鈴の音が聞こえ、目を覚ました俺はそれはもう度肝抜かされた。 襖に四方囲まれ、行燈と敷布団だけが置かれたその見慣れぬ和室(俺の予想四畳くらいか?)のど真ん中。そこに俺は制服姿のまま布団の上に転がされていた。 襖の向こう、行燈に照らされ浮かび上がる男の影に「巳亦?」とその人の名前を呼びかける。シルエットだけでは特定などできないほどのぼんやりとした高い影なのに何故俺は巳亦と思ったのか分からない。けれど、すぐに「ああ、俺だ」と聞き慣れた気易い声が返ってきて安堵する。 「なあ、ここってなんだ? 俺、確か自室で普通に寝てた気がするんだけど……もしかして、これって魔法かなにかか?」 「まあ、遠からずってところだな。ところで曜、ここで目を覚ます前に夢を見なかったか?」 「夢? んー……見たような、見てないような……覚えてないや」 「そうかそうか、快眠で結構。それなら早速本題に入ろうか」 本題?と首を傾げたとき、またあの音が聞こえた。 チリンチリンと二回、今度は巳亦の声とは別の方向から。巳亦以外に他の何かがいるのか。 「曜は、俺のことが好きか?」 ここがなんなのか脳を働かせていた時、投げかけられた言葉にぎょっとする。 もしかしてここ、今まで巳亦が言ってた『愛の巣』とかそういうやつじゃないだろうな。 じわじわと首の上に熱が集まっていくのを手で仰いで覚ましながら「な、なんでだよ」と言い返した。 「なんで、じゃないだろう? 曜。……ちゃんと答えてくれ。俺のことは好きか?」 違和感が生じる。それはほんの、つまづきもしない小石レベルの違和感。 二度目の問いかけで巳亦の声は笑っていなかった。いつもなら、いや、いつもの巳亦だったら「そうか、まだ曜には早かったか」などと言って笑って流してくれる。はずなのに。 「……えーっと、……なあ、巳亦。先にこの場所の説明、いいか。そもそもこういう告白とかって、普通顔見ながらだと思うんだけど……」 巳亦だってそっちの方が嬉しいんじゃないか。襖越しの告白で満足なのか。と、続けるよりも先に、ごどん、と先ほど鈴の鳴った襖の奥で何かが倒れる音がした。 「わ、な、なに……そうだ、巳亦。なあ他に誰かいるのか?」 「曜は俺のこと、嫌いなのか?」 「……巳亦?」 「曜」 聞こえるはずなのに、居るはずなのに会話が妙に噛み合わない。声が近くなる。影が濃くなり、部屋の片隅に置かれていた行燈の奥で炎が揺らめいた。 小石だった違和感は大きめの魚の骨ほど膨らんでいた。けれどそれを取り除くことは可能だ。この襖を開け、巳亦に直接問いただせばいいだけだ。 それをしなかったのは、訳が分からないながらも本能がこの部屋から出てはいけないと叫ぶからだ。制服の胸ポケットの奥、黒羽さんから貰った懐中時計を握りしめようとして、そこで気付いた。いつも制服に忍ばせている護身がわりの懐中時計がない。――ということは、ここは現実世界ではない? 「……悪い、曜。俺は怒ってる訳じゃないんだ。ただお前が……そう、俺を怒らせるような態度を取るから、悲しい。……そうだ、悲しいんだ。曜。お前が俺を受け入れてくれないのが」 巳亦の声や喋り方によく似ている。きっと表情や口の動かし方もそっくり模倣してるのかもしれない。 外にいるのが巳亦ではないとして、何故こんなところに閉じ込められているのかを考える。昨夜は普段通りだったはずだ。 他人の夢を弄るの知り合いもいるが、悪戯でもされているのか。だとしても、意図が読めない。鈴の音が再び鳴る。俺が問いかけに答えずにいると、またごとりと今度は別の方角から何か重たいものが落ちる音が聞こえた。 「曜、俺を無視するのか?」 「違うよ。ただ、少し考えてたんだ」 「なんだ、俺がいるときに他のことを考えていたのか? 非道いやつだな」 巳亦は俺の思考が読める。俺が何を考えてるのか、どういう感情を抱いているのか分かるはずだ。 本物の巳亦なら。 「なあ巳亦、どうして顔を見せてくれないんだ」 「それは俺を受け入れてくれるということか?」 いつの日か、リューグから聞いたことがある。 昔の吸血鬼は招かれなければ人間の部屋へと入ることはできないと。 ならば先ほどからやたらこの《巳亦》が自分を受け入れさせようとするのはそういうことか。 「……」 なんだか、可哀想なやつだな。 わざわざ巳亦に化けて、俺を受け入れさせようとしてる。その先の目的がなんなのか俺には未だ理解できないが、多分、わざわざ俺に会いに来たということは俺にしか出来ないことということなのか。 「うーん……ややこしいな」 「……なにがだ?」 「その俺っていうのは巳亦のことか? それとも、アンタ自身のことか?」 鈴の音が、ぴたりと止んだ。 炎の揺らぎも止まり、部屋の中に静寂がやってくる。 ごどごどごど、と一気にいくつもの何かが落ちる音がする。あちらこちらから。さっきからなんだろう、この音は。 「受け入れるかどうかは話してから判断する。……黒羽さんに言われてるんだ、知らない人は無闇に信用するなって。だから、教えてくれ。ちゃんと、巳亦の真似しないで」 みし、と天井が軋む。なんか、部屋全体も揺れてる気がするんだが気のせい……じゃない、よな。 やばい、話が通じないタイプの相手か?と内心焦った時、とうとう天井を支えていた梁がばきりと落ち、そのまま俺の頭目掛けて天井が落下してくる。そして、 「う、わ――」 潰れる、と目を瞑ったと同時に俺は飛び起きた。今度は見慣れた自室の天井、そして手のひらには熱くなるほど握りしめていた懐中時計。 真っ暗な寝室の中、俺の浅い呼吸だけが辺りに響いていた。 夢、か。夢にしてはやけにリアルだった。 寝間着の下、ぐっしょりと濡れた汗を感じて俺は部屋のシャワーを浴びることにした。 結局、あいつのこと何もしれなかったな。 ……巳亦に何かあったわけじゃないよな。 思いながら一旦俺は黒羽さんを呼びつけ、夢の中の出来事を伝えた。 「なんと……かたじけない。貴方の危険に気付けなかったとは」 「まあ夢だったし仕方ないよ。それに、なんか……悪いやつじゃない気はするんだよなあ。妖怪かな?」 「他人に化けて悪戯をする者ならいくらでもいる。しかし、何故あの男のフリをして受け入れさせようとしたのかが不明だが……まさか組んでいるわけではないだろうな」 「まさか、巳亦に限って……それに、喋り方は確かに巳亦によく似てたけど、言動はちょっと巳亦っぽくなかったから友達とかじゃなさそうだけど……」 「いいか、伊波様。あの男は猫を被ってるから信用するな」 猫ではなく蛇なんだけどな、と思いつつ、これ以上は藪蛇なのでぐっと言葉を飲み込んでおく。 その晩は黒羽さんがそばに居てくれたお陰で今度は朝までぐっすり熟睡することができた。 そして、翌朝。制服に着替え、黒羽さんとともに食堂へと向かう。たくさんの妖怪たちが行き交う中、ふと視線を感じて辺りを見渡した。が、一応有名人らしいので大体の妖怪と目が合う。照れながら会釈をしつつ、やっぱり簡単には見つからないか、と諦めかけたとき。 チリン、と鈴の音が聞こえた。咄嗟に俺は踵を返し、その音のする方へと駆け寄る。 大中小の人混みならぬ妖怪込みをかき分けたその先、俺はその手を取った。何事かと大きく目を丸くしたその妖怪の顔を見て、俺はやってしまった、と思った。後ろから「伊波様」と黒羽さんの怒ったような声がする。が、それよりも俺はなんて話しかけるかを考えることで必死だった。まあ、人間式にいくなら。 「おはよう。俺は伊波曜。……えーっと、そうだな。取り敢えず……お前のこと、教えてくれるか?」