XaiJu
アベ
アベ

fanbox


クワイエットマンの思い出

前フリが長くなったのだが(後述)、意識しなければ一生やらないであろうゲームを求めることが自分はある。PSストアにも任天堂のEショップにも時おり大規模なセールがあるので、そこから絶対に自分はこのゲームをやらないだろうなと直感するものを探す。何百本とあるので興味を持たなさそうな物はいくつもあるのだが、一生このゲームの中身を知ることはないんだろうなと思うと、無性にどんどんと中身が気になってしまうのだ。興味がなさすぎて興味が湧く。これがフルプライスならともかくセールなら博打が打てる。


その中で出会ったゲームソフトがクワイエットマンだ。セールで90%オフで300円くらいで売られていて、商品説明のスクリーンショットは実写の顔立ち整った金髪の青年。主人公は聴覚を失している聾者であり、彼の体験をそのままプレーヤーに追体験させるゲームとのことでBGMが流れずSEも一部だけという演出らしい。


この段階では全くどんなゲームかわからないが、きっと自分はこのゲームともう二度と会わないだろうとは思えた。これも自分の趣味なのだが自分はその作品の内容を全く知らないまま嗜むことを好み、今眼前にあるクワイエットマンは未知そのものである。このソフトの中には知らない宇宙がある。電車に身を任せ揺られているおりに車窓からなんとなく見下ろす町並みの建物群。その窓の向こうにはどんな生活があるのだろうか、恐らく一生知ることはない。でももしそれが知ることが出来たのならと想像を馳せる。それに似た願望を満たすような気持ちだ。失礼な話だが90%オフというのもこのゲームの評価が最低という事実を表しているのは想像に難くない。胸がときめいてしょうがなかった。自分にとってここまで一生知ることのないであろうゲームと対峙している。



どんなゲームかと想像を巡らし恐らくビヨンドのような選択の連続でストーリーが展開するタイプだと考えていたのだが、蓋を開けてみたらめちゃくちゃ龍が如くだった。美青年がめちゃくちゃゴンタでギャングと拳のどつきあいを繰り出す。(ただし龍が如くのような自由性はなくシステム上は事実上ファイナルファイトのようなベルトスクロールアクション)



夜のニューヨークに金髪の青年が歩みを進める実写パート。キューブリックの遺作アイズワイドシャットと言うと少し大げさかもしれないが、それを少し彷彿させる夜のNYの描写が美麗で、青年が少し治安の悪そうな街路を通っていくシーンもトムクルーズがものうげに夜のNYを放浪しているシーンに被らなくもない。そして恐らくこのゲームの一番の技術の見せ所は実写からシームレスに高グラフィックのゲーム画面への切り替えであって、まるで魔法のようにいつのまにかプレイ画面になっているのだ。これが10年前なら本当に実写とゲームのシーンの区別はつかなかったかもしれない。そしてその魔法のようなシームレスで描かれるのがチンピラたちの喧嘩なのだ。NY版龍が如くなのだ。キューブリックからシームレスに北野武なのである。



ゲームプレイとして個人的に好きなのはボタンを適当に連打しとけば小気味よくコンボがでるので、たまに素人のヤンキー相手に全盛期の具志堅用高ばりのラッシュをお見舞いする。相手が倒れかかっている状態ですら今一度ボコボコにする。それでまた相手が強制的に立ち状態になるのでいつまでもコンボがハマる状態になり、あるいは金竜飛の舞々か進藤塾山本陸の煉獄みたいになって恍惚この上ない。敵の雑魚ギャングたちは動きがいいかげんで、みんな誰もいない虚空にラッシュをぶちかましてることがままあってこれが更に輪をかけて楽しい。終盤になると力に目覚めついにはドラゴンボールみたいなデタラメな暴力の在り方になってくる。アルコールを仕込んでプレイするとこの時間だけはきっと悩みを忘れるくらいに画面上みんな乱痴気になってくれる。言葉を選んで比喩するならば、まるでFCドナルドダックのようにぶっとんでいる。



このゲームには仕掛けがあって、前述したとおり聾者の主人公にあわせてプレイヤーにBGMは提供されずSEもかなり制限されている。さらに肝心のストーリーパートのムービーでは字幕もないので登場人物同士の会話が不明で表情や身振り手振りから想像するしかないのである。しかもチュートリアルもなくオプション画面でも文字が用いられておあらず絵のみで説明されており何が何だかわからないのである。何が何だか分からない状態で何もわからない実写ムービが始まって、そしてヤンキーのモメゴトがコントローラーを握っている自分の目の前で始まっていくのである。これは自分のゲーム史上最高の体験の1つだったかもしれない。やはりFCドナルドダックのような衝動がここにはあった。



その個人的な衝動とは別にゲームとしては本番は2周目から始まる。2周目からは字幕と音(BGM、SE)が解禁され真の姿のクワイエットマンがプレイできるようになるということだ。そしてストーリーの真実が明かされるという寸法。しかし皮肉なもので字幕も音もあるクワイエットマンはどうしても比して平凡なものに感じてしまう。2周目ということで鮮度が全てが失われた状態というのもあいまって。個人的には初見のわけのわからないまま放り出されたあの初期衝動がクワイエットマンの魅力であった。



こういった創作物の感想は非常に難しく、悪辣的になりかねないのだが本当に語るに値しない作品であればきっと自分の心には残っていないと思う。そういった感想だけに終始するのは受け手としてつまらない者だと己で露呈することになると思う。このゲームは恐らくかなり挑戦的な意気込みでつくられたはずで、残念ながら結果その挑戦が悪い方にでてしまったということだと思うのだが、自分は挑戦しているものや人が好きだ。さすがに変に持ち上げたりするのも違うしゲームとしての高評価は難しいがこのゲームはクリエイターが挑戦しようとした臭いがある。臭いとしかいえない微かなものなのだが。置きにいった凡作よりかはずっと心を踊らさせてくれた。置きにいってのただの失敗だったらきっとこのクワイエットマンにこんなにも魅力を感じないだろう。クワイエットマンの芯を支えているのはクリエイターの創作根性だと思う。クワイエットマンというゲームは自分の記憶の片隅にある種の趣を残してった。まるで名前も覚えていない一期一会の友人のように。


余談


○どうでもいいことというテーマで書き始めて、クワイエットマンの話になったのだが存外クワイエットマンの部分が長くなったので、そのままカットした。どうでもいいことについてはまたおいおい。




クワイエットマンの思い出 クワイエットマンの思い出

More Creators