かつては人海戦術で各地で起こる怪奇現象を調べていたが、SNSなどの発達によりネット上からも怪異の予兆を早く見つけることが出来るようになった。
裏神祇事務局に所属する美海も、とある投稿文章からその話を目にする。
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夏だし怖い話を一つ。職場の先輩から聞いた話なんだけど、先輩の地元は15歳になるまで絶対子供は山に入ってはいけないという暗黙のルールがあるそうだ。どこどこの山と決まってるわけではなく、その地区ではどの山にも入ったらダメ。だから遠足で山に登ったこともないんだって→
本題はここから。先輩が小学生だった頃にクワガタブームが到来。先輩も山での虫捕りに凄く興味があった。そこで、親達の目を盗んでクラスメイト数人と近くの山に行ったらしい。そしたら友達の一人(仮でAと表記)が、いつの間にかいなくなってた→
皆で辺りを探したけどAは見つからず、日も暮れてきて怖くなったから一度家に帰って親に相談した。そしたら先輩、お父さんにすっごく叱られて団地の大人達が総出で山にAを探しに出かけた。結局、その日はAは見つからなかったそうだ→
先輩達は朝になって登校前にAの家行って、Aの両親に謝ったそうだ。Aの母親は「なんで山に行ったんだ」とか「食われたらどうする」とか、狂ったように怒鳴り散らして、それをAの父親が宥めていたけど、自分達を責めるようなあの目が忘れられないって、先輩言ってた→
罪悪感やAがどうなったかの不安で憂鬱な気分のまま登校して自分達の教室に入ったら、そこにAがいたそうだ。いつものように自分の席に座って。それで先輩達に気付いて、いつもみたいに駆け寄ってくる。先輩達はAが見つかったんだと安心して「どうしたんだよ」とか「家に帰ったのか?」とか→
話しかけた。Aは「何言ってんだ」って、前の日のこと何も覚えてない様子だった。山に行った記憶すら無いそうだ。からかわれているんだと思って、先輩達も「こんなときにふざけんなよ」ってマジに返してたんだけど、だんだんAがとぼけているんじゃなくて本当に昨日の記憶がないと感じたそうだ→
変な空気が流れた時にちょうどチャイムが鳴って先生が来たから話はうやむやになった。休み時間もAが普通にしているからもうこの話題は止めようと、子供特有の敏感さで、先輩達はAを刺激しないように気を付けていたらしい。下校時間になって、皆で帰ろうってなったとき→
それまで山でのことを忘れたようだったAが突然「なあ」と先輩達に声をかけたそうだ。「俺は山に行ってない」。無表情でそう言われて、皆も「そうだな」「そうそう」って話を合わせてた。そしたらAは「行ってない。山には行ってない」って何度も繰り返すんだって、壊れた機械みたいに→
その雰囲気に先輩達が恐怖を感じ始めたとき、突然Aが黙った。皆でオロオロしてたら笑顔で「じゃあ帰るわ」って言って、一人で先に走って行ってしまったそうだ。後を追い掛けるか迷ったけど、Aの家の人と気まずくなったのもあって、先輩達はAを追い掛けずにそれぞれ家に帰った→
先輩が家に帰ると、先輩のお母さんが凄く深刻そうな顔で出迎えた。「A君、山で亡くなってたそうだよ」そう言われても実感がない。Aとは学校で会っていたからだ。先輩がそう話したが「そんなはずはない。だって、あんな姿で…」って言いかけてそれ以上は何も言ってくれなかったそうだ→
先輩の両親だけがお通夜に行った。翌日、学校で友達に会うと友達も全員Aのことを知っていた。「昨日学校でAと一緒だったよな」と確認をし合うと、皆もそうだと言う。でも、山に行ってなかったクラスメイトは「Aは学校に来てなかっただろ」と言った。先生もAのことがショックで→
現実を受け入れられない可哀想な子供を見る目で先輩達の言葉をやんわりと否定した。それからしばらくして先輩はお父さんの転勤で別の県へと引っ越すことになった。あれ以来、当時の同級生とは全く連絡を取っていないそうだけど、あれは何だったのかいまだに分からない、って俺に話してくれた→
俺も聞いただけだから詳しい事はこれ以上分からない。文章書くの下手で無駄に長くなってしまったけど、話はこれで終わり。
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1日前に投稿されたその内容は拡散数が多く、投稿に対するコメントも多く寄せられていた。
美海は有益そうな情報がないか、コメントにも目を通していく。
『その先輩の地元ってもしかして北関東辺り?オレの地元も似たような話がある。ヒロイキシモ様が子供を食べるから山に入るな、とか親に言われたわ。』
「“ヒロイキシモ様”…?」
美海は見慣れない名に、地方限定の土着の神か何かかと、八百白館が管理している共有の電子データベースを開き、その名前を入力して検索をかける。
検索画面には【検索結果 0件】と表示され、美海は一度小さく溜息を吐いた後で、ハ行の「ひ」の段から順を追って該当する名前、あるいは近い名称がないかを探し始めた。
スクロールバーがページの下部まで下りてきたところで、美海は一つの名称に目を留めた。
【拾い鬼子母神信仰】
「ひろいきしもじん…ひろいきしも……これか?」
小さく独り言ちて、その名称をクリックする。
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【拾い鬼子母神信仰】ひろい-きしもじん-しんこう
室町時代、京都発祥の土着信仰。
山中の岩壁に鬼子母神を描くことが室町~安土桃山時代に民間で流行した。
戦火や貧困による口減らしで子供を捨てる親が、子供の守り神である鬼子母神に捨てた子が拾われることを願ったことから始まったという。
関西では同系統の信仰が現存するが、関東での拾い鬼子母神信仰はやや形態が変質している。
※電子化に不備あり。問い合わせは八百白館まで。
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「これもか」
過去の資料の多くはまだ紙媒体として保管されているものが多い。それら全てを電子データとして共有化していくのは膨大な作業量なのだが、通常の実地調査・研究業務の合間に八百白館の人間が資料をまとめて共有ファイル用に電子化を進めている段階だ。
したがって、精査された情報以外はまだ共有ファイルに上がってきていない。
美海はその八百白館の状況を理解しているので、IP回線を使って八百白館に電話を架ける。数コールの後、電話を取ったのは八百白館の長官だった。
「え、佐々木長官ですか?他の人は……」
「色々と立て込んでいましてねぇ…私で良かったでしょうか」
「いや…わざわざ長官のお時間を取って頂くのも恐縮なので架けなおします」
「気にしないでください。役職がついていますが暇なものですよ。何か調べ物でも?」
「……よろしいんですか?……では、ちょっとお聞きしたいことが」
佐々木の気安さを知っている美海はそれ以上は恐縮せず、本題に入った。
「ああ、その土着信仰ですか。いくつか説話が派生しているので資料をまとめさせているところなんですよ。まだ不確定な部分もありますが、私が知っている範囲でお話しましょう」
そう言って、佐々木は静かに語り始めた。
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鬼子母神という女神の名は知っていますね。
そうそう、日本では仏教を守護する夜叉として知られていますね。
昔々、千人の子を持つ鬼子母神は子を育てるために栄養が必要でした。栄養をつけるために彼女がどうしたのかというと、食べたんですよ、人間の子を。攫っては食べてを繰り返す彼女は、人々に恐れられていました。
それを憂えたお釈迦様が、彼女が一番可愛がっていた末の子を攫って隠します。鬼子母神は半狂乱状態で七日七晩、世界中を探し回ったけれど見つからず、最後にお釈迦様に縋ったそうです。そこでお釈迦様は「千人いる子の一人を失っただけでお前はそれほどまでに悲しんでいる。それでは、たった一人しかいない子を失った親の苦しみはいかほどであろうか」と鬼子母神を諭し、仏の教えに帰依すれば子は戻ってくると仰いました。言われたとおり三宝に帰依すると、お釈迦様は子供を彼女に返したそうです。
それから、鬼子母神は仏教の守護神となり、子供と安産の守り神として人々から信仰されるようになりました。子供を抱き、右手には吉祥果を持つお姿で描かれることが多いのですが、この吉祥果、どのようなものか分からなかった中国ではザクロして描かれ、それが日本に伝わった時に、「ザクロが人の肉と同じ味がするので、鬼子母神が二度と人間の子供を食べたくならないように釈迦から授かった」という独自の解釈が生まれたそうです。
ええ、ちなみにこのザクロを手に持つお姿ですが、これは主に関西地方で描かれており、関東地方ではザクロは持っていないそうなんですよ。
裏神祇の美海さんには当たり前のことを長々とごめんなさいね。でも、この信仰が少々おかしなふうに伝播していっているのには、この関西と関東での違いが大きな原因となっているようなのですよ。
「拾い鬼子母神信仰」という土着信仰は、室町時代に京都で生まれたとされています。
室町幕府の終わり頃と言えば、京都は戦火が絶えず民の生活は大変苦しかったそうです。戦の混乱で親と子が散り散りになったり、日々の生活に困り果て、口減らしに泣く泣く子を山奥に置き去りにしたり、大変な時代だったそうです。
「拾い鬼子母神信仰」はそんな戦乱の時代に民の間で生まれたもので、私が祖父から聞いたのはこんな言い伝えでしたね。
京の都の外れの村に住んでいたとある男が、口減らしに末の子を捨てようと、我が子の手を引いて山の奥に分け入ったときのこと。水音がするのでそちらに導かれるように歩いて行ったそうです。子を捨てるにしてもせめて水場の近くであれば、渇きからだけでも救ってくれると思ったのでしょうか。
藪を抜けた先には、立派な岩壁とその両端に流れる滝が日の光を受けて虹を作っており、岩壁には少し色褪せているが天女のような女性の絵が描かれていたそうです。
そんな神々しい目の前の光景に男が圧倒されていると、手を繋いでいた子が父親の手を振りほどき滝に向かって走って行くではないですか。男が驚いて子の名を呼ぶと、水の抵抗なんて無いかのようにすいすいと水場を歩いていた子が一度振り返って、父に向って笑って手を振ったそうです。そして、子はそのまま吸い込まれるように滝の奥に姿を消した。
男はしばらく茫然としていましたが、気付くと自分のいた村に戻っていたそうです。暗黙の了解で周囲の大人達は分かっているとはいえ、子を捨てたことを大っぴらに言うこともできずにその日の出来事は誰にも言わなかったそうですよ。
そうして時が経ったある日のこと、村に一人の若い旅の僧侶が訪れました。その僧侶は、托鉢で得た金銭を米に替え、貧しい村で炊き出しの慈善活動を行っては旅をして回っているのだとか。村は、施しのお礼にと一晩その旅の僧侶を泊めることにしました。その一宿の場として選ばれたのが、例の男の家でした。男は度重なる戦火で家族を皆失くしており、今は一人で暮らしていました。僧が語る旅の話などを聞いていたときに、ふと数十年前に体験した不思議なことを話したくなり、ぽつぽつとこれまで誰にも言わなかったことを話したそうです。
子を胸に抱き、手に赤い実を持った女神の絵姿のことを語ると、「それは鬼子母神でしょう」と僧が答えました。そして、僧も幼い頃に不思議な体験をしたことを語り始めました。
どうしてだか分からないが幼い頃に父と共に行った山で、自分は温かな光に導かれるように不思議な世界に迷い込んだ。そこは白い服を着た男とも女とも分からない人々が住む里で、自分はその里の人に仏の教えを受けていたのだと言うのです。月日が経ち、里の長にあたる人から「これより先の仏の道は自分の足で探しなさい」と言われて渡された僧衣に袖を通したとき、迷い込んだ時と同じように突如山の中に戻っていた。己は滝場の前に立っていて、岩壁には美しい鬼子母神の姿が描かれていた、と。
そう語る若い僧侶の左手の小指の付け根には、我が子と同じ黒子があったそうです。
そんな説話から生まれたのが「拾い鬼子母神信仰」だそうです。
やむを得ない事情から親に捨てられた子を、鬼子母神が拾って桃源郷で育ててくれる。そんな口伝が京都から関西全域に広まり、やがて伝承を聞いた絵師が山の岩壁に鬼子母神のお姿を描いていったのだそうです。
ところが、この信仰が東へと移った時に一つの抜けが生じたのです。ええ、そうです。さっきも言いましたが、東の方では鬼子母神は子やザクロを持たず、合掌したお姿で描かれることが一般的なのです。東に伝わった「拾い鬼子母神」は合掌したお姿、もしくは子を抱いてもザクロを手に持っていなかった。
さて、ザクロは鬼子母神にとってどのような抑止力があるのでしたか。
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「つまり、山に入ってはいけないというルールは、ザクロを持っていない鬼子母神が描かれた地方にのみ言い伝えられてきた、ということですか?」
「いまのところは、そういった禁忌が伝わっているのは一部の中部地方、関東圏と東北地方のみなんですよね」
「しかし変だなぁ…」
「変とは?」
「あ…いえ、すみません。鬼子母神が日本に伝わったのは仏教の守護神としてでしょう。荒ぶる土着の神としてではなく。だとすると、ザクロを持っていようがなかろうが、子供を食らう性質なんてもう無いはずなんじゃないですか?」
美海の疑問に、佐々木は「そうですねぇ」と相槌を打つ。
「美海さんは、私が『どうぞ』とお菓子を差し出したら召し上がりますか?」
「は?…ええ、まあ…頂きますけど」
突然変わった話題に虚を突かれたものの、美海は律儀に答える。
「攫って人の子を食べるようなことはしなくなっても……どうぞと差し出されたら、女神様もありがたく食べてしまうかもしれませんよね」
佐々木はそう言って、「どうして『拾い』鬼子母神だなんて名前をつけてしまったのでしょうかね」と呆れの入り混じった声音で嘆息した。