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字がクソ汚い話

気づいている人もいると思うが自分は字がクソ汚い。

子供の頃からゲボ汚い。大人になってもグロ汚い。

字がR-18Gである。字が殺し屋1なのである。ピアスのマー坊の裸より汚い。



そういうことが関係あるかはわからないが

自分はあまり漫画表現で描き文字を多くしないのだが、

子供の頃は絵が大好きだった田島昭宇の描き文字に憧れた。

すごくかっこいい。(もっと好きな描き文字はたくさんあるのだが、手元で画集しか見つからなかった。)それにこういう感じなら字がヘタな自分でも昇華できるかもしれないと思ったが全然出来なかった。

自分の字の下手さを侮っていた。




最近はデジタルの発展で滅多に字を手書きしないけど、

ネームの下準備にあたるプロットは瞬間的なものをメモしていく必要があるので

どうしても手書きのスピードが必要となる。その写真。




(R-18Gなので未掲載)




走り書きだが。自分ですら読めない。

文章になっていなくて文字が飛び飛びである。もはや字ですらない。

走りすぎている。

この記号を描いた本人だけが、描いた手の記憶と記号や単語の属性の関連性から読み取れる。

時間がたつと手の記憶や属性の関連性も薄れるので解読は難しい。

時限式の暗号のようなものだ。エニグマなのだ。

自分で言うのもなんだがこういう字を解読しようとすると

脳が壊れそうなタイプのストレスを感じる。

チューリングなら解いてくれるだろうか。



そのくせ他人の汚い字は好きだ。

なんだか可愛げを感じる。不安を感じるような汚い字も好きだ。

もちろん子供の書く字も好きだ。

大昔に知人の書いたメモの字が自分にひけをとらずにキモくて

つい写真を撮る許可を得ようとしたこともある。

自分にもう少し行動力があれば日本中の汚い字を写真におさめて

コレクトしたい気持ちもある。

だけど自分の字は駄目だ。コレクトしたくない。

汚いだけで魅力を感じない。グロい。キモい。ゲボい。



漫画家やクリエーターなどで字が汚い人を見かけると

ちょっと仲間意識を覚える。

なんだか嬉しくなってしまう不謹慎な気持ちが高ぶる。

しかしきっと彼らからすれば自分の字は御免だろう。



自分には字のヒーローがいる。

宮沢賢治だ。

宮沢賢治記念館を訪れた時に原稿が展示されていたのだが、

ザワケンの兄貴に最も親しみを感じた瞬間だった。


しかしどうせ

宮沢賢治も自分の字は御免なんだろう。


いやしかし。


いやしかし宮沢賢治ならなんとかしてくれるかもしれない。

イーハトーブの世界なら僕の醜い字もヨダカのように激しく輝くかもしれない。

宮沢賢治の世界なら字さえも、どれだけ汚い字でさえも生命を宿すだろう。



高圧的なノートさんたちに意地悪される話になりそう。

他のきれいな字たちは次々にノートさんの体に収まり文章をつむいでいくのに、

僕の汚い字だけは、高圧的な赤色のノートさんにも冷淡な青いノートさんにも高飛車な黄色のノートさんにも、お前はとても醜い字だからあっちへ行けと爪弾きにされる。



汚い字は自分が字として生命を全うできる場所を探すたびに出る。

旅先でネオンの看板さんや物知りな新聞さんと出会ったり

都会では活版印刷が流行していて、

活版印刷の字とはそれはつまり人造文字であっていずれは

この人造文字たちにノートで美しい文章となった旧友の優秀な字たちも

自分のように追い出されるのではないかと、

自分はなぜ字として生まれたのだろう。それも使い勝手のない汚い字。

字の本当の幸いとはなんだろうかとたまらなく悲しくなったりする。

のち新宿でピアスのマー坊にヤカられて死にます。終わり。


ヨガ汚字(←タメ→+筆記)


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Comments

字が自我を持って旅をするところ好き。


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