こないだ短編のネームを公開しましたが、連載作品の方のネームが遅れていて今週は本業で手一杯でした。なのであまり公開できる習作がありません。
ただ仕事が忙しい時ほど脳内整理というか、自分がなにを目指していてなにを伝えようとしているのかをきちんと考える時間も増えてきます。
で、最近考えてるのが「グルメ(メシ)漫画」ってそもそもなにを供給すべきものなのかってこと。
昔から食をテーマにした創作物は非常に多いですが、「美味いメシ」という概念の訴求力は普遍的に強力です。だって人類みんな例外なく美味いメシ食いたいから。これはもう脳みそに刻まれた習性です。
エロと同じレベルの強さです。
一部の食にまつわる作品を「フードポルノ」と揶揄する表現がありますが、あれは言い得て妙というか、まさしく美味の快楽だけを突き詰めて表現する創作物を指すには最適な表現だと思います。
ただただ美味いものを貪って悦んでいる人間の画って、罪深いけど観てて気持ちいいもんね。まさに食のAV。
グルメ漫画の根本的なカタルシスも突き詰めればそこに行き着くとは思うんだけど、「食事」っていう日々の営みとしてもう少し包括的に捉えてみると描かれているものも変わってくる。
例えばご存じ『孤独のグルメ』なんかは、孤独なおっさんが変わり映えのない冴えない日々の活力として、一期一会の豊かな食事を追求する話。
食事で失敗するとそれだけで人生の意義が失われたような気分になってしまう。だからこそ一回一回の食事に、仕事よりも全力で取り組む。生物として実に原始的で普遍的な姿です。
ラーメンハゲで有名な『らーめん才遊記』シリーズは、文化としてのラーメン食にフォーカスを当てて、人々の食事に対する価値観・習慣の違い、特に食事(ラーメン)を通じて得られる特別な体験を追求するキャラクターたちを描いていますし、グルメ漫画の金字塔と言われる『美味しんぼ』なんかは、本来の人間が求めるべき健康で豊かに生きるための正しい意味で美味しい食事=美食を(しばしば過激に)模索する話です。
これらの作品は総じて「習慣化された食事」の質を再考するというテーマが根幹にあって、単純な食の快楽刺激を追い求めるというよりも「元気に生きるための食体験」に重きを置いています。
これと真逆なのが、いかに脳を気持ちよくする料理を作れるかを競い合うバトルグルメ漫画『鉄鍋のジャン』シリーズや、現在話題沸騰中の『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』など。
もはや健康だの元気だの手放して、メシ食って気持ちよくなれる要素に全振りした作品群ですが、わかりやすい快楽を提供してくれるだけあって大ヒットしていますよね。
さて拙作『限界独身女子(26)ごはん』は、当然ながら「元気に生きるための食体験」を描く方のジャンルです。
ただ描き方が極めて捻くれていて、先人たちの作品が正しい食事のあり方を提示する表現だったのに対して、こちらは間違った食事の例をこれでもかと示して現代人の食体験を見つめ直すという表現になっています。背徳感もクソもありません。ただただ悲惨なだけです。
そんな状況だからこそ、些細な食を通じて得られる外界とのつながりが妙に際立って見えてくる(……ようになってたらいいなと思って描いています)。
人が人と会うときに食事を伴ってテーブルを囲むのは、おそらくそれが一番人同士をつなげてくれるものだからだと思います。だから私は誰かと一緒に食事する時間を人生で一番大事にしています。
そこに美味しいものがあればもちろん嬉しいですが、眉を八の字にして頬っぺたに手を当てておもわず唸りたくなるような至福のグルメである必要はありません。その場所に普通にある普通のものでいいのです。
がんばって美容室に行った勲章(飴玉)がグルメ要素の漫画なんてあんまりないと思います。でもその飴玉の記憶が自分と世界を繋げてくれている。そんな感触を伝えようとしている珍妙な漫画です。
とはいえ、やはり根本的な食の快楽というカタルシスにおいては極めて病的なパンチ力しか持っていない作品なので、なかなか世に浸透しづらい一本になってしまっているなぁと感じる単行本2巻発売二週間後の今日この頃。
もう私個人がSNSで作品を広めることはできなくなっているので、読者のみなさまはぜひぜひ周りのお友達やご家族に紹介しろください。
的場りょう
2024-07-06 14:46:14 +0000 UTC瑞穂 仁
2024-07-06 13:28:32 +0000 UTC的場りょう
2024-07-05 12:34:02 +0000 UTC的場りょう
2024-07-05 12:32:33 +0000 UTCハリガネ
2024-07-05 10:06:45 +0000 UTCフラット
2024-07-05 08:02:48 +0000 UTC