ズウゥン…ズウゥン… 部屋の中まで響き渡る振動。リズムよく襲ってくる振動により家具が音を立て、本棚から本がぼろぼろと崩れ落ちる。 …振動の発生源を確認しようと窓の外を見ても、紺色の巨大な布で覆われて何も見えない。この家全体を覆う巨大な布。その匂いが家の中に充満し始め、甘く柔らかな匂いで空間が支配されていくのを感じる。 …こんな生活が、これから1週間始まるのか。俺は、昼間の学校での出来事を思い出していた。 ------ この世界では、小人という種族が存在する。人間と同じように知能を持ち、同じように言葉をしゃべる。しかし、普通の人間の1/50というサイズが、小人から人権を奪い取る原因となっていた。 小人はペットショップで高価に売られ、犬や猫などのペットと同じような感覚で人間に買われていく。人間は自分の部屋にドールハウスを作り、小さな小人をペット感覚で可愛がるのだ。 そんな人間の小人への関わり方は、時々事件が起こることで問題視されてきた。飼い小人への虐待や、性暴力。いずれも禁止されている行為ではあるが、小指サイズの小人が人間の家の中でなにをされているかなど、誰にも分からない。小人の人権は実際のところ無いに等しく、問題は依然無くならないままだ。 「…小人体験学習か」 ホームルーム中、黒板に書かれた文字を見て呟く。…小人体験学習。「小人の気持ちを知ろう」というコンセプトのもと、身体を小人サイズまで縮めて人間に飼われてみよう、という体験学習だ。今や、全国の高校で実施されている。 「はーい、じゃあペアを発表していきますよー」 教壇の上の先生が、体験学習のペアを発表していく。要は、クラスの半分が小人役となり、もう半分は小人役となったクラスメイトを1週間家で飼う、ということだ。そうすることで飼う側と飼われる側の気持ちを理解しよう、という意図らしい。 「うわ、お前とかよ~」 「○○ちゃん、一緒だね!」 ペアを発表されたクラスメイトが口々に話し出す。ペアは男同士、または女同士だ。同じ部屋で1週間暮らすのだから、当然のことだ。 しかし。 「じゃあ最後、高山は…綾瀬とだな」 「…え?」 綾瀬?いや、思い切り女子じゃないか。 「人数が余ったんだ、しょうがないだろう。ただし、小人役は高山にやってもらうからな」 この体験学習を女子とやるのか…?小さくなって、綾瀬の家で飼われるということか? 「高山っち、よろしくね~~♪」 斜め後ろの席から、綾瀬が調子よく手を振っている。お調子者の綾瀬は何も気にしていないみたいだ。能天気な奴。 「綾瀬に飼われるって、うるさくて寝れないんじゃないの?」 「朝からガンガン話しかけられて大変そう~」 周りのクラスメイトが綾瀬をイジリだす。 「いやいや、私家だと静かだから!」 「嘘つきなよ~」 クラスで一番口数の多い綾瀬のことだ。家の中でも同じようなキャラなのだろう。…女子に飼われるということで身構えていたが、こいつのキャラならまあ大丈夫か。俺はそう思い、今日から始まる小人体験学習のペア分けを受け入れたのだった。 ------ そして俺は、学校に設置されている人体縮小機で3cmまで身体を縮められた後、学校から貸し出された小人用のドールハウスに入れられ、ドールハウスごと綾瀬の家まで持ち帰られたのだった。 そして今、綾瀬の部屋の片隅にドールハウスが置かれている。 ズウゥン…ズウゥン… 外からは相変わらず、綾瀬が足踏みをするたびに発生する巨大な振動が襲ってくる。ドールハウスの中は精巧な作りで、人並みに生活できるような家具が一通りそろっている。その家具たちが、地響きにより音を立てて軋んでいる。…ずっと地震に襲われているみたいで、少し怖い。 外では、綾瀬が制服から部屋着へ着替えている所だろう。「見ちゃだめだからねっ!」とドールハウスの中の俺に大声で呼びかけた綾瀬は、自分が着ていた制服のブレザーをドールハウスを包み込むように脱ぎ捨てたのだった。 ズウゥン…ズウゥン… 「………」 巨大なブレザーによる防御壁により、窓の外の景色は何も見えない。地響きを立てながら綾瀬が着替えをしている音だけが響いてくる。…何も見えないとはいえ、クラスメイトの女子が着替えている音がこんなにも大音量で聞こえてくるというのは、少しドキドキしてしまう。さらには、ドールハウスに掛けられたブレザーの匂いが、どんどん部屋の中まで侵食してくる。高校生の女子特有の、甘く柔らかい、それでいて汗の酸っぱい匂いが混じった匂い。それが小人の家の空気を支配し、俺は否が応でも綾瀬の匂いを胸いっぱいにかがされることとなる。 …部屋を満たす匂いがあの小うるさい女子から発されたものであるとしても、この特殊な状況は高校生の俺を興奮させるには十分だった。 ズンッ…!ズンッ…! と、突然地響きがこちらに近づいてきて、 「「高山っち、開けるね~♪」」 綾瀬の能天気で大きな声が、ドールハウスの外からガンガン響いてくる。このサイズ差なんだから、そんなに大きな声を出さなくてもいいだろ…! ガタガタッ! 取り外し可能な天井が大きな音を立てて取り外され、はるか上空へ消えていく。その代わりに現れたのは、 「「よっ!調子はどう??」」 「うわあっ!!」 天井の面積いっぱいに広がる巨大な綾瀬の顔に、思わず声を出し、腰を抜かしてしまう。…学校で縮められてから、普通サイズの人間を視界に入れるのは初めてだった。まさかこんなに人の顔が大きく見えるなんて。 「「あははっ、大丈夫~?」」 巨大な綾瀬の顔がけたたましく笑い、ドールハウスの中の空気が激しく振動する。あまりの爆音に思わず耳をふさぐ。…大きな顔で覗かれただけで腰を抜かすなんて、恥ずかしすぎる。俺は耳をふさいだまま急いで立ち上がった。 「ちょっと、もう少し小さい声でいいから!」 綾瀬に呼びかける。 「「ああ、ごめんごめん~。ちっちゃい身体だとうるさいよね」」 綾瀬は素直に声のボリュームを下げる。…これでも今の俺にとっては、頭にがんがん響いてくる音量なのだが。だがさっきよりは幾分もましだ。 (それにしてもでかいな…) 改めて、頭上の綾瀬の顔を見上げる。顔のパーツ一つ一つがとんでもなく大きい。目も鼻も口も、俺の身体より大きく見える。それらが人の顔として、有機的に動いているのだ。ものすごい迫力だった。 そして、クラスメイトの女子に尋常でない近さまで顔を近づけられていることに気恥ずかしさを感じる。いや、綾瀬からすればそこまで近い感覚はないのだろうが、小さな俺からすると普段は絶対見れないような近さで綾瀬の顔が視界に入ってくる。目の色や唇の質感、肌のきめ細かさまでくっきりと見えるのだ。 …こうしてみると、以外と整った顔をしていることが分かる。普段はあのやかましさが先に来るので、女としてちゃんと見たことが意外と無かったが、こうして至近距離で見つめられると…少しドキドキしてしまう。 「「気分はどう?小人の気持ちになれてる~?」」 頭上の綾瀬が、ニヤニヤしながら話しかけてくる。綾瀬はクラスメイトの男子に顔を尋常でない距離まで近づけている意識は全くないようで、いつも教室で友達に話しかけるテンションと全く変わらない調子だった。 「いや、こんなに人間が大きいとはな…びっくりしてるよ」 「「ん、あたしそんなに大きく見える?」」 「見えるよ、だって天井いっぱいに…うわあっ!!」 ズゥンッ…!! 突然俺の横に、巨木のような人差し指が突き立てられる。一瞬潰されるのかと思い、再び大声を出してしまった。 「「あはははっ!!ごめんごめん~♪」」 再び響き渡る綾瀬の笑い声に、身体がびくっとする。女の子の笑い声にびくびくしているなんて、なんて情けないんだろうか。綾瀬の口の動きに、いちいちびくびくしてしまう。 「「はあ~。とりあえずこれから1週間、よろしくね」」 「お、おう」 吐息交じりに笑顔で語りかけてくる綾瀬の顔に、何とか返事をする。…無意識のうちに浴びせかけられた吐息の匂いに、ドキドキしていることを隠しながら。 「「じゃあ、そこの小人食食べといてね。私、夕飯とお風呂に行ってくるから!」」 ドールハウスの机に置かれた小人用の食事を指さしながら、綾瀬は元気よく立ち上がる。開け放たれた天井から、立ち上がった綾瀬の巨大な立ち姿を見上げる。 (ビルみたいにでかいな…) Tシャツとジャージ姿になった綾瀬の立ち姿。先ほどまであんなに近づけられていた顔が遥か上空まで上昇し、少しぼやけて見えるほどだった。あの巨大な顔を支える綾瀬の上半身や脚の力を想像すると、頭がくらくらしそうだ。 ズウゥンッ…!ズウゥンッ…! 再び激しい歩行音を響かせながら、綾瀬は部屋を後にした。ドールハウスに残された俺は与えられた食事を取りながら、ペットのように綾瀬の帰りを待つのだった。 ------ ズンッ…ズンッ… (帰ってきた…) 階段を上がってくる歩行音を聞き、綾瀬が部屋に帰ってくることが分かる。…まるでご主人を待つ犬のようだ。 ガチャッ!! ズゥンッ!!ズゥンッ!! 激しい音を立ててドアが開き、巨大な飼い主が部屋に入ってくる。衝撃に耐えるように、俺はドールハウスの床にうずくまる。 すると、飼い主はドールハウスの中の俺に向かって呼びかけてきた。 「「高山っちー、なんか話そうよー」」 おしゃべり好きの綾瀬は、小さくなった俺と適当に話したいようだった。俺はその声に応え、ドールハウスの玄関から軽い気持ちで外に出た。 「「お、出てきた出てきた」」 「な……」 ドールハウスの外の光景に息をのむ。巨大な建物のような綾瀬が、部屋の床に座ってこちらを見下ろしている。無意識にM字に開いた、むっちりとした脚。膝の上に肘を乗せ、頬杖をつきながら俺を笑って見下ろしている。 …先ほどはドールハウスの中から綾瀬の身体の一部を見上げるだけだったので、いまいち実感が無かった。だがこうしてドールハウスを出て、綾瀬と同じ空間に身を置くと、あまりの体格の違いに無意識に怯えている自分がいた。 (俺、この小ささで何かされたら…何もできないよな……) 綾瀬がそんなことをしないであろうことは分かっていたが、この圧倒的なサイズの差は無条件で小人を怯えさせた。…体験学習はこの時点で成功だろう。小人がこんなにも人間の大きさにプレッシャーを感じているなんて、思っていなかった。 「「ほらほら、もうちょい近づいてきてよ~」」 にやにやしながら促す綾瀬。…お風呂から出て、半そでと短パンの寝間着姿になっている。グレーの柔らかそうな素材の寝間着は、高校生女子の素朴な可愛らしさを引き立てていた。そして、短パンから生えている綾瀬の巨大な生足。M字に脚を開いていることもあり、むっちりとした太もものほとんど根本まで見えてしまっている。そしてこちらに投げ出されている健康的な膨らみのふくらはぎと、女性らしい丸みを帯びた素足。 (足、でっか…) 先程までいたドールハウスのリビングにすら入らないであろう、綾瀬の素足。巨大な足指が、ぐねぐねとくねっている。あの足指にさえ、押さえつけられたら全く敵わないだろう。 「「?どうしたの?そこにいるとあんま声聞こえないんだよね」」 綾瀬の声で我に返る。あまりにスケールの大きい綾瀬の身体にプレッシャーを感じつつ、綾瀬の素足の間を通って股の方へ歩いていく。…無防備にさらされた太ももが視界いっぱいに入ってくる。これ、見てしまってもいいのか…?学校では絶対に見ることができない、クラスメイトの女子の太ももの全貌。もはや、少しだけお尻の部分が見えてしまっているくらいだ。…パノラマで広がるえっちな太ももの光景に、俺は目をそらすこともできず。ただただ顔を赤くして綾瀬の股ぐらに近づいて行った。 「「わー、こうしてみるとほんとちっちゃいねー」」 自分の股の間に到着したクラスメイトの男子に向かって、いつもと何も変わらない調子で話しかける綾瀬。 …一方、俺は巨大すぎる脚と股に四方を囲まれ、湧き上がってくる興奮を抑えるのに必死になっていた。むちむちの裏ももとふくらはぎ、そしてグレーの短パンに包まれた、巨大な股の丘。それらが、女の子特有の湯上りの匂いをこれでもかというくらい発しているのだ。女子との経験がない俺は、中学校の修学旅行で湯上りの女子を見るだけで興奮していたくらいだ。それが、今は巨大な同級生の脚の間までもぐりこみ、湯上りの匂いを全身に浴びているのだ。 (綾瀬、こんなにいい匂いするのか…) いつもは騒がしくお調子者で、あまり女の子らしさが感じられない綾瀬。その綾瀬の女性的な身体に覆われ、シャンプーとリンスと綾瀬の甘い匂いが混じった幸福感の高い匂いを存分に嗅がされる。…普段とのギャップが激しかったこともあり、俺は綾瀬の身体と匂いにメロメロになっていた。 「「あれ、高山っちどうしたの?やっぱりちょっと怖い?」」 興奮を隠してもじもじしていたのを、綾瀬は怖がっていると勘違いしたみたいだった。 「あ、いや、そういうわけじゃないよ」 「「ふふっ、私のおっきな身体が怖いんでしょ~♪ほれほれ♪」」 軽口を叩きながら、綾瀬はその大きな素足を俺の上に掲げ、ふらふらと戯れに動かす。普通お目にかかれない、同級生の足の裏。ぷにぷにして柔らかそうな、可愛らしい足のはずなのに、そのサイズだけが凶悪だった。 「ひっ…!ちょ…シャレにならないからやめろよ…!」 いくら冗談だと分かっていても、綾瀬が軽く足を踏み下ろすだけで俺は全身砕けてしまう。同級生の足の動きに生死を掌握されてしまうなんて、想像だにしなかった。俺は頭上のプレス機が落ちてこないように祈りつつ、綾瀬にやめるよう呼びかけた。 「分かった、怖いから…!やめてくれよ…!」 「「あははっ!分かったならよろしい」」 ズンッ!と、俺のすぐ後ろに素足を着地させる綾瀬。綾瀬は、俺が本気で怖がっているなんて想像もしていないんだろう。…と思っていたが、 「「あれ、ほんとに怖かった…?」」 「う……」 「「ごめんごめん、こんなにおっきい足、怖いよね。…じゃあ、机の上で話す?それならあんまり怖くないんじゃない?」」 優しい笑みを浮かべながら俺のことを心配する綾瀬。机の上に俺を移動させるためか、こちらに大きな手のひらを近づけてきた。 「「ほらほら、乗って乗って」」 「いや、これはこれで怖いんだけど…」 「「いいじゃん~♪手乗り高山っち、一回やってみたい!」」 「………」 目をキラキラさせる綾瀬に逆らえず、ぷにぷにの手のひらの上によじ登る。手のひらから登る熱が、暑い。人間の体温は、小人にとってこんなにも暑いのか。むにむに柔らかな女の子の手であっても、そこから発せられるエネルギーは相当なものだった。 「「じゃ、移動するね!」」 グゥンッ!! (ぐうっ…きっつ…) ものすごい重力が急激にかかり、胃の中のものがせり上がってくるような感覚がする。女の子が軽く立ち上がっただけだというのに、それに振り回される小人は地獄のような思いをさせられる。 …俺のことを心配しているのかしていないのか分からない綾瀬は、手のひらの上の俺を机の上に雑に転がした。 「いって…!」 「「よいしょっと」」 ガラガラッ……!! 大きな音を立てて椅子に座った綾瀬。次の瞬間、その巨大な上半身が机に向かって倒れてきたのだった。 「うわああああぁぁぁっっ!!!」 ドンッ……!! 綾瀬の上半身が机に荒く着地する。 「「ふふっ」」 綾瀬は机に突っ伏した形となり、組んだ腕の上に顎を乗せ、机の上の俺を至近距離で見つめていた。 「あ……」 再び、どぎまぎするほど近い距離。にっこり笑いながら俺を見つめる綾瀬の巨大な顔まで、2mくらいしかない。手を伸ばせば、触れてしまいそうな距離だ。…こんなに、綾瀬って可愛かったっけ。 「「ねえねえ、今日の国語の授業、ずっとトイレ我慢してたでしょ!」」 「は……?いや、我慢してないし…」 「「授業中もぞもぞしてると思ったら、チャイム鳴った瞬間に教室出ていくんだもん♪そんなにおしっこ行きたかったの~?」」 「しょうがないだろ!生理現象なんだから…!というか、女子がおしっことか言うなよ…」 「「え?全然言うよー?おしっこ」」 巨大な顔から繰り出される与太話はあまりにもいつも通りの調子で。心を掴まれかけていた俺は、何かこう、現実に引き戻された気分だった。こんな変な状況でも、こいつはいつも通りなのだった。 「「最近の世界史、つまんないよねー」」 「芸術の話ばっかだもんな。何か事件があれば面白いけど」 すっかりいつもの調子で話し出す、綾瀬と俺。ただ俺は話しながらも、目の前の顔の動きが気になってしょうがなかった。 特に、綾瀬の口元。俺の身体と同じくらいの大きさの唇が、綾瀬がしゃべるたびにぐにゃぐにゃと動く。柔らかそうな唇の表面はこの距離から見ても綺麗で、高校生男子のカサカサの唇とは大違いだった。きちんと手入れされた、可愛らしい唇。綾瀬がしゃべるたびにその唇が開き、奥から無意識に吐き出された吐息が俺の身体に直撃する。その吐息は少しだけ唾液の匂いがして。唇の奥で見え隠れする巨大な舌は唾液でしっとりと濡れており、その感触を想像してしまう。 「「それでさ~」」 この唇に触れたら、どんな触り心地がするのだろう。あの大きな舌で舐められたら、どんな感触がするのだろう。見れば見るほど、クラスメイトの女子の口元がえっちなものに見えて仕方が無かった。 …と、その唇の動きが止まっていることに気づいた。やばい、会話に意識が行っていなかった…。 「「ねえ」」 綾瀬の大きな人差し指が口元まで移動してきて、唇の表面に軽く触れた。ふにゅっ…と唇が沈み込む。 「「見てたでしょ」」 息が詰まる。ばれてしまった。同級生の唇に目を奪われてしまっていたことに。…気持ち悪がられるだろうか。それとも、避けられるだろうか。 「「もう、そんなにあたしの唇が気になったの~?」」 「え……」 いつもの調子でからかってくる綾瀬。引いたりとか、気持ち悪がるとか、そんな様子は見られない。…こいつ、そういう性の知識とか、あんまりないのだろうか。 「「触ってみる?」」 「は…?」 囁くように綾瀬が言う。一瞬、その言葉を理解できない。今、触ってみるって言ったのか? 「「そんなに気になるなら、触ってみる?」」 優しい笑みを浮かべながら、綾瀬の大きな目が俺を見つめる。こちらを包み込むような、慈しむような、そんな綾瀬の雰囲気にドキリとする。…許されている。唇に触れることを、優しく許されているのだ。 俺は応えることもせず、一歩一歩唇に近づいていく。そんな俺の姿を、どこか愉快そうに、無言で見つめてくる綾瀬。俺は、心臓をばくばくさせながら…綾瀬のふっくらとした下唇に右手で触れた。 (やわらか……) 人の唇に手のひらで触れるのは初めてだった。しっとりと濡れた唇の、きめ細かなシワの感触まで伝わってくる。こんなに大きいのに、ちょっと力を入れるだけでふにゅっ…ふにゅっ…と簡単に沈み込んでいく。手をそのまま滑らせると、表面の細かな凹凸と、薄く張った唾液の膜の滑らかさが混ざり合い、なんとも言えない手触りを与えてくる。 …今触れているのは、あの綾瀬の唇なのだ。さっきまで普通に雑談していた、クラスメイトの女の子の唇。それを改めて頭で理解すると、なんとも言えない背徳感にぞくぞくさせられる。 「「高山っち、夢中で触りすぎ♪」」 触れていた唇が突然動き、からかいの言葉を全身に浴びせられる。艶やかな唇と、そこから発せられるいつも通りの声のギャップが、余計に興奮を掻き立てる。綾瀬の唇に、もっと触りたい。 「「んー♪」」 可愛らしく突き出された唇。理性を失った俺は、全身で唇の布団にダイブする。上唇に顔を、手を沈み込ませ、下唇にこっそりと下半身を擦り付ける。唇の生々しい匂いを直接鼻を付けて思う存分嗅いでいく。両手で上唇の舌からむにゅっ、むにゅっ、と鷲掴み、興奮に任せて揉みしだく。 「はあっ、はあっ……」 ふくよかな下唇に下半身を擦り付け、どんどん興奮が高まっていく。両手を唇の間に突っ込んで、その先の感触を得ようとする。その瞬間だった。 「「あむっ♪」」 可愛らしい声と共に、がっちり閉じられた唇。両方の二の腕あたりを完全にホールドされ、引き抜こうとしても全く動かない。 そして、そのまま身体が浮いていくのが分かった。 「ちょっと待…綾瀬…!」 俺の手を咥えたまま、綾瀬の顔がゆっくりと上昇していく。 「「んふぅー♪」」 綾瀬の喉の奥から、愉快そうな声が響いてくる。完全に、俺をからかっている。 「怖いから…!やめてっ……!」 綾瀬は俺の両腕を咥えたまま、椅子から立ち上がる。俺の真下には机はなく、遥か遠くに部屋の床が見える。高層マンションくらいの高さに目がくらむ。今、俺の両腕を挟み込んだこの唇が力を弱めたら、あの床まで真っ逆さまだ。全身が恐怖で震え始める。 「いやだっ……本当に危ないって…!!」 必死になった俺は、綾瀬の唇にすがるしかなかった。挟まれたままの両腕をさらに唇の奥に入れ、必死で下唇にしがみつく。俺を上空に連れて行った綾瀬の唇にしがみつくという、屈辱的な状況。 「「あむっ…♪はむっ…♪」」 そんな俺を、綾瀬は自分の唇でぱふっ…♡ぽふっ…♡と何回も軽く挟み込む。下唇にしがみつく俺の頭で、上唇がむにゅっ…♡むにゅっ…♡とバウンドする。上唇を押し付けられ、何回も首を垂れるような形になる。まるで、綾瀬の唇に謝らされている気分になった。 「「んふっ……」」 そんな俺の惨めな姿を視界にとらえたかどうか分からないが、綾瀬は俺を咥えたまま少し笑い、小人を机の上まで再び運んであげたのだった。 「はあっ…はあっ……お前、やりすぎだぞ……!」 落下の恐怖から解放されるも、いまだ身体を震えさせながら抗議する。 「「んー?クラスメイトの唇にメロメロになってた高山っちの方がやりすぎなんじゃないー?」」 これ以上ないニヤニヤ顔で論破される。…先ほどまで理性を失って、綾瀬の唇に抱き着いていたのだ。何も言い訳出来なかった。 「「えへへ…」」 綾瀬はにやけ顔のまま再び顔を近づけてきて。 「「ん……♡」」 「あ……」 優しく、俺の上半身に唇を押し付けたのだった。 飴と鞭。巨大な飼い主からご褒美をもらった俺は、もう完全に心を掴まれてしまっていた。先ほどまで死の恐怖を与えられていたにも関わらず、再び俺は尻尾を振りながら、綾瀬の唇に抱き着くのだった。 「「………♪」」 そんな俺の姿を見下ろす綾瀬の愉快そうな顔は、少しだけ、教室では見たことのない表情をしていた。 (続く)