最近栫井が触らせてくれる。 変な意味ではない。普段ならば俺から触れると逃げたり避けたりしていた栫井だったが、ここ最近……というよりも最中にうっかり撫でても嫌な顔をしないのだ。 例えば例の如く風呂上がり、ソファーで押し倒されたときのこと。覆い被さってくる栫井の頬に思わず触れたとき。 しまった、と青ざめたが栫井は嫌がらなかった。 それどころか。 「……っ、……」 目を細めた栫井は、そのまま恐る恐るといった感じで俺の掌に自ら顔を寄せた。少し痩せた頬の感触が、熱が指に触れ、心臓が止まりそうになる。 「か、こい……っ、ん、ぅ……っ」 「集中……しろ」 「っ、ご、めん……っ、ん、ぁ……っ」 すぐに栫井はなにもなかったかのように繋がったまま腰を揺さぶる。そのまま奥深く、内壁全体を擦るようにゆるゆると再開される抽挿によりあっという間に余裕はなくなった。 そのときはそれ以降栫井が必要以上擦り寄る、なんてことはなかったが、俺は最後まであのときの栫井の顔が忘れられずにいた。 ほっとしたようなあの目――学園にいた頃は見ることができなかった和らいだ表情。 少しでも栫井も俺と居てリラックスできるようになっていたらいい、そんな風に思っていた。 そして事後。 体力が底付いてそのまま眠りに落ちる。そして次に目を覚ました俺は少しだけどきっとした。 ……栫井が寝てる。それも、ぐっすりと。 「……」 なんとなくまじまじと栫井の顔を見つめてしまう。起きてる時はなかなか顔をじっと見たりすることはできないから、なんだか新鮮だ。 以前は不定期に寝泊まりに来るだけのような栫井が、毎日ここで寝泊まりするようになって数ヶ月ほど。一応同棲……ということにしてもいいのだろうか、なんとなくまだ俺達の関係性は分かっていなかったが、それでもこうして目を覚ますと栫井がいるという生活は慣れない。 でも、起きて栫井がいる。それだけでほっとする。 「……」 起こすつもりはないが、なんだか急にそれが嬉しくなって、俺はついそっと布団の中、栫井の方にもそりと身を寄せる。 瞬間、栫井の体が反応した。続いて薄っすらと開かれる目に、俺は慌てて飛び退いた。 「……」 「あ、ご、ごめん……起こした?」 ごめん、と項垂れる俺に栫井はまだ寝惚けてるらしい。「いや」とだけ低く唸るように答えたと思えば、今度はそのまま俺の頭に手を回す。 抱き寄せられ、一気に近付く栫井との距離。 「っ、わ、か、栫井……?」 「…………」 「…………」 「…………すー」 ……寝てる。 余程眠たいのだろう。栫井の腕の中に閉じ込められたまま俺はただ固まっていた。 「……」 なんか、心開いてくれた……みたいだな。 今までだったらそっぽ向いて背中を向けられても、ベッドから蹴り落とされてもおかしくなかったのに。 ……けど、これはこれで緊張する。 とは言ったものの、穏やかな寝息と規則正しい心音に俺もすぐに再び眠りにつくことになったのだけれども。 ◆ ◆ ◆ それから数時間後。 目が覚めて俺は栫井を残してベッドを降りる。 幸い今日は学校もバイトもなかったが、二度寝する気にもなれなかった俺は飲み物でも用意することにした。 たまの休日。早起きするのは気持ちがいい。 とは言えど昨夜の名残もある。余韻に浸りつつ、今日は栫井は何時頃に起き出すだろうかと考えながらテレビをぼんやりと眺めていた。 それから更に一時間後。ソファーに座ったまま借りていた本を読んでいると、まだ昼前とも言える時間帯に栫井は寝室から顔を出した。 珍しい、普段なら午後過ぎ頃まで起きてこないのに。とは言えど顔にはまだ眠いと書かれているが。 「あ、おはよ……何か飲む?」 「……コーヒー」 「淹れようか?」 「…………別にいい」 「そ、そっか……」 言いながら体を引きずるようにキッチンまで移動する栫井を見送る。 なんだろう、なんか変に意識してしまうな。 おかしい、今更こんな。別に付き合いたてとかそんなものでもないのに。 コーヒーを淹れた栫井は俺の隣に腰をかける。 「わ……」 「……なんだよ」 「いや、その……なんでもない」 隣に座ってくれるの、嬉しい。なんて言ったらすぐに隅っこまで避けられてしまいそうだし。 なんて思いながら、ちら、と栫井を盗み見る。コーヒーカップを持ったその指が長いだとか、相変わらず朝は顔色が死んでるなとか、でも最近目の下の隈は薄れた。とか。そんなこと考えているときだった。 「…………おい」 不意に、栫井の目がこちらを睨む。 「え?」 「さっきから、何。……言いたいことあるならはっきり言え」 「い、言いたいことなんて……」 「…………」 しまった。もしかしなくても見過ぎてしまっていたらしい。 なんか誤解されたのかもしれない。トーンが落ちる栫井の声から不機嫌を察知し、俺は慌てて「違うんだ」て首を横に振る。 「そ、その……嬉しくて」 「………………は?」 「う、あの、……気にしないでほしいんだけど、その……栫井、前は結構距離あったから。こうして近くにいてくれて新鮮というか……」 「………………」 「あ、あの……栫井……?」 せめて何か言ってくれ。 恥ずかしくなってきていた矢先、一個隣にずれる栫井に俺はショックを受けた。 「き、気にしないでって言ったじゃん……!」 「お前が勝手に言っただけだろ」 「う、そ、そうだけど……」 だからってそんな露骨な。 でもまた俺の方からくっつきに行くのもおかしな話だ。……でもいい、無意識で距離を近付けてくれたのだと思うことにする。 パタンと読みかけの本を閉じたとき、一口カップに口をつけた栫井は小さく息を吐いた。 「……お前が」 「俺?」 「お前が、嫌がらないから」 そっぽ向いたままぽつりと呟く栫井。そのたった一言は胸の奥に落ち、じんわりと全身に広がっていく。 『あの栫井が』という感情と、『嬉しい』という感情が同時に発生してぶつかり合っては上手く言葉が出てこない。自分を落ち着かせるため、それから栫井に引かれないように一旦呼吸を繰り返した。 「嫌がるわけ……ないだろ」 ようやく絞り出した言葉は少し上擦ってしまう。 栫井はあらぬ方向を見つめたまま「あっそ」と呟く。栫井と一緒になって暫く、俺だって少しは栫井のことを分かるようになっていた。 ……今の「あっそ」は、悪い気はしてない「あっそ」だと。 「……別に、いいけど。どうでも」 「栫井って、結構誤魔化し方雑だよね」 「あ?」 しまった。また余計なこと言ってしまった。 「なんでもないよ」と慌てて咳払いして誤魔化そうとしたとき、カップをテーブルに置いた栫井はそのまま俺の胸倉を掴む。 「わ、か、栫井……っん、む……っ!」 近い、と目の前まで迫る鼻先に驚く間もなく、噛みつくように塞がれる唇に思わず俺は目を瞑った。 触れ合った唇からコーヒー特有の苦みと酸味が広がり、未だコーヒーの味に慣れていない俺はつい顔をしかめた。 けど、それを拒もうとは思わなかった。苦いけど、栫井の味だ。煙草とブラックコーヒー。きっと、触れ合う度に俺の体にもその残り香は写ってるのかもしれない。そう思うと拒むよりも、もっと、と思ってしまう。 「……っ、ぅ、ん……」 口を開き、栫井の舌を招き入れようとしたとき、小さく舌打ちした栫井はそのまま俺の舌を甘噛し――顔を離した。 「……ほら、嫌がらねえ」 「栫井は、嫌がったらやめるの?」 名残惜しさに思わず顔を上げれば、栫井は口角を変な顔をする。呆れたような、笑ったような、自嘲混じりの皮肉げな笑顔だ。 「やめるわけねえだろ」 だと思った。 再び唇を甘く吸われ、突き出した舌先同士が触れ合う。この苦味も慣れてきたら馴染んでくるようだった。 いつの間にかに押し倒されるような体勢のまま深いキスをされ、追い詰められる。起きたばかりなのに元気だな、とか、またこれで半日休日が潰れるのだろうかとか思ったが、悪い気はしない。 けどもだ。 「か、栫井、せめてベッドで……」 「……」 「栫井……っ?! ん、ぅ……っ」 「誘ったの、お前だろ」 「そ、そうだっけ……っ?」 「……そうだな」 なんか、ずるいな。 けど、こういう風に流されるのも嫌いではない。寧ろ。 「あ……汚さないように、タオル……」 「……」 「っ、ちょ、か、こい……っん、ぁ……も……」 ハッとするも、逃げるなと言わんばかりに栫井の手が服を脱がしにかかってくる。 本当に誤魔化し方が強引と言うか、なんというか。「にやにや笑うな」と項に噛みついてくる栫井にぎょっとしつつ「痕にならないようにしてね」と声を上げた矢先思いっきり歯を立てられたのは言わずもがなだった。 でも、こうして触れられてるのは好きだった。栫井が俺に関心持ってくれてるのだと実感できるし、何より、普段から口数の多くない栫井と対話出来る時間でもあったから。 ……今日はカーペットまで汚れなければいいが。 そんなことを考えながら俺は栫井の手にそっと自分の手を重ねた。 おしまい