宿を出れば、チュンチュンと鳥の鳴き声がやけに大きく響いて聞こえる。 本来ならば人々が起きて各々の生活の営みを行う時間帯にも関わらず、その街全体はまだ眠りについているかのように静まり返っていた。 市長の言っていた件の魔物のことがあるのだろう。それにしても、こんなに広い街で人一人の声も聞こえないというのはなかなか薄気味悪いものだった。 けれど、今はそんな静けさが俺には丁度良かった。 ひんやりとした朝特有の空気を浴び、頭を冷ますついでに街を散策する。 それにしても、人に擬態する魔物か。 知能を持った魔物ほど厄介なものはないと思う。それに、何を思って人に紛れようとするのか。 あの市長は具体的な話はしていなかったが、こんなに恐れられてるというのならば余程質が悪いのか。 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、広場の奥に小さな人影を見つける。 まさかこの時間帯に自分以外の人間が出歩いているとは。 ほんの一瞬、ちらりと後ろ姿を見ただけだが子供のように見えた。周りを見れば親らしき姿はない。危険ではないのだろうか、と気になってその人影の後を追った。 広場の奥には子供ようの遊具が置かれていた。本来ならば子供たちで賑わうはずのそこは、市長によって封鎖されているようだ。 さっきの子供、確かここにいたよな。 そう辺りを見渡すものの、人影すら見つからない。まさか見間違いだったというのか。 「……帰るか」 ただ単に俺の見間違いなのか、それとも俺のことを魔物だと思って逃げて帰ったのか。杞憂ならばそれでもいいと思った。迷子の子供なんていなかったのだと。 そのままの足で宿まで戻ろうとした時だった。閑静な住宅地を歩いていると、「スレイヴ!」と名前を呼ばれる。怒声にも近いその声に何事かと立ち止まったと同時に、いきなり背後からやってきたイロアスに腕を掴まれた。 「な……」 「こんなところで何してるんだ……っ!」 「何って、別に……」 「……っ、しかも他に誰に何も言わずに勝手に……」 目に見えて分かるほどイロアスの様子はおかしかった。 言いかけて苦し気に呻いたイロアスはせっかくの綺麗な髪をぐしゃりと掻き上げ、そして深く溜息を吐く。それは必死に自分を落ち着かせているようにも見えた。 「っ、頼むから、勝手にいなくならないでくれ」 「勝手にいなくなったのは……その、悪かった」 「……ああ、反省してくれ」 ――イロアスが怒っている。 今までだったら珍しいことだと驚いていたが、つい先日荒れ狂ったイロアスを目の当たりにした身としてはそれでもまだ我慢してるのだろうと分かった。 そのまま俺の手を取ったイロアスは歩き出す。そんなことせずとも別に逃げない、そもそも俺も帰るつもりだったのだ。そう言ったところでイロアスの手は離れないのだろう。分かったからこそ、ここは大人しくイロアスについていくことにした。 本当にイロアスはただ宿からいなくなっていた俺を探しにきていたらしい。宿屋の前にはナイトがいて、イロアスに連れられている俺を見て「見つかったのだな、良かった」と笑った。 そして足を踏み入れた宿屋のロビーではメイジとシーフが二人座ってなにやら話していた。 イロアスに引っ張られていた俺を見るなり、やつらはクスクスと笑った。 「なんだ、案外早く見つかったんだな」 「……シーフ、言葉を選べよ」 「おっと、藪蛇かぁ? ま、言ったろ。メイジがそう遠くは行ってないって」 「それでも勇者サマは心配だったのだろう、手元に置かないとそこのじゃじゃ馬はどこへ行くかも分からない」 さらりと人を小馬鹿にするメイジにムカついたが、俺よりも先にイロアスが「メイジ」と睨むのだ。視線で咎められたメイジは肩を竦めて笑った。嫌でもイロアスの不機嫌が伝わったのだろう。触らぬが吉と判断した二人はそれ以上こちらに絡んでくることはなかった。 それから丁度全員が揃ったということで一旦貸し切ったラウンジへと場所を移すことになる。 相変わらず派手な柄や過剰装飾で溢れ返った宿内、向き合うような形でそれぞれ二脚のソファーに腰を下ろした四人はどうやら今日のことについて話していた。 ソファーは俺の座れるスペースはあったが、自らその中に割って入るつもりもなかった俺は少し離れたところに座り込んで話を聞いていた。 「件の魔物について、この街の人たちにも詳しく聞いて回ろうと思うんだ。市長の話は聞いたがどうも不明慮な部分が多くてな」 「悪くねえな。住処だけ分かっててもいざ突入して市街地に逃げられたりでもすりゃ目も当てられねえし」 「……そういうことだ。魔物の特徴、人間に擬態したときの姿……それから、これは俺の個人的な疑問なんだが何故町の人たちがここまで魔物を恐れているのかも気になる」 「それも、夜だけ」とイロアスは静かに呟いた。 その点については俺も同じ疑問を抱いていた。もっと言えば、あの市長の胡散臭さからしてなにかまだ裏にあるような気がしてならない。 リーダーの言葉に全員が賛同し、一旦昼まで情報収集してまたここに集まるということに話はまとまったようだ。話が終わるなり、それぞれが動き出す。 そして、そのまま俺の脇を通り抜けていこうとしていたイロアスの腕を掴んだ。手の下、掴んだイロアスの腕がピクリと反応するのが伝わってくる。 「俺も、街で情報収集したらいいのか」 「……お前は俺と来い、スレイヴ」 ――来てくれじゃなくて、“来い”なのか。 命令口調にいちいち引っかかるのも今更だが、先程のことがあったからこそなんとなく圧を覚えた。 ……それでも、変に避けられるよりかはマシなのかもしれないが。 それに、今の俺は勇者であるこいつに口を出せる立場ではない。「分かった」と返した声は思いの外低くなり、なんだか不貞腐れた子供の声のように聞こえて嫌だった。 ◆ ◆ ◆ 町中は日が登ってくるともにようやく人が増えてきた。その頃合いを見計らって、俺とイロアスは街へと繰り出す。 一足先に他の奴らは既に街で聞き込みを行っていることだろう。シーフは風俗街、ナイトは住宅街、メイジは邸宅街――そして俺たちは街の中心部でもある歓楽街へとやってきていた。 人混みが多くなればなるほど、大分朝方の雰囲気とは変わって見えるものだ。人混みになるとどうしても思い出したくない記憶が過り、無意識の内に全身の筋肉が強張ってしまう。 それでも、すぐ側にはイロアスがいた。イロアスの容貌はただでさえ人目を惹き付けやすい、その上人気者の勇者様はあっという間に人に囲まれてしまうのだ。 「アンタが勇者様か、随分と若い子じゃないか」 「勇者様、決まった相手はいるのかい? うちの娘なんてどうだい、是非」 「あれが市長殿が依頼した勇者か……横にいるのは荷物持ちか?」 「勇者様、是非うちの店で買い物していってくれ! アンタになら大サービスだよ!」 「はは、ありがとうございます」 興味、羨望、嫌疑、下心。あらゆる感情を一心に引き受けても尚、イロアスは普段と変わらず『勇者』として集まってくる住人たちの相手をしていく。 まるで先日携えた剣で人を殺めたとは思えないほど変わらなさだ。イロアスが勇者たる所以なのかもしれないが、今はその上っ面に貼り付けた笑顔を見るといい気分にはならなかった。 こういう聞き込みは、いつだってイロアスがやってくれた。俺は子供相手や年寄の話し相手くらいしかできない。人から情報聞き出すのはイロアスの得意分野でもある。 老若男女虜にする人の良い笑顔を浮かべたまま、「そういえばお伺いしたいことがあるのですが」とイロアスは辺りに目を向ける。 「この中で人に変身するという魔物についてなにか知っている方はいらっしゃいますか?」 そうイロアスが口にしたときだった。辺りは一気に静まり返った。 先程までイロアスにキラキラとした目を向けていた人間たちも、魔物という単語が出てきた途端一気にその目の色を変えた。 随分と分かりやすいことだ。 「……直接見たとかではなく、『誰々が目撃した』というものでもどんな些細なものでもいいんです。何か知ってることがあれば……」 「さ、さあ……私はあまり詳しくなくてね、ただおっかないって噂は聞いてるよ」 年のいった女店主は続ける。「俺もその程度だ、ガキがなんか言ってるのを見たが」と隣にいた男が顎に蓄えた髭を擦る。その言葉をイロアスは聞き逃さなかった。 「子供ですか?」 「え? あ、ああ……っつっても、街の悪ガキだ。適当なこと言ってるだけかもしれんし、情報って言うには信憑性は……」 「それはこちらで判断するのでお気になさらず。それより、他にもなにか知ってることがあれば是非教えて下さい」 「そういやうちの子もなにか見たって言ってたわね、確か森の……」 一人が漏らしたことを皮切りに、他の街の人間たちも各々自分たちの知ってる情報を断片的ながらも口にしていく。 一人一人の話に耳を傾けながら、しっかりと礼を言い、それから立ち去った住人がまた別の住人に声を掛けてはイロアスの回りには先程以上の人が集まっていくのだ。 中には噂の勇者を一目見ようという野次馬もいるだろうが、イロアスはそんな人間も蔑ろにしない。故に、そんなイロアスを助けようとまた人が集まっていくのだ。 昔から何度も見てきた光景だ。 そんなイロアスの姿を見る度に自分までつられて誇らしくなっていた。なのに。 イロアスの本音を聞いてしまった今、昔と同じ目で勇者であるあいつを見ることはできなかった。そしてそんな自分にも嫌気が差すのだ。 ――どれほど経ったのだろうか。大方情報を集め終えたイロアスはキリがいいところで住人たちに別れを告げ、「行くぞ、スレイヴ」とこちらを振り返る。通路の脇道に立っていた時計台は丁度昼を指し示していた。俺は頷き返し、再びイロアスとともに宿泊先の宿へと戻るのだ。 「情報は集まったのか」 「あくまでも又聞きレベルのものならたくさんな。この後皆と合流して情報の精査をする」 「……そうか、流石だな」 思わずぽろりと口から出た言葉に、ぴたりと動きを止めるイロアス。皮肉を言ったつもりではなかったが、そう捉えられてもおかしくはないだろう。 けれど撤回するのもおかしな気がして黙ってると、イロアスは何も言わずに再び歩き出すのだ。 俺もそれに倣ってただその後を追いかける。 沈黙が続いたが、勇者に群がる人間たちのお陰で沈黙にはならなかった。それでも形容し難い空気が確かに俺たちの間には流れていたのだろう、居心地の悪さだけがそこに残っていた。 ◆ ◆ ◆ 宿屋まで戻れば、そこにはナイトとメイジがいた。二人はラウンジでそれぞれ離れてソファーに腰を下ろし、俺とイロアスの姿を見るなり助かったような顔をして「ああ、イロアス殿、スレイヴ殿」とナイトは立ち上がるのだ。 「二人とも、随分早かったな。……シーフはまだか?」 「ああ、まだ戻ってきていないみたいだな」 「シーフのことだ、どうせついでに遊んでから帰ってくるんじゃないか?」 「メ、メイジ殿……滅多なことを言うものじゃないぞ」 「アンタはあいつの性格を知らないからそう言えるだけだ、良い子ちゃんだな」 「い、良い子ちゃん……?」 そうナイトに絡み出すメイジ。先程ナイトが救世主を見るような目でこちらへと向かってきた理由がよく分かった。ずっとからかわれていたのだろう、見兼ねて「ナイト、相手にしなくていい」とその肩を叩けば困ったようにナイトは笑う。 「……それより、二人の進捗は如何だろうか」 「そうだな。シーフが帰ってくる前にある程度情報をまとめておくか」 「賛成だ。とはいっても、俺も騎士サマも概ね同じ情報しか手に入らなかったがな」 「同じ情報?」 「……それより場所を変えないか? ここだと人目が多すぎるからな、上に行こう」 辺りにちらりと目を向けるメイジ。やつの言うとおり、周囲には昼飯を食べに来た他の宿泊客の姿がちらほらとあった。そして俺たちが揃っているのを見ては好奇の目を向けてくる。 それに気付いたようだ、イロアスは「ああ、そうだな」とメイジに同意した。俺もナイトも異論はない。 俺たちはそのまま借りているフロアへと移動した。 いくつかの階段を上がって貸し切り状態のその階へと足を踏み入れた俺達は、そのまま奥にある開けたラウンジで腰を落ち着かせることになった。 それからシーフが来るまでの間、まずは俺達――というよりもイロアスが得た情報を二人に共有するところから始まる。 量すらは多いものの、信憑性にはやや欠けたものが多い。その中でも複数証言が上がったものをまとめるならば、『魔物に会ったという子供がどこかにいる』ということと『森に魔物の住処がある』ということ。 「不思議なことに、魔物による被害については誰一人具体的に挙げたものはいなかった。子供を攫うとか言われていたが、実際に攫われた子の名前を尋ねれば皆口を噤むばかりだ」 「なるほど、やっぱりそっちもそういう感じだったのか」 「そっちも、ということは……メイジ、お前もか?」 「ああ、『誰々が怪我をした』というので詳しく聞いてみれば、魔物関係なくただの注意散漫による事故に遭っていたりとその程度のものばかりだ」 「自分もメイジたちと似たようなものだ。……しかし、子供か。住宅街で子供に声をかけたが、皆『知らない』と口を閉じていたがな」 むう、と唸るナイトに、にやにやと笑いながらメイジは「それはアンタを怖がっていただけじゃないのか」と余計な口を挟む。 そしてナイトも気にしてはいるようだ、「その可能性は……ある」と苦々しい顔で呻く。 「子供か。……何かを隠してるのかもしれないな」 「だとしたら敢えて隠す意味が気になるところだな。……騎士サマの顔が怖かった、という理由を除いて」 「……いい加減にしろ、メイジ。ナイトは中はいいやつだ、お前よりもよっぽどな」 「スレイヴ殿……」 「ふ、スレイヴちゃん。それってフォローになっていないぞ」 喉を鳴らして笑うメイジの隣、「いや、ありがとう。……貴殿にそう言っていただけるだけでも救われた気分だ」とナイトは照れ臭そうに付け足す。 そんな中、イロアスはわざとらしく咳払いをした。 「……お前たち、脱線してるぞ」 イロアスに注意をされ、「ああ、これは失礼した」とわざとらしく謝罪を口にするメイジを最後に再び話の道筋は戻される。 そんなときだった。 「悪ィ悪ィ〜! 遅くなったわ〜」 ラウンジへと現れたシーフはそのままふらふらとした足取りでこちらへとやってくる。そして、そのまま俺の隣にどかりと座るシーフ。その反動で体が浮き上がりそうになりながらも、俺は慌てて隣へとずれた。 背もたれに沈むシーフからは離れても分かるほどの酒の匂いがしたのだ。 「おい、シーフ……お前呑んでるのか?」 「情報収集情報収集。必要だったんだよ、勇者様」 「まったく……」 呆れるイロアス。その隣でメイジはちらりとこちらを見る。ほれ見ろ、と言うつもりなのだろう。「俺に言うなよ」と思いつつその視線を無視した。 「それで? なにか収穫あったのか?」 「ああ、あったよ。……ここの市長、すっげええぐい趣味してんだよ」 「おい、誰があのおっさんを調べろって言ったんだ。俺たちが調べてるのは魔物だろ」 「スレイヴ落ち着け、人の話はよぉーく、ゆっくりと、腰を据えてじっくりと聞くもんだ。お前はそんなんだから早とちるんだろ」 言いながら人の腿に手を置いてくるシーフ。俺は舌打ちをし、その手を振り払う。なにが腰を据えてだ、変態野郎。 「シーフ、どういうことか説明しろ」と眉を寄せるイロアスに対し、背筋を伸ばしたシーフは「仰せのままに、勇者様」と仰々しく頭を下げるのだ。 本当に腹立つやつだな、と俺は口の中で舌打ちをした。 【続く】
パイ生地製作委員会
2023-08-01 11:41:42 +0000 UTC