守ってくれたのに、わたしは兄さんをなにひとつ守れなかった。
…。
人間の体には慣れたわ。
歩き方も、声の出し方も、人間の殺し方も、全部わかるの。
わたしは…竜よ。
弱いと思って油断したのね。
頭を何度も殴ればいいの。
ほらね。
兄さん、早くでよう。
白い花畑に行かないと。
兄さん、何を怖がっているの?
わたしがいるから大丈夫だよ。
兄さんはわたしが守るからね。
血生臭い。
人間の体って思ったより便利なのね。
兄さんと手を繋いだ。
兄さんは、ハヴェは優しいな。と優しく笑った。
それが嬉しくて、思わず笑顔になった。
兄さんと一緒なら、怖さが吹き飛ぶ気がするの。
兄さんが隣にいるだけで、気が楽になるの。
青緑の光。長い長い道。
冷たい地面に、赤色をしたわたしの道を作っていく。
もう何も怖くないの。
みんな死ねばいいのよ。
そう、それでいいの。わたしたちは逃げて…………それで…。
本当はもう、わたしたちの家がないことくらい知っていたの。
赤い火。黒い灰。風に舞う白い花びらが、赤い火に包まれて黒い花に変わっていく。
家もなくて、姿もかわって、わたしは…。
わたしは何を望むの?
兄さんが隣にいる世界は…。
素敵な世界よ。
ここは素敵な世界ね。
でもこんなの違うわ、こんなの…こんなの!!
わたしはただ…普通に暮らしたくて…それだけなのに…!!
自分の感情が抑えきれなくて、ただ、目の前のものを壊すことしかできなくて、…それで……………あぁ………………わたしは。
痛かった光景を何度も思い出して、痛くて…痛くて痛くて!!
兄さんがわたしを撫でてくれた。
おかげで、少し落ち着いた気がする。
そうよ…わたしが守らないと。わたしが兄さんを守らないと。
わたしは強くならないといけない。そして、いつか白い花畑を取り戻してやる。
…。
………わたしはもう、幸せにはなれないんだ。
人間たちがわたしを囲んでいる。
動かなくなった兄さんを抱えて、わたしはただ人間を睨み続けた。
兄さん、ごめんね………わたしのせいで。
わたしがなんとかするからね…。
兄さんのほうが痛い思いして、辛い思いして、苦しい思いして、なのに…わたしたちは不死身じゃなかったの?
人間が言っている。
「実験は成功した!」
何の話?
どういうこと?
わたしたちは人間の遊び道具だったってこと?
もう感情の出し方がわからなくて、ずっとドキドキしてて…息の仕方もわからなくて、その場で座り込むしかできなくて。
兄さん……。
血塗れの顔。切り裂かれた腹は、痛々しくて、兄さんに幸せな思いをさせられなくて…涙が止まらなくて…。
わたしははじめて、自分が兄さんより大きく感じた。
兄さんって、人間の顔になるとこんな感じなのね。
他の人間よりも、一番素敵で、綺麗よ。
兄さんに大好き、と言ってみた。
次の瞬間、ばあん、と音がして、目の前がぐるりと回る。
世界がまわって、反転して、逆さまに…。
目の前には、わたしの体があった。
あれ?どうなっているんだろう。
何かが弾け飛んだような音。そうだ、わたしが弾けた音だ!
人間たちの喜ぶ音が聞こえる。
わたしたちの不幸せを笑う声。
「化け物は死んだ!」
そう。
わたしたちをそんな目で見ていたのね。
わたしはお前らがこんなことをしたから、殺すしかなかったのに。
絶望をする暇もなかった。むしろ、兄さんに会えるかもしれない、という希望が持てた。
おかしいよね。
わたしたちはずっと、森の中で暮らしていたのに。
その時まで、人間たちには何もしていないのに。
勝手にわたしたちを化け物と呼んで。
化け物はそっちでしょう。
わたしたちをこんな姿にして。
ああ、まだ生きていて、人間の言葉が話せるなら、話していたのに。
視界が赤く、黒く……。
これが死ぬってことなのね。
このまま、黒い花になって生まれ変わるというの?
もしそうなら…兄さんと隣がいいな。
兄さんがいる世界は、素敵な世界だから…。