【体/験/談(?)】①近所の「年中短パンお兄さん」と体毛の話→ https://teopi.fanbox.cc/posts/4946533 ~*~ 大人になってから周囲の裸を見ることはめっきり減ったが、子供の頃は同級生と一緒に裸になる機会がちょくちょくあった。中でも記憶に残っているのはプールの後の着替えだ。プールの後はシャワーで体を流したり裸のまま体を乾かしたり、なにかと全裸でいる時間が長い。僕が子供の頃は陰部を隠すような者はほんの少数で、周りの体は盗み見るまでもなく視界に入ってきた。もちろん、性に目覚めてからは意識して目で追っていたのは否定しないが……。 薄っすらとだが未だに思い出せるちんちんがいくつかある。全て中学に入学する直前の記憶なので、僕が同性を性の対象と意識し始めたのはその頃なのかもしれない。 一人目は同じクラスの気になっていた男子だった――ここではA君と呼ぼう。A君は明るく運動が得意で、所謂やんちゃ坊主という感じのコだった。男女ともに友達が多く、おとなしい僕にも気さくに話しかけてくれるようないいヤツだった。僕より一回りガタイの大きなA君に僕は密かに憧れを抱いていた。 つるむ面子が違うのでプールの着替えの時もA君の裸を見ることはあまりなかったのだが、その日はたまたま彼と向き合う位置で着替えをしていた。僕は急ぎ気味に濡れた体を拭いていたのだが、A君は仲のいいクラスメイトとはしゃぎ気味に談笑していて、体を拭き終わった後も全裸のままなかなか服を着ようとしなかった。僕がさりげなくA君の股間に目をやると、年相応でかわいいムスコがぴょこんと前を向いていた。陰毛はほとんど生えていなかったと思う。自分のと大差ない大きさのそれに僕は少し拍子抜けしたが、今思うと僕の性癖の一つである「ガタイはいいのにチンコは小さい男」はこのA君が発端なのかもしれない。拍子抜けしたその頃の僕がいったい何を期待していたのか、今は思い出せない。 A君とは別の中学に入学したので、それ以来彼と会うことはなかった。彼は今頃結婚して家庭を持っていたりするのだろうか。 次の記憶に残っているチンコは同級生のモノではなく、学校のプールで見たものでもない。僕は夏になると家族と市民プールに行くことがよくあり、これはそんな市民プールでの思い出である。 その夏の日、僕が更衣室に入ると中年のオジサン集団が一緒に着替えをしていた。もうシャワーを済ませたらしく、全員フルチンで体や髪を拭いていた。ほとんどのオジサンたちは生え散らかしている陰毛にチンコが埋もれていて、それぞれの違いと言えば皮が剥けているか被っているかぐらいだった。そんな中、一人だけ背がずば抜けて高く腹が出ている白人のオジサンが混じっていた。僕はそのオジサンの股間を見た時、その物体が何なのか一瞬分からなかった。ペニスがそこまで大きくなり得ることをその頃の僕は知らなかった。萎えた状態にも関わらず長さも太さも圧巻で、やっぱり外人さんはあそこもデカいんだなぁ、と感心してしまった。 その凶器は確かに性器だったのだが、平均的なそれとはスケールが違いすぎてあまりエロいとは感じなかった。どちらかと言うと興味や感心の気持ちの方が強く、普段はどうやってズボンに収めてるんだろうとか、便器に座る時にはどうしているんだろうとか、好奇心が湧いてしまった。仲間のオジサンたちはそのイチモツを見てどう思っていたのだろう。あそこまでサイズが違うとうらやましいという気持ちも湧かなかったのでは、と勝手に思っている。 最後も市民プールで遭遇したちんちんなのだが、それは歳の近そうなダウン症の男子のモノだった。そのコは小柄だったが、陰部は僕や同級生なんかより大分発育がよかった。ちんちんは剥けていなかったが、ボロンとぶら下がり立派だった。まだ生えかけの僕とは違い、彼は陰毛がしっかりと生えそろっていて見た目は大人のそれと大差なかった。知的障がい者の性を語るのはタブー視されがちだが、ダウン症に関しては性の発達は平均的な子供と大差ないらしく、性欲も普通にあるらしい。僕が見た彼は平均よりもはるかに性器の発達が進んでいるように見えたが、もしかしたら見た目よりも歳は上だったのかもしれない――にしても恵まれていたには違いないが。 その頃の僕は意識していなかったが、男子が一斉に裸になる環境には独特なドキドキ感があった。それはきっとノンケでもゲイでも共通の感覚で、女子には決して分からない雰囲気だと思う。更衣室という閉鎖された空間の中で感じる裸の解放感――僕の周りでは必ず誰かがすっぽんぽんで走り回って騒いでいた気がする。やたらとちんちんを周りに見せつけたり、フルチンのままなかなか服を着ようとしないのも「男子更衣室あるある」ではないだろうか。同じことを大人がやったらただの変質者になってしまうので、あの雰囲気は子供の頃にしか味わえない刹那的なものだったんだなぁ、と懐かしんでしまう。いや、それとも、大人になってもそういう類のことをする陽キャノンケは存在していて、単に僕が遭遇していないだけなのか…… 長々と思い出のちんちんたちについて書いてきたが、それよりも強烈に記憶に刻まれているのは同じころに僕が見たある夢である。その夢で僕は同級生十数人と同じ部屋に所狭しと詰め込まれていた。全員全裸で各々和式便器に小便をしていた。仕切りなどはなく、現実ではありえない近さで便器が設置されているため、周囲のちんちんが丸見えだ。密室の雰囲気は終始賑やかで、男子たちの騒がしい笑い声が反響した。隣で小便をしている男子に声をかけられたが、言葉は聞き取れなかった。視界を満たす肌色の印象が強烈で、一度しか見ていないこの夢を僕は未だに度々思い出す。これは僕の「露出」や「羞恥」、「ちんこ比べ」といった性癖の原点なのかもしれない。 ~ 限定公開の「男性間性行為マニュアル(2)」では裸の男たちがロッカールームで着替えをする場面を書いたが、なかなかストーリーに織り込むのが難しくて僕としても不完全燃焼だった。いつか別の話でリベンジしたい。 ジムにもスーパー銭湯にも行かない僕が裸の男たちに囲まれる機会はまったくない。だからこそそういう環境に憧れるのだろうと、呆れ半分に自覚している。男たちが裸にされる話を書くことで僕はその欲求を満たしているのかもしれない。 服を脱ぐ、裸になるというごく自然な事が人前や複数人で行うだけでなぜここまで滾る要素となり得るのだろう。熱気が充満する密室でじゃれ合う裸の男たち――色褪せることのない瑞々しい光景だ。その魅力をきちんと文章に落とせるよう、これからも精進していく次第である。 〆