こちらは拙作『月刊ポニーガール装備9月号』に掲載されたインタビュー記事をイメージして制作したイラストと短編小説作品です。 私の名前は、31番です。 所有者《オーナー》にして女主人《ドミナ》、敬愛するマダムのポニーガール31番、それが私の名前です。 名前の由来は、マダムが所有する31番めのポニーガールということではありません。 愛しきマダムの元にいるポニーガールは、私だけ。 マダムがお暮らしだったご実家には、ご家族所有のポニーガールが複数いたそうですが、マダムご自身が所有するポニーガールは、私が1頭めです。 実は31番という数字は、私がポニーガール調教所にいたとき、割り振られていた奴隷番号です。 もちろん今の私が、当時のように奴隷として扱われているわけではありません。むしろ、通常のポニーガール以上に、大切にしていただいています。 ご存じのとおり、ポニーガールはお屋敷とは別棟の厩舎で飼われることが多いですが、私はメイドポニーとして、お屋敷の中に住ませてもらっているのです。 にもかかわらず番号で呼ばれているのは、奴隷時代の私をも愛して飼うという、マダムのお覚悟の現われ。 愛情あるからこその、31番という名前なのです。 さて、皆さんのなかには、先ほどから私が口にしている奴隷というワードに、違和感を抱かれている方もおられるかもしれません。 10年以上前に奴隷制度が廃止になり、かつて奴隷だったポニーガールも女性の職業、あるいは属性のひとつとして定着しているわが国では、それは当然のことでしょう。 ですが、先進国を含めて、世界にはいまだ奴隷制度が存続している国も多く存在しています。 そんな国のひとつで、私は奴隷の身分に落とされたのです。 きっかけは、大学生のときの海外旅行。 そこで親切ごかして近づいてきた女性に騙され、私は奴隷として売られてしまいました。 若い女性が奴隷に売られる目的……おわかりですよね。 調教所に買い取られた私は、性奴隷調教を受けることになりました。 それは、筆舌に尽くしがたいほど、過酷な日々でした。 とくに、現地の言葉に不慣れで、片言程度にしか喋れない私にとっては。 そんな私を救ってくれたのが、マダムです。 商用で当地を訪れていたマダムは、私が奴隷として売られていると知り、大金をはたいて買い取ってくれました。 そして奴隷の身分から解放し、帰国させてくれたのです。 ですが、そのときすでに、私は心身ともに奴隷に堕ちていました。 調教所で受けた地獄のような、いえ地獄そのものの調教の後遺症で、まっとうな社会生活を送れなくなっていた私を、マダムはご自身のポニーガールとして飼ってくれたのです。 えっ、その調教の内容ですか? そうですね。今日はそれも含めて、お話しする約束でしたね。 わかりました。お聞きください。 言葉が通じないことから態度が反抗的とみなされ、調教所で課されることになったきわめて過酷な調教について。 私の肉体と精神を、完全に奴隷のものに作り変えてしまった、懲罰監獄のことを――。 それは、奴隷として売られた私が調教所に収容され、ひと月ほどが過ぎた頃でした。 「31番、反抗と不服従を繰り返したことにより、おまえを懲罰監獄に収容する」 調教所の通訳さんが、突然私に告げました。 実のところ、担当調教師の言葉がうまく聞き取れず、訊ね返したことが反抗的として罰せられたことが、それまでに何度もありました。 そのことで私は、調教師がなにを言っているかわからなくても、訊ねることをやめました。 ところが今度は、指示に従わず従順ではない奴隷とみなされ、懲罰監獄行きが宣告されたのです。 もちろん抗議しましたが、調教師が決めたことを覆す権限は、通訳さんにはありません。 私はあっさりと取り押さえられ、懲罰前の処置室に連行されました。 そこにあったのは、処置を受ける者の手足を拘束するためのベルトが、何本も取りつけられた婦人科診察台です。 私は着けられていた貞操帯を外され、調教師が持つ電気ムチ――はい、調教所では売れる前の奴隷の肌に消えない傷をつけないよう、電撃で痛みを与える電気ムチが使用されていました。 その責め具で追い立てられ、婦人科診察台に座らされ、私はベルトで縛りつけられました。 診察台が倒されると同時に、脚が開かされていきます。 はい、とても恥ずかしかったです。 手も足も縛りつけられて、性奴隷の証として乳首にピアスを嵌められた胸はもちろん、勝手な自慰を禁じるための貞操帯を外された股間も、隠すことができないのですから。 とはいえ、私自身にはどうすることもできず、脚をM字に開いて曝すことを強いられた私のお股の前に、女性医師が座り込みました。 「31番の尿道と排泄に、排泄管理器具を取りつけます」 現地の言葉で早口で告げられた医師の言葉を、通訳さんが訳しました。 「ま、待ってください。は、排泄管理器具って、いったい……」 何なのかと訊ねた私の言葉は翻訳されず、そのため女性医師が答えることもなく、処置が始まりました。 まず感じたのは、尿道口になにか冷たいものが触れる感触。 「ひっ!?」 私が短く悲鳴をあげると、通訳さんが医師の言葉を翻訳します。 「尿道用排泄管理器具を装着のための、潤滑剤を兼ねた塗布式麻酔です」 それから女性医師が、私に取りつける器具を見せつけました。 ひとことで言うと、それは金属製の導尿カテーテルです。ただし、先端を膀胱内に固定し、漏れなくするための、ゴム製バルーンが設えられています。 その器具にも潤滑剤兼麻酔剤が塗り込められて、尿道口にあてがわれました。 「いやッ!」 思わずあげた拒否の声は無視されて、器具の先端が尿道口に押し込まれました。 塗り込められた薬品のおかげで、痛くはありません。 とはいえ、これまでの人生で液体しか通ったことのない場所に、固形物が逆に侵入してくる違和感は、とてもおぞましいものでした。 「あ、あ、あ……」 声をあげておぞましさに耐えていると、やがて侵入が止まりました。 尿道用排泄管理器具の先端が、膀胱に到達したのです。 それから尿道用排泄管理器具にハンドポンプを接続し、バルーンを膨らませて固定すると、医師が金属製の筒に3分割のバルーンが設えられた器具を手に取りました。 「肛門用排泄管理器具です」 それは、巨大かつ凶悪でした。 全長は10センチ近く、直径は6~7センチはあったでしょうか。挿入後にバルーンを膨らませて固定することを考えると、さらに何センチか太くなるでしょう。 「いやッ! やめてッ!」 恐ろしくて、私は叫んでいました。 「お願いだからッ!」 しかし、抗議も懇願も、当然のように無視されました。 声をあげることを諦めた私の肛門にも、潤滑剤を兼ねた塗布式麻酔剤が塗り込められます。 とはいえ、このたびは、すぐに器具の挿入は行なわれませんでした。 巨大すぎる器具を挿入するため、肛門の周りに、弛緩剤が注射されたのです。 麻酔のおかげで痛みを感じることなく注射されて数分後、潤滑剤兼麻酔剤を塗り込めた肛門用排泄管理器具が、私の肛門に押し当てられました。 女性医師が、器具をぐいっと押し込みます。 「あっ、やめ……」 思わずあげた声の途中で、薬の効果で弛緩した私の括約筋は、巨大な器具をあっさり飲み込んでいました。 「そ、そんな……」 あまりにあっけない挿入に愕然としたところで、3分割バルーンによる固定です。 まずは一番奥のバルーンを膨らまされ、器具を抜けなくされました。 続いて外側のバルーンを膨らまされ、肛門を挟み込むように固定されました。 最後に中央部のバルーンを膨張させて隙間を塞ぐと、肛門用排泄管理器具の装着は完了。 あまりの仕打ちにショックを受けて呆然とするなか、私は拘束を解かれ、婦人科診察台から下ろされました。 ただし、処置が終わったわけではありません。 女性医師が去ったあと、調教師が取り出したのは、革製の水着かレオタードのような衣装。 もちろん、懲罰を受ける奴隷用の衣装ですから、バストはオープン。首輪と一体のホルダーネックのような構造で、背中側には編み上げ紐が設えられています。 そして股間には、排泄管理器具を接続するための大小ふたつのノズル。そのあいだの内側に、金属製の突起。 場所からして、それが膣に挿入されることは明白です。 はい、奴隷として売られ、調教所に収容される前から、私は処女ではありませんでした。 処女には性奴隷として特別な価値があるそうです。私が処女だったら、調教でも懲罰でも、それを失わせるようなことはされなかったでしょう。 ともあれ、奴隷の私に着用を拒むという選択肢はなく、おとなしく金属製ディルドを挿入されて革製奴隷装束を着せられると、次はアームバインダーによる腕の拘束です。 その時点で拘束されることに馴らされていた私は、アームバインダーも受け入れました。 二等辺三角形の革袋に腕を閉じ込められ、肩のところに接続用金属製リングが設えられたストラップを留められて編み上げ紐をきつく締められると、私の腕は1本の棒に変えられたかのように自由を奪われていました。 それでも、装具の取りつけは終わりではありません。 続いて調教師が取り出したのは、革製の口枷。 「口を開けなさい」 言われて従ったところで口中に押し込まれた突起には、外側のノズルにつながるチューブが 貫通しています。 おかげで、口呼吸ができます。箝口具としての機能も、嵌められ慣れたものより劣っているようですが、その目的を私が知るのは、もう少しあとのことでした。 それから椅子に座らされ、脚の装具の取りつけです。 まずは、バレエヒールのブーツ。 あ、そうですね。バレエヒールというのは、バレエのつま先で立つ姿勢、ポワントを強制する靴のことです。 バレエはもちろん、本格的なスポーツ経験もない私は、履かされてしまうと立っていることすら不可能でした。 ええ、ポニーブーツに慣れた今なら、歩けるかもしれませんね。 ともあれ、歩けるか否かは、関係ありませんでした。 そのあと、膝を折って太ももの裏とふくらはぎをくっつけた状態を強いる脚の拘束具を、私は嵌められたのですから。 そうして身動きできなくされて台車に乗せられ、私は懲罰監獄まで運ばれました。 地獄の始まりは、その途中からでした。 肛門周りに注射された弛緩剤の効果が切れ、力を取り戻した括約筋が、挿入固定された排泄管理器具を食い締め始めたのです。 痛くはないですし、肛門が傷ついたわけでもありません。あとで知ったことですが、人の肛門は、訓練次第で10センチ近くまで拡がるそうです。 とはいえ、巨大な異物がもたらす圧迫感は強烈なものでした。 加えて、こんなものを嵌め続けられていては、肛門が壊れてしまうのではないかという不安感です。 「ん、ん、ん……」 圧迫感と不安に、口枷を嵌められた口でうめきながらも、金属製のディルドを挿入固定された膣には快感が生まれてきます。 それはとてもはしたなく、恥ずかしいことなのですが、その頃の私の肉体は、すでに性奴隷調教が進んでいたのです。 そして、性奴隷として開発されていたのは、通常の性交で使う場所だけではありません。 排泄管理器具を取りつけられた肛門も、所有者の嗜好によって使えるように躾けられていました。 そのせいで、猛烈な圧迫感のなかでも、ほのかな肛門性感が生まれます。 肛門の悦びが膣の快感と一体になり、私を酔わせ始めたところで、懲罰監獄にたどり着きました。 それははじめ、幅と奥行きが60センチほど、高さは150センチ程度の、コンクリート壁の凹みにしか見えませんでした。 とうてい人を閉じ込めておく場所とは思えない狭い凹みに、折りたたまれて固定された膝を床につける形で、私の身体は収められました。 それから、天井から伸びる3本のベルトのうち2本が、アームバインダーの肩ストラップに設えられていた金属製リングに接続されます。 残る1本が、鼻の左右を通って眉間でひとつになる、口枷の逆Y字の縦ベルトの金属製リングにつながれます。 さらに3本のベルトの長さを調整されると、超狭い壁の凹みの中で、床に膝をついて立つ状態を強いられました。 それから、私の身体を収めた壁の凹みに、鉄格子が嵌め込まれ、ボルトで固定されました。 そうして、期間すら教えられないまま、懲罰監獄の閉じ込め刑が始まりました。 取り出したリモコンを操作し、膣のディルドの電源を入れたときの調教師の嗜虐的な表情は、いまだに瞼の裏に焼きついて離れません。 実のところ、そこから先の記憶は、曖昧なのです。 憶えているのは、拘束具の膝部分と床にはクッション剤が取りつけられていて、設置部分がひどく痛むことがなかったこと。 身じろぎすらできないことによる節々の痛みは、電源を入れられ振動し始めたディルドがもたらす快感で打ち消されたこと。 押し寄せる快感に酔わされながら、ときどき現われる世話係の女性が、口枷のノズルに樹脂製のボトルを接続して、水と流動食を流し込んでくれました。 排泄管理器具に容器をつないでの排泄物回収も、彼女の仕事でした。 眠るときは流動食に混ぜられた睡眠導入剤により、強制睡眠を取らされます。 そのあいだにディルドのバッテリー交換などのメンテナンス作業が行なわれていたようですが、はっきりとはわかりません。 ときおり、このままでは私はおかしくなってしまうのではないかという恐怖に襲われましたが、それすら快感は押し流してしまいます。 生きるためのすべてを管理され、快感で蕩けさせられた状態で何日かを過ごした頃、偶然訪れたマダムが、私を救ってくださいました。 それからの私は、お話ししたとおり、幸せに満ちたものでした。 叶うことならば、これからもマダムのメイドポニーとして、お仕えし続けたいと願っています。 マダムか私、どちらかの命尽きるまで、ずっと、永く。 (了)