昭和二十年八月某日。終戦から数日後。
「津田、貴様に頼みたいことがある」
秘密結社、御楯乃会の作戦会議室。テーブルの中央に座る軍服姿の男、桐島紘一が津田の目を真っ直ぐ見て話し出した。この男こそ御楯乃会蹶起事件の元凶であり首謀者である。
「はい」
津田と呼ばれた男は返事をした。津田は十九歳。陸軍士官学校第五十九期生。陸軍士官学校で教官を務めた桐島の元生徒である。
「都内で瓦礫の撤去に動員されている作業隊に佐藤二郎軍曹というのがいる。彼はこの計画に絶対必要な男だ。うまくこちら側に引き入れなければならん」
「どんな男ですか」
桐島は懐かしむように語り出した。
「少々変わった経歴の男でな。軍曹といっても元少尉だ。本名は土門平治。陸軍中野学校の卒業生にして秘密戦と遊撃戦の専門家と言ったところか。終戦に伴い中野学校は解散、土門は軍曹に格下げされている」
陸軍中野学校。噂には聞いたことがある。陸軍内部でも極秘の機関で、スパイの養成校であるとか。
「実在したのですね」
「ああ。私も土門とは面識はないが話には聞いていた。恐らく彼も私のことは知っているだろう」
終戦直前の混乱の中で、桐島は宮城での叛乱参加を断念した。
内地にいた陸軍中野学校出身者の中にも叛乱に参加しようとした者達もいたという。その多くはその中で特に敵に回してはならないと言われたのが土門だった。
既に大勢の中野学校出身らが国外で諜報戦、遊撃戦に身を投じていた。その多くは味方の援軍が必ずくるものと信じていた。土門は彼らを救いたかったのであろう。
桐島が叛乱への不参加を決意したことで、他のグループも次々に参加を断念した。その流れが土門一派にも叛乱への参加を断念させたのである。
「今となっては中野学校出身者で頼れそうなのは土門だけだ。私の計画では、諸君ら学生隊を大きく二隊に分けなければならない。私と共に行動する本隊と、謀略専門の別働隊にな。彼にはこの別働隊の教育に当たってもらう」
それを聞いた瞬間、皆がざわついた。誰もが桐島教官と共に死ねると思っていたからだ。桐島率いる本隊の引き立て役などになりたくはない。
「諸君、そう狼狽えるな。別働隊といっても我らは運命共同体。本隊の作戦成功はむしろこの別働隊にかかっていると言っても過言ではない。本隊の攻撃以上に難しい任務になると思ってくれていい」
今度はシンと静かになった。一体どれほど過酷な任務だと言うのか。
「南船北馬という言葉があるように、諸君らにも向き不向きがある。元教官として諸君らの特性は理解しているつもりだ。別働隊の任につくに当たって不服がある者は今この場で申し出よ」
もちろん、誰も不服など言わない。本隊に参加できないことよりも、別働隊にさえ参加できなかったことの方が問題だ。
「諸君らの覚悟はわかった。とはいえ、土門がこの場にいないでは始まらない。津田よ、早速だが説得して連れて来てくれ」
「はい!」
『影の戦士達』
空襲の爪痕が各所に残る東京。瓦礫の中に人々は掘建て小屋を作り、雨風を凌いでその日その日を必死に生き延びている。その中で、瓦礫の撤去に駆り出された軍人達が汗を流していた。
その中に土門はいた。
土門平治、二十三歳。現役下士官で陸軍軍曹…という経歴は偽装で、名前も佐藤二郎という偽名を使っている。久留米第一陸軍予備士官学校を卒業後、陸軍中野学校に入校。秘密戦と遊撃戦の教育を受けた。本土決戦の際は国民義勇戦闘隊の中に入り遊撃戦を指揮する予定であったという。
きっと鬼のような形相の恐ろしい男なのだろう。津田はぼんやりと考えていた。そもそも説得と言われても、津田には自信がなかった。同期達とは比較的仲良くやっているし、桐島のことも尊敬はしているが、どうにも一歩引いて考えてしまう癖が、今回の叛乱に疑念を抱かせていた。
この戦争で肉親の全てを失い帰る場所もない津田にとって、御楯乃会は最後の居場所であり、生きる意味となっている。
しかしいくら優秀な軍人であろうと、桐島とその配下、我ら五十九期生同志一同三十名が結託したとしても大したことはできないのではないか。桐島にどのような切り札があるのか、あるいは後援者がいるのか、現段階では何もわからない。
津田はボロボロの国民服を着て作業隊の近くを通った。崩壊したビルの瓦礫を二個分隊で片付けている。
軍曹の襟章をつけたガタイの良い、威厳のある男が指揮をとっている。
「そこ!怪我したくなかったら作業中に余所見するな!ここが終わるまでは踏ん張れ!」
きっとこの男が土門だろう。さてどう話しかけたものか。考えていると、大きなコンクリート片を抱えた兵士の足元が突然崩れ、大きくよろめいた。転んだら怪我をする。津田が「危ない!」と声をかけようとする前に、素早く近づいた男が片手で兵士の肩を叩いた。軽く叩かれただけに見えるが、兵士は姿勢を元の位置に戻すことができた。
「あ、ありがとうあります!佐藤軍曹殿!」
佐藤軍曹と呼ばれた男は少し線が細く、漁師のように日焼けして色黒だ。
軍人にしては柔らかな笑みを浮かべながら兵士に応える。
「気をつけろよ。無理して怪我することはない。重い物を運ぶときは一人でやるな」
「しかし効率が…」
「ハハハ、もうそんなに急がなくても良いぞ」
「それも、そうでありますね」
一瞬、兵士の顔が曇った。戦争はもう終わったのだという虚脱感があった。しかし終わったとはいえ気の抜けた印象の男だ。この頼りなさそうな男が本当に重要人物なのか?
疑問に思いつつ津田は兵士の立っている場所を見てハッとした。地面から十センチ程、錆びた鉄骨が伸びている。もしあの時、あのまま転んでいたら致命傷になったかもしれない。津田は何か確信を得た気分になった。そこへ突然土門がこちらを見て、
「そこの青年、何か用か?」
こちらからの視線に気づかれていた。やはり只者ではない。ならばこちらも全力で挑むまでだ。
「…兄さん!やっぱり二郎兄さんだ!」
土門はキョトンとした。津田は土門に駆け寄り、いきなり抱きついた。
「ご無事でしたか!自分です!三つの頃に生き別れた三郎です!」
何事かと作業中の兵士達がこちらに注目する。
「な、なんだ、君は、俺に弟など…」
「うわああああ!」
泣きじゃくる津田に土門は困惑した。兵士たちが集まってくる。
「母から聞いて探しに来たのです!」
「いや、だから君、人違いだ…」
「中野から歩いて来ました!」
中野、と聞いて土門の表情は変わった。先程までの温厚な表情は消え、氷のような冷たい目になった。
「一体誰と勘違いしているんだ」
「桐島のおじさんもずっと探していたんですよ…」
桐島というダメ押しが効いたか、土門は急に態度を変えた。
「お前、本当に三郎なのか…。親父からは死んだと聞いて…」
土門は肩を震わせると、ボロボロと涙を流し始めた。映画俳優顔負けの名演だ。
「自分も、兄さんは死んだものと聞かされていました。会いに行きたかったのですが戦争で家も焼け母と二人生きるのがやっとで…」
津田も負けじと演技を続ける。
「よくぞ会いに来てくれたなあ。これからは何の心配もいらん。兄弟仲良くやっていこうな」
土門は力強く、いや痛いほど津田を抱きしめた。かなり苦しい。
周囲の兵士たちは二人を見て思わずもらい泣きしている。
「軍曹殿、よかったですな…」
「あいつ俺の死んだ弟にそっくりだ」
「泣かせるじゃないか」
これ以上ないくらい容赦のない抱擁にそろそろ限界というとき、土門は津田に耳打ちした。
「貴様、余計なことは何もしゃべるな」
明らかに声のトーンがさっきまでと違う。土門は涙を拭うと、兵士たちに向かって演技を続けた。
「すまん、皆少し任せていいか」
先程のいかつい軍曹も涙を拭いながら頷いた。
「佐藤軍曹、ここは俺に任せて話してこい!」
「ありがとう!ありがとう!」
土門は津田の手を引いて建物の影に隠れ、そのまま津田をひねり倒し、うつ伏せになった津田の上に馬乗りになった。
「おい貴様、どういうつもりだ。答えようによってはこのままここで息の根を止めるぞ」
「自分は桐島大尉殿の使いであります。土門軍曹殿に是非お話を」
「その話は手紙で読んだ。今更叛乱などどうかしている。俺は絶対に参加せん。しつこいようなら貴様ら全員をあの世に送ってでも計画を止めてやるぞ」
「自分も同じ考えであります」
土門の力が緩んだ。
「なんだと?」
「自分も現状では叛乱など成功の見込みなしと考えております」
「では貴様なぜここまでやってきたのだ」
津田は土門を真っ直ぐ見て言った。
「自分は、いや自分達は桐島大尉殿を尊敬しています。崇拝していると言ってもいいでしょう。その桐島大尉殿が、絶対に必要だという男がどんな人物なのか興味があったのです」
土門は再び津田を強く掴んだ。
「それで、こうなってみてどう思う?」
「期待以上ですよ。そうでなかったら自分が殺すつもりでした」
土門は不気味にニヤリと笑う。
「ご期待に添えて何よりだ。だが俺の正体を知る者を生かしてはおけない。残念だが貴様にはここで死んでもらうぞ」
土門は姿勢を素早く変え、膝で津田の首を抑えた。そのまま力を入れれば窒息か、あるいは一思いに首をへし折るだろう。
「構いませんとも。お連れできなかったのは無念ですが、任務に殉じるならば本望です。それに、自分が死んでも必ず同志が再びあなたを説得しにくるでしょう」
津田は全身の力を抜いた。
「良い覚悟だ」
土門は足に力を込めた。と、同時に津田は脚を大きく動かし、津田の首にかけ強引に引き剥がした。土門が軽かったこともあるが、津田も全身を鍛え上げていた。津田はバネのように体を跳ね上げ構えた。
土門も素早く間合いをとった。
「ふっ。貴様、名前はなんという」
「津田三郎と申します」
構えたまま土門はニヤリと笑った。
「津田、貴様が気に入った。貴様は実に中野向きだよ。貴様がそこまで熱を入れる桐島という男にも興味が出た。俺に会わせてみろ」
津田もニヤリと笑いかえす。
「恐縮であります。土門軍曹殿」
こうして、土門は御楯乃会へ迎え入れられた。この後の僅かな期間で土門は津田をはじめとした隊員達に陸軍中野学校での秘密戦、遊撃戦のイロハと陸軍登戸研究所で開発されていた謀略機材の使い方を叩き込んだ。これにより別働隊となる特殊工作班が決定的な戦力となり、桐島の計画を確実なものへと昇華させるに至る。
土門は誰にも知られることもなく歴史の影で倒れていった中野学校の同志達の信念ともに、遂に任務を完遂した。
終
(今回は協力してくださっている方に執筆していただいたものです。↓に関連があります)

肉バキューム
2024-03-10 16:19:56 +0000 UTCGrenadier
2024-03-10 14:08:09 +0000 UTC