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日本酒の守り神:第3話「御水玉様の試練」

================================= 恵美には、会社の同僚にひた隠しにする秘密があった。 それは、週末に日本酒バーの人気キャラクター「御水玉様」を演じていること。 ある日、同僚たちがお店にやってきて恵美は正体がバレないかドキドキする。 しかし、予期せぬトラブルが発生して…。不 器用ながらも頑張る恵美と、彼女を温かく見守る友人たちとの絆の物語。 日本酒と和の空間で繰り広げられる、心温まる成長ストーリー。 ================================= ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「同僚たちの来訪」 十一月初旬の金曜日、京都の街並みは紅葉の盛りを迎えていた。夕暮れ時の柔らかな光が、古い町並みの瓦屋根を黄金色に染め上げている。 「わあ...これが恵美がいつも話してる蔵小路なのね」 美咲が息を呑んだ。茶髪のボブヘアが夕陽に照らされ、158センチの小柄な体を精一杯背伸びさせながら、古い酒蔵を改装した建物を見上げる。 「建築の保存状態が素晴らしいですね」 綾香が冷静に分析するような口調で呟いた。 163センチの長身に黒髪ストレートという知的な外見通り、古い梁や柱の構造を興味深そうに観察している。 しかし、一番小柄な麻衣だけは、少し違った様子だった。 150センチの華奢な体に茶髪のロングヘアという可愛らしい外見とは裏腹に、不安そうな表情を浮かべている。 「恵美がいつも目を輝かせて話してたけど...でも、肝心の恵美はどこにいるのかしら?」 天真爛漫な性格の麻衣だが、恵美のことになると途端に鋭い観察眼を発揮する。 昨日まで「明日、皆さんに蔵小路を案内できるなんて、とても楽しみです」と嬉しそうに話していた親友が、なぜ姿を見せないのか。 三人が蔵小路の入り口をくぐった瞬間、その空間の圧倒的な存在感に息を呑んだ。 天井を支える古い梁は、何百年もの歴史を感じさせる深い茶色に変色し、重厚な存在感を放っている。 空気中にはほのかに日本酒の芳香が漂っており、それだけで特別な場所にいることを実感させられた。 「いらっしゃいませ」 カウンターから現れたのは、金髪セミロングの女性だった。 151センチと小柄な体型に、キリッとした美人系の顔立ち。 「由紀です。恵美ちゃんの同僚の方ですね。お聞きしてます」 淡々とした接客口調だが、そこには確かな温かさがあった。 「恵美ちゃんは...少し用事で席を外してまして。もう少ししたら戻ってくると思います」 その瞬間、麻衣の眉がわずかに寄った。 「恵美が用事?私たちが来るって、あんなに楽しみにしてたのに...」 親友としての直感が、何かおかしいと告げていた。 しばらくして、店の奥から梨沙が現れた。 身長169センチの堂々とした体格で、普段の半被姿。 茶髪のポニーテールが活発な印象を与える。 「皆さん、営業部の方ですね」 店舗責任者としての風格を漂わせながら、三人に近づいてきた。 「いつも恵美がお世話になってます。今日は楽しんでいただけそうですか?」 梨沙の明るい挨拶に、三人は笑顔で応えた。 「今日は特別なイベントもありますし、きっと楽しんでいただけると思います。うちの看板キャラクターが登場する予定です。とても可愛いので、ぜひご覧になってください」 「楽しみですね!」美咲が素直に期待を示した。 「どんなキャラクターなんでしょう?」綾香が知的好奇心を覗かせる。 「恵美も一緒に見られるといいんだけど...」麻衣だけは、まだ親友への配慮を忘れていなかった。 梨沙は意味深な笑みを浮かべながら答えた。 「きっと、恵美ちゃんも間に合うと思いますよ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「恵美の秘密の準備」 午後5時15分。 蔵小路の奥にある控え室では、恵美が一人静かに座っていた。 簡素な控え室は、折りたたみ式の椅子と小さな鏡、そして衣装を掛けるためのハンガーラックだけが置かれた質素な空間だった。 恵美は普段の清楚な黒髪セミロングを軽く触りながら、鏡に映る自分を見つめている。 身長154センチの標準体型だが、新卒としての自信のなさが表情に現れていた。 「麻衣たちが来てくれるなんて、本当に嬉しい」 鏡の中の自分に向かって、恵美は小さく呟いた。 「でも...私が御水玉様をやってるなんて知られたら、どう思われるかな」 恵美の心の中には、深い悩みが渦巻いていた。 「普段の私って、本当に地味で目立たない存在。会議でも積極的に発言できないし、営業の成績だって平凡で...。 そんな私が、みんなの人気者のキャラクターを演じてるなんて」 実家のお母さんにも言えない秘密だった。 『恵美は真面目にしていなさい』って育てられたから、きっと『そんな子どもっぽいことは...』って言われてしまう。 しかし、恵美の表情に少しずつ変化が現れた。 「でも、御水玉様を演じてる時だけは違うの。堂々と人前に出られるし、子どもたちを笑顔にできる。これが、本当の私なのかもしれない」 恵美は立ち上がり、今日着てきた淡いピンクのブラウスと黒いスカートを脱ぎ始めた。 新卒らしい真面目な装いだったが、これから全く違う自分に変身する準備が始まろうとしていた。 ハンガーラックには、ベージュ色の全身タイツが掛けられている。 恵美はそれを手に取りながら、小さく溜息をついた。 「やっぱり、これを着るのは少し恥ずかしいな...」 恵美は床に座り、つま先から慎重にタイツを履いていく。 密着感の強い生地が、徐々に体を包んでいく。 足首、ふくらはぎ、太もも、腰。 順番に上げていくにつれて、束縛感が増していった。 上半身の着用時には、恵美は少し困ったような表情を浮かべた。 「胸の部分、いつもきつく感じる...。でも、これで衣装がきれいに着られるから」 髪をゴムで束ね、フードを被る。 首から頭頂部にかけてのファスナーを上げていく音が、控え室に静かに響いた。 顔以外が全身タイツに覆われた状態になった恵美は、鏡を見て少し照れたような表情を浮かべた。 「顔だけ人間で、体は別の生き物みたい...。毎回思うけど、不思議な感じ」 次に、御水玉様の衣装を取り出した。 濃紺の上着は、赤と黒の幾何学模様が精細に刺繍された重厚感のある生地で作られている。 「この上着、本当に美しい。着るたびに、御水玉様になっていく実感がする」 上着を羽織り、続いて赤い袴を履く。 腰紐をマジックテープで固定しながら、恵美は今日への想いを新たにした。 「今日は麻衣たちが見てるから、いつもより気をつけて着ないと」 ショートブーツを履き終えた頃、控え室のドアがノックされた。 「恵美ちゃん、背中の一升瓶、取り付けますね」 由紀の声だった。 「恵美ちゃん、今日は特別なお客さんですね」 「はい、会社の同僚が来てくれて...。緊張します」 「いつも通りで大丈夫ですよ。恵美ちゃんの御水玉様、とても可愛いから」 「ありがとうございます。でも、恥ずかしくないように、いつもより頑張らないと」 背中の一升瓶が取り付けられ、いよいよ最後のステップが近づいてきた。 恵美の手は、マスクを取る時に少し震えていた。 「深呼吸...。今日も最高の御水玉様になろう」 前面パーツを顔に当てる瞬間、恵美は毎回感じる独特の緊張感に包まれた。 「毎回思うけど、この瞬間が一番緊張する」 視界が急激に制限され、密閉された空間に包まれる。 呼吸も口からのみになり、独特の圧迫感が顔全体を覆った。 マスクの内側に貼られた薄いスポンジが、額、頬、顎にぴったりと密着している。 由紀が後頭部パーツを合わせ、両耳上の金具で慎重に固定していく。 「カチッ」「カチッ」 小さな金属音とともに、恵美は完全に御水玉様に変身した。 マスクの中で、恵美は自分の変化を実感していた。 「ふう...。視界は狭いけど、もう慣れた。今日は麻衣たちに、最高の御水玉様を見せてあげよう」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「初回パフォーマンス」 午後5時45分。 蔵小路の店内では、いつものように客たちが日本酒を楽しんでいたが、突然その雰囲気が変わった。 座っていた客たちが一斉に席を立ち、祠の方向に向かって歩いていく。 麻衣たち3人も、その流れに気づいて辺りを見回した。 「あの、すみません。あれは何のイベントでしょうか?」 麻衣が由紀に尋ねた。 「御水玉様のお酒振る舞いです。うちのマスコットキャラクターです。チケットをお渡しすれば参加できます」 由紀が手際よく3枚のチケットを差し出した。 上質な紙に金箔で「御水玉様 特別拝謁」という文字が印刷されている。 「わあ、本格的ですね」 美咲が目を輝かせた。 「クオリティが高そうです」 綾香も感心している。 「ありがとうございます」 麻衣がチケットを受け取りながら、心の中で思った。 『もしかして、恵美がいないのって、これと関係があるのかな...』 3人は列の最後尾に並びながら、前方の御水玉様を観察し始めた。 祠の横に立つその姿は、確かに本格的な着ぐるみキャラクターの風格を備えていた。 「すごく本格的ですね」 美咲が感嘆の声を上げる。 「想像以上のクオリティですね」 綾香も素直に驚いている。 しかし、麻衣だけは何か違うことを感じ取っていた。 『あの立ち方...なんとなく恵美っぽい』 列が進み、ついに美咲の番がやってきた。 御水玉様は丁寧にお辞儀をして、自然なポーズを取る。 「可愛い!写真撮らせてもらってもいいですか?」 美咲の嬉しそうな声に、御水玉様は頷いてツーショット撮影に快く応じた。 その瞬間、美咲の表情が一気に明るくなった。 「本当に可愛い...まるで生きてるみたい」 美咲は撮影が終わっても、まだ御水玉様を見つめていた。 次は綾香の番。 いつものクールな綾香も、御水玉様の魅力に心を開いて珍しく笑顔を見せた。 「とても上品な動きですね」 綾香の冷静な観察も、どこか温かみを帯びている。 御水玉様は優雅にお辞儀を返した。 そして、ついに麻衣の番がやってきた。 御水玉様が麻衣の前に立った時、微妙に首を傾げる仕草を見せた。 『この首の傾げ方...恵美が考え事する時と全く同じ!やっぱり恵美だ。間違いない』 麻衣の心の中で確信が固まった。 御水玉様は、他の2人とは微妙に違うポーズを取った。 ほんの少しだけ親しみやすさを表現したポーズ。 麻衣にしか分からない小さなメッセージだった。 「素敵です。ありがとうございます」 麻衣の笑顔に、御水玉様も嬉しそうに手を振った。 その後20分ほど、御水玉様は客たちとの交流を続けた。 手を振ったり、お辞儀をしたり、子どもたちとハイタッチしたり。 マスクの中の恵美は、充実感を味わっていた。 「みんな、とても喜んでくれてる。麻衣たちも楽しそう。でも、少し疲れてきたかな...。でも、まだ頑張れる」 15分の休憩を挟んで、恵美は二回目の御水玉様として再登場する予定だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「正体発覚の瞬間」 午後6時15分。 控え室で休憩を終えた恵美が、普段の服装で店内に現れた。 少し息が上がっており、髪も少し乱れている。 頬にはマスクの跡がわずかに残っているのを、恵美自身は気づいていなかった。 「恵美!」 麻衣が明るく声をかけた。 「御水玉様、めっちゃ可愛かったよ〜」 「え?あ、ありがとう...見てくれたんだ」 恵美は少し慌てたような表情を見せた。 「うん、すっごく良かった。なんていうか、動きが自然っていうか...あ、でもさ、首をかしげるところとか、なんか見覚えあるなーって思っちゃった」 麻衣がにっこり笑いながら言った。 「え...えっと、それは...」 恵美の顔が赤くなる。 「ねー、もしかしてだけど...恵美だったりしない?」 麻衣の直球な質問に、恵美は観念したような表情になった。 「麻衣...いつから分かってたの?」 「やっぱり!最初からなんとなーく感じてたんだよね。でも、さっきの首かしげで『あー、やっぱりね』って」 「そうなの...私が御水玉様やってる」 恵美が素直に認めた。 「なんで黙ってたのー?別に恥ずかしいことじゃないじゃん」 「だって、新卒で、まだ仕事もそんなにできてないのに、こんなことやってるって思われたら...」 「はあ?そんなわけないでしょ。すっごく可愛かったよ、本当に」 麻衣の屈託のない笑顔に、恵美は少し安心した表情を見せた。 そのとき、美咲と綾香がカウンターに戻ってきた。 「恵美、お疲れさま〜。どこ行ってたの?」 美咲が何気なく声をかける。 「御水玉様のパフォーマンス、とても良かったですよ」 綾香も続けた。 麻衣と恵美は、何気なく目配せで「まだ内緒ね」を確認した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「二回目の挑戦と大トラブル」 午後7時50分。 店内が忙しくなってきた中、梨沙が恵美の近くに寄ってきて、他の客に聞こえないよう小声で話しかけた。 「恵美ちゃん、そろそろ次の準備始めましょうか。20:30からなので、余裕を持って準備した方がいいわ」 「はい、分かりました」 恵美も小声で答えた。 土曜日の夜ということもあり、蔵小路には続々とお客さんが入ってきている。 由紀も美咲たちのテーブルの対応で手一杯の状況だった。 「今日は混んでるから、恵美ちゃん一人で準備してもらえる?」 「大丈夫です。もう慣れましたから」 恵美がカウンターから外に出た時、麻衣だけがその理由を理解していた。 「頑張ってね〜。応援してるから」 麻衣がにっこり笑って小声で言った。 「ありがとう...」 恵美は少し照れながら控え室に向かった。 控え室で一人の時間を過ごしながら、恵美は前回とは違う心境だった。 「今度は一人で着替えなきゃ...まあ、慣れたから大丈夫かな」 麻衣に正体がバレたことで、変に隠す必要がなくなった恵美。 肩の力が抜けて、リラックスして御水玉様を演じようと思っていた。 「麻衣が応援してくれてるって分かったから、なんか気が楽になった。今度は自然にやってみよう」 慣れた手つきで私服を脱ぎ、全身タイツと御水玉様の衣装を身につけていく。 三回目ということもあり、手順は体が覚えている。 最後のマスク装着時、恵美は一人で金具を固定した。 「カチッ」「カチッ」 「あれ?なんか少し緩い気がする...」 恵美はマスクの位置を手で調整してみるが、金具は固定されているため大きく動かすことはできない。 「まあ、大丈夫だと思うけど...時間もないし、このまま行こう」 午後8時30分。 恵美は再び御水玉様として登場した。 最初は順調だった。 リラックスした心境で、自然体の御水玉様を演じることができている。 しかし、活発な動きを続けて10分ほど経った頃、恵美は腰の辺りに違和感を覚えた。 「あれ?なんか袴が...」 マジックテープ式の腰紐が、激しい動きで少しずつ緩み始めていたのだ。 袴がわずかにずり下がってくる感覚に、恵美は焦りを覚えた。 「まずい...でも、お客さんの前では直せない」 恵美は自然な仕草を装いながら、片手で袴を押さえようとした。 しかし、御水玉様として手を振ったり、子どもたちとハイタッチしたりする必要があるため、常に押さえ続けることは不可能だった。 観客の中で、美咲と綾香は気づかなかったが、麻衣だけが恵美の微妙な変化を察知していた。 『恵美の動きが、さっきよりちょっと不自然...片手で何かを押さえてる?』 そして、転機の瞬間が訪れた。 子どもの一人が大きな声で呼びかけた。 「御水玉様、こっち向いて!」 恵美は袴を押さえながら振り返ろうとして、体勢を崩してしまった。 その瞬間、マスクが頭部で微妙にズレてしまったのだ。 前面パーツと後頭部パーツは金具で固定されているため外れはしないが、恵美の顔の位置とマスクの位置関係が変わってしまった。 恵美の目と、マスクの視界スリットの位置が完全にズレる。 瞬間、恵美の視界は真っ暗になった。 「え?見えない!全然見えない!なに?どうして?」 絶望的な状況だった。 左右も前も、何も見えない状態。 口元のスリットからかろうじて呼吸は可能だが、観客の前でマスクを外すことは絶対に不可能。 金具固定のため、ちょっとした調整では直らない。 恵美は慌てて両手でマスクを触り、位置を直そうとした。 しかし、金具で固定されているため、マスク全体が動かない。 「直らない...どうしよう、どうしよう」 外見上、御水玉様が突然頭部を両手で触り始め、動きが急にぎこちなくなった。 その場で小刻みに動き、明らかに困っている様子だった。 「御水玉様、どうしたの?」 子どもたちが心配そうに声をかける。 「可愛いポーズしてるわね」 まだ多くの人は異常に気づいていなかった。 しかし、麻衣は親友としての直感で、即座に異常事態だと判断した。 『これは絶対におかしい!恵美がパニックしてる!あの手の動き、明らかに何かトラブルが起きてる』 麻衣は美咲と綾香に合図を送ると、梨沙の元に駆け寄った。 「梨沙さん、御水玉様の様子がおかしいです」 「え?どういうことですか?」 「頭を触って、動きがぎこちなくて...明らかに困ってます」 ベテランの梨沙は、麻衣の説明を聞いて即座に状況を把握した。 「マスクのトラブルですね。これは危険です。すぐに対処しないと」 「由紀ちゃん、緊急事態。御水玉様をすぐに控え室に」 「はい、分かりました」 「麻衣さん、申し訳ないですが手伝っていただけますか?」 「はい、もちろんです!」 梨沙が客に向けてアナウンスした。 「皆さん、ありがとうございます。御水玉様、少し休憩をいただきます。しばらくお待ちください」 由紀が御水玉様の右腕をそっと取り、麻衣が左腕を支え、梨沙が後方からサポートする形で、緊急救出作戦が始まった。 視界ゼロ状態の恵美は、支えられていることは分かるが、誰が助けてくれているのか分からない。 ただ、安心できる温かさを感じていた。 「誰か分からないけど、助けてくれてる...ありがとう、本当にありがとう」 恵美の足元は見えないため、一歩一歩慎重に進む必要があった。 袴のトラブルも併発しているため、転倒の危険性が高い。 他の客に異常を悟られないよう、自然な動きを演出しながらの移動だった。 途中で恵美がバランスを崩しそうになったが、麻衣と由紀が即座に支えた。 「大丈夫、私たちがついてるから」 麻衣が小声で励ました。 「ありがとう...」 マスクの中で涙声になりながら、恵美は答えた。 約2分かけて、何とか控え室まで到達した。 扉が閉まった瞬間、恵美は安堵で力が抜けるのを感じた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「控え室での修繕作業」 午後9時。 控え室の緊迫した雰囲気の中で、恵美は椅子に座らせてもらったが、マスクの中は相変わらず真っ暗だった。 息も荒く、パニック状態が続いている。 「まだ見えない...息苦しい...早くマスクを外して」 「金具の位置を確認しますね。少しお待ちください」 由紀が御水玉様の後ろに回り、金髪の髪をかき分けて両耳上の金具を探った。 「あ...これは大変。金具の片方が髪に絡まってます」 「え、大丈夫ですか?」 麻衣が心配そうに尋ねた。 「恵美ちゃん、金具に絡んでしまってますのでちょっとお待ち下さいね!」 由紀の手が恵美の頭部で細かく動く。 全身タイツのフードが汗を吸って重くなり、さらに作業を困難にしていた。 「恵美ちゃん、少し我慢してください」 「はい...」 マスクの中でかすれた声で恵美が答えた。 「私にできることはありますか?」 麻衣が申し出た。 「前面のマスクを支えていてもらえますか?金具が外れた瞬間、前に倒れる可能性があります」 麻衣が恵美の前に回り、マスクの前面パーツを両手で支える。 この距離で、マスクの中の恵美の荒い呼吸音がはっきりと聞こえた。 「右側から外しますね。」 「カチッ」 右側の固定が外れた瞬間、マスクが少し動いた。 左側の金具が特に髪に絡まって外れない。 「すみません、もう少し時間がかかりそうです」 「は、はい...」 明らかに限界に近い声だった。 「恵美、もう少しだから頑張って」 麻衣が励ました。 5分の格闘の末、左側の金具も外れた。 「カチッ」 由紀と麻衣が協力して、慎重にマスクを外していく。 まず後頭部パーツを外し、次に前面パーツ。 マスクが完全に外された瞬間... 「はあああ...」 恵美の顔は、想像を絶する状態だった。 額、頬、顎が汗でびしょ濡れ。 マスクの圧迫による赤い跡がくっきりと残っている。 髪は完全に汗で濡れて、普段のサラサラ感は皆無。 顔色は青白く、明らかに体力を消耗していた。 目は少し潤んでいて、パニックの名残が見て取れる。 「恵美!大丈夫?」 「麻衣...ありがとう。本当に、ありがとう」 涙声で恵美が答えた。 由紀がタオルとペットボトルを差し出す。 「まず水を飲んでください。ゆっくりで大丈夫です」 恵美は震える手でペットボトルを受け取り、一気に半分ほど飲み干した。 「はあ...生き返る」 鏡で自分の顔を見た恵美は、驚きの表情を浮かべた。 「こんなに跡が...」 「...大丈夫?」 「慣れてるから平気。でも、今日は特にひどいかも」 髪の状態を確認しながら、恵美は苦笑いを浮かべた。 「髪、大変なことになってる」 「でも、無事で良かった。本当に心配したよ」 袴のトラブルも確認することになった。 案の定、腰紐がかなり緩んでいる。 「袴も直しましょう。このままでは、また同じトラブルが起きます」 「さっきから、袴がずり落ちそうで...それを直そうとした時に、マスクがズレちゃって」 「そういうことだったのね」 由紀が袴の腰紐を一度完全に外し、改めて締め直す。 「今度はもう少しきつめに締めますね。でも、苦しかったら言ってください」 「お願いします。さっきのは怖かった」 「マジックテープも、端から端まできちんと貼り直します。これで簡単には外れないはずです」 「ありがとうございます。これで安心して動けます」 水分を補給し、落ち着いてきた恵美が、麻衣に心の内を語り始めた。 「麻衣、正直に言うと...すごく怖かった」 「そうよね。見てるだけでも分かったもの」 「何も見えなくて、どこにいるのか分からなくて... でも、一番怖かったのは、みんなに迷惑をかけてしまうことだった」 「御水玉様って、お客さんにとって特別なキャラクターでしょ?特に子どもたちは、本当に御水玉様が実在してると思ってる。 そんな大切なキャラクターを演じてるのに、恥ずかしい姿を見せるわけにはいかないって」 「だから、いつもより頑張って演技しようとしたの。麻衣たちが来てくれたから、恥ずかしくないように、人気キャラクターらしく、しっかりとした御水玉様になりたくて」 「恵美らしいね。いつも他人のことを考えてる」 「でも、結果的には迷惑をかけてしまった」 「そんなことない。恵美が一生懸命だったからこそよ。それに、みんなで助け合うのは当然のことじゃない」 「麻衣がいてくれて、本当に良かった。一人じゃ、どうなってたか分からない」 「いつでも頼って。私たち親友でしょ?」 「恵美ちゃん、今日のは本当に大変でしたけど、でも最初の演技は素晴らしかったですよ。お客さんも、とても喜んでました」 由紀が励ました。 「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」 「今度は、もう少し自然体でやってみたいかも。完璧を目指しすぎて、かえって危険だったのかもしれない」 「それが一番よ。恵美らしい御水玉様が一番魅力的だと思う」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「再出発への準備」 午後9時30分。 控え室では、慎重な再装着の準備が始まっていた。 「恵美ちゃん、本当にもう一度やりますか?無理はしなくていいんですよ」 「はい、やりたいです。今度は気をつけて」 由紀が御水玉様の衣装とマスクを入念にチェックしている。 「袴の腰紐、もう一度確認しますね」 マジックテープを剥がして、改めて締め直す。 今度は少しきつめに、でも恵美が苦しくない程度に調整した。 「マスクの内側、汗を拭き取りますね」 マスク内部のスポンジが汗を吸っているため、清潔なタオルで丁寧に拭き取る。 「金具の動きも確認します。髪が絡まないよう、もう一度髪をしっかりと束ねてください」 恵美が髪をゴムで束ね直す。 今度は少し高めの位置で、金具に触れにくいように調整した。 「恵美、不安だったら言って。いつでも近くにいるから」 「ありがとう。麻衣がいてくれると心強い」 「深呼吸して...よし、今度は大丈夫」 前面パーツの装着時、恵美は自分で慎重に顔に当てた。 今度は、視界スリットの位置を慎重に確認しながら合わせる。 「視界、確認できました」 「よし、後頭部パーツを合わせますね」 由紀が今度は特に慎重に、髪を避けながら金具を固定していく。 「カチッ」「カチッ」 右側、左側と順番に固定音が響いた。 「どうですか?視界は大丈夫?」 御水玉様になった恵美が、首を軽く左右に振って確認。 今度は視界スリットと目の位置がぴったり合っている。 親指を立ててOKサインを作る恵美。 「歩いてみてください」 恵美が控え室内を慎重に歩いてみる。 袴もマスクも、しっかりと固定されていて問題なし。 「完璧よ。今度は絶対大丈夫」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「三回目のパフォーマンス」 午後10時。 恵美は再び御水玉様として、慎重で自信に満ちた足取りで登場した。 マスクの中で、恵美は以前とは違う落ち着きを感じていた。 「今度は、無理をしない。自然体で、でも心を込めて。麻衣たちにも、お客さんにも、最高の御水玉様を見せよう」 御水玉様が再登場すると、待っていた客たちから温かい拍手が沸いた。 「御水玉様、戻ってきた!」 子どもたちが嬉しそうに手を振る。 「お疲れさまでした」 大人たちからも労いの言葉が飛んだ。 今度の恵美の動きは、最初の回の華やかさと、トラブルから学んだ慎重さを兼ね備えていた。 お辞儀は深すぎず浅すぎず、品のある角度。 手の振り方は大きすぎない、でも温かみのある動作。 歩き方は袴を意識した、安定感のある歩行。 「さっきは大変でしたね。でも、戻ってきてくれてありがとう」 美咲が温かい言葉をかけた。 御水玉様は深くお辞儀をして、感謝の気持ちを表現した。 「今度の御水玉様、とても落ち着いて見えます」 綾香も感心している。 御水玉様は優雅にポーズを取り、綾香も満足そうな笑顔を浮かべた。 御水玉様が麻衣の前に立った時、今度ははっきりと特別な親しみやすさを表現した。 軽く肩に手を置く仕草、より長めのハイタッチ、そして最後に小さくハートマークを作って見せる。 『恵美、本当に成長したね。さっきのトラブルを乗り越えて、より魅力的になってる』 麻衣は心の中で親友を誇らしく思った。 5歳ぐらいの女の子が恵美に話しかけた。 「御水玉様、さっきはどこに行ってたの?」 御水玉様は女の子の目線に合わせてしゃがみ込み、頭を軽く撫でる仕草。 そして、空を指差して「空の上にいたよ」という意味の演技をした。 女の子は嬉しそうに笑い、御水玉様もハートマークを作って応えた。 今度は一度もトラブルなく、30分間の演技を最後まで続けることができた。 「やった...最後までできた。今度こそ、みんなに満足してもらえたかな」 「皆さん、ありがとうございました。御水玉様、今日も素晴らしい演技をありがとう」 梨沙のアナウンスに、客たちから温かい拍手が送られる中、御水玉様は最後に深々とお辞儀をした。 今度は自分の足でしっかりと歩いて、控え室に戻る恵美。 由紀と麻衣がサポートに付き添うが、今度は安全確認のためだけだった。 控え室に着いた御水玉様の動作からは、明らかに達成感と満足感が読み取れた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「真実の共有と新たな絆」 午後10時30分。 控え室では、今度はスムーズなマスク除去作業が行われていた。 由紀が慣れた手つきで、金具を外していく。 今度は髪も絡まらず、スムーズに作業が進んだ。 「カチッ」「カチッ」 マスクが外された恵美の顔には、今度は満足そうな笑顔があった。 「やった!最後までできた!」 汗はかいているが、前回ほどではない。 何より、表情が生き生きとしている。 「恵美、素晴らしかったよ!」 「麻衣のおかげ。本当にありがとう」 二人は自然とハグを交わした。 親友同士の温かい抱擁だった。 「なんか、今回で御水玉様のことがもっと分かった気がする」 「恵美ちゃん、明らかに上達してます。動きが自然になってました」 由紀も褒めてくれた。 「ありがとうございます。これからも、もっと頑張りたいです」 恵美が普段着で店内に戻ってきた時、美咲と綾香は既に状況を察していた。 「恵美!お疲れさま。御水玉様、本当に可愛かったよ」 美咲が明るく声をかけた。 「あ...バレてましたか?」 恵美は少し慌てた。 「え、今更?とっくに分かってたよ〜」 美咲があっけらかんと答える。 「そうですね。最初から薄々気づいてました」 綾香も同調した。 「え!?本当に?」 「やっぱりみんな分かってたんだ〜」 麻衣が笑った。 「だって、状況考えたら誰でも分かるよね〜。御水玉様が出てくる時だけ恵美がいないし」 美咲が率直に分析する。 「それに、毎回汗かいて戻ってくるし」 「髪も少し乱れてるし、頬も赤いし」 綾香が続けた。 「そんなにバレバレだったの?」 恵美が驚いた。 「隠そうとしてたのは分かってたので、気づかないふりをしてました」 「恵美が自分から言うまで待ってたの」 「私だけじゃなかったんだ〜。みんな気づいてたのね」 麻衣が笑った。 営業部の4人が、蔵小路のテーブルで日本酒を囲みながら、今日のことをのんびり話した。 「実は、皆さんに知られるのが恥ずかしくて...」 「なんで?とても素敵な仕事じゃない」 美咲が首を傾げる。 「新卒で、まだ会社でも成果を出せてないのに、こんな...子どもっぽいことをしてるって思われたら」 「子どもっぽいだなんて。あれは立派なパフォーマンスよ。演技力も必要だし、体力も必要だし」 綾香が反論した。 「それに、人を笑顔にする仕事なんて、とても素晴らしいことじゃない」 麻衣も同調する。 「私、感動したの。恵美があんなに一生懸命に、お客さんたちを喜ばせようとしてる姿を見て」 美咲が真剣な表情で言った。 「本当ですか?」 「本当よ。日本酒を愛する大人の方々が、あんなに笑顔になってるのを見てると、恵美の頑張りがちゃんと伝わってるのが分かったわ」 「それに、今日のトラブルを見てて思ったの。恵美って、本当に責任感が強くて、最後まで諦めない人なのね」 麻衣が言った。 「麻衣...」 「普段の仕事でも、きっと同じように頑張ってるんでしょ?私たち、もっと恵美を見習わないと」 「これからも、恵美の御水玉様を応援するわ」 綾香が宣言した。 「私も!今度はトラブルなしで見たいな」 美咲も続いた。 「もちろん。いつでも助けるから」 麻衣が締めくくった。 「皆さん...ありがとうございます」 恵美の目に涙が浮かんだ。 梨沙と由紀も、仕事の合間にテーブルに挨拶に来た。 「今日は本当にお疲れさまでした。恵美ちゃんの成長が見られて、私たちも嬉しいです」 「最後の演技、本当に素晴らしかったです。きっと、お客さんたちも感動してたと思います」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「新たなスタート」 午後11時。 蔵小路での特別な一日が終わろうとしていた。 「今日は本当に特別な一日だったね」 美咲がしみじみと言った。 「恵美の新しい一面を見ることができて、良かった」 「それに、友情も深まったし」 麻衣が微笑む。 「皆さんのおかげです。本当に感謝してます」 恵美が心から答えた。 「今日、色々なことを学びました。完璧を目指すより、自然体でいることの大切さとか、一人で頑張るより、仲間と協力することの素晴らしさとか」 「恵美が成長してる姿を見られて、私も嬉しい。これからも、お互い頑張ろうね」 「はい!麻衣と一緒なら、何でも乗り越えられそうです」 「今度、また御水玉様に会いに来てもいい?」 美咲が尋ねた。 「もちろんです。今度はもっと上手にやりますから」 「楽しみにしてるわ」 綾香も微笑んだ。 4人が蔵小路を出て、駅に向かって歩いている。 京都の夜景が美しく、一日の余韻に包まれていた。 こうして、恵美にとって特別な一日が幕を閉じた。 トラブルを乗り越えて成長し、仲間たちとの絆を深めた一日。 御水玉様として、そして一人の女性として、恵美は新たなスタートラインに立っていた。 明日からの仕事も、そして次回の御水玉様としての活動も、今日の経験を胸に、より自信を持って取り組むことができるだろう。 真の友情と、自分自身への信頼を手に入れた恵美の、新しい物語が始まろうとしていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【完】

日本酒の守り神:第3話「御水玉様の試練」

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