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雪中アヤメ
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【先読み】土曜夜、ヒトイヌマッチングサービスにて

 毎週土曜の夜、私には習慣にして楽しみにしていることがあった。  大学生として以前より自由のきく時間が増えたからと、友人たちは学生の身分であるうちにと遊びを増やしていたりするが……私はちょっと出自のはっきりした家の生まれということもあってか、稽古ごとや独自の勉強が多いからそうもいかない。  その分、アルバイトをする暇もないからと、周囲からは羨まれる実家からお小遣いをそれなりにもらっているけれど……そこを知るまでの間は、お金のかかる趣味もなく使うあても多くなかった。身嗜みはしっかり整えていたが、そのくらいだ。  だが……最近は違う。その使い道である───『ヒトイヌマッチングホテル』に、私は今週も足を運んでいた。  名家といっていい環境としては珍しく……と言っていいのかわかるほどよその事情に詳しくはないが、私はお見合いのようなことはまだしたことがないし、今後するかどうかもわからない。女子校育ちということもあって、異性との恋愛も特に経験がなかった。  家の教育方針は案外緩いほうだ。「健全な付き合いの上で両親に紹介した相手にしか体を委ねるな」というくらいで、素直に受け取れば自由恋愛を禁じられてすらいない。だからといって、そう簡単にそれができるわけでもないのだけれど。  しかし、そうした一般的な付き合いを経験する前に、私はある種の抜け道に辿り着いてしまった。それがここだった。  ヒトイヌ……人間を人間らしい行動ができないような形に拘束してペットとして扱う、遊戯としてのSMプレイの一種。マッチングホテルはそれに特化し、客同士での交流に焦点を置いた、風俗施設の一種である。  名称の通りだ。人間の客とヒトイヌの客がそれぞれ登録して、互いの要望がある程度噛み合うようにマッチングがなされる。その両者が施設内の一室で引き合わされて、その場で遊ぶ。  特徴があるとすれば、まずは当然ながらヒトイヌに特化していること。それなりにニッチな嗜好であろうとは思うのだが、どうやらノーマルプレイどころかよくあるSMプレイすら取り扱う気はないらしい。  そして、会ってから別れるまでの間、ヒトイヌは人間に戻ることが一切ないことだろう。ヒトイヌと遊べるというよりは、ヒトイヌとしか遊べないのだ。 「では、こちらのお部屋でお待ちくださいませ」  私は人間側としてしか利用したことがないから、こちら側の流れしか詳しくは知らない。だいたいこんなところだ。  まず人間側がマニュアルによるサポートを交えた形で要望を出す。拘束具の材質だったり、プレイの内容だったり……たとえば、目隠し猿轡ありで愛撫OK、のように。予約でも当日飛び込みでもいいが、当然予約のほうが希望の相手と当たりやすくなる。  それに対して、ヒトイヌ側は要望の一覧から選んで応じる。こちらも予約、というか人間側の予約を見てそれに合わせて事前マッチングをしてもいいし、施設に来てから選んでもいい。そして準備エリアでスタッフの手を借りて要望に合った形でイヌになり、部屋に向かう。  互いにリピートを望んだ場合を除いて個人の特定や指名は不可能な一方、予約さえすれば自由度の高いマッチングも可能だ。その一方で相手も客だからか、この手の体験ができる施設にしては料金は手頃。特にヒトイヌ側はいくらでも通えるような価格設定になっていて、おかげでマッチングが成立する規模で回っている。  そんな中で、私は毎週土曜の夜に時間の余裕をもって予約して、いつも同じオーダーを出し続けている。問題ないと判断しているとはいえ顔を見られたくはないから、「目隠しまたは視界をぼやけさせるゴーグル着用」。性行為ではなくイヌとの遊戯、いわばペットセラピーのようなことを求めているから、「こちらへの奉仕や性行為なし、ペットプレイ主体」。それから「口枷あり、または人語禁止」だ。  これらはどれも、この施設をヒトイヌとして利用する客には人気のある条件のようだから該当者は多いらしい。それ以外には条件をつけず、毎回それぞれの相手が望むことを受け入れることにしていた。せっかくのマッチング施設だから、やはりさまざまなイヌと戯れたいのだ。  部屋のソファに腰掛けて、今回のマッチング相手が出していた要望を読んでおく。……どちらかといえば愛撫よりも犬扱いのプレイを希望、たくさん撫でてほしい、必要以上のくすぐりはNG……全体的に、人間であることを忘れて犬として甘えたい、といった様子だ。ヒトイヌとはいっても気持ちよくされたい子はやはり多い場だが、今回は基本的には本物の犬のように扱ってやるほうがよさそうだ。もちろん、その場次第ではあるが。  ……それから少しして、予定通りの時間、どうやら相手が到着したようだった。  部屋は何種類かあるが、今回はペット用品がひととおり揃えられた少し広めのリビングのような一室。私が入ってきた扉はやはりそれに則した形をしていたが、この施設の個室には共通してあるものが用意されている。  それが、扉と逆方向にあるペットドア。そちらの向こう側にある準備スペースから、ヒトイヌは専用の通路を歩いてくるのだ。  そこから聞き慣れつつあるヒトイヌの歩行音がしてきたから、出口から二メートルほど距離を空けて床に座って陣取る。そのまま待っているとほどなく、上開きのペットドアが持ち上げられてヒトイヌが出てきた。  革の拘束具にボンデージ衣装が最大母数ながら、胴体はさも人間のような衣服の子から裸の子までいて、拘束が縄でなされていることもある。しかし今回は、ラバー製のドギースーツだ。ぴっちり一体的に全身を覆い尽くして四肢を畳んでいて、露出しているのは胸の先端と股間部だけ。 「……っ、ふっ、ふっ……」  どうやら黒の尻尾はプラグで尻穴から生やしているようで、緊急時以外は外さないでほしいと要望に書いてある。大事なところだけをわざとらしく露出させられた衣装は恥ずかしいのか胸の先端をつんと立てていたが……最も目を引いたところはそこではなかった。  頭だ。私は目隠しを要望しているから、それか代用のゴーグルはつけている姿を見慣れているのだが……今回は普段見えている頬や鼻、髪まで全てが全頭マスクで包まれている。目隠しもそれで兼用されて、その上から犬耳とバイトギャグが取り付けられていた。  それらの影響で、体の大半が黒色に塗りつぶされている。だからこそ露出している恥部の艶めかしさが強調されていた。自分の姿は見ているだろうし、スーツには締め付けもあるはずだからさぞ恥ずかしいだろう。  今夜のイヌは、そんな徹底的なラバー犬だった。上級者でありよほどの変態なのだろう、口枷越しに漏れる吐息には恐怖はなく、むしろ深い興奮が見て取れた。今の自分の格好を、部屋のどこかにいるはずの相手に見られていることを実感しているのだろう。  ……いったい、どんなふうに感じているのだろう。何度見ても自分がイヌになりたいとは思わず、またそれが許されることもないであろう私にはわからない。 「……ルルちゃん、よね? よろしく」 「! んぅ、むぅっ!」  努めて驚かせないよう小さめの声で、要望とともに書かれていた相手の名前を呼ぶ。もちろんこの場でだけ使うイヌとしての名前なのだろうけれど、だからこそ反応する姿が愛らしい。  声でこちらの居場所がわかった様子のルルは、深く噛まされて口枷越しに嬉しそうな呻き声を漏らした。見えていないであろう顔ごとこちらを向いて、まっすぐ歩いてくる。前足が正座をした私の膝に触れると、利口なことに位置を合わせながら体を起こしてみせた。 「ふふ、いい子ね。たくさん可愛がってあげるから、楽しみにしていてちょうだい」 「あぅ、っ……ン、ふっ、ぅ……」  私はどちらかといえば、ペットは甘やかしてあげたいほうだ。もちろんイヌの好みに合わせるつもりはあるが、今回のルルは要望でも甘えたがりのようだったから問題ない。  肩を滑り込ませて前足を掛けさせる形にすれば、そのままもたれかかってくる。背中をそっと撫でてやると嬉しそうに喉を鳴らしたから、肩甲骨からお尻のあたりまで何度もゆっくり撫で下ろしてやる。 「そう、そのまま委ねてくれたら嬉しいわ。ゆっくり、力を抜いて……」 「ん……ぅ……」 「ええ、上手。あなたはワンちゃんなのだもの、人間みたいな見栄なんて忘れてしまっていいのよ」  とても従順で、犬扱いに慣れている子だ。委ねていいと伝えてやるだけで、人間なら本来そうそう行わないような脱力した身の委ね方をしてみせた。これは間違いなく、そうすれば飼い主が支えてくれるとわかっている仕草だった。目隠しをされている状態で、それも相手の顔も知らない状態でそれをするのは簡単ではないだろう。  こういう子にはまず、私が自分の望む犬可愛がりをしてくれる存在だと伝えて、安心させてやるのがいい。すぐには尻尾や股間に触れたりせず、背中と頭をゆっくり撫で続けて……しばらくすると、とろんともう一段体から力を抜いてみせた。  ああ、可愛い。私はもともとヒトイヌを人間として見てなどおらず、こうした人間であることを投げ出した様子を堪能したくてここに通っているのだ。早くも高い満足感を得られてしまったが、もちろん夜はこれから。せっかくの可愛らしいわんこは、可愛がって遊んでやらなければ。  相手は口を塞がれたイヌではあるが、お互いに楽しむにはコミュニケーションが肝心だ。この子は次に何をしたいか、聞いてみることにした。 「ルル、何をして遊びたい? ボール?」 「うぅっ」 「お散歩かしら」 「あぅっ!」  私はここでそれなりの数のイヌたちと遊んできて、なんとなく肯定や否定のニュアンスはわかるようになってきていた。今の場合はひとつめの返事は「やりたいけど後で」、ふたつめが「それがいい!」だ。  まずは室内を散歩したいようだったから、私もそれに合わせた準備をする。その場で待っているよう命令してから、室内に置いてあったリード紐をルルの首輪に取り付けた。感触でそれがわかったのか、ルルは嬉しそうにお尻ごと尻尾を振ってみせる。 「じゃあ、ついてきて。短めに持っているけれど、うまく歩けていたらリードだけで引いてあげるから」 「んぅっ!」  イヌに飼い主の姿を見せない手段には、ぼんやりとした輪郭しか見えなくなる黒いゴーグルもある。それの場合は最低限動けるくらいには見えるようだから気にしないのだが、今回のように目隠し状態だと目の前に障害物があっても避けることすらできない。飼い主が誘導してやる必要がある。  だから本物の犬と違って、リードがぴんと張る程度には引っ張ってやる必要があった。無理やり引き回す気はないから、どちらに引かれているかわかる程度に強さを調節する。  そのまま、ゆっくり歩いて引っ張るのだ。イヌの脚の長さは人間の半分、歩幅は四分の一もない。そのイヌの四足歩行で問題なく追いつける、ほどほどの弱さの引きを保てる程度に。  なにしろ、そうするのが一番可愛らしい。強く引っ張るとその力に任せて引っ立てられる歩き方になるし、弱すぎると不安そうにおっかなびっくりの歩き方になる。私はイヌには気持ちよくイヌとして浸ってほしい。 「んぁ……はっ、はっ……」 「あんよが上手ね。その調子よ」  首輪を引っ張られるその感覚が、暗闇の中にいる今のルルにとっては唯一の道標だ。それだけを頼りに信じて、前を普通に歩く飼い主に続いて短い四つ足を前に動かす。こじんまりとしたイヌの背中を見られながら、普段ならなんてことのない行動が責めになる自身のありさまを自覚するのだろう。  それがどれほどの屈辱かはわからないが、少なくとも積極的に欲しがる程度には被虐心をくすぐるに違いない。ルルはとても楽しそうだ。 「こっちよ。ちゃんとついてきてね」 「んっ……あぅっ」  それを見ることができる飼い主も、イヌが嫌そうでなければついやりたくなってしまうほど支配感を得られるのが散歩だけれど、かといって何も考えずにできるほど簡単なわけではない。  イヌは人間ほど急な方向転換をしづらいから、障害物や壁は余裕を持って避けさせなければならない。それに左右や高さの角度、加えて引く強さもイヌに伝わって貴重な情報となるのだから、上手なイヌなら自在に操ることができる一方で余計な動きをすれば惑わしてしまう。そうなると視界がきかないイヌも飼い主に身を委ねにくくなって、プレイへの没入感が落ちてしまうのだ。  イヌは飼い主に可愛らしい姿や恥を晒して支配を受ける。飼い主はイヌが心置きなく身を委ねられるよう細心の注意を払って導く。きっとヒトイヌに限らないことなのだろうが、片方が自由を奪われてもう片方が操るプレイだからこそ、信頼関係が結べないと楽しみきれない。  だから、こうして楽しそうにイヌに徹して歩く姿は、飼い主へのご褒美でもある。……私は性行為をしに来てはいない体ではあるが、とはいえそれはイヌの性的な興奮も例外ではない。 「ねえ、わかってる? ルル、あなた今、床に『足跡』をつけちゃってるわよ?」 「っっ!? ……ぁっ、は、ふぅっ……!」  それを選んでいる理由は薄々察しがついているが、ルルは徹底的な犬扱いを望んでいる一方で股ぐらは丸出しだ。わざわざ綺麗に剃っている割れ目は隠れておらず、その内側から溢れてくるものを止める術もない。  点々と連なっている水滴のことを「足跡」と呼んでやると、犬らしさを好む子はよく喜んでくれる。根本的に羞恥趣味で、かつ「女である前にイヌ」と扱うつもりだと伝わるのだろう。ルルもわかりやすく興奮を強めて、涎と愛液という二対の足跡を少し大きくしてみせた。  目隠しされているイヌは、他のときに見ていない限りは部屋の広さすらわからない。全頭マスクを自分から被るようなルルなら普段からそうしているだろうと思ったが、横に引かれはじめてはじめて気づいた様子を見るに当たりかもしれなかった。それでも引かれるまで迷わずまっすぐ前を向いていたあたり、信用してくれていそうだ。  二度曲がったあとも障害物の避け方などで慣れることはできなかったようだが、さすがに四度曲がればわかった様子。どうせ見えていないのっぺりしたラバーの全頭マスクでそわそわと見上げてきたのは、ちょうど終着点に着いてリードを緩める直前のことだった。 「よくできました。とっても可愛かったわよ」 「んぅっ!」 「足跡は私が消しておいてあげるから、心配しないでね」 「ぅ」  恥ずかしいのだろう、足跡に触れるたびに目を逸らすような仕草で声を詰まらせる。顔のパーツは何一つ見えていないのに、顔も知らないルルの表情は手に取るようにわかった。  ラバーでつるつるの頭を撫で回していると、くい、と自分から顔を上げた。顎の下をくすぐってやると嬉しそうに喉を鳴らしてみせる。これも正解だったらしい。 「次は……餌にしましょうか」 「うぅ……!」 「ふふ、嬉しそう。準備するから、ここで待っていて」  要望には多くは書かれていなかったものの、『夕飯は食べずに行きます』とはあった。直接的でこそないが、意味がわかる飼い主にとっては露骨すぎるくらいだ。  この施設にはドッグフードも完備されている。人間にも食べられるどころか、人間用に栄養や味を調整された専用のものだ。それはつまり、餌やりがプレイとして想定されているということ。  顆粒状のものが入った袋とペーストが入ったパウチの二種類をルルの待つ床の近くへ運ぶ。座っていてもいいのに、ルルは四つん這いで立ったまま待ち遠しそうにお尻を振っていた。いつ飼い主に見られていてもいいように、自分からは見えていないからこそ常に犬らしく振舞っているのかもしれない。あるいは、単にヒトイヌ姿に浸るのがそれだけ好きなのか。  もう一度クローゼットと冷蔵庫に向かって、犬皿ふたつと水を取ってくる。見えない分音には敏感なイヌは、二度目の足音で察しがついたのかこちらを見上げてきた。可愛らしくお尻を振るのも忘れていない。 「どっちが好きかわからなかったから、ふたつ持ってきたけれど……」 「ん、ぅ……」 「でもねルル、餌が欲しいなら、イヌはご主人様を満足させなきゃいけないのよ」 「ぅー?」  犬皿に顆粒の人用ドッグフードを注ぐ音を聞かせる。やはり慣れていて味も知っているのか、お腹が減っているのか、口枷越しに涎が止められていない。だが私はこれみよがしに音を聞かせた上で、後出しで条件をつけた。  もちろん詭弁だが、どうやらルルはイヌであるとともに相当なマゾだ。餌の前であったとしても、飼い主に振り回されることを喜べるほどに。 「お利口なワンちゃんなのだもの。芸、できるわよね?」 「! あぅ、うーっ!」 「よろしい。じゃあ……お手。ほら、ここよ」  その証拠に、芸と一言告げたその瞬間に全身を震わせてみせた。目を輝かせたような錯覚すら感じられる。もちろんとばかりに鳴き声を少し大きくしたルルは、餌をお預けされたままでも芸そのものを楽しんでくれそうだ。  この芸は避けられない命令で、どちらにしろ従わなければ餌にはありつけない。ルルの口を塞いでいるバイトギャグを外すことができるのは私だけで、それをすり抜けて食べることは難しいから。その気になればどうにか食べられるかもしれないが、私が押しとどめる方が早いだろう。  ただ、そうして避けられない理由をつけた方が、イヌは喜んでくれるものだ。今だってきっと、芸なしの餌でも餌なしの芸でも、ここまではやる気になってくれていないと確信できる。  とはいえあまり待ち切れない様子だったから、すぐに始めてしまう。右の掌を差し出して「お手」を命令……ただ、これだけでは目隠しイヌにはどこに手があるかわからない。  もう片方の手で掌を叩いて、音を立ててやるとルルはそちらを向く。きちんと右の前足を乗せてきた利口なイヌに、そのまま命令を続ける。 「上手。次は、おかわり。もう鳴らさないから、きちんと位置を覚えてするのよ」 「ぅ……んっ!」 「さすがね。じゃあ次は、ふせ」 「んむ……っ」  一度把握した位置はなんとなくわかるのだろう。一度空振りしかけて指先に触れはしたが、その時点でおおよその位置は合っていた。すぐに置き直してきたから、それで充分だと伝えつつ褒めてあげる。  続けて伏せも命じると、迷わずその場でぺたりと伏せてお腹を床につけた。動作そのものは簡単なものだが、それに従うこと自体に意味がある。 「とっても上手だから、もうひとつ見せてちょうだい。ごろん、できるかしら」 「っ……!」  あまりたくさんやらせても焦れてしまうだろうから、今行う芸はあとひとつ。ごろん、つまり仰向けに寝転がってお腹を見せるもの。  やはりただ転がるだけだから、これも難しいものではない。だが……仰向けになるというのは、四つん這いでいる間はあまり露骨には見せずに済んでいるところを晒すことを意味する。  いくら顔まで全て隠して正体を徹底的に隠した無個性なメスイヌでも、やはり恥ずかしいのだろう。息を詰まらせて躊躇ってみせ、動くまでにその羞恥を噛み締め乗り越える十数秒を要した。それでもせかされたりお仕置きをちらつかされる前に動けるあたり、やはりルルはいいイヌだ。  伏せから四つん這いに戻ると、股をぐっと開きながら後ろに重心を寄せていく。やがてお尻が床につくと尻尾の付け根が床に干渉しないよう意識しつつ、おすわりの姿勢から前足を離した。背中をまっすぐ上へ伸ばして……腹筋を使ってゆっくり、そのまま後ろへ転がっていく。 「…………っ、ふ……ぅ」 「……とっても、いい子ね。ご主人様に自分から服従できるワンちゃんは、私も大好きよ」 「うぅ……!」  肩まで床につくと、勝手に丸まりそうと言わんばかりの動作をしながら、バンザイ。股も少し開いて、四つの脚をそれぞれ開いてみせる。  そうすれば、イヌの胴体が全て見える。ぐしょぐしょに濡れそぼっている綺麗な縦筋も、尻尾を健気に咥えているお尻の孔も、必要もないのに露出している胸のつんと屹立した先端も。  ひくついている。どこを見られているかもわからず、全てを見られている感覚になっているのだろうか。ラバーにぴっちり包まれて臍の位置もわかってしまうお腹も、なんとか息を乱さずに保とうと緊張を保っている。  そっと、そのお腹を撫でてみる。最初はびくびくと跳ねたが、すぐに落ち着いてくすぐったそうに上下動した。くすぐる気はないから、優しくゆっくり掌だけで撫でてやる。あなたは今、自分からイヌとして見知らぬ飼い主に服従しているのだと、囁いてあげながら。  鳴き声に色っぽさが少し増した。やはりルルはとにかく、自らの恥辱やそれを突きつけられることに反応するようだ。それでいて顔は誰よりも隠しているあたりが、倒錯的で可愛らしい。 「さ、もういいわよ。ごはんにしましょう」 「っ、むぅ!」  手を離して少し離れ、芸が終わったことを示す。軽く手を叩いて知らせると、達成感半分、名残惜しさ半分のように聞こえる鳴き声が返ってきた。それはさすがに、私の願望かもしれないが。  今度は横に転がり、前後に伸ばした四肢を立てるように四つん這いに戻った。その過程で突き出されるように晒されたラバーの尻と肌色の会陰が見えたが、そちらもまた魅力的だ。ヒトイヌのお尻というのはどれだけ見ても飽きない。  音の位置から推測してかほぼぴったりの位置に来たから、頭を撫で回してやってからパウチを開く。それを顆粒状の餌の上に回しかけてから、改めてルルの後頭部へ手を回した。  こういう子は口枷を外されたままでいることをあまり好まないことが多いから、外しながら構造を把握しておく。つけ直すのに手間取りたくないのは、私のこだわりだが……バイトギャグが口から離れると、涎まみれになったそれを追いかけるように舌が垂れた。そんなさまも少し犬らしい。 「はっ、はっ……」 「まっすぐ下よ。お食べ」 「わんっ! ……ん、あー、む……!」  位置を教えながら許可を出すと、元気な鳴き声が返ってきた。口が自由になっても自発的に犬鳴きをするのは、要望から予想通りだ。私の好みなタイプのイヌだった。  やはり餌皿の高さもおおよそわかっているのだろう。口を開いたまま頭を下げていくと、そのまま餌へかぶりついた。前歯とその裏側で餌を挟み掬い上げるようにすると、首は上げないまま唇を閉じて咀嚼し始めた。これも慣れている子のやり方だ。  私も確認のためつまんだことがあるが、この顆粒餌はクッキーほどの硬さと粉っぽさがある。フレーバーはいろいろあるようだが、今回はチキン味とパッケージに書いてあった。ペーストのほうはカレー味を選んだから、合わないということはないはずだ。  お腹も空いているのだろうが、美味しそうに食べている。前足を左右に開いてお尻を突き出しつつ、餌皿に顔を突っ込んでみせて、興奮をしっかり強めながら。ルルのことだから、そんな情けない姿をじっくり見下ろされていることはこれでもかと実感していることだろう。 「美味しい?」 「はっ、んく……わんっ!」 「よかった。おかわりもあるから、遠慮しないでたくさん食べてね」 「くぅん……!」  後頭部を優しく撫でながら問いかけると、もはや誰でもわかりそうなほど嬉しそうな返事が聞こえた。最初は少しだけあった恥による躊躇いがなくなってきた様子を見つつもうひとつの犬皿へ水を注ぐと、ほどなくそちらにも口をつける。少しだけ舌で掬うようにしてみて、難しいとわかっているとばかりに静かに啜りはじめた。  わざとらしく反抗的な子のときは誘われるまま、頭を押さえつけて食べさせるなんてことをすることもあるが……ルルは自分から積極的に恥ごと貪りにきている。見ているだけで充分だろうと判断して、片手で背中をそっと撫で下ろすだけにしておいた。耐え切れないとばかりにお尻を振ってくれたから、これで正解だと思う。  ルルは平盛りにした餌では足りなかったようで少しお代わりをしてから、尻尾をこれでもかと振って感謝を示してきた。これほど満足を伝えてくれるイヌは、これまででも初めてかもしれない。  さまざまなイヌと遊びたくてリピートを選んだことがない私でも、リピートもありかもしれないと思えてしまう。ルルは本当に魅力的なイヌだった。  それからもたくさん遊んで、もう深夜0時を回ってそれなりに経っている。今回の利用は翌日の午前中までとなっているから、明日の朝までは一緒にいることができる。  当然、この部屋で一緒に寝ることは前提だ。もちろん中止や切り上げは可能だったが……ルルのほうもその気はなさそうだった。 「そろそろ寝ましょうか」 「ぁうっ」 「どっちにしようかしら。一緒にベッドで寝る? それともケージに入る?」 「んっ、くぅん……っ」 「あら。甘えんぼさんね、わかったわ」  もちろんこの施設のベッドは汚しても問題ないが、その一方でイヌがベッドで寝ることは前提まではされていない。室内には大型犬サイズの檻が存在して、そこに入って寝ることもできるのだ。  どうしようもないマゾイヌはそちらを望むことも多いのだが、ルルは私と一緒に寝たいようだった。今日の中でも一二を争うほど甘えたな鳴き声を出して擦り寄ってきたから、私のほうも喜んで一緒に寝ることにした。あまり犬らしくはないかもしれないが、そこはあくまでプレイの満足度優先だ。 「しっかりもたれてきてちょうだいね」 「んっ……」 「軽い……さ、ベッドに行きましょうか」  ルルの顎を私の肩へ預けさせて、片腕を背中の支えに。もう片腕をお尻の下に滑り込ませて、そっと持ち上げた。ルルは言われた通りに体重を預けてきてくれたから、軽さも相まって運びやすい。  抱っこの時間はそう長くは続かず、ダブルサイズのベッドに二人……もとい一人と一匹で寝転がった。そこで一度離してやると、ルルは自分の好きな姿勢を取る。頭は私と同じ柔らかい枕に乗せて、下になっている前足は後ろ足方向に。上になっているほうは私の胸の下に被せるようにしてくっついてきた。後ろ足も似たような形だ。 「ふふ。ルル、今日はありがとう。明日も時間まで少しだけ可愛がってあげるからね」 「んぅ! あぅ、くぅ……」 「ええ。ルルも楽しんでくれていたら嬉しいわ」  私も向き合う形になって、全頭マスクに覆われてバイトギャグを噛まされた顔を見つめる。片腕を背中に回して緩く抱きしめ、一緒の時間をじっくり噛み締める。くっついてくるルルの股ぐらで寝間着が濡れることなど気にもしない。  とことんイヌであることを望んで、そのまま一夜ぶんの生活すらイヌらしく振る舞うことを選んでくれる可愛いヒトイヌのルル。この子のような子がいるからこそ、私もこうして楽しめている。それを感謝し、労る気持ちを込めながら、瞼とこの日はゆっくり幕を下ろしたのだった。


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