XaiJu
あいまり
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【先行公開】続・盲目な恋に堕とされて 前編

「うおおおおおおッ!」  茶髪の筋肉質な男が決死の形相で大声を張り上げ、両手に握った剣を振り下ろしてくる。  私、エスラは体を軽く横に倒す形でその剣撃を躱すと、すぐさま片手に握った剣を振るって男の首を刎ねた。  ……最悪。血がついた。  私は頭部の消えた男の体を遠くに蹴り飛ばしつつ、顔に付いた血液を服の袖でグイッと拭い取って周囲に視線を向ける。  すると、地面に座り込んでいた修道服を着た女性と目が合った。 「ひッ……!?」  私と目が合うや否や、彼女は小さく悲鳴を上げながらも、背後にいる何人かの子供達を庇うように両手を広げる。  何とも素晴らしい博愛心。片方の手には金色のロザリオが握られており、そこから垂れた金色の鎖は震えてカチャカチャと乾いた金属音を響かせる。  可哀想に。どうやら、彼女は私のことが怖くて仕方がないらしい。  せめて苦しまずに殺してあげるのが情けか……と、剣を構え直しつつ彼女の元に歩み寄ると、彼女は「どうして……ッ!」と声を上げた。  へぇ。この状況で抵抗するのか……。 「どうしてッ、貴方様がこのような真似をするのですかッ!? 神に選ばれ、人類を守る為にと剣を取った勇者様がッ……どうしてッ!」  震える声で言う修道女の言葉に、私は「どうして、ねぇ……」と小さく呟きながら剣の柄を握り直す。  勇者様……そういえば、昔はそんな風に呼ばれていたこともあったっけ。  と言ってもつい先日までのことではあるのだが、今の私にとっては遠い昔のことのように感じてしまう。  そんな私が、一体どうしてこんなことをしているのか、か……。 「そんなの……ナーリス様からのご命令だからに決まってるじゃん♡」  私は笑顔でそう答えると、修道女の体を切り捨てた。  ここは、魔族領と人間領の境界線上にある辺鄙な村。  ナーリス様の奴隷として生まれ変わった私達に与えられた初の任務は、人間達が暮らしているこの村を襲って金品や物資の調達を行うことだった。  かつてナーリス様の素晴らしさに気付かなかった頃の愚かな私達は、勇者一行などと名乗って多くの魔族を切り捨て、ナーリス様に多大なる損害を与えてしまった。  私達の命をもってしても償いきれない程の大罪だが、ナーリス様はその寛大な心で私達を許し、部下として迎え入れてくれるだけでなく贖罪の機会までも与えて下さったのだ。  それがこの小さな人間達の村を襲い、魔王軍再建の足掛かりを作ることだった。  私達にとってはナーリス様のお役に立てるだけでも至上の幸福だと言うのに、それをかつて私達が犯した大罪の償いなどと言ってくれるだなんて、あのお方は何て寛大で素晴らしい方なのだろうか。  この感謝は、これからの人生全てを掛けて尽くしても尽くし足りないだろう。 「ちッ、ちかづくなッ! ひとごろしッ!」  ナーリス様への感謝と敬愛を改めて噛み締めていると、足元の方からそんな声がした。  あぁ、そういえば……さっき殺した修道女が、何やら子供を守っていたっけ。  手間だが始末しておくか。ナーリス様からも、村の人間は邪魔になるようであればいくらでも殺して良いと言われているし。  そう思い、顔を上げた。 「ッ……」 「だッ、ダメだよレオちゃん! パパもママも、村のみんな、この人にころされちゃったんだよ……? このままじゃ、レオちゃんも……!」 「うるさいッ! おまえ、レイに指一本でもふれてみろッ! アタシがぜったいにおまえをころしてやるんだからなッ!」  桃色の長髪をした少女を背中に隠し、両手に持った太い木の棒を剣のように構えてこちらに向ける茶色のショートヘアをした少女。  彼女を見た瞬間、なぜか私は微かに息を呑んでその場に硬直した。  ……なぜだ……? どうして、私は……動けなく……──。 『ぜったいに、私がみんなを守るんだからッ!』 「ッ……!?」  突然脳裏を過ぎった光景に、私は思わず頭を押さえた。  これは、昔の記憶……ッ!? どうして今、こんなことを思い出して……ッ?  たかが昔の思い出なのに……どうして、私の心は、揺り動かされてッ……。 『お姉ちゃんってば傷だらけじゃん! また無茶して……』 『えぇっ? ルシェってば過保護過ぎない? これぐらいなんてことないって……いてて』 『エスラは馬鹿。考え無し』 『ユイッ……!? いつの間にそんな言葉覚えてッ……昔はもっと素直で可愛かったのに……』 『エスラが馬鹿なだけ。アイルは可愛いって言ってくれる』 『何を~!?』  昔の記憶が蘇る度にズキズキと脈打つように頭が痛み、心臓が激しい音を立てる。  なんだ? なんだ、なんで、どうして? どうしてこんなに、頭が痛い?  こんな子供、さっさと殺してしまえば良いじゃないか。  早く殺して、早く、早く……ナーリス様の元に……── 『もぉ~……アイルさんも何か言ってよぉ』 『えっ? 私?』 『……確かに。エスラも、アイルの言うことだったら聞くよね』 『うーん……そう言われてもなぁ……』  ──……本当に……?  私が帰りたかった場所って……ナーリス様の元、なんだっけ……?  私が好きなのはナーリス様で、私の全てはナーリス様の為にあって、ナーリス様を守りたくて、それが私の幸せで……──……本当に?  私が、本当に、守りたかった物は……私が本当に大切だったもの、それは……── 『私はただ……皆と一緒にいられれば、それで幸せだからなぁ』 「──ッ……!」  そんな一言を思い出した瞬間、私はハッと目を見開く。  息が荒くなり、全身から大粒の汗が噴き出す中でゆっくりと顔を上げると……そこでは、相変わらず枝を剣のように構えたまま、怯えたような表情でこちらを睨みつける茶髪の少女がいた。  ……なんで、そんな目で、私を見るんだ……?  そんな風に考えながら視線を落とすと、そこには……返り血で真っ赤に染まった、私の体が……──ッ!? 「うッ……!?」 「う、うおおおおおおッ!」 「レオちゃん!」  突然の吐き気を催しそうになったのも束の間。  レオと呼ばれた少女は声を張り上げると、両手に持った木の枝を振り上げてこちらに駆け寄ってくる。  それに、私は咄嗟に振り下ろされた木の枝を掴んで片手でへし折ると、すぐさま彼女の肩を掴んでその場にしゃがみ込んだ。 「ひッ……!?」 「しッ……! よく聞いて」  悲鳴を上げそうになるレオの口をもう片方の手で押さえながら、私は咄嗟にそう告げる。  しかし、これまで村人を惨殺した私の言葉など、今更信じられる訳も無いだろう。  私は胸の奥から込み上げる痛みを飲み込むように一度グッと強く唇を噛みしめ、すぐさま続けた。 「私は、君達を見逃す。……だから、今すぐここから離れるんだ」 「ッ……!? んんッ! ん~ッ!?」 「今更、私の……人殺しの言うことなんて、信じられないだろう。でも、あの子は……君にとって、大切な人なんだろう?」  私はそう言いながら、レオが守っていた少女に視線を向ける。  怯えた表情で両目に涙を浮かべながらこちらを見つめていた少女は、私と目が合うとビクリと肩を震わせた。  それに、私はすぐにレオに視線を戻して続ける。 「私を信じろとは言わない。でも、大切な人を助ける為に……今すぐあの子を連れて、ここから逃げるんだ」 「んんんッ!? んん~ッ!」 「私にも……自分の命よりも大切な、幼馴染がいる。だから……今の君の気持ちは、理解してあげられるつもりだ。……だから」 「エスラ~。そっちは終わった?」  だから、早く逃げるんだ。  そう続けようとした私の言葉は、こちらに近付いてくる足音と共に遠くから聴こえた声によって遮られる。  レオもその声を聴いてビクリと肩を震わせるので、私はすぐに彼女の体から手を離して「早くッ!」と急かした。  すると、レオは困惑した表情で頷きつつ、後方で恐怖に打ち震えていた少女の手を引いて走り出す。  二人が崩壊した村を出て森の中に逃げ込んでいくのを確認したのも束の間、背後から「おぉ」と小さく声がした。 「何だ、エスラ。終わったなら、早く戻ってくれば良かったのに」  その声に、私は片手を強く握り締めながら振り向いた。  目が合うと、背後に立っていた声の主──アイルは、私の顔を見て「ぇっ……?」と微かに声を洩らした。 「どう、したの? エスラ。何か、顔色悪くない?」 「……そう? 気のせいじゃないかな」 「いや、そんな死にそうな顔して何が気のせ……ん?」  ヒクッと頬を引きつらせたような笑みを浮かべながら話していたアイルは、突然その言葉を止めると同時にピクリと微かに眉を顰めた。  何だ……? と疑問に思っていると、アイルは静かに両目を瞑って耳を澄ませた。  ……まさか……ッ! 「アイル、何して……」 「静かに。……何か、森の方から足音がする」 「何言って」 「もしかしたら、生き残りがいたのかも」  アイルは静かにそう続けながら、ゆっくりとその目を開いた。  白銀の綺麗な瞳を虚ろに濁らせた彼女は、その目で森の方に視線を向けながらそう言って腰に提げた剣の柄に手を当てるので、私は慌てて彼女の手を掴んでそれを制止した。 「そんな訳無いじゃん。この辺りにいた村人は、私が全員……殺したよ」 「でも、見落としてたかも……」 「それに、ナーリス様の命令は、あくまで物資と軍資金の調達でしょう? 村人の皆殺しじゃなくてさ」  私の言葉に、アイルはしばしの間キョトンとしたような表情を浮かべていたが、やがてその目を伏せながら「それも、そうだな」と呟くように言う。  それに私は小さく笑みを返して彼女の手を離すと、彼女はふと私の顔に視線を戻した。  ……? 何だ? 「アイル?」 「や、返り血凄いなと思って。……頑張ったね」  アイルは特に表情を変えること無くそう言うと、軽く手を伸ばして私の頬に触れた。  途端、私はカッと頭に熱が昇るような感触があり、すぐに「そうかな!?」と言いながら彼女の手を掴んだ。 「そ、そう言うアイルだって、凄い返り血付いてるじゃん……! こんなもんだよ!」 「そう?」 「それよりッ、早く戻ろ! ルシェとユイと合流してさ!」  私は慌ててそう続けながら、アイルの手を引いて歩き出す。  ……怪しまれただろうか。  だけど、今はまだ、知られる訳にはいかない。  小さい頃からずっと一緒にいたアイル達に隠し事なんて、出来る筈もないけど……でも、このことは誰にも知られてはいけない。  ナーリスを倒し、奴の魔の手から皆を救い出すまでは何としてでも隠し通す。  私に掛かっていた、ナーリスの“魅了の瞳”の効果が消えたことを。 --- 「こちらが本日の戦利品でございます」  魔王城、最上階にある玉座の間にて。  玉座に佇むナーリスの前に四人で跪く中、私は代表するように言って村から押収した金品をナーリスに献上した。  それに、ナーリスは私達が捧げた金品を一瞥すると小さく笑みを浮かべ、口を開いた。 「あんな辺鄙な所にあるちっぽけな農村にしては、中々の収穫じゃない。想像以上よ。褒めてあげるわ」 「……身に余るお言葉です。ありがとうございます」  人々の生活を脅かす魔王軍の再興に貢献している事実に、今にも身も心も引き裂かれそうな悔しさを胸に抱きながらも、必死に押し殺して私はそう答えた。  ……あの村にだって、人が住んでいたんだぞ。  多くの命と生活が、あの場所にはあった。  それら全てを奪い、潰し、殺して……そうして手に入れた金品の数々。  だと言うのに、奪われた多くの人生をちっぽけなどと吐き捨てて容赦なく踏みにじる目の前の魔王が。  そして……そんな魔王の術に惑わされ、この手で彼等の命を奪ってしまった自分自身が、許せない。  許されるなら、今すぐにでもこの命を絶って贖罪したい。  しかし、今ここで私が死んだとしても、私達が奪った命は戻ってこない。  何より、目の前の魔王は自分の罪も知らぬままのうのうと生き続ける。  私の大切な幼馴染達も魔王の手に堕ちたまま、きっとこれからも魔王の命令に従ってその手を汚し罪を犯し続けるのだろう。  ……魔王ナーリスに身も心も捧げて尽くすことが、至上の幸福だと信じて疑わぬまま。  私はどうなっても構わない。  しかし、このまま大切な友の人生が、魔王の道具として使い潰されることを見過ごすわけにはいかない。  この大罪が許されることは無くとも、せめてもの償いとして目の前にいる魔王をこの手で討ち倒し、諸悪の根源を絶たなければならない。  これ以上、誰の命も奪わせない。幼馴染達の手も汚させない。  その為ならば、例え刺し違えることになろうとも構わない。  しかし、今すぐには無理だ。  まず、この場にはナーリスに魅了されたままのアイル達がいる。  ここで私が立ち上がって奴に剣でも向けようものなら、すぐさまアイル達が魔王を守る為に立ちはだかるであろう。  ……かつての、アイルのように。  それに、魔王と正面から一騎打ちでもしようものなら、その勝ち目は極めて薄いだろう。  まず、魅了の瞳を使われでもしたら私は太刀打ちできない。  ルシェに加護の魔法を掛けて貰った状態でも敵わなかったのだ。まともに喰らって耐えられる筈も無い。  仮に魔王の魅了魔法を対処出来たとして、魔王の力量がどこまであるのかが定かでは無い。  少なくとも魔力は魔族内でも随一な上、アイルの剣撃をほぼ無傷で受け流せるだけの技量はある。  一対一でやり合えば、こちらの分が悪いことは明白だ。  であれば、私が勝利する為に必要なことは……魔王ナーリスに魅了魔法を使わせず、奴の持っている能力を発揮させぬまま討ち取ること。  それ即ち──……闇討ち。  奴に魅了されたアイル達が増援にも来れぬよう、皆が寝静まった夜遅くに、闇に紛れて確実に首を取る。  無論、私は高度な隠密能力や暗殺技術などは持ち合わせていないが、早急に魔王ナーリスを殺す為にはこうするしか出来ない。  大丈夫。私なら出来る。  その為に、今までこの身を鍛えてきたのだから。 「それじゃあ、まずは……エスラ? こっちに来なさい? ちゃんと言うことを聞けたご褒美をあげるわ」  だから、今はまだ……疑われる訳にはいかない。 「そんな、褒美だなんて……ッ! この身に余る光栄でございます。有難く頂戴させて頂きます……ッ!」  大切な人達を守る為なら、憎き宿敵にだって媚びへつらってやる。  プライドも尊厳もかなぐり捨てて、無様な恋の奴隷を演じてやる。  私はまるで従順な飼い犬のようにナーリスの元に駆け寄ると、奴の手に促されるまま口付けを交わした。  ……甘い。  まるで濃厚に煮詰めた蜂蜜のような甘ったるさが、唇から舌、そして全身を貫くように駆け抜ける。  舌を絡ませて接吻を交わす度に濃密な甘味が脳髄を揺らし、視界を明滅させて思考を霞ませる。  甘すぎて胸焼けするような感覚の中、私は体の奥底から込み上げる様々な感情を必死に押し殺して、ナーリスとの深い接吻を交わした。 「お゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ……!」  吐き出す。何度も、何度も、何度も。  たっぷりと“褒美”を受け取った私は、玉座の間を後にしてすぐさま手近なトイレへと駆け込み、そのまま便器の中に全てを吐き出した。  気持ち悪い……! 汚い、気色悪い……ッ!  吐き気のあまりに便器を開けた瞬間すぐさま全てを嘔吐したが、それでも胸の奥に溜まった不快感は解消されなかった為、私は自分の喉に指を突っ込んで更に吐き出した。  大丈夫だろうか。耐えられていただろうか。ナーリスの前では取り繕えていただろうか。  ……自信が無い。  奴を討つべく自分の感情は全て押し殺すと決意をしたが、だとしても全てを受け入れられる訳では無い。  最悪だ。本当に気持ちが悪い。  大切な幼馴染の人生を弄び踏みにじる宿敵と恋人のように口付けを交わすのも、少し前まではその行為を心の底から悦んで受け入れていた自分自身も、何もかもが気持ち悪い。  これ以上は……心が耐えられない。  やはり、今日の夜にでも奴を討ち倒さなければ……何より先に、私の心が死んでしまう。 「エスラ……大丈夫か?」  口を拭って決意を固めていた時、突然個室の扉の向こうからそんな声がした。  この声はアイル!? どうしてここに……? まさか、今が聞かれたんじゃ……ッ!? 「あ、あアイル……!? 急にどうしたの!?」 「いや……ナーリス様の元に向かう時から、何だか顔色が悪かったような気がして……体調が悪いんじゃないかと思ってさ」  心配そうに言う彼女の声に、不調に気付いて心配してくれている嬉しさが込み上げると同時に、背筋が静かに冷たくなっていくような感覚がする。  マズい……まさか、洗脳が解けていることに気付かれたか……ッ!?  ナーリスに隠すよりも、彼女達に隠す方が難易度は高い。  幼少の頃からずっと一緒にいたと言うのに、今更彼女達に隠し事をするなんて不可能だ。  一体どう誤魔化したものか……と、思考を巡らせつつ、咄嗟に便器の中の吐瀉物を流した時だった。 「もしかして、エスラも……ナーリスの魔法が解けているんじゃないのか?」 「……えっ……?」  小声で続けられたその言葉に、私は掠れた声を洩らしながら顔を上げる。  ……エスラ、も……?  それって、まさか……ッ!  慌てて立ち上がり扉を開けると、そこには個室の前に立ったまま白銀の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめるアイルの姿があって……── 「実は……私もなんだ」  ──……静かな声で、そう告げた。  その言葉に、私は静かに息を呑む。  すると、彼女は軽く辺りを見渡した後で私の肩を掴み、そのままトイレの個室へと押し戻すようにして中に入ってくる。  アイルが後ろ手に扉を閉めるのを確認するや否や、私は彼女の手を掴んですぐに口を開いた。 「でも、どうして……ッ!? いつの間に……ッ!」 「それはこっちの台詞だよ。もう絶対に解けることは無いって思ってたのに……何がきっかけだったんだ?」 「それは……──」  私は彼女に、村で見掛けた子供達のこと、彼女達の姿がかつての私達の姿と重なって正気を取り戻すことが出来たことを話した。  全てを聞き終えたアイルは納得したように頷き、自分は具体的なきっかけや理由はよく覚えてないが、私の違和感に気付いて悩んでいる間に気が付いたら目が覚めていたと話してくれた。  思えば、彼女は最後までナーリスの魔法に抗っていたし、もしかしたら私達と比べて掛かりが弱かったのかもしれない。  そんな風に考えていると、かつてナーリスの魔法に堕ちた私達が彼女にやってしまった数々の行為が脳裏を過ぎり、私はすぐにグッと喉を詰まらせた。 「あの、アイル……洗脳されていた時のことは、本当に……何と謝罪したら良いか……」 「えっ?」  私の謝罪に、アイルは一瞬キョトンとしたような表情を浮かべる。  しばし間を置いた後、彼女はすぐに「いやッ」と慌てた様子で口を開いた。 「あれはしょうがないでしょ! ナーリスに操られてたんだし、私だってすぐに洗脳されたんだから、その時の皆の気持ちは身を以って理解してるよ」 「でも……だからって、あんなこと……」 「もぉ~気にし過ぎだって! 急にしおらしくなっちゃって、エスラらしくないじゃん」  アイルはそう言って笑いつつ、私の頭をポンポンと軽く撫でた。  突然のことに思わずその身を強張らせていると、彼女はすぐにその表情を引き締め、「……で?」と口を開いた。 「エスラは、これからどうするつもりなの? このままナーリスに従い続ける……つもりは、もちろん無いよね?」 「うん。私は、今日の夜……この手で、ナーリスを殺そうと思う」  私の言葉に、アイルは微かに目を見開く。  それに、私は腰に提げた剣の柄に手を添えて続けた。 「ナーリスと真っ向勝負なんてしたら、まず私に勝ち目なんて無い。だから、皆が寝静まった頃に、奇襲を掛けようと思ってる」 「……なるほど。確かにそうだね。私も、それが一番勝算は高いと思う」  自身の顎に手を当てながら、アイルはそう答える。  彼女は私の言葉を吟味するように何度か頷いた後、すぐにパッと顔を上げて続けた。 「その作戦、私に手伝えることはあるかな? 私だって、このまま見てるだけなんて嫌だよ」 「アイル……」  真剣な表情で言うアイルの言葉に、私は思わず口を噤んだ。  ……ヤバい、どうしよう。  皆を救う為に、必ず一人で成し遂げるつもりだったのに……こうして、いざ味方が出来てみると、思わず涙が出てきそうなぐらいに嬉しい。  しかもそれが、物心ついた頃から一緒にいたアイルだと言うのだから、心強くて仕方がない。 「……ありがとう。そうだね。基本的には、私一人の方が奇襲の成功率は高いと思う。でも、もしも作戦に失敗して戦闘になることがあったら、私一人だと分が悪いから……いざと言う時の為に、近くで待機しておいて欲しい」 「ッ……! 分かった、任せて!」  私の言葉に、アイルは右手に強く拳を作りながら笑顔で言う。  それに私は胸の奥に熱が灯るのを感じ、同時にまたもや彼女に行った数々の愚行を思い出し、私はすぐに緩んだ頬を引き締めた。 「その、アイル……あの時のことは、本当に……ごめんね」 「なッ……本当に大丈夫、気にしてないってば」  私の言葉に、アイルは困ったような笑みを浮かべながら私の肩をポンポンと軽く叩く。  しかし、それ以上何と答えたら良いか分からずに口を噤んでいると、アイルは私の顔を見て小さく溜息をついて口を開いた。 「前のことをそんな引きずるなんて、エスラらしくないよ? ホラ、しゃんとして! そんなことじゃ、ナーリスを倒せないよ?」 「アイル……」 「今日の夜、絶対にナーリスを倒して……ルシェとユイも助けなくちゃ」  彼女の言葉に、私はグッと気を引き締めて「うん」と頷いた。 「そうだね。ありがとう、アイル」 「よし……って、長居し過ぎちゃったかな。怪しまれると良くないし、私もう行くね」  アイルはそう言って軽く手を振ると、個室の扉を開けて先に出て行った。  私はそれに手を振り返し、遠ざかっていく彼女の背中と綺麗な銀髪を見送る。  そして、扉が閉まり、個室の中で一人きりになると……私はすぐに大きく溜息をつき、室内の壁に背中を預けた。  ……まさか、アイルが味方になってくれるだなんて。  一人で戦う決意をしていたと言うのに、こうして味方が出来るとなると、どうしようもないくらいに嬉しくて仕方がない。  まだ本来の目的は果たせてないと言うのに、今まで張りつめていた緊張の糸が一気に緩んだような感覚があり、私は口元を手で軽く覆ってもう一度溜息をつく。  ……しかし……── 『もぉ~気にし過ぎだって!』 『本当に大丈夫、気にしてないってば』 「──……気にしてない、か……」  ポツリ、と。  掌の中に吐き捨てるように、私は小さく呟いた。  気にし過ぎ。そう言われたら、それまでなのかもしれない。  あの時──ナーリスとの口付けを交わした時、私の胸中は不快感と嫌悪感によって満たされる中、脳裏ではアイルとのキスのことを思い出していた。  ナーリスの魔法で操られ、彼女の所有物になることが何よりも幸せなことなのだと心の底から信じて、アイルを陥れる為に行った強引な接吻を。  そして、まだ彼女の目が見えていた幼い頃、一度だけ交わした口付けを。 『そういえばさ、昔……二人でキスしたことあったよね』  昔……アイルが私のせいで視力を失ってから何年か経ち、すっかり彼女が目の見えない状態に慣れてきた頃。  ある時、ふと……彼女がそんな風に切り出したんだっけ。 『そうだね、懐かしい~。近所に住んでた夫婦の真似してさ』 『あはは、うん。……アレさ、無かったことにしない?』  どこか照れ臭そうにはにかんだアイルは、不意にそんなことを言ってきた。  突然の言葉に思わず『えっ……?』と聞き返すと、彼女はポリポリと頬を掻いて続ける。 『だってさ、あの時は私達も子供だったし、その……キスの意味、とかも、あんまよく分かってなかったでしょう? アレをファーストキスって言うのもどうかと思うし……二人だけの秘密ってことで、ね?』 『えっ、あっ……うん。分かった』  彼女の言葉に、私は胸の奥が微かに痛むのを感じながらも、その感情を静かに押し殺してそう答えた。  アイルはそれに、クシャッとその顔を緩めて『ありがとう』って、答えたんだったっけ。  ……あぁ、そうだ。そうだった。  君は、昔からずっと“そう”だったよね。 「……気にするワケ……無いよね……」  私は一人そう呟きながら、火照る顔を隠すように前髪をぐしゃりと握り締めた。  この胸が酷く痛むのは、罪悪感のせいだと……自分自身に言い聞かせて。 ---  この感情を自覚したのは、いつのことだっただろうか。  小さな村で同時期に生まれて、物心ついた時から?  村に暮らしていた若い夫婦の真似をして、キスをしてみた時から?  それとも、彼女が……私のせいで、視力を失った時から?  分からない。  ただ、一つだけ、確実なことがある。  彼女には私がいなくても、幸せになれるということ。  一生を懸けてでも彼女の目を治すことを誓い、日々勉学に励む妹のルシェ。  目が見えないことを彼女の長所として捉え、傍で寄り添い続けるユイ。  彼女達がアイルに、私と同じ感情を抱いていることは明白だった。  しかし、二人と私には、決定的な違いがあった。  二人はアイルに寄り添い支えることが出来る人だが、私は……彼女から、奪うことしか出来ない。  本当は、私は彼女の傍にいるべきでは無いのだろう。  そう頭では理解していても、他でも無い彼女が平然と私の手を取るものだから……彼女の優しさに甘えて、この場所に留まってしまうんだ。  だから、私は……──。 ---  夜も更け、城内が静寂に包まれた頃。  魔王ナーリスの寝室の前にやって来た私とアイルは、薄く開いた扉の隙間から室内を覗き込み、豪奢なベッドで眠りにつくナーリスの姿を確認する。  私は懐に隠し持った短刀の柄を握って感触を確かめつつ、隣にいるアイルに視線を向けて口を開いた。 「それじゃあ、改めて確認ね。これから私が部屋に入るから、アイルは一旦この近くで姿を隠して待機しておいて」 「うん。分かった」 「私がナーリスの寝込みを襲って命を奪えたら、それで良い。だけどもし、失敗したら……その時は、すぐにでも支援をお願い」 「了解。任せて」  周囲に気付かれないよう小声で告げた私の言葉に、アイルは端的にそう答えて小さく敬礼するようなポーズを取った。  何だその反応は……なんて内心で苦笑しつつ、私は一度頷くことを返答に変え、ゆっくりと扉を開けて寝室の中に入った。  奴の寝室の床は一面深紅の絨毯が敷かれており、私の足音はフカフカの絨毯によって押し殺される。  気の抜けない緊迫した空気のせいだろうか。自分の鼓動や呼吸の音、微かに漏れる衣擦れの音が嫌に耳に響く。  頬を冷たい汗が伝うのを感じつつ、私はゆっくりと豪奢なベッドへと歩み寄り、懐に仕舞った短刀の柄を強く握り締めた。  ……大丈夫。気付かれてはいない。  殺すなら、今しかない……!  私は小さく呼吸をすると、懐から取り出した短刀を両手で握り、頭上に振りかぶ── 「魅了の瞳(チャーム・アイ)」  ──ろうと瞬間、そんな声がしたかと思えば眠っていたナーリスの瞼が開き、その奥から現れた桃色に輝く瞳を真っ向から受け止める。  しまった……ッ! 気付かれたか……ッ!?  私は咄嗟に目を強く瞑って顔ごと背けると、すぐさま短刀を握る力を強めてナーリスがいた方に体を向ける。  大丈夫。まだ体は自由に動く。ナーリスに心奪われたりもしていない。  魅了の瞳は見えなければ効果が無いことは、アイルがその身を以って証明してくれた。  居場所は分かるのだから、視覚で確認するまでも無い。 「はぁぁぁぁあああああッ!」  声を張り上げ、私は目を瞑ったまま両手に握った短刀を頭上に振り上げる。  やれる……ッ! 残った二人も奴の魔の手から救い出し、皆で故郷に帰るんだッ!  勢いに任せ、私は両手のナイフを目の前にいるナーリスへと振り下ろ── 「……っえ……?」  ──ようとしたところで、私の体は短刀を頭上に振り上げた姿勢のままで硬直する。  ……何が起こってるんだ……?  何か魔法を使われた……? いや、そんな素振りは無かった筈。  それに、この感覚はまるで……誰かに腕を掴まれている、ような……? 「ッ……!?」  思わず息を呑む。  違う。違う、違う、そんな訳が無い。そんなことあって良い筈がない。  きっと他に伏兵がいたんだ。私には索敵能力が無いから気付かなかっただけで、ナーリスの護衛が近くにでもいたんだ。  そうに決まってる。そうじゃなきゃおかしいじゃないか。  でも、だって、この手の感触は……違う、違う違う違うッ! そんな訳が無いッ!  そんな訳が無いのに、信じたいのに……真実を確かめるのが怖くて、目が開けられない。 「……まさか、私の魔眼で仕留め損ねるだなんて……貴方が来てくれなかったら、危ない所だったわ。ありがとうね」  目の前にいるナーリスが、微かな笑みを零しながらそう告げるのが聴こえてくる。  それに、私は頭上に短刀を振りかぶった姿勢のまま、薄く瞼を開いた。  頼むから、私の勘違いであって欲しいと……心の底から願いながら。 「それじゃあ、次の命令ね。……エスラを拘束しなさい? アイル♡」 「はいっ♡ かしこまりました、ナーリス様♡」 「ッ……! させるかッ!」  ナーリスが告げた言葉と背後から聴こえたその声に、私は咄嗟に身を捩ってアイルの手を振り解き、短刀を構え直して憎き魔王へと向き直る。  刹那、背後から羽交い絞めにするようにして両手を拘束され、私は「ぐッ……!?」と声を洩らした。  ……頼むから、私の邪魔をしないで欲しい。  この戦いは、貴方を救い出す為のものでもあるのだから。  私は、貴方だけは絶対に傷付けたくないから。  だから、どうか……──ッ! 「お願い、アイル……ッ! 目を覚ま──」 「はぁぁぁぁ……♡」  必死に声を振り絞り、アイルを説得しようとしたのも束の間。  いつの間にかすぐ目の前まで接近してきていたナーリスが、突然私の顔に吐息を吹き掛けてきたのだ。  コレ、確か……アイルにもやっていた……ッ!?  頭の奥でそう気付いた時には、鼻腔から突き抜けた甘ったるい香りが脳髄を揺らし、私は思わず「っはぁ……?♡」と間の抜けた声を洩らした。 「フフッ♡ どうやら、吐息の方は効果があるみたいね♡ それじゃあ、さっさとトドメを刺しちゃいましょうか♡」  そんな私の様子を見てナーリスは楽しげに笑みを零しながらそう言うと、私の頬に手を添えて目を合わせる。  ま、マズい……ッ!? このままじゃ……ッ!?  そう思って咄嗟に後ずさりしようとするも、背中からアイルにしっかりと拘束されており、その場で藻搔くだけの滑稽な姿を晒すこととなる。 「魅了の瞳(チャーム・アイ)♡」  そんな私に、ナーリスはもう一度魅了の魔眼を使ってくる。  今度こそ確実に真正面からその光を受け止めてしまった私の意識は、そのまま奴の瞳に宿った桃色の光へと、吸い込まれていって……──。


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