≪転生1日目≫
-神居学園召喚システム 通称・天文台-
最初に目に飛び込んできたのは満点の星空だった。
ギラギラと目に痛いほどの。
まるで、これまでと同じ場所、同じ世界にいるんじゃないかと錯覚するほど。
月がふたつみっつあるわけでもなく。
「成功です」
少なくとも空は俺が知る通りの色と形をしていた。
「はじめまして、異世界からの来訪者……私達の勇者様」
静かなその声は呆然と空を見上げていた俺の正面から届いたもの。
どうやら俺がいるそこは天井が開いた小さな部屋で。
「どうか私達の世界を導いてください」
俺に向けられた声は、直前の記憶と言うべき『さっきまで』の会話を思い起こさせた。
末期の際の夢や幻ではなかったのだ、と。
『対価はあなたの新しい人生。ぶっちゃけて言うと……『生きる権利』ってところなんだけど』
白い空間。
自らを神と名乗った姿なき者の声が頭の中に蘇ってくる。
俺はその提案を受け入れたんだ。
心が望んだ。
新しい世界、新しい居場所。
――新しい人生を。
「あなたをなんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「……シン、小野宮シンです」
「では、シンさんとお呼びさせていただきます」
後に俺はその場所が天文台と呼ばれる『召喚』の儀式のための場所であることを知る。
これは始まりの物語。
俺の名前は小野宮シン。
職業は勇者。
なんの変哲もない、ありふれた『落伍者』であったはずの俺のリスタートは、このような形で始まろうとしていた。
≪転生2日目≫
-???-
また、この場所だ。
決まってそう。
「あなたは私を裏切るのでしょう? なら、全部返してよ」
嫌味なほどに豪奢で明かりの少ない、当時の俺を取り巻く景色をそのまま表したような部屋。
「あなたの全てを私に返すの」
(あんたはそうやって……)
あの時、言えなかった言葉が舌に張り付いて離れようとしない。
これは夢だ。
もう、全ては過ぎ去ってしまったのに。
未だに俺は怯えている?
膝を屈してしまった、惨めな弱い俺のまま――
-学生寮自室-
「おはようございます、勇者様」
ドアを叩く軽やかなノックと慇懃なその声で、瞬時に意識が呼び起こされる。
知らない天井。
背中に感じる少し硬いベッドの感触。
昨夜案内された、寮の一室であるらしいこの部屋からはまだどの部分からも『俺の部屋』になったという実感は返ってこない。
ペットショップで買われた子猫の気分、とでもいうか。
「失礼いたしました、シンさん。昨日ご挨拶させていただいた……」
「……ノゾミさん?」
「ご記憶いただき光栄です」
「……どうぞ」
思い出してドアの方にそう返すと、すぐに昨夜の女性が入ってきた。
「申し訳ありません。まだ、おやすみでしたか」
「あ、あー……えーーっと」
「以後は眠りを妨げることのないよう、ノックの前にそっとドアを開けて様子を確認させていただくように致します」
(それは配慮なんだろうか……)
切れ長の瞳と眼鏡が印象的なノゾミさんは、何をするでもなく、ただじっと俺を見据える。
「あのぅ?」
耐えかねて切り出してみると、ノゾミさんはかえって不思議そうに首を傾げる。
「いかに世界の命運を託された勇者様とはいえ、シンさんはこちらの世界にいらしたばかりなのですから」
「それはそうですけど」
「どうぞご遠慮なさらず、なんなりと私にお申し付けください」
俺からの指示を待っていたらしい。
「申し付けるというか、では、ええと、参ったな」
聞きたいことは山ほどある。
たとえば、この人は何をしに来たのかとか。
――何をすればいいのか、とか。
「本日はあなたがこの世界で過ごす実質の1日目です。
他の皆様同様、取り巻く全てが覚えのないものばかりというところかとお察しいたします」
(そこまででもないけど)
むしろ、馴染みあるものが多すぎることに戸惑っているくらい。
「如何でしょう? よろしければ、始業前に学園の敷地内や各所をご案内させていただきますが」
「それでお願いします」
もっと他に聞くべきこともやることも色々ある気もしたけど、せっかくの申し出だ。
他の方なんて言い方もしていたし、俺のような境遇の人にとっての通過儀礼なのかもしれない。
「では、こちらお召しいただく我が校の制服になります」
いつの間にかノゾミさんが手にしていた制服を受け取って、その質感やデザインに少しだけ面食らう。
馴染みがあるからこその違和感。
さっきもこの人は俺を「勇者」と呼んだ。
ここが異世界で俺がそうなのだとして、預かったこの制服も俺の『過去』の延長上にあるようなものにしか映らなかった。
(ここは学園らしいし、物語ならそういうもんって感じもちょっとはあるけど……)
確か名前は神居学園。
教育機関の他、俺が召喚されてきたシステムのようなものなどを開発する機関?
他にも行政だのなんだかんだと、都市が機能する上で必要なものがこの敷地内にギュッと詰めこまれているような説明だった。
いわばこの世界の中枢。
「神が居る」という言葉そのままです、なんてことも言っていた。
(神か……)
あの『対話』があって今があるというのなら、俺にとって神という響きは生々しい意味を持つ。
『あなたに必要な能力をなんでもプレゼントしちゃいまーす。チートってやつ? 要るんでしょ、そういうの』
光しかないあの場所にその姿はなかったけど、してやったりみたいな笑顔が浮かんでくるような声だった。
(そうだ、能力……)
「?? ……大変失礼いたしました。私がここで身構えていたら朝の支度もはかどりませんよね」
押し黙っていた俺の態度を微妙に勘違いしたノゾミさんが、すっと身を引く。
「すぐにお手伝いいたします」
「着替えは手伝ってくれなくて全然いいんですけど」
放っておいたら本当に俺のパジャマに指をかけてきそうだったから制しつつ、
「ここは本当に異世界なんですよね」
さっそく『能力』の検証を兼ねた情報収集に取り組む。
「あなたにとってはそのはずです。昨夜、呼びかけに応えていただいた旨を確認させていただいたかと存じますが」
言われてみればその通りで、『効果』はこの世界に初めて俺が立ったあの時点から発動していたはずなんだ。
つまりは全てが真実。
現に伝わってきたのはなんの変哲もないただの言葉だ。
「すでに私どものこの世界には、あなたと同じ境遇の勇者様が滞在しておられます。さっそくご紹介を……」
「しれっと服を脱がそうとしないでくれます?」
「申し訳ありません。急ぎたい一心で気が逸ってしまいました」
ひとまずこの場では以上。
その後のどの会話でも、俺の感覚が「今のはダウト」と訴えてくることはなかった。
嘘を見抜く、俺に備わったはずの能力が。
-礼拝堂-
初めて日の下で見る学園の校舎は、昨夜できたと言われても信じそうな純白の輝きを放っていた。
前の世界で俺が通っていた学園など、ここを将棋の盤面とするならマスのひとつに収まってしまいそう。
「こちらです」
真っ先に案内されたのは、そんな広大の敷地の片隅と言っていいような場所。
「教会、ですかね」
屋根に十字架まで立ってるんだから、間違いようのない推察を口にする。
「……およそその理解でよろしいかと存じます。私は教会? というものと礼拝堂を上手く区分することができかねますので」
微妙な言い回しの意味はすぐにピンときた。
「こちらはあなた同様、我々の呼びかけに応えてくださった異世界の勇者様が管理されている施設です」
この十字架も礼拝堂も、この人にとっては『外から持ち込まれた』文化なんだと。
おそらくは俺の先輩勇者に当たるその人が望んだ場所。
「参りましょう。ティアさんは毎朝、こちらで神に祈りを捧げていらっしゃいますから」
名前はティアさん?
馴染みのない響きだけど、なんとはなしに女性みがある。
「先ほどはヘルミリアさんもご紹介しようかと思ったのですが、まだ起きていらっしゃらなかったようですので。
一人ずつ順を追ってご紹介させていただきますね」
まだ他にも勇者がぞろぞろいるのかー、というのが率直な感想で。
それはそうかと思い直す。
(俺一人とか言われるよりずっといいわ……)
むしろ、百人でも千人でもいて欲しい。
自分が何に巻き込、いや、どんな運命を突きつけられようとしているのかも未だ理解は及んでいないけれども。
「おはようございます、ティアさん」
ギィ、という軋んだ音と共に重そうな扉が開く。
「あら、ええと、教師の……ノゾミさん? だったかしら」
こぢんまりとした礼拝堂の祭壇前でひざまずいていた人影が、気配に気づいて振り返る。
刹那、息を呑む。
金糸のような髪が印象的なビジュアルと、陶器のように艷やかな肌。
宝石のような光をたたえたその瞳に見据えられると、呪縛めいて……身動きすら奪われてしまうほどの。
圧倒的なまでの美が小柄な彼女の中には存在していた。
「そちらの方は……」
「小野宮シンさんです。昨夜、私どもの呼びかけに応えてこの世界にいらしたばかりです」
頬の火照りを感じながら、ティアと呼ばれたその女性に初めて会釈を返す。
「ご同輩ということね。小野宮シン……さん? はじめまして」
一向に俺が自己紹介を始めないからなのか、促すような声は少し戸惑いを帯びていた。
「私はティア。シスター・ティアと呼ばれています」
「……どうも、はじめまして」
どうにも口がぎくしゃくして上手く喋れない。
「あらあら」
笑みを含んだ困惑の息遣いに、ますます俺は身体を硬くしてしまっていて。
「ここに来るまでに何かご不快なことが? それとも、私は何か気に障ることをしてしまったかしら」
「そんなことは……」
「なら、どうしてあなたはそんなに……何もかもが気に食わない、という顔をしているの?」
鼻っ柱にパンチをもらったような気分で、面食らった直後、じわりと怒りが湧き上がってきた。
確かに俺は探るような態度をとっていたかもしれない。
もしかしたら、そう言われても仕方ない卑屈な眼差しを向けてしまっていたかも。
「……まるで、知らない人の膝に無理やり引っ張り上げられた犬みたい」
だとしても、だ。
(笑うなよ……)
初対面の相手にいきなり見下される筋合いも、まして、『見透かされる』なんか断じてごめんで。
「何も言ってくれないのね。やはり、私はいい印象を抱かれていないのかも。
人とお話するのって難しいわ。私はあなたと分かりあいたいのに」
「あの、ティアさん」
やんわりとしたノゾミ先生の制止を振り払うように聖女は笑った。
くすくすと口元を隠して。
「だって、あるのでしょう? あなたにも。『こんなところ』に来なければならなかった理由が」
この時、美しい神の使徒への感情は俺の中で完全に道筋を得た。
そして、理解もした。
彼女は俺と同じ境遇で、だからこそ最小限のところでわかりあえるものが存在しているんだと。
「あなたが見てきたもの……感じてきたこと、今……願っていること。知りたいわ、とても」
俺にとってそれは蓋をしたい過去で、でも、彼女はそうではないというのがお互いの間にある明確な違い。
「時間がかかってもいいの。どんなことでも打ち明けて。
どんな傷でも、どんな苦しみでも……私が引き受けてあげる。
*神の使徒、聖職者であることが証拠にはならない? 私のような人間は信用できるはず*」
チリッと疼くような感覚がこめかみを走り、それが『サイン』なのだと理解した。
彼女に圧されるまま、一瞬、忘れかけてすらいた俺の能力。
あの光に満たされた場所で神に願った『チート』が正しく作用しているのか? という疑問への答えだ。
作用している。
「*私は信用に足る人間よ。お友達になりましょう*」
彼女の言葉は嘘ばかりだ。
「なんでそんなことを?」
「*あなたの心を救ってあげたいからに決まっているでしょう*」
スルリと手の中に滑り込むようにして触れてきた指の冷たさ、その感触に、ぞっと背中が凍えた。
「*仲良しの誓いよ*。はい、握手」
「何するんだっ」
その手を払ったのは、本能的といってもいい反射の行動。
とはいえ、あまりにも過剰すぎる反応で。
手を振り払われた彼女も、握手を見守るつもりでいただろうノゾミ先生も、張本人の俺すら驚いていた。
「何かされたことが伝わったの? 嫌だわ、筒抜けってことじゃない」
小さなつぶやき。
「何か、とは……ギューってしたんですか? ユーモアだとしてもあまり感心しませんよ、ティアさん」
「……ではなくて」
この聖女に何かされると思ったわけじゃない。
でも、彼女が俺の手を取ることが『何か』の仕掛けであったことをその態度で察した。
「『能力』か? お、俺の隙を見て何をしようとしたんだよっ」
「*違うのよ*」
猜疑の目を向けられているのを承知の上で、彼女はどこ吹く風と微笑む。
「『永遠の献身(エターナルデボーション)』……私が神に与えられた異能は、他者の苦しみを肩代わりするというものなの。
他意なく、ただ思っただけよ。*今そこにあるあなたの苦しみを取り除いてあげたいって*」
ゆったりとした、慈愛すら感じるその言葉が嘘にまみれていることに戦慄する。
世界の勇者であるはずの彼女は平然と嘘をつける人間だということに。
「苦しみの肩代わりだって?」
「例を見せた方が早そうね。手、失礼するわよ」
口元に笑みを残したまま彼女は俺の手をとって、
「いだだだだだだっ」
笑顔のまま、俺の手の甲をキツくつねりあげてきた。
「ティアさん、な、何をっ」
「『永遠の献身(エターナルデボーション)』……」
刹那、かすかな煌めきと共に、手の甲の痛みが嘘のように溶けて消える。
「こういうこと」
そして、彼女が見せつけてきた手の甲は微かに赤くなっていた。
さっきの俺の手に起きたこと、そっくりそのままに。
「苦痛の譲渡、肩代わり、それが*シスターとして弱い人々を支え、導く使命を仰せつかった*私の身に託された奇跡の力」
「それを証明するためにわざわざ怪我して見せる必要はないでしょう!?」
気圧されながらも、俺の能力もまた彼女の言葉に込められた嘘への警鐘を発し続けていて。
「*私達、仲間なのよ? 疑いの目を向けられのはとても辛いことだもの、自分の気持ちを証明したかったの*」
(『ダウト』だよ……)
「まずはお友達からね? 私達きっと心と心で通じあえるような関係になれると思うわ」
彼女は自分の言葉すら信じていない。
この世界で最初に会った嘘つきは、柔和な笑顔をたたえた神の使徒だった。
暗澹たる気持ちにもなろうというもので。
-図書室-
バカでかい、世界中の本が集められてるんじゃないかとすら思う図書室のぽつんとした一角。
ここが次に俺が連れてこられた場所。
さっきのあの場をどう誤魔化して、どういう形で礼拝堂を後にしたのかは自分でもよく覚えていない。
とにかく逃げたい一心で。
「ご紹介しますね。こちらの彼女もあなたと同じ『救世委員会』のメンバーです」
当然、この世界での新しい生を望んだ俺に逃げ場などどこにもない。
(救世……?)
彼女が顔を上げるまでの短い時間で、この世界に召喚されたあの夜のことを振り返る。
この世界に危機が迫ってるとか?
俺の力が必要とか、確かそんな説明は受けた気が――
「ハルカさん、自己紹介をお願いします」
「…………はい?」
顔を上げるまでだいぶかかったので、いい感じに振り返れた。
「ああ、新しい人ですね? よろしくお願いします」
「いえ、あの、自己紹介……」
今また、読書に没頭し始めた彼女の視線はそれきりこちらに戻ってくることはなかった。
「か、彼女は綾月ハルカさんです」
取り繕うようなノゾミさんの態度は痛々しいものだったけど、俺は少しだけホッとしていた。
「邪魔してすいませんでした」
「はい、小野宮さん」
はいはねーだろ、とはさすがに思ったけど。
「これからよろしくお願いします」
本から視線を上げないままでの、そっけないその声に嘘の響きはなかった。
三人目? の勇者との出会いは痛くも苦しくもなかったから。
「では、この後は一度寮に戻って……」
ノゾミさんの声を遮るようなタイミングで、チャイムの音が図書室に届く。
「始業のチャイムですね。級友への紹介も必要ですから、一旦、切り上げて教室に参りましょう」
「……俺、手ぶらで来ちゃったんですが」
「ご安心ください。必要なものは全て教室に取り揃えてありますから」
聞き耳を立てている様子もなく、本に没頭しているハルカさん? を一度振り返る。
「ハルカさんは大丈夫です。ハルカさんは、その、なんと申しますか」
むむ? という顔で眉を歪めたノゾミさんが、そのままの顔で首肯する。
「ハルカさんですから」
そういうものか、と思った。
その程度の理解で済ませたかったというのもあったのかもしれない。
-学生寮-
その後の時間はまさに早回しと言う他なく。
ぽんと背中を押されるようにして、今、俺は改めて学生寮の前に立っているわけで。
まさか、世界を渡ってもなおこういうチャイムの音を聞くことになるとは思わなかった……というのは率直な感想だ。
そろそろ時間は4時を回る頃だろう。
この放課後は職員室に行ってノゾミさん改め、ノゾミ先生に会いに行くべきだったのかもしれない。
勇者としてのやる気を示すべきなのかも。
けれど、今の俺は教室の机にただ座って授業を聞くというだけのことにも面食らい、心のゲージみたいなものを削られまくっていて。
部屋で目を閉じ、全てを投げ出したい欲求に抗えなかった。
実感がない。
俺が置かれている境遇を言葉にするのなら、ただ、その一語になってしまうのだろう。
教室で時間を過ごしても。
クラスメイトが俺を「世界を救う勇者」として尊敬に近いような感情を向けてくるのを感じても、だ。
夢の中を歩いているような気持ちで、ずっとふわふわしてる。
あのまばゆい光に満ちた場所で神に出会って。
『あなたの力を貸して欲しいの。世界の未来のために』
その言葉に導かれて、俺は今、放り出されるようにしてこの世界に立っている。
そのはずなのに。
ここは剣と魔法の世界でもなければ、普通にしてても10倍の筋力が備わってるとか? そういう優位を感じるわけでもなく。
漠然と思い描く異世界のイメージとは全く似つかわしくない、露骨にコンクリート材のこの建物は学生寮だという。
その辺りの疑問をぶつけたら、「コンクリート? これはコンクレイトという魔法物質です」とでも返ってくるというのか。
俺が勝手にイメージの齟齬に苦しんでいるだけかもしれないけど。
魔法の杖を持った生徒が行き来しているわけでもなく、空をドラゴンが飛んでいるようなこともない。
翻訳の魔法? みたいなものをかけられた覚えはないのに、誰と会話をしても言葉の壁なんてものは存在せず。
裁縫のしっかりした学生服を支給されて。
教室では小学校高学年レベルの国語や算数、理科や社会の授業が朝の9時から午後の4時までみっちりと行われていて。
ここが学食ですと説明を受けた場所では味噌ラーメンが注文できて。
(この世界は神様の大いなる慈愛によって生み出されました。神様に感謝しましょう。おしまい)
ついさっき教室で受けた社会の授業の内容だ。
「ここが、これから俺が生きていく世界……」
深々と嘆息。
今度もあの時のことを思い返してしまう。
『力を貸して欲しい』
姿なき神からの冗談みたいな呼びかけに対して、俺の胸中に湧き上がった感情は上手く説明できるようなものではない。
驚きだったのか、怯えだったのか。
喜び、だったのか。
「貴様か? 見ない顔の小僧」
不意の呼びかけに足を止めて、周りを見回して。
俺を取り巻く景色が一変しているということにようやく気づく。
ここは寮のロビーで、
(……角?)
待ち構えていたらしいその人の、ふわふわと柔らかそうな髪からは悪魔角(仮)が生えていた。
格好は普段着。
風体は絵に描いたような魔族?
「ギャオンッ」
極めつけに、肩には白黒斑模様の小さな……ドラゴン?
「貴様であろう? 教師・ノゾミがさっき話しに来た、オノミヤとかいう新入りは」
今ここでなんだ、というのが正直な感想。
ここって本当に異世界? と疑念を抱きかけていたタイミングで、いかにもな『異世界感』が飛び出してきた。
「*我こそは千年王ヘルミリア=ヴァン=ノクスローゼ!*」
と思ったから、『嘘』のサインにずっこけた。
「*12の魔王を使徒として従え、魔法王国ラグナレカに千年の覇を唱えし魔王の中の魔王!*
そして、この者は我が友にして第一の魔王・竜王エクエス!」
今の言葉の中で嘘のサインが届かなかったのは「我が友にして第一の魔王」のくだりだけだ。
つまるところ、肩のちびドラゴンは真実魔王?
にも関わらず、この悪魔角の少女は自分のことを魔王だと自覚していない?
「なんだそのとぼけた面は」
(面って……)
「頭が高いぞ跪け、定命の者よ。*これなるは悠久を生きる不死の王*」
不死の王も嘘だった。
少なくとも死ぬ。
「*真贋を鋭く見極める我が目はごまかせぬ。感じるぞ? 貴様から漂ってくる波動……そう、救世の勇者たる資質を!*」
これも嘘だし、そんなものは俺自身すらも感じたことがない。
「まずは跪け! 貴様が我が騎士たるに値するだけのものを示すのならば、相応の扱いを与えぬでもない」
「騎士とかいきなり言われても」
「跪けという言葉が聞こえなかったのか! オノミヤ。*不遜の報いは最も冷たく凄惨なる死、それが魔王の理であるぞ*」
魔王の理も当然、嘘だし。
「今回は許すが」
許してくれるのは本当。
「それで? まずは証を立てるがよい。貴様は何ができる」
「何というのは……」
「戦士か僧侶かあるいは何か、という質問だ! 我らは戦いの場に立っているのだそ」
本当に俺は戦いの場に立っているらしい。
さすがに先輩勇者(仮)だけあって、状況への理解が俺より何歩か先を行ってる。
「戦いですか」
「なんだその顔は。我らは世界のため戦う勇者として招かれた仲、あー、ど、同、つまり……」
「運命共同体のような……?」
「そういうので朝、我を訪ねてきたのであろう! 我は間がアレで、そういう……つまりは冥き闇の淵にて……そういう……」
(なぜ、そわそわする……)
「無視をしたつもりはないが、結果的に、だから……」
だいぶ時間はかかったけど、ようやく、このそわそわとした態度の理由がわかった。
「朝あなたが寝てたせいで挨拶できなかったから、気を利かせて顔を出してくれたってことでいいんですかね」
「頭の中がお花畑か。どうやら貴様はよほど平和な世界から喚ばれてきたらしい」
「YESかNOなら?」
「急にぐいぐいくるな! *そんなものはNOに決まっている*」
魔王は「朝、せっかく挨拶に来てくれたのに顔を出せなくて悪かったな」と気を利かせてくれていた。
「あなたも異世界から喚ばれてきたお仲間、ってことですよね? 感じがいい人でよかったです」
「我の何を見てそんな印象を抱いた! ぼんくらか」
魔王が親しみやすいタイプなら、きっとこのちびドラゴンとも上手くやっていける。
「ガウーッ」
「顎が気持ちいいんですかね」
「*我が盟友たるエクエスの顎をコリコリするな!*」
なんなら「コリコリするな」まで嘘だった。
我が盟友、目を細めて気持ちよさそうにしてるからもっとしてあげて……が魔王の本心だった。
「名前、ええと、舌噛んじゃいそうなんでヘル子でいいですよね」
「*殺すぞ小僧*」
「本当は何歳なんですか?」
「本当はとはどういう意味だ! *宇宙そのものに比肩する魔力と共に生まれ落ちたこの身は、生まれながらにして不死*……」
「同い年くらい?」
「どうやら、本当に死にたいよう……ぬっ」
急に表情を強張らせた魔王(自称)が、その場で後ずさる。
「あるいは、それほどの舐めた態度の裏付けになる得るほどの絶大な力の持ち主……か?」
(想像力がたくましいタイプ、か……)
「とにかく! 義理は果たしたぞ」
最後には自分が義務感から顔を出したことを自ら認めていた。
「最後に忠告してやる。貴様はおめでたい人間のようだが、*この我との馴れ合いなどは企まぬことだ*」
まさかの、である。
「*我は絶後の魔王! 孤高の存在であり、定命なる者どもと心を通わせることなどは決してない*」
俺の能力は「この我」以降の語り全てに嘘とサインを送ってきていた。
「はあ、まあ、今後ともよろしく……?」
「話を聞いていたのか? 神の目も曇ったか。新たな勇者はよほどの間抜けらしい」
言い捨てて、別れの挨拶もなく魔王は踵を返してしまったけど、ラブリーなドラゴンは肩でバイバイと翼を振っていた。
小さく手を振り返して、それから一息。
今日1日がようやく終わろうとしていることを、肩にかかった重みのようなもので理解した。
「ここが、これから俺が生きていく場所……」
嘘ばかりのいんちきシスター。
対照的に声すらロクに聞かせてくれなかった図書室の主。
そして、自称・魔王。
(実は魔王まではいかなくて魔王の側近くらいの地位だった、みたいなこと……?)
何もかもがバラバラな俺達の共通点は、誰もが『この世界に招かれてきた存在』という一点だ。
おそらくは神に『何か』を願った、ということ。
『対価はあなたの新しい人生。ぶっちゃけて言うと……『生きる権利』ってところなんだけど。
興味、あるでしょ? 私のお願いを聞いてくれるなら、あなたに未来をあげる』
あの白く染まった神の座で、俺と同じように。
≪転生3日目≫
-学生寮自室-
今日は学園を休んだ。
やるべきことをしなかった、という方がニュアンスとしては近いかも。
ただ、無為に1日を過ごしたと。
俺に与えられた部屋のどこにも暇つぶしできるような娯楽の類は一切なく。
テレビをつけてみればどのチャンネルも真っ黒。
もしかしたら、これはテレビっぽい形をしているだけで別の何か(マジックアイテム?)という可能性まである。
「そもそも、頭から角が生えた自称・魔王みたいなのがいる傍らに、テレビなんてものが存在しているのかよって話で……」
疑問、という表現すらふさわしいいのかどうか。
たとえば新学期。
新しい環境。
新入生の俺にとっては初めての場所には当然、『これまで』が存在していて、その環境下において自分はどこまでも異邦人。
同じことを同じように受け止められない。
同じことで笑えない。
他の人達にとっての常識が自分の中には存在していない。
世界はそこに存在しているのに自分はそこにいないような――
そんな、誰もが一度くらいは経験したことがある疎外感を限界まで煮詰めたものが、今ここにおいての気分かもしれない。
神の声が約束してくれた「新しい人生」のスタート切ったという実感はまるで伴っていない。
今日1日ずっとビクビクしていたくらいだ。
小学生レベルの教科書をぺらぺらめくったり、窓の外の景色を眺めたり。
垂れ流すようにして時間を消費しながら、意識はずっとドアを向いていたように思う。
いつ、ノックされるか。
いつ、勇者の身にして恥ずべき怠惰を咎められるか。
実際はそんな小イベントは起きることなく、窓の外は茜色に染まりつつあるわけだけれど。
「……腹減ったな」
-学生寮ロビー-
予想というよりは期待に反して、寮のロビーは無人ということはなく。
名前は確か、シスター・ティア。
むしろ、会いたくない姿がエントランスにはあった。
「あら、あなたは……ええと」
その偶然の鉢合わせで、さっきまで空腹を訴えていたはずの胃が急に狭くなる。
「オノ? オノ……」
あの服はスカプラリオとか呼ぶんだったか。
俺が育った文化においても微妙に馴染みがある、すっぽりした黒い服を身にまとい、柔和な表情をたたえた――
「オオノさん?」
(雑に諦めた……)
「間違っていたかしら? *ごめんなさいね*。馴染みのない響きなもので」
今日も絶好調でこのシスターは大嘘つきだ。
全然、悪いと思ってない。
「どこかへおでかけ? まだ、この世界に来たばかりですものね。町を探検というところかしら」
「……いや、食事に」
「食堂? 気軽に行けるなんて羨ましいわ。私にとっては馴染みのない料理ばかりで、毎日、苦労しているの」
「そ、そう? 俺は特に……」
こんな何気ない会話の最中ですら、俺は嘘に身構えてる。
「余裕なのね♪ 私の方がこの世界ではほんの少し先輩だけど、あなたに頼った方がいいことが多いのかもしれないわ」
ビクビクしてるのを見透かしたのか、笑顔のシスターは腕を絡めあわせるようにして身を――
身を?
「な、なんで腕を抱くのっ?」
「一緒に食事に行こうと思って」
「俺達、お互いの名前も知らないレベルのよそよそしい関係だったよね!?」
「だから、これから打ち解けようということでしょう」
どう考えても明らかに、シスターの言い分の方が筋道が立っている。
理屈ではそれがわかる。
「あの教師も言っていたじゃない。*私達は大いなる運命を共有する仲間*、な・の・よ?」
俺の能力が勝手に嘘を察知してしまうから、こういう態度になってしまうだけ。
「*背中を預ける相手だもの。興味は尽きないわ……どんな素敵な人なのか、好きな食べ物は? どんな風に笑うのか。*
……それに、あなたがここに来た理由も」
彼女の本音は『俺の過去を知りたい』に収束していると、この能力が勝手に当たりをつけてしまう。
「決まりね」
「いちいち耳に口を寄せて喋らないでくれます?」
「ンモウ、照れてるの? *可愛いのね*」
今も彼女は俺のことを全く可愛いなどとは思っていないし、そういう視点で見ると目の奥が全く笑っていないようにも映る。
正直、打ちのめされてしまう。
こんな能力を望んだのは失敗だったのか? なんて思ってしまうほどに。
嘘から身を守るために望んだはずの能力に、さっそく息詰まるようなものを感じてしまっている、これは。
相手の本心を無条件で暴いてしまうことへのやましさなのか。
少なくとも嘘がわかったからといって、真実を見通せるわけでもなく。
「……黙ってしまったわ」
まして、嘘を指摘することなんてできるはずもない。
「心にしこりがあるのなら吐き出してね? *私は敬虔なる神の使徒、あなたの心の痛みの受け皿よ*」
(欠片の本心も込められてない……)
「心のトイレよ? 雑に処理できる女と思って欲しいの」
「処理って何?」
なお、今のは本心だった。
「*万能なる神は我ら矮小なる子らが犯す全ての罪は、全て心の弱さからくるものとご存知なの*」
「へえ」
「恥ずかしがらなくていいのよ? まずはごはんでも食べながら、あなたの辛気臭、いえ、心の在り方にまつわる……」
ジャーンジャーーーカジャカジャカ♪ ジャンジャーーーーーン!!
「ひゃっ」
星がふたつに割れたかと錯覚するレベルの轟音に、揃って首を竦める。
「……また、あの子ね」
「あの子?」
ティアと顔を見合わせる間も、お祭り騒ぎ的な喧騒は続いていて。
爆心地はどうやら寮の表。
「窓から見えた。また、あいつの仕業だ! 綾月ハルカめ!」
ドタバタと階段を駆け下りてくる音。
怒れる自称・魔王は俺達の前を素通りして、一直線にエントランスへ向かうようだったから。
「行きましょ」
「いちいち腕は抱かなくていいです」
-学生寮-
ヘル子から少し遅れて寮から出てきて、まず視界に飛び込んできたのは本を開いた文学少女。
名前はハルカさんだったか。
楽団でもいそうな音量だけど、人の姿は彼女とヘル子しかないようで……。
「一体、これはっ……とと」
ジャンジャーーーン♪
まさか、音楽はあの本から流れてるのか?
3Dサラウンド的な重厚で迷惑でとんでもない爆音は、また一段階ボリュームを高めたように感じた。
「き・さ・まー♪ この音楽は一体ー、ん? な、なんだこれェー」
「何がー、おーきーてー♪ るぅー♪」
って 、本当に何が? 話そうとすると歌っちゃうんだけど。
「*お騒がせしてー♪ 申し訳ー、あ・り・ま♪ せーーーんーーーー*」
なお、ハルカさんは全く悪いと思っていない。
ジャーンジャーーーカジャカジャカ♪
「音楽に惹かれてー♪ 人々は集まって、く・るぅー。正しく機能、し・ました、ねぇー♪」
「これは、な・ん・のー♪ 嫌がらせなのかしらー」
「ヘイッ♪」
「合いの手と、かー♪ いらないのよぉー」
おそらくあのシスターはマジでいらついている。
「読んだ本に、あ・り・ま・し・たー♪ ラララ、歌は世界を救うー、歌はラブでピースだとー」
「く・だらぬ詭弁ー♪ アホまるだしであるぞぉー」
「ですから私は考えたのですぅー♪ 誰もが歌えばぁー? 世界はララー、へ・い・わ、なのではとぉー」
「現に私は不幸よおー♪」
「ま・だぁー、始まったばかりの物語ー♪ 歌は世界を平和に誘うかもぉー」
「貴様を殺すぅー♪ ラララ、いでよ魔王ぅーえーくーえーーすぅーーー」
「ギャオオーーーン♪」
「お前までが、歌い踊って、ど・ぉ・す・るぅーーーー♪」
予想できた展開である。
「これ収集つくんですかねぇぇーー♪」
「あと30分ほどになりますー♪」
「その具体性、は、はぁはぁ……息が、で、できなっ」
――約30分後。
「駄目ですねこれ」
俺達全員を巻き込んだ張本人(おそらく)のハルカさんが、ガラガラの声で総括する。
「おかしいな。音楽は戦争を止めましたし、歌に乗せれば大抵の感情はぶつかりあわないで済むという説があるんですが」
(案外、会話上のクッションは生まれそうな気もするけど……)
いかんせん、障害が大きすぎる。
「我は貴様の首を締めてやりたいし、別に歌ってる間も面白くなかった」
本心である。
「本での描写を見た限りではそれなりの説得力を感じたんですけど」
「そうだな、検証は失敗だ」
(検証……?)
「あれが彼女の力らしいの。本で……なんだったかしら? 書き込んだことが現実になるとかそんな……
今日のは多分、『人々が音楽に誘われてくる。音楽が流れてる間は歌でしか喋れない』というところかしら」
間抜けに首を捻っていた俺を見かねたのか、ティアがわざわざ身体までくっつけて耳打ちしてくる。
本というのは今も後生大事に彼女が抱えている、あの本のこととして。
「書き込んだことが現実に……?」
それも、俺と同じように『神から与えられた』チートということなのか。
あるいは元の世界からの持ち込みなのか。
「*次は殺すぞ*。貴様のつまらん好奇心に偉大なる我を巻き込むな」
発言に嘘が多いとはいえ、あの角を生やした魔王は俺と違って元から自分が持ってた能力が多そうな印象はある。
「*はあ、気をつけます*」
ハルカさんも意外と嘘つきなのを、この事件で早くも知った。
「もうおしまいでいいのね? なら、これから食堂を親睦を深めるというのは……」
「いえ、私はまだやることがあるので」
「我はもう済ませた」
さっきまでの喧騒はどこへやら、波が引くようなあっけなさで二人はそれぞれ去っていき。
「……じゃあ、二人で行きましょうか」
断ることこそできなかったものの、いちいち彼女の嘘に身構えるような時間が盛り上がるはずもなく。
こんなことで本当にやっていけるのか。
他人の嘘に平然としていられる俺になりたいのか、というようなことばかりを自問しながら転生3日目の夜は更けていった。
続く