それから、どれほど時間が経っただろうか。 多少気まずい場面はあったものの、やはり良平といるのは楽しいし気は休まる。 けれど、表面上をなぞるような会話ばかりでどことなく部屋の片隅には一抹の気まずさの残ったままだった。 そして俺も俺で、話しながらも先程ほんの一瞬だけ見せた良平の表情が気になって気になって仕方なかった。 さっきのあの表情はなんなんだ。 今は至っていつも通りの良平だが、その分余計足がぶつかったときの良平の態度が引っかかってはそんなことばかり考えてしまう。 それから更に時間は経過し、運ばれてきた大体の皿も綺麗に食べ終わったあと。お開きの空気になって俺は店を出た。本来ならばここらで良平にこの後の予定を聞いてそのときの流れで二軒目や場合によってはホテルに行っていたのだが……。 ――大通り。 オフィス街が近いこの通りでは警備が多いため治安はそれなりに維持されてはいるが、それでも夜が更けてくるとあちらこちらで喧騒が聞こえてくる。それも、今日はなかなか問題が多いらしい。忙しそうに黒服の連中が取締行ってるのを横目に、俺は良平に声をかける。 「結構美味かったろ、ここ」 「はい。特に魚料理が……望眼さんに連れていってもらってなかったら一生巡り会えなかったかもしれません」 「はは、なんだよそれ。大袈裟なやつだな。けど、気に入ってくれたみたいでよかったよ」 よし、いい感じ……だよな? 笑う良平の顔を見てほっと胸が軽くなるが、――問題はこのあとだ。 なにか、なにかいい感じの話題を探さなければ。 「……」 「……」 そう考えた矢先、言葉が出てこず謎の沈黙が俺達の間に流れる。嘘だろ。 「あ……あの、望眼さん」 「どうした?」 「あの、今日は――」 「あー、ああ、こっちこそありがとな。付き合ってくれて。社員寮まで送るよ」 つい脊髄反射で言葉を口にしてから、良平の言葉にかぶせ気味になってしまったことに後悔した。けれど、この空気で無理に連れ回すわけにはいかない。 もっと一緒にいたい気持ちをぐっと堪え、そう続ければほんの一瞬良平の表情が暗くなったことに気づく。 けれど、「あれ?」と瞬きをした次の瞬間にはいつもの良平がそこにいた。 「……ありがとうございます」 断られてはいないということは、拒否られてはないはず……だよな? 良平の反応を確認しながらも、俺は「ああ」と頷いた。それから、良平を責任持って社員寮まで送り届けることになったのだけれども、俺の頭の中には先程の良平の反応がずっと凝りのように残っていた。 ――社員寮エレベーター前。 「じゃあ、俺はここまでで大丈夫です。……今日はありがとうございました」 「ああ、じゃあな」 エレベーターに乗り込む良平に手を振れば、少しだけ恥ずかしそうにしながらも良平は小さくこちらへと手を振り返してくれる。 それから良平と別れたあと、俺はそのまま深く息を吐きながらその場に座り込んだ。 これぞ、求めていた普通のデートだ。良平の様子からして少なくとも悪くはなかったはずなのに、やはり自分の中に不完全燃焼という感情があった。 それに、良平の反応からして好感触であることには違いない。けれどやはり時折自分の選択肢を間違えた気がしてならなかった。 「……俺も寝るか」 むらつきはあったものの、今更良平以外のやつに会いに行く気にもなれなかった。 その日、俺は大人しく自室へと帰ることにした。 ◆ ◆ ◆ 仕事終わりに良平を飯に誘ってから数日後が経過した。 あの日以来、俺達の関係に変化があった。――それも、あまりよくない方に。 何故か良平がよそよそしいのだ。 話しかけたらいつも通り応えてくれるし、仕事ときは普段とあまり変わらない。けれど不意に二人きりになったときとかに、あいつは逃げるようにそそくさと俺から離れたり他の人に声をかけるのだ。ただの考え過ぎだと言われればそのレベルでもある。 けれど、 「なんかあった?」 いつものように自分の担当の元へと向かう良平を見送ったあと、たまたま出勤していた東風さんがこちらへと椅子に乗ったまま転がってきた。 「東風さ〜ん……」 「お前避けられてね」 「やっぱ、気のせいじゃないっすよね」 考え過ぎだと自分に言い聞かせて無理矢理納得させてきたが、東風さんの指摘により決壊することになった。 ああ、やばい。普通に凹んできた。 「何もしてないと思うんですけど、あいつずっとあんな感じで」 「何もしてない」 「はあ……わかんねえ、最近の子」 「お前も大差ないでしょ」 相変わらず東風さんのツッコミは切れ味が鋭い。じわじわと胸の内側から蝕まれていくような精神的ダメージに耐えきれず、そのまま机に突っ伏していたときだった。東風さんは欠伸混じり、眠気で微睡んだ目を向けてくるのだ。 「手、貸そうか」 そう目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、なんでもないように口にする東風さんに固唾を飲む。 東風さんの能力、それはこの営業部の中でも強い影響力を持つものだ。 ――洗脳。 その名の通り相手の思考を奪い、自分の意のままに相手を操ることができるという誰しもが欲しがる力だ。それを挨拶感覚で使うことができるこの人のことを何度羨ましく思っただろうか。 甘い誘惑に思わず邪な思考が過る。自分の意のままに良平を操るなんて、そんなこと……待て下半身、勝手に先走るな。 「いや、やっぱり駄目です。あいつは部下だし……つかそこまでしてもらってのは違うというか!」 「……いや、冗談」 「………………」 「ちょっと迷っただろ」 「……アンタ、まじで鬼」 「ま、別にいいんじゃね。冷却期間も必要だし」 がんばれーと力のない応援とともに再び椅子に乗ったまま自分のデスクへと戻っていく東風さん。 「……はあ、つれえ」 再び机に突っ伏した俺の嘆きは静かに営業部に木霊することとなった。 ◆ ◆ ◆ 一度ドツボにハマってしまえばどんどん底なしの沼に沈んでいくようなものだ。 良平の態度を意識すればするほどこちらもどう接すべきかわからなくなる。落ち着くまで距離を置くのが正解だとわかっていても、心がそれを拒否してくるのだからまあ大変だ。 このままではいつ仕事に支障を来してもおかしくない。というか私生活にはもう支障出始めている。 というわけで、このままではまずいと判断した俺は行動に移すことにした。 仕事終わり。近くのラウンジで缶コーヒー片手に良平が出てくるのを待っていると、良平は現れた。丁度空になった缶を掃除用ロボに手渡し、そのままラウンジを出た俺は良平に「よう」と声をかけた。 「も、……望眼さん……っ! どうも……それじゃ、失礼します」 一瞬びっくりしたような顔をした良平だったが、そのまま逃げるように立ち去ろうとする良平に「ちょっと待った!」と慌てて声をかける。思いの外大きな声が出てしまい、びっくりする良平。俺もびっくりした。 「あ、あの、なにか……」 「ちょっと話があんだけど、いいか?」 最悪拒否られる可能性も考えていたのだが、良平の反応は俺が想定していたものと寧ろ逆だった。ほんの少し頬を赤くした良平は少しだけ視線を彷徨わせ、そして廊下の端を見詰めたまま「はい」と小さく声を震わせたのだ。 あれ?と思いながらも、俺は逸る気持ちを押さえて俺は良平を連れて適当なミーティングルームを拝借することにした。 ――ミーティングルーム。 普段ミーティングなんてすることなんかない俺達にとって最早物置部屋同然のそこで、俺と良平は向かい合っていた。 が、先程から良平と目が合わない。ビクビクと微かに震えてる良平を見ていると、なんだか悪いことをしてる気がしてならないのだ。これが罪悪感ってやつなのだろうか。 「因みに、別に俺は怒ってるわけじゃねえからな」 一先ず安心させようとそうなるべく優しく声をかければ、びくりと震えた良平はそのまま怯えたようにこちらに目を向けてきた。「本当ですか?」と照明のお陰もあって潤んだ目に見詰められると胸の奥が騒ぎ出す。それを堪えつつ、「ああ、そうだ」と頷けば少しだけ安心したようだ。良平の肩から力が抜けるのを見てほっとした。 よし、ここからが本題だ。 「単刀直入に聞くけどさ。……なあ、もしかして俺のこと避けてる?」 「……っ!」 「あの、なんか怒らせるような真似したんだったら言ってほしいっていうか……その、改善するし」 ――言ってしまった。 口に出してみるとより単純なことのように思えてしまうのだから不思議だ。 そんな俺の言葉が余程意外だったらしい。驚いたように目を丸くした良平は「ちが、」となにかを言いかけて、言葉に詰まる。そのままもごつく良平の言葉を俺はただ待った。 すると、再びちらりとこちらを見た良平は先程よりも更に目を潤ませるのだ。 「も、望眼さんこそ……」 「え? 俺?」 「……望眼さんこそ、その、俺になにか思うところとかあるのでは……?」 ――な、泣いてる?! うる、とやや目を赤くした良平に怯えたように見上げられ、焦りと動揺とほんの別の部分が刺激される。 いや待て。なんだこの展開は。 「待て待て、なんでそうなる? あとなんでちょっと泣きそうになってるんだ?」 「だ、だって……最近、望眼さん俺のこと避けてますよね」 「さ、避けるわけ……ッ!」 ぐしゅ、と鼻を啜る良平にその辺に転がっていたティッシュの箱を手渡せば「あ゛りがとう゛ございま゛しゅ」とそれを受け取る良平。 けれど、俺には先程の良平の言葉の衝撃が強すぎて一瞬なにも考えられなかった。 俺が良平のことを避けるわけないだろ、と思ったが、それも一瞬。ありとあらゆる心当たりが一気に頭の中まで溢れ出した。 まさか、まさかとは思うが――良平のいう『避ける』というのは俺が食事で終わらせたり、不用意にスイッチが入らないようなるべく良平との身体の接触を避けようとしたこととかか……?! 「……っ、良平、違うんだ」 「ち、違うっていうのは……?」 「あーと、その……非常に言いにくいんだがな、避けてるというかそれは……」 「というか……?」 ちーんと鼻をかむ良平に歩み寄っていくゴミ拾いロボ。少しだけきょとんとした顔でこちらを見上げてくる良平が可愛いとかそんなことを言ってる場合ではないのだ。 ……どこから説明したらいいんだ。やべえぞこれ、普通に格好悪いし。 上手いこと言おうとしたところで多分、歪曲して伝わってしまうのならば、もういっそのことド直球でいって砕けた方がましだ。 「? 望眼さ……」 ええい、と半ばやけくそになりつつ俺は良平の手を握った。柔らかく、滑らかな指の感触。 「……っ?!」 「お前との関係、大切にしたいって思ったんだ」 「も、望眼さん……?」 「あー、皆まで言うな。……分かってる、お前がそのつもりないってのも。だからその、俺の勝手な都合なんだよ。……ただのセフレみたいになんの、やだなって思って」 「けど、悪い。それが裏目に出たんだよな。……本当に避けてるつもりはなかったんだよ」俺、すげー独りよがりなことをべらべら喋ってんな。喋れば喋るほどもうやめとけ、と頭の中でもう一人の俺が止めるが、ここまできたら止められない。 軌道修正不可能な状態まできてしまったのだ。 良平の目が、沈黙が痛い。今ここで振られた方がまだ踏ん切りつくかもしれない。それほど出し切った感覚が強かった。 暫く呆気取られていた良平。俺達の間に再び沈黙が走り、空気を読んだようにゴミ拾いロボが一人手にミーティングルームを出ていく。 そして、暫しの無言のあと。 「そう、だったんですね……」 ぽつりと口にした良平。涙は引っ込んだらしいが、その頬は先程よりも赤くなっているように見えた。 無理もない。いい年こいて青臭いこと言ってんなよと思われても仕方ない。どう思われたところで隠しようがない本音なのだから。 「あー、駄目だ。すげえ俺恥ずかしいやつだな。なんか」 「そ、そんなことありません! ……寧ろ、俺の方が……っ!」 「……え?」 「ぁ……」と、言ってしまった、というかのように口を抑える良平。そのまま恥ずかしそうに俯いた良平だったが、なにかを決意したようだ。きゅ、と唇を結んだ良平はそのまま小さく呟く。 「俺の方が、余程恥ずかしいやつです」 「それは、どういう……」 「望眼さんと普通に食事したり、お話できるのだけでも楽しいのに、俺が至らないばかりに……っ!」 「ま、待て、そうやって自分を責めるなよ。つーか、至らないって……」 「っ、……望眼さんが、そうやって俺のためを思ってくれてた間……俺は……っ」 わーっとなっている良平を見て、数分前の自分を思い出す。なんなら俺以上にてんやわんやしている良平に俺が冷静になってしまってるくらいだ。 「大丈夫だ」とか「落ち着け」とか言いながら、取り敢えず良平の背中を撫でてやれば少しは楽になったらしい。そのまま「望眼さん……」と弱々しく擦り寄ってくる良平に心臓が一層大きく脈打った。 「落ち着いたか?」 「は、はい……」 「誰もお前のことを恥ずかしいやつだなんて思ってないから、大丈夫だからな」 こく、と小さく頷く良平。 そして良平は再び口を開いたのだ。 「望眼さんが……もう、俺に飽きたのかなって……思って……もしかしたら『やっぱ違うな』って思われてるのかな、とか、そんなことばっか考えて……」 数日前、飯屋の個室での良平の見せた妙な顔を思い出した。傷付いたようなあの顔を。 まさか、そんなことを思っていたなんて露ほども知らなかった。自分の体裁ばかり気にしていたからだ。 「も、望眼さん格好いいから相手も困らないと思うし、そもそも俺がお付き合いお断りしたのに……本当、何言ってんだって感じなんですけど――」 真っ赤になって、今にも消え入りそうな声でそうぽそぽそと呟く良平を前に、いても立ってもいられなかった。 気付けば目の前の良平を抱きしめていた。腕の中、何事かと良平の丸い目がこちらを見る。 「っ、も、望眼さ……ッ」 「……っ、かわいい」 「ぁ……」 「悪い。やっぱ無理だ、お前それは……だって卑怯すぎるだろ」 「も、ちめさ……っ、んん……っ」 体裁なんてもうどうだっていい。振られたからなんだ、これってもうつまりそういうことじゃねえか。 細い顎を捉えたまま、その唇にキスをする。びくりと腕の中で震えた良平だったが、そのまま慣れない動きで口を開き、恐る恐る舌を伸ばしてくる良平に頭の中がより一層茹で上がるようだった。 「は、……っ、良平……」 「っ、ん、んぅ……っ」 「不安にさせてごめんな」 「……っ、も、ちめさ……っ、ん、む」 唇も舌も咥内も唾液も全部可愛くて仕方ない。 恋人ではなかろうが、良平が俺のことを求めてくれていたことがひたすら嬉しかった。 何度も角度を変え、深く、良平の狭い喉の奥まで舌を擦り合わせる。ざらついた上顎を舌先で撫でてやれば、しがみついてきていたその指に力が入るのを見てより一層股間に熱が溜まっていくのを感じた。 触れられなかった数日分を取り戻そうと長い間キスをしていた気がする。本当は脱がしたかったが、場所が場所だ。今すぐにでも部屋に連れていきたい気分でもあったが、それよりもこのままずっと良平と触れていたいという葛藤もあった。こんな素直で可愛い良平、もう二度と忘れないように網膜に焼き付けておきたい。 「本当はすげー抱きたかった。ずっと、こうやって触れたくて堪んねえの。……すれ違って匂い嗅ぐ度ムラムラすんの、どうしようかと思った」 「は、ぁ、……っ、ん……っ、そ、んな……ッ」 「……っ、気づかなかった?」 そのまま後ろ髪を撫でつければ、心地よさそうに目を細めた良平は「はい」と濡れた唇で小さく答えるのだ。だとしたら、良かった。 口にしてしまったらもう手遅れだろうが、良平のことで一喜一憂してる姿はあまり見られたものではないだろうから。 「で、でも……嬉しいです」 「……っ、良平……」 「これからは、……教えて下さい。その、俺、体力ないから毎回は少し難しいかもしれませんけど、……なるべく、努力しますので」 そのままぴとりとくっついてくる良平にスーツの上から膨らんでいた股間を撫でられ、『この時間を大切にしたい』という気持ちは即性欲に負けた。 結局そのまま取り敢えず一回ミーティングルームでしたことは俺と良平だけの秘密にしておこう。 事後、恨めしげに脛にごつごつぶつかってくるお掃除ロボに謝罪しつつ動けなくなった良平を抱えたまま俺は自室へと連れ帰って翌朝まで二人きりの時間を堪能することとなった。 ――そして翌朝、営業部オフィス。 「おはよ、良平」 「おはようございます、望眼さん。東風さんも」 顔を覗かせる良平に、珍しく起きた東風さんは「ん」とアイマスクを外しながら挨拶を返していた。 おはようと挨拶するのも今朝では二度目だ。一応営業部では俺達はただの先輩と後輩だ。時間帯をずらして出社なんて、本当に付き合ってるみたいだななんて思いながらも俺は良平に声を掛けた。 「これから挨拶回りか?」 「はい!」 「そうか、頑張れよ」 「はい、行ってきます!」 はあ、癒やされる。多少危なっかさはあるが、そこもまたアンバランスさが愛おしいというか……。 デスクで準備だけ済ませたまま元気に出ていく良平を見送る。 「んふふ」 「キモ」 そんな俺の気持ちのいい朝をぶち壊す、容赦ない東風さんの言葉のナイフが突き刺さる。 「ちょっと東風さん、キモは言いすぎでしょう」 「俺、惚気は聞かないから」 「分かってますよ。東風さんがそういうの聞きたがらないってのは」 「はー……つまんね」 「どうとでも言ってください、今の俺には怖いもんなしなので」 「また良平に避けられねえかな」 「またんなこと言って……」 相変わらずといえば相変わらずだが。この人の捻くれた性格には散々泣かされてきたので今更どうとも思わないけども。 全く、と思いながらも俺も担当と連絡取り合ってると、不意に良平からメッセージが届く。 速攻メッセージボックスを開けば、『よかったらお昼一緒にどうですか』というメッセージとともに良平に似たよくわからない可愛い生物のスタンプが送られているではないか。 『絶対に行く』と即返事をし、そのまま俺は漏れそうになる笑いを誤魔化すように伸びをした。 「んじゃ、俺も頑張りますか〜!」 「……がんばれー。俺の分もよろしく」 「や、それは普通に嫌なんすけど」 営業部の朝は早い。 こんなに昼が待ち遠しくなるなんてな、と思いながらも俺は缶コーヒーに残った既にぬるくなったコーヒーを一気に流し込んだ。 おしまい